いのち宿りて

いのち宿りて
いのち宿りて
先週、関東某所に暮らすインド仏教徒の家庭にて
『妊娠七ヶ月目の祈り』、日本でいうところの安産
祈願を勤めた。
実は依頼を受けてから彼らの家に着くまで、その
日の法要がなんなのか、よく分かっていなかった。
(連中のことだからいつもの寄り合いだろ)
ぐらいに思いながら部屋に入ると見事な飾り付け
の祭壇が…。そこはまるで印度☆
大きなお腹を絢爛たるサリーで包んだ妊婦さんは
顔馴染みの奥さん。インド式に跪いて挨拶しようと
したので、いいってば、と止める。大事なお腹だ。
さて、旦那さんの話を聞くうち、
(こりゃ困ったぞ)
なにしろ安産祈願など今までやったことがない。
というのも拙が籍をおく日本の宗派は加持祈祷の
類を否定する絶対他力の立場だからだ。
しかし、念願の一子を授かった夫婦を前に無事な
出産を祈ることは、人として当たり前。
ましてや彼らは、遠いインドから佐々井秀嶺師の
指導を受けてはるばるやって来た仏教徒である。
祖国のヒンドゥー教社会ではその血筋だけを理由
に人間扱いされなかった人々。そんな彼らを前に、
宗派の都合など果たしてどれほどの意義があると
いうのか。同じ人間として、祈ればいい。

それに彼らは、日本を愛し、大震災と原発事故後
も日本にとどまる決意をしてくれた人たちだ。
「気合い入れていくぞ」
独り言を洩らしたら、少し日本語の分かる夫婦は
「キアイ!キアイ!」
と喜んでくれた。この言葉は、インドで佐々井師が
常々そのまま口にしている日本語でもあった。
支度してるあいだに次々と仏教徒が現れ、部屋は
寿司詰め満員御礼。ま、寒いからちょうどいいか。

ロウソクを灯し、線香を焚いてパーリ語読経。
妊婦さんのお腹にいる赤ちゃんにブッダの祝福が
届くよう念じた。終了後、旦那さんいわく、
「バンテー・ジー(和尚さん)のお経、今日はやけに
ソフトでしたよねえ。いつもはロックンロールみたい
なのに」
・・・え?どおゆうキャラで理解されてたんだ?

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『白い道』

Shiroimichi_4
懐かしい映画だ。俳優の三國連太郎氏が原作・脚本・
監督の三役を勤めた、若き日の親鸞を描く作品。
開祖伝モノにありがちな神格化を徹底的に排し、常に
汚れた法衣姿の善信(親鸞)は、迷いに迷い、揺らぎ
ながらも最下層民衆と共に生きていく。
善信夫妻の夜の営みをイメージさせるカットや長女が
初潮を迎えるシーン等、あくまで「人間の物語」として
活写されている。

さて今回、改めて本作を紹介した理由は、この映画が
あまりにも『3.11』以後の日本社会を予見していたかの
ように思えるからだ。
権勢におもね、金と保身ばかりを考える者らによって
弱者が軽んじられ、いのちまで奪われる。
映画冒頭、ツツガムシ駆除の名目で善信とその仲間
が暮らす村は焼き払われ、辛うじて生き延びた人々と
共に、善信夫婦は未知の土地へ移住する。
だが迷信と因習に支配されたムラ社会の中で、善信
夫婦の幼子も病死。次々と消えてゆくいのち。
老婆と二人暮らしの鉱山労働者の青年は、世間から
“破戒僧”と叩かれる善信に心を寄せるが、その彼も
爆発事故で死ぬ。善信は青年の遺体を背負い、鉱山
の主に対決を挑む。
やがて、善信の影響力に目をつけた土地の権力者が
懐柔策を持ち掛けるが、当然、無視。
しかし、己の信念を貫こうとする善信と妻のあいだに
亀裂が生じ始める。善信は子供の将来を考え京都の
知人に預けようとするが、妻は反対。
「この子と別れては!」
泣きながらわが子を抱きしめる妻に、善信は、
「この子が必ず憂き目にあう」
と、引き離す。その結果、妻も善信のもとを去る。
そして…。

あとはレンタル等で実際にご鑑賞いただくこととして、
どうだろう、ツツガムシ病を放射線被害、鉱山爆発を
原発事故に置き換え、また避難移住者が抱える苦悩
という面から、この映画を見直すことは、思い込みが
過ぎるだろうか?

