インドから東北へ(4)

インドから東北へ(4)
インドから東北へ(4)
仏誕祭の結願から一日おいた、8日朝の地元有力紙は、
『東日本大震災犠牲者追弔法要』の模様を報じた。
事前にメディア向け告知等あえてしなかったせいもあり、
また、外国で起きた災害ということもあってか、記事の扱
いは決して大きくなかったが、仏教徒の多い土地柄ゆえ
佐々井秀嶺師の動向は常に注目される。
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老眼鏡越しに紙面を眺めながら佐々井師が言った。
「州のお偉方が来ると、必ず慰霊碑に連れて行って参拝
させるんだよ。ヒンドゥー教だろうとイスラム教だろうとね。
インドでは、信仰心の深さが人望の厚さにつながるから、
彼らも真剣に拝んでるよ。民衆はそういうとこをちゃんと
見てるからねえ」
インド中央政府で少数者委員会(minority commission)の
仏教徒代表を勤めた佐々井師ならではの影響力だろう。
しかし当のご本人は、
「政治向きのことは正直よくわからん」
と、あくまで無位無冠の僧としての信条を貫いている。

「大震災で亡くなられた方々は、浄土へ往生されたんだと
私は信じてる。日本の仏教説話では、浄土は龍宮にあり、
ともいわれている。ナグプール(南天龍宮)でお祀りさせて
いただくことが、私のつとめだと思っている」
この、佐々井師を動かす根源的動機は、古き良き日本の
精神文化、いわゆる“人情”に他ならない。
「若い頃は浪曲師もやってたから、浪花節なんだよ私は」

2012年5月6日、ブッダ・ジャヤンティーの夜。
二ヶ月遅れの一周忌ではあったが、仏教の故国インドで
日本の大震災犠牲者に祈りが捧げられた。
法要終了後、まだ得度したてのインド少年僧が、青々と
剃りあげた頭を下げて、拙に言った。
「Dhannyawaad(ありがとうございました)」
お礼を言わなければならないのは、こちらのほうだった。

トウホク・キー・ジャイ! (東北に勝利あれ)

【写真上】東日本大震災追弔法要とインド仏教徒。
【下】仏誕祭の朝、糞掃衣を供養された佐々井師。
【文中】追弔法要を報じた地元新聞。

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インドから東北へ(3)

インドから東北へ(3)
インドから東北へ(3)
インドから東北へ(3)
インド仏誕祭の夜、東日本大震災犠牲者追弔法要。
読経に先立ち、参集した人々に佐々井秀嶺師から
ご自身が昨年6月東北三県の被災地で目の当たり
にした惨状について、ご説明があった。
数多の尊い命と日々の暮らしが一瞬にして奪われ、
生き延びた人たちは今も不自由な生活を強いられ
ている。しかも、その後の報道によれば、一部には
差別問題すら起きている日本の現実・・・。
佐々井師は時に声を荒げ、時には詰まらせながら、
全霊を込めて語った。
話が“差別”に及んだ際、インド民衆の間に義憤の
どよめきが上がった。
数千年の長きに渡って、謂われない差別に曝され
てきた彼らは、その「痛みを知る者」である。
他者と痛みを共有する心。これこそブッダが説いた
『慈悲』なのだ。

「私はインド国籍だからな。あんたがまず日本式の
お勤めをやるんだ。そのあと私らインドの坊さんが
パーリ語のお経をあげるから」
突然の師命。
緊張と、宵の口といえど35℃を越す猛暑も手伝い、
水をかぶったように汗が流れ出す。しかし、辞退を
する理由もない。日本人として、全力でやるだけだ。
以前、佐々井師が仰ったことを思い出す。
「なに宗だろうと、どんな唱え言だろうと、心の中に
響いてる音は同じ仏の声だと思う。違って響いてる
ようじゃ、なんだか情けないよなあ」

インド僧の読経が始まると、集まった民衆が期せず
して一斉に唱和した。
大人たちのお経に混じり、子供の甲高い声も聞こえ
てくる。先程の佐々井師の説明に、
「ジャーパーン、バホット・ドゥール・ヘ」
(日本はとても遠い)
とあったのを、子供なりに考えて、声を張ってくれた
のだろう。仏の子には、国境も、宗派も、関係ない。

インド。マハーラーシュトラ州ナグプール市の郊外、
大乗仏教発祥之地マンセル遺跡。
お釈迦様がお生まれになった記念祭の同日夜。
東日本大震災で亡くなられた方を弔う天竺びとの
祈りが、夜空に舞った。

