香る未来

香る未来
香る未来
豊かな国ではアロマ・テラピーなどと優雅な嗜みが流行
しているが、インドでは、お線香作りは下層階級の女性
の手仕事とされている(写真上)。
細く削った竹ひごに、香料を混ぜて練った煤をからめ、
陰干しする。朝から晩まで黙々と、両手を真っ黒にして
働き、わずかな賃金を得る。
「あたしのおッ母さんもお婆さんもヒイ婆さんも、みんな
代々この仕事さ。そういう身分なんだから」
「なぜって?神様がそう決めたんだから」
彼女達がこの先もヒンドゥー教にとどまり、カースト制度
の中に居続ける限り、「神の命によって」自由はない。
下層階級の女性を“汚れた身分”として寺院から遠ざけ
るヒンドゥー僧は、彼女達が作った線香を炊いて、祈る。
・・・神は一体何を見ているのだろうか。

だが、この矛盾は果たしてインドだけのことだろうか。
高価なお香に贅を凝らす日本の仏教寺院は、世襲制と
いう日本式カースト制度によって、「聖職者」たる権益を
確保している。すでにブッダの国で仏教が復活し、その
指導者が、日本人佐々井秀嶺師である事実にまったく
関心を示さない寺関係者がいることを思えば、日本にも
ヒンドゥー教の迷信あり、と皮肉のひとつも言いたくなる
ではないか。

写真下は、祖父母や親と共に仏教へ改宗した少女達。
アンベードカル博士は被差別階級の中でも更なる差別を
受けていた女性達に、人間としての未来を開いた。
教養を身につければ闘える。
「あたし、お医者さんか学校の先生になりたい」
「あたしはヘア・デザイナーね。イギリスへ留学して資格を
取って、ボリウッドの映画女優の専属になるの」
「うっそー!本当はこのコ、あの俳優の・・・」
「きゃっ☆ちょっとお、やめてよお」
少女達のこの“少女らしい夢”も、仏教改宗による人間の
解放あったればこそ、である。

闘う仏教とは、人生を闘う力となる仏教のことだ。

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スラム菩薩

スラム菩薩
スラム菩薩
今週水曜、無事帰国。
インド滞在中、ナグプール郊外の国道から少し外れた
裏路地にあるスラム街を訪れた。
ヒンドゥー、イスラムが混住するエリアの一画に、仏教
寺院があると聞いて、ぜひ参拝せねば、という気持ち
になった。陽はやや西に傾き掛けた時刻。夜になると
危険が増す一帯なので、今しかないと思った。
スラムの細い通路を真っ直ぐに進むと、やがて五色の
仏教旗が目に留まった。小さな寺。入口には太い鎖が
掛けられ、施錠されている。インドに住職制はない。
もの珍しそうについて来た子供に鍵の在り処を聞くと、
すぐに取ってきてくれた。どうやらその子の親が鍵番を
しているようだ。
(黄色人種のお坊さんが現れた!)
佐々井秀嶺師と勘違いされたらしい。近所から信者が
わらわら集まって来た。時間帯のせいもあってか女性
の顔ぶれが目立つ。男衆は肉体労働に出てる頃だ。
佐々井師を間近に見たことがない仏教徒の、期待を裏
切るのは忍びないが、
「いや、ササイ・バンテー・ジーじゃないよ」
と正直に言う。でもみんなニコニコして迎えてくれた。

本堂に上がり、一緒にパーリ語で勤行した。
インド仏教徒は大人も子供もたいがいお勤めを暗記し
ており、その信心の情熱は、生きる意味と一体だ。
勤行の最後は「ジャイ!」の唱和。
昨年、佐々井秀嶺師44年ぶりの帰国に際して、日本
各地の講演会で轟いた、仏教復興の雄叫びである。
バクワーン・ブッダ・キー・・・、「ジャーイ!」
夕暮れ迫るスラムに人間解放の合言葉が響き渡った。

ワシの下手くそなヒンディー語の法話も、みんな熱心に
聞いてくれた。彼らの心に言葉を届けるためには知識
や語学力ではなく、声に魂を込めなければ伝わらない。
一人のおばさんが感動してくれた。