最初の村が焼き討ちに遭うシーンで、善信は吠える。
「よせー!人殺しは、よせー!」
今この台詞こそが、もっとも叫ばれるべき時だと思う。

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軍荼利


上の写真は東寺蔵『軍荼利明王像』。
ヨーガ思想に説く、人間の尾てい骨あたりにトグロを
巻く龍蛇体のエネルギー:クンダリニーを尊格化した
ものだ。梵語で「螺旋状の」を意味する“kundalin”の
女性形であり、根源的な生命力のイメージといえる。
それは本質的に善でも悪でもない。長い年月を掛け
修行によって昇華させれば、悟りのちからとなる。
だが、いわゆる煩悩と同じものであるため、すぐれた
指導者のもとで、正しい行を積まねばならない。
すなわち、みだりに手を出してはいけないエネルギー
なのである。

或る現代アートの表現者が今年の干支「龍」をテーマ
にした展覧会で、核エネルギーを龍にたとえた彫刻を
発表していた。拙はその炯眼に感服した。
いにしえの人々は天地自然の猛威、人智を超越した
御し難いちからを指して、龍と呼んだのだ。
現代でいえば、まさに核エネルギーがそれである。
クリダリニーに譬えるなら、知識に奢った人間が勝手
な自己流でいじくった龍蛇が、核なのだ。
原発事故以前に喧伝されていた「オール電化」とは、
いうなればオール煩悩化の別名に過ぎなかった。
その結果、核龍は牙を剥いた。

ひとには「学び」のちからがある。
古代人は経験知から利用すべきものと手出しすべき
でない存在を分けた。
それを迷信と笑う者もいよう。確かに、権威と因習に
根差した迷信は、排さねば救われない。
だが本能的直感が「あれはダメ!」と叫ぶ時、多くの
場合、当たっているのではないか。命を危険にさらす
存在など理屈抜きにダメ、なのだ。
どんな理屈が言えるのも生きているからこそであり、
とにかく、自他共に生きる・生かすことが第一である。
核龍から手を引け。そして今後、手を出すな。
それがいま学ばなければならないことの全てであり、
本能の叫びであるはずだ。

「仏陀は平和の使徒である。まず原子力発電所を止
めなければならない。地下に眠った多くの人たちに対
する本当の回向は、政府が原発を廃止すること」
昨年の六月、被災地慰霊行脚のために緊急帰国した
佐々井秀嶺師は、福島の地で大喝した。
師のインド名=アーリア・ナーガールジュナ。
ナーガは「龍」である。

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「龍」2012

東京浅草橋のギャラリーMAKII MASARU FINE ATRTSに
於いて、現代アートの表現者らがグループ展覧会を開く。
今年の干支にちなみ、「龍」をテーマにした作品群だ。**********************************************
 
マキイスタッフセレクション Vol.5
 「龍」2012

   1月13日(金)~24日(火)会期中無休
   11;00~19;00
   東京都台東区浅草橋1-7-7
   
http://www.makiimasaru.com

 出展者のひとり バンドウジロウ氏のサイト
  
http://geppei.com/05_bando/jb_index.html
***********************************************
龍。
それは、古代の人々が、自然の猛威や不可知な存在を
実在の生物からイメージを膨らませて神話化したもの。
多くの場合、それが蛇の姿に似るのは、太古の人々が
蛇の脱皮を「蘇生」と考え(全身を一度に脱ぎ変える為)、
そこに不死再生の霊力を思い描いたから、といわれる。
ギリシャ神話の医学の神が、手にした杖に蛇を巻き付け
ているのもそのためだ。
世界各地の古代信仰を「龍蛇崇拝」のカテゴリーで括る
ことも可能だ。生と死がごく身近にあった古代の人々に
とり、龍蛇こそはいかなる教義や福音よりも畏敬の対象
だったのである。


