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光の方向

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去る6月30日土曜、東京都千代田区神保町にて、拙著『反骨のブッダ』出版記念講演会を開催いたしました。
まるで「インド」を思わせるような猛暑の中、たくさんの方々に御参加を賜り、深く深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
また、本書の上梓に到るまで全面的な理解と協力をいただいたコスモ21社出版プロデューサー氏と、気まぐれでわがままなこの私を見事な手綱さばきでゴールへ向かわせてくれた友人編集者に改めて感謝いたします。そして、異例中の異例として本書に巻頭言を寄せていただき、そのうえサインの掲載まで快諾してくださった師父佐々井秀嶺に、心より感謝申し上げます。

出版記念会での佐々井師の講演は、予定を大きく上回り、およそ1時間10分にも及びました。しかもその間ずっと立ったまま、時にユーモアを交え、時に辛辣な皮肉も絡めつつ、いつも以上に力強く、熱く語ってくださいました。
ところで、佐々井師のお話について、弟子の立場から日本の皆さんにお伝えしておきたいことがございます。師は五十年以上インド最下層民衆と共に生きてきたため、思考はヒンディー語なのです。日本人の顔で日本語で話してくれますが、じつは脳内で瞬時に和訳しているのです。今年で八十三才、病気と怪我で満身創痍の老人が‥‥ですよ?
あえて俗な例えを使いますが、西洋の格言に
「愛し合うとは見つめ合うことではない、同じ方向を見ることだ」
という言葉があるのをご存知かと思います。日本人の顔で日本語で話す佐々井師の慈光に見惚れるのも結構ですが、それは、佐々井師と同じ方向を見ていない、ということなのです。
仏教復興・差別撤廃・人間解放・インド文化の説明・大乗発祥の地マンセル遺跡の顕彰・聖地ブッダガヤ大菩提寺の管理権奪還闘争、そして、弱き者・小さき者たちの笑顔を守るため「怒ること」「気にすること」「反応する生き方」…。
それら佐々井師の視野をすべてカヴァーすることは、おそらく誰にも出来ないでしょう。もちろん私も到底無理です。しかし、そのうちの一つだけでも同じ方向を見ることなら、なんとか出来るのではないでしょうか。
ずいぶん口幅ったいことを申しましたが、これも私の《反骨》と何とぞ御海恕くださいませ。

さて講演の最中、師は私を指して、
「こいつは反骨ですよ、反骨。ああ、すごい反骨だ」
と仰られました。
実を言うと、その時私は、かつてインドで佐々井師と「あわや取っ組み合いの大喧嘩!」になりかけたことを話されるのではないか?と思い、一瞬ヒヤッとしたことを白状いたします。
ジャイ・ビーム!

【写真上・中は講演会の様子】
提供:まち様
【下】
インド帰国直前、成田空港にて。

佐々井師講演会の御案内

反骨のブッダ出版記念講演会
反骨のブッダ出版記念講演会
拙著『反骨のブッダ 出版記念講演会』を開催します!
当日はメイン講師として〈インド仏教徒一億人の指導者〉佐々井秀嶺師をお迎えし、たっぷりとお話していただきます。

◎日時:6 月 30 日(土) 13;30 開場  15;30 まで(予定)
◎場所:ハロー貸会議室 神保町
〒101-0052 東京都千代田区神田小川町 3-10 新駿河台ビル 10F
《アクセス》 東京メトロ半蔵門線 神保町駅 A5 徒歩 3 分 都営新宿線 神保町駅 A5 徒歩 3 分
都営三田線 神保町駅 A5 徒歩 3 分 JR 中央・総武線 御茶ノ水駅 御茶ノ水橋口徒歩 7 分
◎参加費:無料
◇『反骨のブッダ』販売コーナー設置
◇受付にて佐々井師への御喜捨など
◎定員:90 名
◎当日プログラム 14;00~14;20 著者髙山龍智挨拶&講演
14;30~ 佐々井秀嶺師講演
15;15~フリーフォトセッション