【写真上】仏教徒民衆に東北被災地の説明をする
佐々井秀嶺師。
【中】追弔法要、読経の様子。
【下】慰霊碑前の蝋燭が宵闇に光輝を放つ。

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インドから東北へ(2)

インドから東北へ(2)
インドから東北へ(2)
インドから東北へ(2)
5月6日。インド『Buddha Jayanti(仏誕祭)』のその日、
佐々井秀嶺師は早朝から精力的に各所を巡り、釈尊
御降誕を記念する行事を勤めた。
十三世紀の始めにインド史の表舞台から姿を消した
仏教は、1956年、アンベードカル博士によって復活を
遂げた。その後日本から来た佐々井秀嶺師の“必生”
の努力より、今や仏教は、インド社会を底辺から変革
しようとしている。

さて、この時期インドは酷暑のさなかにある。
特にナグプールは、全インド中でもっとも暑く、日中の
最高気温が45℃を越える。
そのような土地に根を張って半世紀近く、佐々井師は
常に最下層民衆と泣き笑いを共にして生きてきた。
とはいえ、今や77歳の老躯は、病や怪我で満身創痍。
にも関わらず師を駆り立てるものは一体何なのか?
「義を見てせざるは勇なき也、ってとこかな」
そう言って呵々大笑し、飄然と南天竺の大地を歩む。

日没過ぎ。佐々井師、東日本大震災慰霊碑に到着。
待ち受けた人々の間を縫って一瞬の休憩も取らずに
慰霊碑前へ進む。
「すまんな、もっと早く着きたかったんだが」
なにごとも緩慢なインド、ましてや仏誕祭の多忙な中、
いかに佐々井師がご苦労なされたか分かる。
「準備はいいか?すぐに始めるぞ」

若きインド僧が慰霊碑に灯明を捧げ、はるか天竺より
日本の東北被災地に向けて、大震災犠牲者追弔法要
が開始された。

【写真上】仏誕祭で導師を勤める佐々井秀嶺師。
【中】慰霊碑前に到着した佐々井師。向かって左斜め
後方には民衆と共に出迎えた拙の姿も。
【下】蝋燭と線香に火を点ける青年僧Pragya-Nand。

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インドから東北へ(1)

インドから東北へ(1)
インドから東北へ(1)
インドから東北へ(1)
去る5月6日、仏教の故国インドで釈尊御降誕を祝う
『Buddha Jayanti』(日本でいう灌仏会、花祭)の聖日、
三角大陸の中心ナグプール郊外、大乗仏教発祥之
地マンセル遺跡に建つ「東日本大震災慰霊碑」前に
於いて、佐々井秀嶺師並びにインド僧諸尊宿による
震災犠牲者追弔法要が厳修されました。
その模様を、全四回に渡ってご報告致します。

「どうだ?日本は」
5月1日、南天龍宮(ナグプール)インドーラ寺の上階、
佐々井師の居室にて、拙がまだ到着の挨拶を終えぬ
間に師が問うた。その眼光は、青白く光って見えた。
放射能汚染、停止という名の原発再稼動計画、未だ
行方不明の方々、復興支援問題、ケガレ思想の復活
など、拙が知る限りのことをお話しした。
佐々井師はチャーイの入った真鍮のコップを手にした
まま微動だにせず聞き入っておられた。そして、
「よしっ、慰霊法要をやろう!」
本当ですか?ありがとうございます。では、いつ?
「6日の仏誕祭に」
でもその日は朝からお忙しいのでは・・・。
「いいんだ!お釈迦様の記念日こそ、震災で亡くなら
れた方を供養するのに相応しい日はない。みんなに
声を掛けるぞ!」
即断即決。こうと思ったらすぐ行動に移すのが佐々井
師の流儀。理屈など、何もしない者の玩具に過ぎぬ。

“奇跡”が動き始めた。

【写真上と中】インドに建つ大震災慰霊碑。背景に見
える丘陵が大乗仏教発祥之聖地:南天鉄塔遺跡。
【下】
仏誕祭の夕刻、佐々井師到着を待ちながら日本
の犠牲者のため寺で祈りを捧げる地元仏教徒たち。

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ミサイルの国へ

ミサイルの国へ
先週木曜、インドが大陸間弾道ミサイル発射実験に
成功した。その日取りが、憲法起草者アンベードカル
博士の生誕祭を過ぎた19日、国民の祝日である5月
6日『仏誕祭』(Buddha Jayanti)の前という時期、また
水曜が仏教徒の、金曜がイスラム教徒の祈りの曜日
だったことに、何かしらの意図を窺うことも出来る。
ちなみに発射実験が行われた木曜はヒンドゥー教の
神:ブリハスパティーの日。雷霆神インドラ(帝釈天)を
補佐し、神々の教師と呼ばれる。
軍事と科学の先端を試す日にそんなことは関係ない、
と思うのが近代的知性だろうが、なにしろインドだ。