ゆえに龍蛇はまた『零落せる神』『まつろわぬ民』の象徴
でもある。
東西の神話、つまり勝利者の歴史で「退治される悪役」
といえば龍、と相場が決まっている。
滅ぼされた先住民、被征服民の信仰した「邪神」を龍で
表すことは多い。日本神話でいえば国津神(くにつかみ)
大国主命の別名はオオナムチ(大穴持)であり、穴蔵に
巣喰う蛇のイメージだ。
一方、インドに目を転じると、ブッダ伝において修行中の
釈迦を豪雨から庇ったのは龍であり、また大乗経典には
護法善神として登場する。それは仏教がゴータマ・ブッダ
の時代から虐げられし人々の解放、反カーストを掲げて
いたことの証左にほかならない。
アーリア民族に侵略され、カースト制度を押し付けられ、
更にその下、人間として扱われない“不可触民”へと落と
された人々は、ナーガ(龍)族とも呼ばれた。
現代インドにおいて仏教復興の獅子吼が中南部の都市
ナグプール(龍宮城)から発せられていることは、単なる
偶然ではないのである。


「生命力という名の龍蛇」
(佐々井秀嶺師『必生 闘う仏教』集英社新書。100頁)
すなわち龍とは、原初の躍動、それ自体なのだ。

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輝く時

輝く時
新年の幕開けはこのブログに似つかわしくない(笑)、
あでやかな花嫁の笑顔から始めよう。
上に紹介した書影は、ブライダル業界誌、
『HOTERES Wedding ホテレスウエディング』
(株式会社ウエディングジョブ。隔月刊)
ウエディングプランナー・サポートマガジンの今号。

www.wedding-job.com
60ページからの「WORLDWIDE WEDDING」コーナーに
“宗教によって異なるインドの婚礼スタイル”と題して、
拙が紹介役として登場させていただいている。
今回の記事では、特にインド北西部カシミール地方の
イスラム教徒の結婚式を取り上げた。掲載した写真は
すべて現地で撮影したものだ。

かの地を拙が訪れたのは『9.11』事件後、全世界的に
イスラム過激派によるテロが横行していた頃だった。
ここで、カシミールの近現代史を少々・・・。
大英帝国からインドが独立する際、宗教紛争によって
パキスタンとバングラデシュ(東パキスタン)の三国に
分離したのはご承知の通り。
これらインド文化の特徴ともいえる宗教共同体の問題
を、英国側はかなり大雑把に捉えていたきらいがあり、
カシミールについては住民のほとんどがイスラム教徒
であったにも関わらず、領主がヒンドゥーだったために
インド領と決めた。以来燻り続けてきた住民の不満が
『9.11』をきっかけに表面化。拙が訪れた当時は、街の
到る処に兵士が立ち、監視の目を光らせていた。
そんな中で、異国の異教徒たる拙を暖かく迎え入れて
くれたのが今回紹介した写真の婚礼一家。
伝統と信仰に則った婚儀を、あたかも親族同然に包み
隠さず、すべてを見せてくれたのだった。

祝いの宴は、生命からほとばしる「うた」。
唱える神の名こそ異なれど、人が生き、巡り合い、愛が
生まれ、そして結ばれる。その営みに、一体どれほどの
違いがあろうか。

