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『KAALA』

『KAALA』
『KAALA』
『KAALA』
ラジニカーント主演作品『KAALA』。
本国インドで“Super Star Rajni”と呼ばれるラジニカーントは、かつて『ムトゥ 踊るマハラジャ』(98年日本公開)で我が国に一大旋風を巻き起こし、いわゆる「インド映画」を巷間に知らしめた。
〈Wiki〉
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%88
その彼を主役に、Pa.ランジット監督(被抑圧階層出身)がメガホンを取った本作は、アクション映画仕立ての中にカースト問題、経済格差、宗教の欺瞞などを見事に織り込んだ必見作。舞台となるムンバイのダラヴィ地区は「アジア最大のスラム街」とも云われ、そこには改宗仏教徒の居住エリアも在って、私も数年前に訪れたことがある。
今回、東京都荒川区の南インド料理店「なんどり」様
https://nandri-tokyo.com/ の御尽力により、この快作が日本語字幕付きDVDとなった。是非ともお買い求め頂きたいと思う。
さて、以下に『KAALA』の個人的な感想を述べたい。この作品は、私にとって他でもない「仏教映画」だ。わざわざ言うまでもなかろうが、この場合の「仏教」とは、従来の日本人が仏教に対して抱いていた「無常の詠嘆、侘び寂び」とは真逆である。なんとなれば、無常の原語:アニティヤは momentary, changeable の意味であり、詠嘆どころか変革の意思を惹起させる教えだったのだ。
(※拙著『反骨のブッダ』参照)

とはいえ、スラム街の顔役カーラーは、仲間と共にヒンドゥーの祭礼を祝い、モスクへ詣でてイスラム教徒と共に祈り、仏教寺院の前で青年達に熱く語り掛ける。特定の宗教宗派に肩入れすることなく、いつも民衆に寄り添っている。おかみさんを愛し、昔の恋人との再会に心を揺らし、宴席では飲めない酒に酔い、人々と泣き笑いを共にする。だが、ひとたび怒りの炎が燃えれば、身の危険を顧みず単身で敵陣へ乗り込んで行く…。
このような市井の人のことを、昔のインド人は「ボーディ・サットヴァ」と呼んだ。漢字音写で菩提薩?(ぼだいさった)、略して菩薩(ぼさつ)である。
一方、敵対する地元政治家ハリのキャラクターは、明らかに現インド首相ナレンドラ・モディ氏をイメージさせる存在であり、ハリの選挙キャッチコピー
「I am a PATRIOT」
などは、モディ氏出馬当時のコピー
「I am a HINDU Nationalist」
に真っ向から仕掛けている。つまり、我が国に例えるなら、非道な悪役に“美しい国、日本を取り戻す”と言わせたようなものである。

後半、大群衆がハリ陣営の弾圧に抗議する場面では、改宗仏教徒のグループも登場する。
このシーン、私は何度見ても震える。嗚咽する。
インド娯楽映画の日本語字幕にはっきり「ジャイ・ビーム!」と表示されたのは、私の知る限り、この作品が初めてだ。邦訳に携わられた「なんどり」様には、日本在住のインド人仏教徒に成り代わり、心からの感謝を申し上げる。

民衆の中で生きる泥まみれの菩薩:カーラー。彼が怒りに燃えて立ち上がる姿に、私は知らず知らず、師父佐々井秀嶺の姿を重ねていた。

 最後に、あえて繰り言を書く。
2009年初夏、佐々井師は44年ぶりに日本の土を踏んだ。その際、某宗門大学に招かれ、インド帰国前の最終講演会を行なった。会のラストは、当然「ジャイ・ビーム!」。
だが、終了後に寄せられた感想の中には、以下の如き“日本的な”声もあったのである。
「他宗の唱え言を強制されたようで苦痛だった」

