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仏心涌出

仏心涌出
仏心涌出
仏心涌出
先日、在日インド仏教徒の家で法要を勤めた。
日本暮らしも二十年近いその夫婦は、かつて私がまだパーリ語のお勤めも心許なかった頃から、あれこれと面倒をみてくれた篤信者だ。旦那は子供時代、若き日の佐々井秀嶺師が法華の団扇太鼓を叩いて行脚している後ろを、面白がってくっついて歩いたインド下町の悪戯っ子。奥さんは佐々井師からその信心深さを認められ、ルンビニー(藍毘尼園)という法名を授かった「観音様」のような女性だ。
今回、その奥さんから電話で依頼を受けた時も、ところで誰の法事なんだね?と訊くと、
「プージャ(法事)はいつだってバグワーン・ブッダ(世尊仏陀)のためですよ」
と注意された。

さて、家に着いてみると『B.A.I.A.E.Japan』(アンベードカル博士国際教育協会日本支部)の面々が大勢集まっていた。あえて云うまでもないが、佐々井師に出会うまではヒンドゥー教社会で徹底的に差別されたいわゆる元「不可触民」の仏教徒たち。おいおい、一体どうしたっていうんだい?
「決まってるじゃないですか。バンテー・ジー(お坊さん。この場合は私のこと)がインドの新聞に載ったセレブレーションですよ」
驚いた。昨年十月、大手『LOKMAT』紙のマラーティ語版に私へのインタビューが写真入りで掲載されたことの祝いだ、という。記事には、日本にも現代インド仏教徒が50世帯以上住んでいること、徐々にではあるがアンベードカル博士に対する認知度も上がって来ていることなどが書かれていた。ちなみに、祝いが半年後になった理由は、昨年末に全世界で報道されたインドの高額紙幣切り替え騒動。
「ササイ・ジー(佐々井師)を日本へ連れてきてくれたり、私達のことをインドで紹介してくれたり、本当にありがたく思ってるんですよ」
うっかり涙が出そうになった。この人たちは、やはり「地涌の菩薩」(法華経)だったのだ。
そして私は、ここに到るまでの縁(えにし)に思いを馳せ、胸が詰まった。

私の母方には明治末期、解放運動に取り組んだ小寺の住職がいたそうだ。境内墓地にあった「新平民」の墓を他と隔てる垣根を撤去して檀家衆と対立、折悪しく失火により本堂が全焼。しかし再建費の喜捨には垣根の再築を条件とする総代と相容れず、そのため彼は妻子を残して勧進のため托鉢の旅に出た。
生来の直情漢だった彼は托鉢先でも勧進の趣旨を熱心に説いたが、なにぶん「穢僧 (被差別階級と関わる僧侶)」といった言葉がまだ活きていた時代のこと、大概どこでも門前払いを受けたそうだ。そして結果を出せぬまま何十年か経ち、あるとき子供が東京で暮らしていると聞いた彼は、ただ会いたい一心から捜し出して訪ねたが、子にしてみれば自分と母を残して出奔し、寺と家族を破壊した身勝手な父親。積年の怨嗟と共に追い払われた。
やがて年老いた彼は、ある時、小さな田舎町の安宿で大好物の「蕎麦がき」をかきながら、意識を失った。発見された時は蕎麦がきの丼に顔を突っ込んだ状態であり、直接の死因は窒息死のようだった。…以上は、全て亡母から聞かされた話で、客観性は無いに等しい。
だが、子供の私が恐る恐る想像した「安宿の破れ障子から射し込む仄明かりを背に、丼に顔を突っ込んで動かなくなっているお坊さん」の絵姿は、今も克明に焼き付いている。
それが、私の仏教の原点であると云えようか。

ジャイ・ビーム!