式の導師(イマーム。イスラム僧)が帰り際に言った。
「神様に間違いはありませんよ。間違った信じ方をする
人間がいるだけです」

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年賀欠礼

年賀欠礼
12月半ばの某日、わが老親が往生の素懐を遂げた。
二年間に及ぶ介護問題当事者としての経験は、多くの
ことを学ばせてくれた。
とはいえそれは終止符が打たれた今だからこそ言える
のであって、思い起こせば約一年半が経過した今年の
晩夏頃にはストレスがピークに達していた。
一秒でも長く生きてほしい、という“白い心”と、一秒でも
長く生きられたらこちらが辛い、という“黒い心”。
気取って言うなら、悪魔との対話の日々、であった。
境遇を同じくする友人に、こんなセリフを口走ったことが
ある。彼は、子育ての真っ最中でもあった。
「親の介護ってさ、こうやって自分も育ててもらったんだ
と思えば、仕方ないよね」
いかにも坊主が語りそうな美談モドキ。彼は答えた。
「違うよ。子育てには自立させるってゴールがある。でも
介護のゴールは、回復しなければ悲しいだけだ」
拙はおのれの欺瞞を羞じた。

文章を書く楽しさも音楽表現の喜びも、すべてはこの親
から教えられた。
小学校のとき県の作文コンクールに拙の詩が入選した。
親はその関連記事が掲載された地方紙を仏壇に供えて
先祖へ報告した。考えてみれば、そういった子供時代の
素朴な信仰生活が、仏との出会いでもあったわけだ。
近所の菓子屋で万引きしたことがバレ、泣きながら叱る
親は、仏壇の線香で、拙の“親指”に灸を据えた。
それが無上の<宗教教育>だったことに気付いたのは
ずっと後、坊主になってからだ。
中学に入り、当時流行していたフォークに夢中になって、
廉価のギター(フレットを押されると指がはさまるほどの
弦高)を買ってくれとせがんだ。
その頃は父が失業中であったが、苦しい家計の中から
わがままな願いを叶えてくれた。
弾き語りの練習でがなり立て、ご近所に迷惑をかけては
親が詫びて回った。そのお蔭で、強靱な声帯が出来た。
それが坊主になってから声明(しょうみょう)に生かされる
ことになろうとは、じつに不思議な巡り合わせである。

佐々井秀嶺師著『必生 闘う仏教』(集英社新書)は親が
まだ文字を読める状態の時に刊行できた。
今後、再開した音楽活動は、仏前に供えることとしたい。

以上 年賀欠礼の御挨拶に代えて。

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平成廿三年

平成廿三年
今年一年を振り返ってみる時期になった、という書き
出しが、あちこちに溢れ返る時期になった。
だが今年ほど重く、長く、しかも険しい年は、戦後日本
の歩みの中で、かつてなかった。
3月11日、東日本大震災の直前までマスコミが騒いで
いたのが大学入試のカンニングだったことを思えば、
あまりにも大きな変化である。
そう。震災は進学卒業の季節だった。6月にインドから
被災地慰霊行脚のため緊急帰国した佐々井秀嶺師と
東北地方を訪れた際、飯舘村にも寄らせて頂いた。
緑豊かな山間に近代的な校舎が見えた。窓には在学
児童が製作したであろう、桜の花を模して色紙を切り
抜いた中に祝いの言葉を記したメッセージが、たくさん
貼られていた。
そこでは時間が、3月で停止していた。言うまでもなく、
放射能により避難を余儀なくされたからだ。
「原発をなくすことが本当の供養」
佐々井師は言った。それも福島原発25㎞圏ぎりぎりの
地点まで赴いて、震災物故者諸霊に読経を捧げた後、
向かい風に土埃が舞う中、天地に轟く大音声で。

