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『反骨のブッダ』

  • 高山龍智: 『反骨のブッダ』インドによみがえる本来の仏教(コスモトゥーワン出版)

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2007年12月

*謹賀新年*

ワシは12月27日から1月6日までインドへ行っておりますので電脳寺は留守
します。現代仏教の中心地「南天龍宮」ことナグプールで、佐々井秀嶺師や
インド仏教徒たちとの紐帯をさらに強めて来ようと思っております。

デリーやムンバイなど都市部なら携帯を使ってこのブログに現地実況などを
UPすることもできますが、なにしろナグプールは僻地ですので無理っぽい。
つ~か、停電が多いのでバッテリーのほうが心配なのよ。わはは。

ということで、その間コメントやメールには返信できませんので、悪しからず
ご了承くださいませ。

来たる平成二十年、皆様の御多幸と御健勝を念じ上げます。

『男一代菩薩道』

フジTV系で放送された佐々井秀嶺師の特集番組が本になった!
著者の小林三旅氏は、ハンディ・カメラ一台を担いで佐々井師に密着取材を
続ける若きテレビマン。佐々井師は、シャイで繊細な小林氏の人物を評して、
「彼には根性がある。私が信頼するジャーナリストは写真家なら山本宗補さん、
テレビなら小林三旅さんのふたりだ」
と太鼓判を押す。至近距離から佐々井秀嶺師の息遣いひとつひとつを、丹念
かつ敬愛を込めて拾い上げた小林三旅氏の報道は、資料的見地からも貴重
この上ない。
拙HP、『サイバーテンプル電脳寺』でまだ紹介していない佐々井師の一面や、
仏教徒の肉声を伝えるインタビューなど、読み始めたら止まらない面白さだ。
これで定価千八百円(税別)は安すぎるぞ。

<『男一代菩薩道』 インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺>
アスペクト社刊

汝、速やかに書店へ行け!

忘年会の謎

本来あるべき忘年会の形は、散会と同時に一年が終わり、除夜の鐘が鳴り渡る
冬の巷を千鳥足で家路を辿る、というものではなかろうか。
いつだったか、お釈迦様が悟りを開いた仏教の根本聖地ブッダガヤで大晦日を
迎えた時、ワシはチベット難民が経営する大衆食堂にいた。店の隅に置かれた
テレビにはNHK国際が映り、除夜の鐘の実況中継が流れていた。
白い息を吐きながら撞木を振る僧侶がアップになる。ワシは画面を指して、隣の
椅子に座るチベット青年に日本の風習を説明した。興味なさそうに顔をそむけた
彼は、店の入口に立つ化粧の濃いチベット女性へ目配せをして、出て行った。
(・・・売買春、か)
これも現実だ。チベット人の難民生活は、すでに半世紀になんなんとする。

かねてからワシには、忘年会が抱える矛盾について、釈然としない点があった。
二次会、三次会までやって、まだあと何日も残っている場合だ。
忘年会終了から大晦日までの期間、一体どのように過ごすべきなのだろうか。
ネクタイを頭に巻きケツに割り箸を突っ込んで、部長のカツラを奪い取り股間に
当てながら新人OLと躍り狂った狂乱怒濤の記憶を、どうやって背負うのか。
やはり、日本伝統の精神文化『ハレとケ』なのであろう。
一年最後のハレたる忘年会で起こったことは、断じてケの生活に持ち込んでは
いけないのだ。部長のヅラは毛が無いゆえのツールだが、なにがあってもケの
話題にしてはいけない。生え際や襟足を、五秒以上凝視してはいけないのだ。

忘年会に関して、苦々しい思い出がある。
百貨店やプロ野球で有名な某資本グループが経営する巨大霊園でのこと。
ある年末、施主の依頼でそこへ出向いたワシは、約束より早く着き過ぎたため
車の中で時間を潰していた。やがて駐車場の空きスペースに一台の高級車が。
運転していたのは、青々と頭を剃り上げた新米僧侶。
「おはようございます☆」
車から降りて来てワシに挨拶する。おー、爽やかじゃのお。青春じゃのお。
「こないだの忘年会は、すごかったっすよねえ。僕、あんな豪華な料理やお酒は
初めてですよ。さすが天下のSグループっすよねえ♪」
は? なんのこっちゃ。どうやら文脈から察するに、この青年僧は霊園経営者が
催した『関連業者向け接待忘年会』に参加したらしい。
き、きみね。これから仏道を歩む者が、業者接待に浮かれてちゃいかんだろお。
若者はもっと志を高く、そして魂を清らかにだなあ・・・。
「今から新年会が楽しみっすねえ♪」
そこへ、いかにも大企業のビジネスマン然とした霊園職員が通り掛かった。