【写真上】在日インド仏教徒家庭の仏壇
【中】新聞『LOKMAT』の記事
【下】日本で暮らすインド仏教徒と私。

写真が語る『少林寺』

写真が語る『少林寺』
先日、東京銀座のヴァニラ画廊にて、大串祥子さんの写真展『少林寺』を鑑賞した。
未だかんばせに幼さの残る少林寺の武僧たちは、不殺生戒を守って肉食を絶ち、主たる蛋白源は豆腐など植物性のみという食生活の中で、身心を極限まで鍛え上げ、仏祖に祈りを捧げる日々を送っているという。
大串さん「少林寺に演武はありますが試合がないんですよ。だから優劣・勝敗といった、ライバル心みたいなのが感じられないんです」
「武僧の〈片手拝み〉は禅の『慧可斷臂』に由来するそうです」

http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/suibokuga/item06.html
どれも私が知らなかったことばかりだった。
さて、大串さんの写真展で私がまず一番最初に感じたのは、修行する若者たちの〈明るさ〉だった。いわゆる、戒律を守った厳格な暮らし、といった言葉からイメージされるような日本的…体育会系?…な悲壮感は、まったく窺えなかった。みんな好きだからやってる、そんな顔に見えた。云うまでもなく、まだ親に甘えていたい年端の頃から寺に籠っているのだから、それぞれの心の内には様々な葛藤、煩悶があるはずだ。
なのになぜこんなに明るく見えるのか?
おそらくそれは、彼らの思惟に「身体性」が伴っているからではないだろうか。あらゆるスポーツに共通していることだが、トレーニング中はみずからの呼吸に意識を集中し、筋肉の端々まで念を届かせなければ、大怪我をする。これこそまさにサンスクリット語でいう「ディヤーナ (attentionの意。音写した仏教語が禅那、略して禅)」であろう。
さらに、あえて平たく言うならば、彼らは「したいこと・しなければならないこと・できること」、この三つが矛盾なく自然に整った状態に心身を置いている、とも云えようか。それが少林寺の武僧たちの〈明るさ〉の理由だ、と私は思った。
翻って、現代社会を見るならば、往々にして、言葉だけが先走ることを知性と勘違いしている傾向が強いように思える。つまり、思考における身体性(フィジカル)の欠如。これを伝統的な仏教思想では「愛論戯論」「世智弁聰」と戒めている。
また、私が伺った当日、他の鑑賞者から出た言葉に、
「(少林寺の武僧は) むかしの日本の僧兵みたいなものとは違うんですか?」
というのがあった。無論、両者の歴史的成り立ちや社会に及ぼした影響は、まったく異なる。日本の僧兵は、仏教僧でありながら神社の御神輿を担ぎ出して街中を暴れ回り、お布施しなければ天罰が当たるぞ!と恐喝して人々を苦しめたチンピラだった。

最後に、大串さんの写真集『少林寺』沙弥108~109ページ見開き「三壇大戒、千佛殿にて読経する沙弥たち」で殿内に掲示された〈禮佛懺悔〉の文を現代風に訳して紹介したい。

    自分は、始まりもない遥かな昔から、今の人生に至るまでずっと、真実と真実に到る道とその道を歩む人々の邪魔をし、みずから変化の可能性を放棄し、万人救済の教えを誹謗し、智恵を絶ち、父母を悲しませ、聖者を傷つけるような振る舞いを繰り返し、おおやけの場を乱し、他人の道徳的行為を妨害し、聖域の破壊に加担し、公共財を私物化し、様々な間違った考えを起こし、物事の道理を無視し、悪い仲間に近付き、良い先生に背いて来ました。しかもそれを自発的におこない、また他人もそうするようにそそのかし、そのことを楽しんで来ました。だからずっと悟りを開けずに、輪廻転生を繰り返してきたのです。
これら今日までの罪は計り知れませんが、いま慚愧の思いですべてを告白します。どうか、真実と真実に到る道とその道を歩む人々よ、お慈悲の光でこの身を照らしてください。そして、どうか、自分本来の心を取り戻させてください!

◎《大串祥子さんのHP》
www.shokoogushi.com
◎写真集『少林寺』 発行:Libro Arte(リブロアルテ)  発売:メディアパル
本体3600円+税   ISBN978-4-8021-3045-5
必見必携!