さて、佐々井師来日中の6月11日、拙はいったん東京
へと戻り、かねてから予定していたライヴに出演した。
ギタリストでタイポグラフィー作家のバンドウジロウ氏と
組んでいる仏教音楽ユニットの初公演であった。
オープニングMCで、
「今日は、震災で亡くなられた方々の三回目の月命日、
そして間もなく、百箇日忌という法事があります。声明
(しょうみょう)はお経ですから、皆さんも一緒に御冥福
を念じてください」
とお願いした。終了後、観客のおひとりが仰った。
「私の親戚も津波で亡くなったんです」

いま、バンドウ氏とは、経典を現代語に訳した曲作りを
進めている。
旧来の声明のままでは意味が伝わらないし、かと言って
説教調や抹香臭い歌詞では、どこかの宗教団体みたい
になってしまうので、難しいところではある。

今年一年を振り返り、浮かんだ言葉は、これだった。
『使命感』
(・・・カッコつけ過ぎかも知れないが)

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インド浪花節

インド浪花節
インド浪花節
インドの法友に、のど自慢の僧侶達がいる。
電子オルガン(日本製)を弾きながら、よく通る美声で
高らかに仏教聖歌を唄い上げる。
ブッダの教えを歌詞にのせ、あるいはアンベードカル
博士を讃歎し、心の底から熱唱する彼らの歌声には、
原始の力というべきか、剥き出しの魂を感じる。
音楽的には、古典的インド声楽をベースにイスラム教
スーフィズムの影響も聞いて取れる。
とりわけ高音部での声の張り方などは、カッワーリー
(イスラム教の合唱ゴスペル)によく似ている。
そもそもスーフィーは、インドにイスラム文化が入って
来た後、瞑想や『神人合一』思想等のインド的要素と
混淆して生み出された、とする説もある。
しかも彼らの歌には、アジア的な、演歌や浪花節にも
通じる“こぶし”や“泣き”が利いている。
「いい声してるねえ。ボリウッド・ソングとかもイケるん
じゃないの?」
と聞くと、いやいや、と手を振って否定。そして片目を
閉じて「ないしょ」のサインをしたあと、袈裟を指差して
ニヤリと笑った。ははあ、なるほどね。暗黙の了解。

さて、現代インド仏教の聖歌は当然のことながら近年
になって作られたものばかりだ。
1956年10月、アンベードカル博士によって仏教復興が
宣言されるまで、釈尊の国の仏法は地に伏する龍の
如く、その姿を消していた。いわゆる“お釈迦様の国”
といったイメージは、裕福な高位階級のサロンの嗜み、
あるいは知的玩具に過ぎなかった。
しかし臥龍は秘かに命息を保ち、地を割って天へ昇る
瞬間を待っていたのだ。アンベードカル博士の登場と、
日本から佐々井秀嶺師がやって来るその日を。
すなわち、仏典にいうところの、『教機時国』の相応だ。
そしていまや解き放たれた龍は、ナグプール(龍宮)を
中心に獅子吼、いや龍吼を轟かせているのである。

以下はあくまで私見だが、復活したインド仏教の音楽
には、佐々井秀嶺師の存在が大きく関わってるように
思える。なぜなら佐々井師は青年時代、浪曲師として
高座を勤めた経験を持つからだ。
理屈でなく、情感で人々に訴える「うたごころ」。

だからこそインド民衆は、本能的直感から“情”の先に
ある慈悲を知り、佐々井師と共に立ち上がったのでは
ないだろうか。

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法音

法音
法音
「現代の琵琶法師」
・・・ふとそんな言葉が浮かんだ。
先週末、千葉県松戸アートラインプロジェクトの一環
として、バンドウジロウ氏による路上ライヴが行なわ
れた。ギタリストでありタイポグラフィー作家でもある
バンドウ氏は、ここ数年「仏教」をテーマにした音楽
表現に取り組んでおられ、昨年、拙が編者を勤めた
佐々井秀嶺師著『必生 闘う仏教』(集英社新書)が
縁となり、現在は御一緒に活動もさせて頂いている。
<バンドウジロウ氏のHP>

http://geppei.com/05_bando/jb_index.html
<二人組ユニットの動画>
http://youtu.be/bKi-2WCZ31k