青年僧はすぐさま駆け寄って、深々と四十五度のお辞儀をした。
「おはようございます☆」
へがふんぬぐおわあぁぁぁぁ~ッ!(こっぱみじんに吹き飛んだワシ)

阿久悠で育った

一年をふりかえる時期になった。いくらワシの辞書に「不可能」と「反省」の文字が
載っていなかろうと、少しぐらいは来し方を見つめようという気になる。
てなわけで、今年読んだ本の中からひとつを取り上げ、それを軸にしてあれこれ
案じてみようかと思う。
 <阿久悠 『歌謡曲の時代 ~歌もよう人もよう~』 (新潮社)>
八月、浄土往生を遂げた作詞家の阿久悠氏が、三年程前に刊行した随想集だ。
逝去の報にふれたあと、ふらり立ち寄った書店で手にし、購入した。
ワシにとって阿久悠氏の記憶は、あの伝説的オーディション番組『スター誕生』で
地方から出てきた歌手志望の少年少女たちを鬼瓦の如き形相で批評し、時には
泣かせてしまうほど打ちのめす、一番怖い審査員のおじさん、だった。
ワシは “スタ誕” 出身の歌手では山口百恵の熱狂的ファンだったので、デビュー
当時の彼女が歌った千家和也氏の詞のほうに、自覚的な親しみを持っていた。
だが、阿久氏の『歌謡曲の時代』を読み、ワシがまぎれもなく「昭和の子」であり、
阿久悠チルドレンであったことを、今更ながら改めて思い知った。

氏は言う。
「昭和と平成の間に歌の違いがあるとするなら、昭和が世間を語ったのに、平成
では自分だけを語っている、ということである」
別の箇所で氏は、昭和にあって平成にないものとして「秩序」や「常識」を挙げる。
秩序や常識という「世間」の背骨が、例え見た目にはどんなにみっともなく無様で
あろうと、日本人の無意識に一本貫いておらばこそ、歌謡曲は、生きる。
歌謡曲が生まれず、生きられないこの平成という時代は「不幸な時代である」と。
「今は、歌が痩せてしまった」
とも氏は言った。平成日本人の骨格からは、情念の血肉がこそげ落ちている。

沢田研二、ピンク・レディー等、昭和を担ったスター達のほとんどが、阿久悠氏の
手による歌詞で時代を作っていった。それらを完全に網羅・列挙すれば、辞典が
出来るほどだ。生涯五千篇以上もの歌謡曲を、氏は書き続けたのである。

やはりワシは、阿久悠で育った。阿久悠の歌詞世界に憧れて大人になった。
ふざけて困らせるつもりはないのに、愛に照れてしまう。
懺悔の値打ちもない生き方を、これじゃダメだと思いながら繰り返す。
ところが思い込んだら、どうにもとまらない。

そして、悩みの中で希望の匂いを感じ、あの鐘を鳴らす誰かを信じている。

猫のON返し

先日早朝、境内の一角に立つ石塔の下に、見慣れぬ手提げ袋を発見。鉛色した
冬の払暁に似合わぬ脳天気な色柄が、視野の中で文字通り異彩を放っていた。
なんだろう?と寄ってみると、某有名ファッション店のロゴがでかでかと自己主張
していた。こ・・・これはまさか?
「サンタしゃんだっ!サンタのじーさまが、今年一年良い子で過ごしたこのワシに
ご褒美のぷれじぇんとを一足早く届けてくれたにちがいない。聖ニコラス司教とは
坊さん同士で謂うなれば同業者みたいなもんだから、インサイダー的に優先して
くれたわけだ。神仏に感謝☆アーメン、なんまんだぶつ」
凛とはりつめた師走の朝、作務衣姿のスキンヘッドが、境内で軽快な阿波踊りの
ステップを踏む。サンタしゃんと大黒さまは、メタボおじさんが袋を担いでいる点に
おいて宗教の壁を超越している。ちなみに大黒天とは、ヒンドゥー教のシヴァ神が
仏教に取り入れられた神格。袋を持たない方の手には打ち出の小槌か、拳固を
握って親指を人指し指と中指の間に挟み込む。いわゆる「オ○コ」のサインだが、
これを正式には『大黒拳(だいこくけん)』と呼ぶ。
ともかく、サンタしゃんからのくりしゅましゅぷれじぇんとだぁ~♪