※お問い合わせ先とチラシのPDFはここからダウンロードできます

「hankotsukoen.pdf」をダウンロード

ブッダ伝と『バーフバリ』

人間:提婆達多
人間:提婆達多

「デーヴァダッタ(提婆達多)の考え方のほうがインドの常識に近いんだよ」
ヒンドゥー教徒の友人が言った。
仏教にも詳しく、日本留学経験もある彼が云うには、ヴェーダを尊びカーストを重んじ戒律の厳格化と苦行を奨励したデーヴァダッタは伝統的なインドの価値観に準じており、人間平等と無常・苦・無我を説いたブッダのほうが、
「レジスタンス的だったんだよ」
じつは、数年前に交わしたこの会話が、拙著『反骨のブッダ』執筆動機の一つになっている。彼の示した視点に立てば、ブッダ滅後のインドで仏教がどんどん〈ブッダから遠くなっていった〉経緯の背景に横たわるものの輪郭が、朧気ながら見えてくるように思えたのだ。そして、仏教滅亡の歴史を再考することは、寺院の消滅すら語られる今日の日本を考える上でも重要なことだと思えた。
また、あまたの仏典において「豪も白法なき諸悪の首」とされる大悪人:提婆達多が、仏教の故国インドのヒンドゥー教においてはむしろ常識人とも見なされ得ること、そのデーヴァダッタ(調達とも音写)を日本の親鸞が、
「浄邦縁熟して調達、闍世をして逆害を興ぜしむ」(『教行信証』総序)
「提婆尊者」(『浄土和讃』)
と称えたことに、ありきたりな「教祖伝の悪役」で片付けてはならない人間デーヴァダッタ…例えば映画『沈黙 ~サイレンス 』のキチジローのような…を感じていた。
あえて口はばったい言い方をすれば、仏教徒各人がそれぞれに、
《みずからの内なるデーヴァダッタ》
を見失った時、仏教は滅亡に向かって滑り落ち始めるのではないだろうか。

閑話休題。
昨年末に日本で公開され、瞬く間に社会現象まで巻き起こした南インド映画『バーフバリ 王の凱旋』。私は、初日の初回上映を見に行って度肝を抜かれたと同時に、僭越ながら、我が意を得たり!と膝を打った。年明けに発売を控えていた『反骨のブッダ』で記したインド人の誇張癖、つまり〈盛り〉の文化が、徹底的に遺憾なく発揮されていたからだ。
しかも、テルグ語の台詞の随所にサンスクリット語が登場し、例えば「クシャットリア・ダルマ(武門の務め)」などは、ブッダ・ダルマ(仏法)との対比で考えると、仏教がインド社会にもたらしたその革新性が映像体験の実感を伴って理解できるはずだ。
さて、『バーフバリ』前後編にはインド神話の定番が様々なかたちで織り込まれている。『~王の凱旋』で物語の開始早々アマレンドラが暴れ象を鎮めるシーンなどは、ブッダの伝説にも同様のモチーフが使われている。ブッダ殺害を企てたデーヴァダッタは「酔象」をけしかけて踏み殺させようとするが、ブッダは暴れ象に偈を説いて鎮め、象は「聞き已りて 即ち前んで長跪し 如来の足を舐めぬ。その時 彼の象 即ち以て過を悔い 心自ら寧らず 即便に命終して三十三天に生ぜり」(増壱阿含経)。
しかし、凶暴化した象さんが偈(ポエム、歌)を聞いて後悔の念から即死する、とはいかにもインドの〈盛り〉文化!といえよう。大衆部初期の経典と見られる増壱阿含においてさえ、この過剰演出である。ゆえに『バーフバリ』が、大乗仏教を理解する上でも必見の作品であることは重ねて記す必要もなかろう。また、『バーフバリ』の悪役バラーラデーヴァ王は、
「あんな生き方しかできなかった提婆達多」
を知る上で、最良のヒントをくれるようにも、私は思えるのだ。

【写真上】日本公開『バーフバリ 王の凱旋』パンフレット裏表紙より
【下】拙著『反骨のブッダ』書影

新著『反骨のブッダ』

新著『反骨のブッダ』
新著『反骨のブッダ』
2018年1月11日(木)、私にとって七年ぶりの著書が発売される。題して、
『反骨のブッダ』~インドによみがえる本来の仏教~
出版社:コスモトゥーワン    1,512円(税込)

ISBN978-4-87795-361-4

この六年余りの間、溜まりに溜まった思いを噴出させた感もあるが、決して重苦しい書物ではなく、例えていうなら「よく晴れた日に窓を開け放った時のような気持ち」になってもらえるよう心掛けた。主たる読者層として一般の青年男女を想定し、日本を含む現代社会の諸問題を絡めつつ、文体はソリッドでエッジを利かせたものにしてある。
また特別に、巻頭言として、師父佐々井秀嶺の獅子吼とサインをもらった。
とはいうものの、発売する前にここでネタバレをするわけにもいかないので、現在Amazonに公開されているオビ裏の紹介文だけを記すにとどめる。


**********
「無常」  なげくことではない。変わらない安定より変化することに希望を見いだすこと
「苦」  ただ耐えることではない。一部の「楽」のために強いられる大勢の「苦」をなくすこと
「無我」  無私、滅私ではない。他ではなく自分に帰依して自由になること
「僧宝」  出家者ではない。手を携え互いに尊重し合う、共同体のこと
「慈悲」  情けをかけることではない。友愛によって自ら救済されること
**********