浪花節菩薩道

浪曲菩薩道
浪曲菩薩道
浪曲菩薩道
「衆生 笑むがゆえに 我 笑む」
師父佐々井秀嶺とは、そういう男である。
云うまでもなく上記の言葉は『維摩経』の「衆生病むがゆえに我病む」を私が勝手に捩ったものだが、抜苦与楽、自利利他円満が大乗仏教ならば、結局同じことであろう。
インド最下層民衆と佐々井師のあいだで半世紀以上繰り返されてきたのは、まさにこの、泣き笑いを共にする菩薩道だった。太古の昔から続くカースト差別の無間地獄を、現世の極楽浄土に作り変えてしまおう、という途方もない「闘い」の道。それは、仏国荘厳(ぶっこくしょうごん)の大白道にほかならなかった。
そのササイ・ジーの原点となっているのは、浪花節。名も無き庶民の、心の襞に寄り添う大衆芸能の精神。いま目の前にいる人の心を抱き止められずして衆生済度など出来ようはずもない、という仏道の根本精神を、佐々井実(みのる)青年は、昭和三十年代の東京浅草で、浪花節の芸道を通じて学んだのである。
さて、今年初夏の来日時、女流浪曲師:玉川奈々福師匠から御招待を頂き、およそ六十年ぶりに佐々井師を浪曲の舞台へお連れすることができた。浅草木馬亭の客席に小柄な体を沈め、息を詰めて奈々福師匠の芸に見入るその横顔。目元には銀の光。…泣いていた。
その後、出番を終えた奈々福師匠が衣装のまま木馬亭の入口までお出くださり、丁寧な御挨拶を頂いた。
「感激したよお、涙と鼻水が出ちゃった」
と佐々井師。

そして十月、私はインド・ナグプールで開催される『第60回アンベードカル博士改宗記念祭』参加のため渡印する際、奈々福師匠から佐々井師への贈り物を預かった。「浪聖」と謳われた桃中軒雲右衛門 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E4%B8%AD%E8%BB%92%E9%9B%B2%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80 の貴重な音源。
佐々井師は記念行事前の多忙を極める中、夜毎それに聞き入っていたらしく、そうとは知らぬ私が或る朝、
「奈々福さんが焼いてくれた雲右衛門のCD、いつか時間のある時にでも聞いてください。せっかく預かって来たんだから」
と言うと、
「もう聞いてるんだよ!大事なものなんだ!」
…なぜか怒られた。

私の帰国が近付いた頃、「貰いっぱなしじゃ申し訳ないから」と佐々井師から奈々福師匠への返礼として、インドの仏像を託された。大きなものではないが、金属製でズシリと重い。
「よろしく言っといてくれ。それと、お渡しする前におまえがちゃんとパーリ語で開眼供養のお勤めをするんだぞ」
それは、あたかも青年のように清々しく端正な顔立ちの、釈迦牟仁であった。