【写真上】『KAALA』日本語字幕付きDVD
【中】ダラヴィ地区の仏教徒居住エリア
【下】『KAALA』後半の「ジャイ・ビーム!」シーン

「変身」の法宴

「変身」の法宴
「変身」の法宴
「変身」の法宴
去る10月中旬、首都圏某所で日本在住の現代インド仏教徒主催による
『改宗記念祭(Dhamma Chakra Parivartan)』
が開催された。
今から62年前の10月14日、インド三角大陸のド真ん中ナーグプル市において、独立政府初代法務大臣にして現行インド憲法起草者:ビームラーオ・アンベードカル博士は獅子吼した。
「私は残りの人生を仏教の復興に捧げます!私と共に、ヒンドゥー教の呪縛を捨てて仏教に改宗する人は、さあ!立ち上がってください!」
その声に応え、およそ30万人を越す名も無き民衆…いわゆる「不可触民」と呼ばれた人々…が、無言のまま起立した。13世紀の初頭、イスラム勢力による破壊と虐殺で一旦は滅亡したブッダの国の仏教が、20世紀に復活した瞬間であった。
今年の日本での『改宗記念祭』、インド人仏教徒の少女が詠んだ自作の英語詩は、次のように感動的な言葉で結ばれていた。
「ブラーマン(波羅門)が〝聖者の階級に生まれたから聖者なのだ〟と言うなら、あたしは、人間に生まれたから人間なのです」

さて、恒例の法話で私はこう語った。(原語ヒンディー)

如来等正覚、並びにアンベードカル菩薩様に帰依し奉る。
紳士淑女の皆さん、第62回改宗記念祭おめでとうございます。今、まさしく世界中に「ジャイ・ビーム!」の声が轟いています。先ごろ日本でも自主上映されたラジニカーント主演のインド映画『カーラ』のことは、もちろんご存知ですよね?あの作品の中でも、私たち現代仏教徒の合言葉「ジャイ・ビーム!」が叫ばれていました。
そして近々、アクシャイ主演のボリウッド映画『パッドマン~5億人の女性を救った男』も日本で正式に公開されます。あの作品の後半、インドの国民的大スター:アミターブ・バッチャンが本人役で登場して、こう言います。
「ヒーロー。アメリカにはスーパーマンがいるし、スパイダーマンもいるでしょう。しかし、インドには、パッドマンというヒーローがいる!」と。
私たち現代仏教徒は、もう一人ヒーローがいることを知っていますね。え?どんなマン(Man)かって?その名は、ブッドマーン(仏心)。これぞ、真のヒーローです。
私が申し上げたいのはこういうことです。
『パッドマン』の台詞にもありますが、ヒンドゥー教徒らは、何かにつけてこう言います。「あれは不浄だ、これも不浄だ、不浄の不浄はまた不浄だ」。では、「浄」とはなんでしょうか?!
生まれた血筋のことですか?違います。従事する職業のことですか?違います!出身地のことですか?違います!
浄とは、知性(般若)です。慎み(戒)です。共感(悲)です。この三つが一つになったものが、ブッドマーン(仏心)です。
私はこう考えます。般若とは、正直な言葉。戒とは、落ち着いた行動。悲とは、優しい心である、と。この三つが一つになったものが、「浄」である、と。
そうそう、忘れてました。ヒーローは変身するからヒーローなんです。自分で自分を変えないなら、それはヴィラン(悪玉)ですよね。みんなでヒーローになりましょう。
ジャイ・ビーム!

【写真上中下:改宗記念祭の様子】
◎今年8月末インドのナーグプルで開かれた佐々井秀嶺師誕生会の現地報告も是非ご覧下さい。
https://togetter.com/li/1263459
◎映画『パッドマン~5億人の女性を救った男』
女性の月経を「不浄」として忌み嫌うヒンドゥー教社会の中で安価な生理用ナプキン(パッド)の製造と普及によりインドに革命を起こした男の実話を映画化。必見!