再会を約束して去るワシを見送ってくれた彼らの姿が、
一瞬、菩薩に見えた。大地から湧きいでた菩薩に。
「地湧の菩薩」(『法華経』)。

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SASAI伝

SASAI伝
SASAI伝
南天龍宮帰城最終日。今回、最大の収穫といえるのはヒンディー語『SASAI伝』を改めてじっくり閲覧出来たことだ。いわばインド版『破天』と呼ぶべきこの一書は、90年代、関係者向けに限定出版された非売品。編纂にあたってインド仏教会スタッフが来日し、岡山県の佐々井師生家や生前の御母堂様を訪ねて綴り上げた魂の讃歌、篤き信仰の結晶だ。当然のことながら、内容については故山際素男氏の著書とほぼ同一であるが、インド人の目から見た「バンテー・ジー物語」として貴重な資料であり、いつしか邦訳が出版されることを願ってやまない。
写真上はその表紙で、第一回ブッダガヤ大菩提寺管理権奪還闘争(92年)のポスターをベースにしたもの。右上に縦書きしたヒンディー語で『サ・サ・イ』。
写真下は裏表紙。若く、痩せていた頃の佐々井秀嶺師。インドの労働者がする「鉢巻き結びのターバン」が、佐々井師の飾らない人柄を表している。この姿こそ、インド民衆にとっての佐々井秀嶺師なのだ。

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始まり

始まり
始まり
始まり
南天龍宮帰城第五日目の夜。ナグプール市内で学業優秀な仏教徒子弟に対する表彰式が行われた。メイン・プレゼンターはもちろん、佐々井秀嶺師。今回は特別ゲストとして野田正彰氏も登壇した。佐々井師の手ずから表彰を受ける少年少女らを見ていると、学ぶ喜びと生きる喜びが一つになっていることが分かる。スピーチに立った佐々井師は、
「みんなが勉強できるのはね、おじいちゃんおばあちゃん、お父さんお母さんが仏教徒に改宗して、アンベードカル博士のお言葉に従い、自分が食べるご飯を削ってお金を工面し、みんなを学校へ行かせてくれてるからなんだよ。だから一生懸命勉強して恩返しをしようよね」
ヒンドゥー教社会の中で、ただ生まれた血筋だけを理由に、人間として学ぶ権利もその機会すらも奪われてきた彼らにとって、今宵の表彰式はまさに『人間再生』のスタートとなるのだ。

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突破

突破
突破
突破
南天龍宮帰城第四日目。仏教遺跡の街シルプールで、多数派ヒンドゥー教徒居住区を中央突破するデモ行進がいよいよ始まった。及ばずながらこのワシも、インド僧衣で馳せ参じる。なにせ『現在の一向一揆』をみずから任じるワシにとって、これこそがインドにかよう意義でもあるわけだ。
行進は、整然粛々と始められた。シュプレヒコールでシャウトするワシが微妙に浮いてる感じがした。
「いかん、これは日本のような平和ボケ国家で行われる宗教ゴッコとはわけが違うのだ。みんな本当に命懸けなんだ」
そう思い直して気持ちを正す。周囲で見物するヒンドゥー教徒たちは、みな一様に迷惑そうな、そしてなにより、
(汚らわしい不可触民どもめ)
といった蔑みの表情をあからさまに示す。ワシの闘志がさらに熱くなる。
行進は無事終了。陣頭指揮をとった佐々井師が仮設舞台に上がり、仏教徒民衆に感謝の言葉を述べた。
その舞台袖には、サブマシンガンを持った護衛が立っていた。

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間脳のひと

間脳のひと
間脳のひと
南天龍宮帰城第三〜四日目。ナグプールから車で東へ終夜移動し、シルプールに向かう。そこは仏教を庇護したヴァーカータカ王朝(8世紀以降)の首都があった場所とされ、近年、佐々井秀嶺師によって発見された壮麗な仏教遺跡がある。だが、他の仏跡と同様、周辺地域はヒンドゥー教徒に席巻され、依然として仏教徒はマイノリティのままだ。今回佐々井師は、その街のヒンドゥー教エリアのど真ん中を果敢に突破するデモ行進を先導するため、徹夜で敵陣に向かうことになった。もちろんワシもお供する。写真上は、深夜の国道沿いの茶店で一休みする佐々井師。
野田正彰氏の佐々井秀嶺師観察評。
「おそらく間脳の機能が一般的平均より相当活発なんでしょうね。感情の高ぶりが身体に作用して人並み外れた行動力を生み出すんでしょう」
写真下はシルプール仏教遺跡。
・・・なるほど。