【写真上】佐々井から託された仏像。
【中】ナグプールのササイ・ジー。
【下】日本式本堂でインド式に開眼供養を勤めた私と、人気の女流浪曲師:玉川奈々福師匠。

YouTube『奈々福の浪花節更紗』 https://youtu.be/5ccDvvHHOqc

本能即菩提

仏教徒誕生
仏教徒誕生
仏教徒誕生
去る10月9~11日、インド三角大陸の中央:南天龍宮城ナグプール市において、仏教復興の大先達にして現行憲法起草者アンベードカル博士の第60回『改宗記念祭』が開催された。
その歴史的大行事の導師は、云うまでもなく元日本人:佐々井秀嶺師。御歳八十一(インドは数え年なので82)の老躯は今や満身創痍、しかも二年前に危篤状態から奇跡的に復帰したお体である。
「復帰じゃないよ。本当に、死んで帰ってきたんだ」
とは御本人の弁。佐々井師流に言うならば《蛇の脱皮》といったところか。今回私は、改めて師の「超人ぶり」をまざまざと至近距離で見ることとなった。
早朝に寺を出て改宗式会場へと移動し、文字通り朝から晩まで、ぶっ通しで式の導師を勤められた佐々井秀嶺師。年齢と健康状態を考えれば、常人では絶対に不可能なこと。しかもそれを終始笑顔で、そして朗々たる大音声で、やってのけるのである。
(恥ずかしながら私は、最終日の改宗式が終了したとき立ち上がろうとして暑気当りと空腹と貧血で平衡感覚を失い、膝から崩れて倒れそうになってしまった)
数年前佐々井師を直接診た日本の高名な医学博士は、あくまで仮にですが、と断った上で以下のように述べられた。
「この方はおそらく、間脳の機能が人一倍発達しているのではないかと。いわば野性的な本能に近いところで周囲の気配や相手の気持ちを察知し、それが並外れた行動力を生み出すもとになっているのではないか、とね」
確かに、佐々井師の前で嘘はつけない。こちらがどれほど平静を演じてその場を取り繕う言辞を並べても、ギロッと睨んだ上で、鼻先で嗤われる。あれはやはり野性の勘なのか。もしかしたら、いわゆる神通力とは、案外そういうものなのかも知れない。ちなみに神通力のサンスクリット原語は『シッディ』。本来は成就・達成を意味する言葉だ。野性的な本能が研ぎ澄まされていかなければ達成はない、ということなのか。煩悩即菩提にあやかるなら、「本能即菩提」とでも云うべきか。

さて、すべての行事を終え私がナグプールを去る日の朝、やっと二人だけになれた時、私はこう話した。
    このあいだ、来日の際に収録したNHKラジオの番組を聞きました。二時間半のインタビューが30分に編集されてましたが、よくまとめられていたと思います。それを聞きながら思い出したのは、私がまだ高校生ぐらいの頃、NHK教育テレビで山本秀順先生がお話しされていたのを見たことです。戦時中、反戦運動で逮捕され、獄中で読んだ親鸞の語録『歎異抄』に心を動かされ、窓から差し込む冬の陽に照らされながら、無意識に「南無阿弥陀仏」と唱えた…というくだりを思い出したんです。ラジオとテレビで違いますが、何かの縁(えにし)を感じました。
〈※山本秀順師とは佐々井秀嶺師の師匠である。集英社新書『必生 闘う仏教』を参照のこと〉
佐々井師は目を細めて、
「そうか。…うん、ありがとう」
と言った。

【写真上】改宗記念祭の前夜祭たる国際仏教徒大会で挨拶する佐々井秀嶺師。
【中】ヒンドゥー教から仏教へ改宗する民衆一人一人の目を見つめる師。
【下】記念祭に参集したインド仏教徒。その想像を絶する人数に圧倒される。
【ツイッターまとめ】実況画像や動画もたくさんありますので是非ご覧ください。

http://togetter.com/li/1038493
【YouTube】改宗記念祭ハイライトムービー(約1分)
https://youtu.be/pgkxrOTztvo

反骨の仏陀

反骨の仏陀
※8月28日南天会交流会:高山龍智講演より抜粋
《原語の息吹に聴くブッダの反骨精神》
日本仏教はパーリ語、サンスクリット語原典からの漢訳の、そのまた日本的解釈です。インドは表音文字の文化、中国は表意文字、そして日本は表音(仮名)と表意(漢字)の混合文化ですね。文字と言語の有り様が三国では異なっているわけです。
『世の中は 東西南北あるものを 南が無いとは 釈迦も粗忽よ』
これは江戸時代の戯れ言で、異伝も多種あるようですが、その意味は、サンスクリット語で帰依・崇敬を意味するナモ、その当て字の南無を、漢文として読むことの頓珍漢を嗤った冗談なんですね。表音文字の国インドの言葉を、表意文字の文化で理解しようとする滑稽さ。言い換えるなら、江戸の町衆にはこれを笑えるだけの仏教知識があったということになるでしょうか。
各宗の御祖師様方…最澄・空海・法然・栄西・親鸞・道元・日蓮・一遍…は、当時の日本人として日本語で思考ながら、求道者の心眼を以て漢訳経巻の紙背に達し、遥か大天竺は霊鷲山の會座、祇園精舎の法莚に直参なされました。しかるに後世の教団は、ややもすれば世俗的な権威組織に傾斜し、ともすれば宗派根性に引きこもり、あるいは衒学趣味に囚われて、甚だしきは勤行の節回しに正統や邪流を語るが如き体たらく。それは、我宗(がしゅう)という我執(がしゅう)ではないでしょうか。
現代はネットを通じて欧米を始め英語圏における仏教研究の成果を即時に閲覧できる時代です。また、市販の仏教辞典の索引に紹介されているようなサンスクリット原語であれば、それと流れを同じくするヒンディー語はスマートフォンの翻訳アプリで対応でき、ローマ字入力によって、印←→英←→和の現代語訳が、掌の上で可能となりました。