今回この企画の実現には、旧知の友の協力と、出版プロデューサー氏の英断によるところが大きい。なにしろ、私は最初の企画会議で、開口一番にこう言ったのだ。
「イマドキどこにでもあるハウツー物や癒し系、瞑想のススメや屁理屈大会の本ならば、私は降ります!」
このような甘えん坊の暴れん坊に、好き勝手をやらせてくれた「大人の方々」の御海恕によって、本書は上梓に漕ぎ着けたのである。この場を借りて、心からの感謝を申し上げたい。

…さて最後に〈わかるひとにはわかる〉喩えを用いて、本書全体のイメージを伝えよう。

前の『必生』がDeep Purpleの「Highway Star」だったとするなら、今度の『反骨』はLed Zeppelinの「Whole Lotta Love」である。そういうことだ。

阿育王伝説

阿育王伝説
阿育王伝説
阿育王伝説
去る10月14日、関東某所にて在日インド仏教徒の団体「B.A.I.A.E.」(アンベードカル博士国際教育協会)による『転法輪祭 (DHAMMA CHAKRA PRAVARTIN)』が開催された。
例年の行事ながら、今年は初夏にNHKの取材を受けたこともあり…その模様の一部は10月22日(日)Eテレ『こころの時代』05:00~06:00にて放送予定…彼らにとってとりわけ喜びに溢れた祭典となった。
云うまでもなく彼らは祖国インドにおいてはDalit=被抑圧階級であり、インドのTVで取り上げられる時は、殆どの場合、社会問題を扱う類いの番組に於いて、意味保留のカギッカッコ付きで紹介される。そういう彼らを、まったく同じ人間として真摯に取材してくださったNHKには、心からの感謝を申し上げたいと思う。
さて、転法輪祭の終盤、登壇した私は彼らにこう語った。(原語はヒンディー)

    如来等正覚、ならびに菩薩聖者アンベードカル博士に帰依し奉る。
善女人善男子の皆さん。本日10月14日は私たちにとって、現代インド仏教復活の記念日であり、それはまた、かつてインドを仏教国たらしめたアショーカ王が「法による統治」を宣言した日であると云われています。しかし、これは私たち仏教徒のためだけの記念日ではありません。全世界、全人類のための自由と平和の記念日であります。
今から2400年ほど前、ひとりの大王がいました。彼はその冷酷さと残虐性によって、世の人々からこのように渾名されていました。カーラ・アショーカ(暗黒の阿育)。
こんな伝説があります。
凄惨を極めたカリンガ国殲滅戦に勝利し、老人や女子供まで虐殺したアショーカ王は、血刀を手に馬上から、大満足の顔で、いくさのあとを眺めていました。
「朕は勝った。全インドは我が物となった」
そこへ、ひとりの比丘がやって来て言いました。
「大王よ、お願いがございます。望みを叶えていただけるでしょうか?」
「苦しゅうない。朕は今や〈王中の王〉となった。何なりと叶えて遣わす。申せ」
比丘は袈裟の下から赤ん坊の死体を取り出して見せました。
「大王よ、この赤子は軍馬の蹄にかけられて亡くなりました。大王の軍です。せめてこの子の命だけ返してくださいませ」
「何と?!痴れたか、比丘よ。そのようなこと出来るわけがない、朕を愚弄するとあればその首、この場で叩き斬るぞ!」
「大王よ、貴方はこれほどたくさんの命を奪うことが出来た。なのに、この小さな命たった一つさえも返してくださらないのですか?それが、貴方が手に入れた〈王中の王〉のちからなのですか?」
この出来事をきっかけに、アショーカ王は武力統治の方針を改め、法による統治を宣言したとも云われています。カーラ・アショーカ(暗黒の阿育)が、ダルマ・アショーカ(白法の阿育)に変わったんですね。暗黒か、白法か。戦争か、叡智か。
善女人善男子の皆さん、考えてみてください。
現在の世界を御覧ください。北朝鮮、トランプのアメリカ、あれは暗黒の王国でしょう。あるいはミャンマーの仏教徒がロヒンギャ族を虐殺している。あれは断じて白法ではない。
暴力は、何ひとつ生み出さないんです。

《※お知らせ》
NHK Eテレ『こころの時代』「インドの大地に再び仏教を」出演:佐々井秀嶺ほか。本放送 10月22日(日)朝5時~6時、再放送10月28日(土)昼1時~2時

http://www4.nhk.or.jp/kokoro/x/2017-10-22/31/21932/2008286/

【写真上と下】転法輪祭の模様
【中】今年7月来日時の佐々井秀嶺師と

«仏に参らせ、芸の花