https://youtu.be/sK0mP7n4518
(C) SonyPicturesJapan
2018年12月7日(金)より全国公開

光の方向

光の方向
光の方向
光の方向
去る6月30日土曜、東京都千代田区神保町にて、拙著『反骨のブッダ』出版記念講演会を開催いたしました。
まるで「インド」を思わせるような猛暑の中、たくさんの方々に御参加を賜り、深く深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
また、本書の上梓に到るまで全面的な理解と協力をいただいたコスモ21社出版プロデューサー氏と、気まぐれでわがままなこの私を見事な手綱さばきでゴールへ向かわせてくれた友人編集者に改めて感謝いたします。そして、異例中の異例として本書に巻頭言を寄せていただき、そのうえサインの掲載まで快諾してくださった師父佐々井秀嶺に、心より感謝申し上げます。

出版記念会での佐々井師の講演は、予定を大きく上回り、およそ1時間10分にも及びました。しかもその間ずっと立ったまま、時にユーモアを交え、時に辛辣な皮肉も絡めつつ、いつも以上に力強く、熱く語ってくださいました。
ところで、佐々井師のお話について、弟子の立場から日本の皆さんにお伝えしておきたいことがございます。師は五十年以上インド最下層民衆と共に生きてきたため、思考はヒンディー語なのです。日本人の顔で日本語で話してくれますが、じつは脳内で瞬時に和訳しているのです。今年で八十三才、病気と怪我で満身創痍の老人が‥‥ですよ?
あえて俗な例えを使いますが、西洋の格言に
「愛し合うとは見つめ合うことではない、同じ方向を見ることだ」
という言葉があるのをご存知かと思います。日本人の顔で日本語で話す佐々井師の慈光に見惚れるのも結構ですが、それは、佐々井師と同じ方向を見ていない、ということなのです。
仏教復興・差別撤廃・人間解放・インド文化の説明・大乗発祥の地マンセル遺跡の顕彰・聖地ブッダガヤ大菩提寺の管理権奪還闘争、そして、弱き者・小さき者たちの笑顔を守るため「怒ること」「気にすること」「反応する生き方」…。
それら佐々井師の視野をすべてカヴァーすることは、おそらく誰にも出来ないでしょう。もちろん私も到底無理です。しかし、そのうちの一つだけでも同じ方向を見ることなら、なんとか出来るのではないでしょうか。
ずいぶん口幅ったいことを申しましたが、これも私の《反骨》と何とぞ御海恕くださいませ。

さて講演の最中、師は私を指して、
「こいつは反骨ですよ、反骨。ああ、すごい反骨だ」
と仰られました。
実を言うと、その時私は、かつてインドで佐々井師と「あわや取っ組み合いの大喧嘩!」になりかけたことを話されるのではないか?と思い、一瞬ヒヤッとしたことを白状いたします。
ジャイ・ビーム!

【写真上・中は講演会の様子】
提供:まち様
【下】
インド帰国直前、成田空港にて。

佐々井師講演会の御案内

反骨のブッダ出版記念講演会
反骨のブッダ出版記念講演会
拙著『反骨のブッダ 出版記念講演会』を開催します!
当日はメイン講師として〈インド仏教徒一億人の指導者〉佐々井秀嶺師をお迎えし、たっぷりとお話していただきます。

◎日時:6 月 30 日(土) 13;30 開場  15;30 まで(予定)
◎場所:ハロー貸会議室 神保町
〒101-0052 東京都千代田区神田小川町 3-10 新駿河台ビル 10F
《アクセス》 東京メトロ半蔵門線 神保町駅 A5 徒歩 3 分 都営新宿線 神保町駅 A5 徒歩 3 分
都営三田線 神保町駅 A5 徒歩 3 分 JR 中央・総武線 御茶ノ水駅 御茶ノ水橋口徒歩 7 分
◎参加費:無料
◇『反骨のブッダ』販売コーナー設置
◇受付にて佐々井師への御喜捨など
◎定員:90 名
◎当日プログラム 14;00~14;20 著者髙山龍智挨拶&講演
14;30~ 佐々井秀嶺師講演
15;15~フリーフォトセッション