◎ブッダが説いた無常は「詠嘆」ではない。
もともと古典的なヒンドゥー教で云われてきた「恒常」を意味するニティヤ。波羅門を敬い、供犠と献身を欠かさず、カーストごとに定められた職業に生涯を捧げれば、恒常的幸福が得られるという思想です。しかしそれは波羅門(ブラーミン。神官)・刹帝利(クシャトリア。武士)・吠舎(ヴァイシャ。町民)・首陀羅(シュードラ。農奴)の四姓のうち、上位三階級までのこと。首陀羅や、その下の旃陀羅(チャンダーラ。いわゆる不可触民。パリヤー、ダスユ等とも)は、ただ上位階級に隷属・奉仕するのみで、輪廻転生せず、虫けらのように「涌いてくる」ことが恒常、とされていました。
このニティヤに No!を突き付けたのが、ブッダです。それが、無常の教えですね。
無常の原語はアニティヤ。アは英語のUnに該当する否定冠詞で、これによって恒常の語は、一時的・変化する、といった正反対の意味に変わるのです。
ところが日本人は多くの場合「仏教の思想は無常」と最初に覚えさせられてしまうため、アニティヤの持つ反骨と革新性が理解されにくいんですねえ。有名な『平家物語』の冒頭「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」のような情緒的詠嘆として、初めから認識されてしまうわけです。だがそれは、例えて云うならば、ラッキーという言葉を知らずにアンラッキーの語だけを先に覚えるようなものであります。
恒常(ニティヤ)の論理が支配と差別に利用されることは、洋の東西や時代を問いません。かつてわが国は「神洲不滅」というニティヤを掲げて戦争を起こし、大陸の人々を支配、差別しました。また現代日本においても、「美しい国ニッポン」、あるいは純粋日本人といった恒常不変な存在があるかの如く盲信し、排他独善に浸り、なかには在日外国人に対して罵詈雑言を浴びせる者すらいる。恒常は、守旧を至上とし変化を拒む。まさしくそれ自体が権力の論理なのです。
常ならざるものを恒常と偽るがゆえに起こる人間の苦悩、煩悶、それらの集合体としての社会矛盾。ブッダは、暴力・略奪・獣欲・虚偽・逃避の上に成り立つ人間社会の現実を見抜いて五戒…不殺生・不偸盗・不邪婬・不妄語・不飲酒…を説き、その元凶たるニティヤに対し、大慈悲心に基く反骨の精神を示して、アニティヤを説かれたのだと思います。
最後に確認しておかねばならぬ重要な点があります。
パーリ語やサンスクリット語は、現代インドの公用語たるヒンディー語と流れを同じくする言語であり、ビームラーオ・アンベードカル博士、アーリア・ナーガールジュン佐々井秀嶺師、そしてインド仏教徒にとっては、翻訳を要さない「国語」であるということです。つまり、アニティヤ(無常)も、原語の息吹そのままに、ブッダの大慈悲心に基いた反骨と革新性をもって、じかに理解されるのです。

【写真】インド・ナグプール下町の仏教青年会事務室でアンベードカル博士の肖像を背に気合を充填している「反骨の菩薩」佐々井秀嶺師。

«道 (DO)