ミサイルの名「アグニ」はヒンドゥー教の火神の名で、
雷神インドラと同様、古代からの自然崇拝に根差す
抗し難き力の象徴であり、敵を焼き尽くして浄化する
“荒ぶる神”の顔を持つ。
火神の名を冠したミサイルが、雷神の宰相の曜日に
発射された、というわけである。
以前に打ち上げられた人工衛星ロケット(?)の名が
「アーカーシュ(虚空)」だったことを考えれば、かなり
アグレッシヴな方向へシフトしているのが分かる。
しかも三角大陸の東側、中国全土が射程距離に入る
オディーシャ州で実験が行なわれたのである。

近年の急速な経済成長と、IT分野での活躍等に眩惑
されて、インドの『もうひとつの顔』を見落としてはなら
ない。権力は、陰の面にこそ本性が現れる。
非暴力主義の美名を看板に、核軍縮に逆行し、庶民
の暮らし向きは貧富の差がいっそう広まるばかり。
しかも原発推進で日本政府と提携している、インド。
ある研究者は言った。
「例の“神秘”とやらで誘って、現実世界で思いっ切り
横っ面をひっぱたくのが連中のやり口だから」
そう云った彼の顔が、嬉しそうにほころんでいたのも
また天竺の神秘ではあるが。

さて拙は来週そのインドで釈尊降誕を言祝ぐ祭典に
出席すべく、南天龍宮城ナグプールへ行く。
佐々井秀嶺師のもと、いわれなき差別をはねのけて
仏教徒となった民衆と共に、Buddha Jayantiを祝う。
ナグプール郊外マンセル遺跡には、東日本大震災で
亡くなられた方々の慰霊碑もある。

民衆に必要なのは、無論ミサイルでも核でもない。
心から笑える暮らし。それだけなのだ。

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人間に戻る道

人間に戻る道
人間に戻る道
去る4月14日、関東某所にて在日インド仏教徒に
よる『アンベードカル博士生誕祭』が開かれた。
昨年は東日本大震災の発生によって見送られた
ため、一年空けての開催となった。
それもあってか今回にかける彼らの意気込みは
例年に増して熱く、それぞれが出し物を用意する
など、趣向を凝らした内容となった。
日本人参加者を想定して日本文の解説を付けた
イラストによるスライドショー、男の子が日本語で
演じた一人芝居『はぁ~い♪僕アンベードカル』、
奥様トリオによる仏教聖歌の奉唱、etc。
初めてご参加いただいた日本の方からも、
「いい意味で素人の手作り感があって良かった」
とのご感想をいただいた。

そう、手作り、なのだ。
彼ら日本で暮らすインド仏教徒達は父母の代に
佐々井秀嶺師と出会い、今日に至る仏教復興の
歴史を一つ一つ手作りで築き上げてきたのだ。
インドの宿痾たるカースト制度のもと、数千年の
長きに渡り、けがれた存在として差別されてきた
彼らが、アンベードカル博士の指し示した道、
「ヒンドゥー教から仏教へ改宗して、人間に戻る」
を自らの意志で選び、佐々井師の指導を受けて
遥か遠い日本までやってきたのである。
「Dhamma Diksha(改宗)」
それはいわゆる“宗旨替え”の如き軽いものでは
ない。アンベードカルと対立したガンディーが、
「改宗なんて自殺行為だ」
と吐き捨てたことからも分かるように、差別を受け
入れて生き伸びることの否定に他ならない。

そんな彼らの思いが込められた式典に、日本の
某団体が二組、何を考えてか、参加した。
(後で仏教徒に聞いたら、そのうち一つの団体は
式典最初のパーリ語勤行を“宗旨が違う”とやら
の理由でボイコットしたらしい。いやはや)

・・・まあ、好きなようにすればいいさ。
佐々井師ならきっと豪快に笑い飛ばすことだろう。
ジャイ・ビーム!