※お問い合わせ先とチラシのPDFはここからダウンロードできます

「hankotsukoen.pdf」をダウンロード

ブッダ伝と『バーフバリ』

人間:提婆達多
人間:提婆達多

「デーヴァダッタ(提婆達多)の考え方のほうがインドの常識に近いんだよ」
ヒンドゥー教徒の友人が言った。
仏教にも詳しく、日本留学経験もある彼が云うには、ヴェーダを尊びカーストを重んじ戒律の厳格化と苦行を奨励したデーヴァダッタは伝統的なインドの価値観に準じており、人間平等と無常・苦・無我を説いたブッダのほうが、
「レジスタンス的だったんだよ」
じつは、数年前に交わしたこの会話が、拙著『反骨のブッダ』執筆動機の一つになっている。彼の示した視点に立てば、ブッダ滅後のインドで仏教がどんどん〈ブッダから遠くなっていった〉経緯の背景に横たわるものの輪郭が、朧気ながら見えてくるように思えたのだ。そして、仏教滅亡の歴史を再考することは、寺院の消滅すら語られる今日の日本を考える上でも重要なことだと思えた。
また、あまたの仏典において「豪も白法なき諸悪の首」とされる大悪人:提婆達多が、仏教の故国インドのヒンドゥー教においてはむしろ常識人とも見なされ得ること、そのデーヴァダッタ(調達とも音写)を日本の親鸞が、
「浄邦縁熟して調達、闍世をして逆害を興ぜしむ」(『教行信証』総序)
「提婆尊者」(『浄土和讃』)
と称えたことに、ありきたりな「教祖伝の悪役」で片付けてはならない人間デーヴァダッタ…例えば映画『沈黙 ~サイレンス 』のキチジローのような…を感じていた。
あえて口はばったい言い方をすれば、仏教徒各人がそれぞれに、
《みずからの内なるデーヴァダッタ》
を見失った時、仏教は滅亡に向かって滑り落ち始めるのではないだろうか。

閑話休題。
昨年末に日本で公開され、瞬く間に社会現象まで巻き起こした南インド映画『バーフバリ 王の凱旋』。私は、初日の初回上映を見に行って度肝を抜かれたと同時に、僭越ながら、我が意を得たり!と膝を打った。年明けに発売を控えていた『反骨のブッダ』で記したインド人の誇張癖、つまり〈盛り〉の文化が、徹底的に遺憾なく発揮されていたからだ。
しかも、テルグ語の台詞の随所にサンスクリット語が登場し、例えば「クシャットリア・ダルマ(武門の務め)」などは、ブッダ・ダルマ(仏法)との対比で考えると、仏教がインド社会にもたらしたその革新性が映像体験の実感を伴って理解できるはずだ。
さて、『バーフバリ』前後編にはインド神話の定番が様々なかたちで織り込まれている。『~王の凱旋』で物語の開始早々アマレンドラが暴れ象を鎮めるシーンなどは、ブッダの伝説にも同様のモチーフが使われている。ブッダ殺害を企てたデーヴァダッタは「酔象」をけしかけて踏み殺させようとするが、ブッダは暴れ象に偈を説いて鎮め、象は「聞き已りて 即ち前んで長跪し 如来の足を舐めぬ。その時 彼の象 即ち以て過を悔い 心自ら寧らず 即便に命終して三十三天に生ぜり」(増壱阿含経)。
しかし、凶暴化した象さんが偈(ポエム、歌)を聞いて後悔の念から即死する、とはいかにもインドの〈盛り〉文化!といえよう。大衆部初期の経典と見られる増壱阿含においてさえ、この過剰演出である。ゆえに『バーフバリ』が、大乗仏教を理解する上でも必見の作品であることは重ねて記す必要もなかろう。また、『バーフバリ』の悪役バラーラデーヴァ王は、
「あんな生き方しかできなかった提婆達多」
を知る上で、最良のヒントをくれるようにも、私は思えるのだ。

【写真上】日本公開『バーフバリ 王の凱旋』パンフレット裏表紙より
【下】拙著『反骨のブッダ』書影

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