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解放

解放
解放
南天龍宮帰城第三日目。佐々井秀嶺師のお供で仏教徒の新築式に招かれた。現場でこまごまと飾り付けなどに指示を出す佐々井師を見ていると、去年二ヶ月間日本にいた時より、ずっと生き生きしている。また仏教徒達はみな佐々井師のことを心から信頼し、敬愛し、帰依していることが分かる。初めてナグプールの仏教徒に接した野田正彰氏は、精神科医の知見として、
「眉間から額にかけて、こわばりが少ないようです。精神が落ち着いて安定してる、ということでしょう」
この人達がかつて不可触民と呼ばれて蔑まれ、触れてはならぬ、見てはならぬ、声を聞いてもならぬ、影を踏んだだけでも汚らわしい、と忌み嫌われていた事実を思うと、ブッダが、アンベードカル博士が、佐々井秀嶺師が彼らにもたらした人間解放の偉業が、いかに比類なきものか、改めて深く知らされる。

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天竺午睡

天竺午睡
天竺午睡
天竺午睡
南天龍宮帰城第二日目。野田正彰氏を案内して佐々井師と共にマンセル遺跡へ行った。マンセルは仏教遺跡であるが、後発のヒンドゥー教に乗っ取られたかたちとなり、ヒンドゥーの聖地:ラームテクとも呼ばれている。そしてそこにはヒンドゥー教過激派原理主義組織の本山があり、彼らは現在も仏教復興に対し実力行使で妨害を続けている。そこへ、インド仏教の指導者:佐々井秀嶺師は、平気な顔でフラリと乗り込む。お供するワシは野田氏のことを考えいささかナーバスになっていた(写真上)。だが、犬猿の仲も一緒にお昼寝するインドの午後(写真中)。何事もなく終わった。
ちなみに、下の写真はその場所で撮った、というだけのことで、犬猿の仲という意味ではありません。あしからず。

追記 ツイッターを始めました。
利用者の方は「nagabodhi」でユーザー名検索を。

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再会

再会
再会
南天龍宮帰城第一日目。今回お連れしたゲストは精神科医でノンフィクション作家の野田正彰氏。野田氏は昨年、佐々井秀嶺師四十四年ぶりの一時帰国の折り、東京のホテルで約一時間半ほど会見した。その続編として、今度は野田氏が訪印し、佐々井師とインド仏教徒の『普段着の触れ合い』を取材する運びとなった。初日の今日は、野田氏が滞在するホテルでの会談。両者共、予定調和のぬるま湯に安住しない気性も手伝って、途中で何度か議論が白熱する場面があった。しかしそれはまさに建設的な対話であり、「座学の徒」が言辞を弄ぶがごとき空理空論の類ではなかった。明日からが楽しみな、再会となった。

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明日から天竺

今から一年以上前のこと。
ナグプールにあるインド仏教会本部インドーラ寺院の
僧房にいたワシは、佐々井秀嶺師に呼ばれた。
「ゲストハウスの管理人のおばあちゃんが、あぶない
ようなんだ。様子を見に行ってくれないか」
佐々井師のもとを訪ねた経験のある方なら、おそらく
みな、そのおばあちゃんの世話になったことがあるの
ではないか思う。痩せて、物腰おだやかな老婦人だ。
出かけようとするワシを佐々井師は呼び止め、
「これ持ってけ」
自分が着ていた袈裟を脱いで、手渡された。
「頼むぞ。俺もすぐ行くから」

町外れのゲストハウス。白い二階建ての建物。
下の部屋に入ると粗末なベッドの上におばあちゃんが
横たわっている。かなり意識レベルが落ちていた。
佐々井師から預かった袈裟をおばあちゃんの体に掛け
てあげる。そして耳元で、
「ほら、ササイ・ジーが来てくれたよ、元気出して」
すると一瞬、おばあちゃんの目に輝きが戻った。
(これからどうすりゃいいんだ?)
ヒンディー語は話せても、次に自分がなにをしたら良い
のか分からない。家族に容態を聞くと、今夜が山、と。

おばあちゃんが歩んできた人生を思い、胸が詰まった。
不可触民と呼ばれて蔑まれ、佐々井師に出会うまでは
“人類”として扱われなかった、ひとりの女性。
シルクのサリーなど一度も着たことがない、貧困と抑圧
に耐えてきた釈迦の国の仏教徒が今、臨終を迎えよう
としている・・・。
手をこまねいて立ちすくんでいるところへ、佐々井師が
やって来た。
おばあちゃんのため、一生懸命に祈るササイ・ジー。
この人は、今日まで四十年以上、こうして民衆のために
祈り続けてきたのだ。そう思うとさらに胸が詰まった。

帰り道、佐々井師から怒鳴られてしまった。
「なにをボサッと突っ立ってやがったんだ!お前は!」
その目尻が、銀色に光って見えた。

明日から一週間、ナグプールへ行ってまいります。

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