 ※在日インド仏教徒が運営するアンベードカル
 国際教育協会(BAIAE)の公式サイト。
 http://www.baiae.org/

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歴史の光と陰

光と陰
今回も日本未公開のインド映画を取り上げる。
『GANDHI my father』
ガンディーの息子ハリラルを主人公に“建国の父”
と呼ばれる偉大な人物を実父に持った男の転落
の人生を描いた問題作。
リード文の「One family's tragedy was price of a
nation's freedom 」が泣かせる。
ハリラルは父を愛するが故に、普通の人間でしか
ない自分を責め苛む。父ガンディーは逆に普通の
父親でいられなかった。周囲の期待は「あの方の
息子!」とハリラルに重過ぎる荷を負わせ、遂に
その人格を破綻に追い込む。
権力闘争に利用され宗教コミュニティに翻弄され、
一時期イスラム教に改宗してまたヒンドゥー教に
戻り、挙げ句は酒で体を壊して、最期には施設で
孤独のうちに亡くなったハリラル・ガンディー。
死亡を確認した医師が言った。
「大人物と同じ苗字だな・・・」

父、モハンダース・カラムチャンド・ガンディー。
痩せこけた体に木綿の粗衣をまとい、計算し尽く
された話術で後世の『名言集』編者に糧を提供し
続ける“マハートマ(偉大な魂)”。
インドの知識人階層なら日常の茶飲み話で使う
程度の格言風な物言いも、彼のカリスマ性により
見違えるほど光輝を増す。代名詞ともなった例の
断食による政治戦略も、喰うに困らない富裕層を
支持者に持った「決死の」断食であった。

さてこの度、比較のためハリウッド版『GANDHI』を
改めて見てみた。
リチャード・アッテンボロー監督作品で、第55回の
アカデミー賞を9部門受賞した長編大作。
しかし、あまりにも創作が過ぎ、またガンディーと
立場を異にしながらインド独立に尽力した偉人達
(アンベードカルやチャンドラ・ボース)を登場させ
ない等、インド公開の際には暴動が起きたという
曰く付きの作品だ。中でも甚だしきは“不可触民”
階級の選挙権を保護する分離選挙制導入に関し
(前回記事参照)、アンベードカルと対立した彼が
上位カーストの世論に訴えるべく行なった(つまり
身分差別を温存するための)断食が、なんとこの
アカデミー受賞作では、ヒンドゥー教徒とイスラム
教徒の対立を諫めた善行にすり替えられている。

虚像が放つ光は、悲劇の影を深くする。

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祖国

祖国
映画『Dr. Babasaheb Ambedkar THE UNTOLD TRUTH』
(Ultra社DVD。日本劇場未公開)を改めて観た。
現行インド国憲法の起草者にして、仏教復興運動の指導者、
B.R.アンベードカル博士の生涯を描いた作品だ。日本を始め
諸外国では、インドのカースト制度を廃止したのはガンディー
であるかのように言われているが、事実はそうではなく、この
“不可触民階級”出身の偉人によって成し遂げられたのだ。
しかもアンベードカル博士は、ムガール朝以来歴史の表舞台
から姿を消していた“釈尊の国インド”の仏教を、近代思想の
視点からとらえなおし、現実社会に向き合う行動原理として再
構築した末法灯明の大導師なのである。
にも関わらず、仏教国である筈の日本においては、その偉業
はもとより名前すらほとんど知られていない。
理由は、彼の仏教がいわゆる日本各宗の伝統教学と異なる
点が多いこと、そしてまたインドのイメージ・キャラクターたる
マハートマ(偉大な魂)・ガンディーとカースト問題で対立した
人物であったこと等が、少なからず関わっているようだ。


インドの二大巨星は、両雄並び立たず、の言葉通りだった。
不可触民階級の分離選挙制度(カースト差別によって自由な
投票権行使もままならなかったため)を巡って、両者の対立は
決定的となった。
「選挙を分けることは祖国を分断するようなものです。差別は
心の問題であり、カースト制度そのものは、国をまとめるのに
必要なんですよ」
あたかも賢哲のごとき口調で、諭すようにガンディーは言った。
それに応え、アンベードカルは、
「ガンディーさん。私には祖国がありません」
「なにをおっしゃる。貴方はもう立派な“博士”ではないですか」
「いいえ。生まれた血筋だけを理由に人間以下の汚れた存在
とされ、公共の場所にある井戸の水すら自由に飲ませてもらえ
ないような国を、どうして祖国と呼べましょうか?」

その後アンベードカルは、自由と平等、人間解放のため、仏教
復興を宣言する。

・・・「祖国がない」。「けがれ」。
この言葉は、原発事故による放射能汚染に日々曝されている
現代日本人にもそのまま当てはまる事柄ではないだろうか。
政府は、国民の生命を脅かしながらあくまでも再稼働ありきの
姿勢を変えず 、喉元過ぎればなんとやらの時期を窺うばかり。
或いは一部の国民に見られるような、放射能汚染については
饒舌に語るが、被災地復興支援の話になると打って変わって
寡黙となる現象。
かかる日本の有様は、人間解放の先達アンベードカル博士の
目にどのように映るのだろうか?