この日はバンドウ氏のソロ。
ギター一本で音世界を紡ぎ出すインストから始まり、
『四法印』『開経偈』『般若心経』などをブルース調に
アレンジしたナンバーの弾き語り。
「仏教ゴスペル」
この呼称は、かねてから折りに触れて拙が口にして
いた造語だが、バンドウ氏が採用してくださった。
〝gospel〟は〝god spell(福音)〟の略称といわれ、
これをそのまま仏教に当てればbuddha spellだろうが
略すと「ブスペル」になってしまい、余りにも格好悪い
ので、折衷したわけだ。

かつてアフリカ大陸から人身売買でアメリカへ連れて
来られ、虐げられていた黒人奴隷が、悲惨な現実の
中で神の栄光を歌い上げた、ゴスペル。
わが国の仏教史でいえば、琵琶法師や節談説教師、
説経浄瑠璃師などが、その役割であったろう。
音楽的には、ゴスペルは陽律の曲が多いのに対して
日本のそれは陰律ばかり、という民族性や情緒性の
違いはある。だが、信仰の大衆化・精神の原動力化
という点では共通する面がある、と拙は思っている。
民衆が渇仰したみほとけは、壮麗な伽藍に盤踞する
紫衣の者共の道具ではなく、田んぼの畦道、街道の
辻で哀しい旋律を奏でる楽師達の喉や指先に宿って
いたのだと思う。

バンドウ氏は、ギタリストとして武道館のステージにも
立った方である。
その氏がいま、路上からメッセージを放った。
音粒に、みほとけを宿して。

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次の100年

先週末、千葉県の松戸市立博物館にて開催中の、
『松戸の美術100年史』

Mastudonobijutsu100nenshi
http://www.city.matsudo.chiba.jp/m_muse/exhibition.html
を拝観に行った。
普段、アート方面とは縁遠い乱暴者の拙ではあるが、
なにせ季節は芸術の秋、また友人が作品を出展して
いることもあり、微妙な場違い感を懐きつつも出掛け
ていった。今にして思えばスケッチ・ブックの一冊でも
小脇に抱え、渋くベレー帽とか被っていけば良かった
のではないか、と悔やんでたりする。


冗談はさておき、松戸は十五代将軍徳川慶喜の弟で
最期の水戸藩主となった徳川昭武が住んだところ。
慶喜がカメラ好きだったことはつとに知られているが、
昭武も当時の松戸の風景を多く写真に納めた。
私感ながら、彼ら兄弟が権力の座を負われ写真三昧
に明け暮れた日々へ思いを馳せる時、貴人流離譚の
趣もあってか、切なさを禁じえない。それまでは民衆を
虐げる側にいた彼らにとって、はじめて触れた民衆の
タフネスさは、驚異だったのではないか。その時、生ま
れて初めて「生きることのリアリティー」を感じたのでは
ないか、などと空想してしまう。
写真が「光を切り取ること」だとすれば、昭武が松戸で
切り取りたかった光とは、眼前に広がる現実そのもの
だったはずだ。城の高楼から見下ろした風景ではなく、
360度おのれを取り囲む、リアル。


また、松戸近郊にはかつて縄文時代の遺跡が存在し、
見事な意匠の土器が発掘されている。
「ちぇっ、なんかこのアサリ、身がちっせえなあ」
と、縄文人が日常に投げ捨てた貝殻が、貝塚となって
いにしえの息吹を現代に伝える。


さて、現代のリアル。福島第一原発の事故で千葉県の
各所にはホットスポットがある。
現代の権力者達は徳川昭武ほどのリアリティーもなく、
それどころか、貝塚ならぬ〝核塚〟を末代まで残そう
としている。
はたして次の100年史は・・・、との思いがよぎった。

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