本作の中にこんな場面がある。
「不可触民」の参拝を断固拒否するヒンドゥー教徒達が、神を
汚れから守るため、と称し、アンベードカル一行が寺に近付く
前に御神体を外へ運び出してしまった。
その結果、暴動を引き起こし、多くの負傷者が出た。
あまりにも哀しく、また多くの示唆を含んだシーンに思えた。

4月14日はアンベードカル博士の生誕日である。

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『たこちん』

『たこちん』
写真は、親鸞聖人鏡御影の前でポーズを決めた
“東北復興ダコ『ゆめ多幸鎮』オクトパス君”
春彼岸御中日、復興支援イヴェント会場の一角、
バザーの品々の中に彼はいた。
「頭の感じが他人のような気がしないので」
と、拙は早速トモダチになってもらった。
「むかしは蛸漁が盛んな町だったんですよ」
南三陸からお越し下さった方が言った。
「子供の頃はね、漁の時期になると、親の仕事を
手伝うため学校が休みになったくらいでした」
津波が、すべてを奪った。

さて、オクトパス君。見た目に反し、持ってみると
意外にもずっしりとくる(600g)。
彼の主な仕事は、文鎮。
鎮める、置くとパス(合格)、災いはパス・・・。
これらに込められた復興の祈り。 愛嬌あふれる
彼の顔は、柔軟であるがゆえに壊れざる金剛の
決意を表していると拙は思っている。
蛸は柔らかい。そして足を切られても再生する。
まさに復興の象徴ではないか。

親鸞の顔も心なしかほころんでいるように見える。
「いし かわら つぶてのごとくなる われらなり」
(『唯信鈔文意』)
民衆と泣き笑いを共にし、あたかも転がる石礫の
ごとく生き、我と汝ではなく「われら」と称した煩悩
具足の親鸞にとってオクトパス君もまた、われら、
であるはずだ。

「町の大半が壊滅的な被害を受けた人々は希望
を失い、不安ばかりが募る一方で、もう一度町を
復興したい、亡くなった多くの人たちのためにも生
き残った者たちで元気なふるさとを取り戻したい」
(“『ゆめ多幸鎮』ものがたり”より)
オクトパス君は、現代の「野辺の地蔵」なのだ。

『南三陸復興ダコの会』

http://ms-octopus.jp/

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復興OH!

復興OH!
復興OH!
去る20日、東日本大震災復興支援イヴェント
『ヨコハマでつながろう!東北 南三陸+気仙沼』
の会場、横浜市栄区の少林寺様を訪ねた。
とはいえお彼岸の中日、檀家廻りの合間を縫って
暫し立ち寄らせて頂いたわけだが、予想を越える
盛況ぶりに、目を見張った。
実をいうと前日、ひと言激励申し上げたい一心で
準備に忙しい少林寺様へアポ無しで伺った。
その際、住職師の今日に到る胸の内を聞かせて
もらった。ここでは敢えて記さないが多く共感する
思いがあった。
逡巡、苦悩、一部の無理解者への苛立ち・・・。
“行動者”が必ず遭遇する、内外からの摩擦熱は、
拙にもいささか経験があった。

当日のバザー、『復興OH!縁☆市』。
被災地の皆様の復興に掛ける思いが込められた
品々は、どれもみな良質なものばかりで、あちこち
目移りしてしまう
気合いの「OH!」と「えにし」の縁で、応援。それに
お寺の縁日をかけて、縁☆市。
この感覚がまたイイのだ。まなじり決して唇噛んで、
では、かえって継続し難くなるものだ。

さて、ここ数年来、インドの仏教復興(=人権回復)
運動にも関わっている拙は、この度短時間ながら
拝見した東北の皆様の「こころのちから」に、正直、
驚嘆した。日本人は凄い。
別にインド人の悪口を言うつもりはないが、彼らは
“してもらう”のを待つばかりで、自助努力を進んで
やろうとせぬ者が圧倒的に多い。
(だから佐々井秀嶺師が40年以上も悪戦苦闘して
おられるわけだが)。

南三陸を紹介するパンフレットにあった言葉。
『海とともに生きるまち』
この宣言の重み。あの、津波を起こした海とともに
生きる、である。
巷間はびこる凡百の屁理屈、冷笑の類を一蹴して
余りある、「たましいのことば」ではないか。

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