派手な手提げ袋を覗き込むと、中にはさらにビニールの包みが。
サンタしゃんってば、朝霜に濡れないよう、丁寧にパッキングしてくれたのね。
と、その時ワシの本能が警戒警報を鳴らした。なんか変だぞ。
静かに指を差し込んで、ビニール包みを軽く押してみた。ぷにッ。やらけえ。
先に増して、本能の警報が高らかに鳴り響く。かなりやべえ雰囲気。
一度深く息を吸ってから、ままよと意を決し、ビニールの一部を開けてみた。
「うげ~ッ、マジかよ。猫の死骸じゃん!」

これも何かの因縁と、線香を炊いてお経を読んだ。
ペット専門火葬業者に連絡し、焼いてもらう。つかサンタ、代金払えよ。
「最後に和尚を頼って来たんじゃないですかね、この猫は」
業者さんが云う。その言葉を聞いたワシは、もしや新たな展開が始まるのでは
ないか、と淡い期待に胸をときめかせた。

『猫の恩返し』
聖夜、ネコ耳コスプレのグラビア・アイドルが現れ、胸の谷間見せつけポーズで
せくすぃ~なぷれじぇんとをしてくれるのではなかろうか。
火葬を終えた御骨を石塔の下に埋めながら、ワシの手は、大黒拳を握っていた。
(ンなわきゃねーよ)

教育マニフェスト

コトバの周辺に立ちこめる抽象的空気が独り歩き始めると、コトバそのものが
本来示す意味とは別に「そーゆーもんだから仕方ない」的な権威を生む。

あの『西遊記』で有名な玄奘三蔵は、インドから持ち帰った経典を翻訳する際、
重要なサンスクリットの単語については意図的に訳さず、当て字を使う、という
基本姿勢をとった。般若心経の「般若波羅蜜多」や「掲帝掲帝」などが代表で、
梵語の “PRAJNYAPARAMITA” と “GATE GATE” に当て字をしただけだ。
敢えて訳せば「智恵の完成」と「達せし者よ、達せし者よ」になるが、そうすると
人間は、各自の語彙に伴う先入観や既成概念で理解してしまう。
ならばいっそ翻訳せず、原語の持つ雰囲気に「無言で語らせる」ほうが余計な
誤解を避けられる、そう玄奘三蔵は考えたようだ。
(例えて云えば、海という単語ひとつ取っても日本海沿岸で生まれ育った人が
描くイメージと太平洋岸で生活する人が懐くそれとでは、大きく異なる)

現代日本社会に於いて、般若波羅蜜多よりアリガタイ経文として完全に定着
している言葉が、「マニフェスト」だ。
嘆かわしくもあさましいことに、いったん使われ始めたら、あれよあれよという
間に根を張った。しかも特徴的な点は、公約、という本来的意味とはまったく
別の空気を身にまとってしまったことだ。クールに観察すれば分かることだが、
やたらマニフェストを掲げる連中に限って「公共心」に欠けている場合が多い。
奴らにとって関心事は、自陣営の利害損得。つまるところ「私約」なのだ。

首都圏の某自治体は、公立小中学校にマニフェストを出すよう指示している。
だが、今まで「自由平等」を歌い文句に、ひたすら無秩序化へと邁進してきた
公立校に、公約なんざ求めるほうがおかしい。あそこは、私約の牙城だ。
そして学校側が提出したマニフェストは、案の定、子供の自主性やら個性尊重
といった経文の羅列。とりわけ失笑を禁じえないのは、
「若手教職員の育成を図るため、教育委員会主催の研修を活用したりメンタル
チームを組織したり、校内研修を実施していきます」
これのどこが公約なのか。ガキに子供を預けろ、と言いたいのだろうか。
「課題に向かって協力し合える、人間関係の確立を大切にします。やりがいと
自信が持てる研究活動を推進します」
念のため、若手教師育成のためのマニフェスト。子供の指導要領ではない。

おこがましい言い方をするが、教育とは、本質的に『公約』なのである。
子供の未来をおおやけに約束することだ。

再々度、一向一揆じゃあぁぁッ!

99年の開設以来、旧式CGIに鞭打って『お気楽新聞』、『てやんDay!』と名称を
変えながらコラムを書き続けてきたが、今秋ついにスクリプトが大破。やむをえず
某サイトの無料ブログを借りて『てやんDay!』ブログ版を再出発した。
ところが、師走を迎えた或る日、突如として不具合に見舞われ、およそ三カ月間
書きためたログが完全消失!嗚呼、木っ端微塵。南無阿弥陀仏。
そこで今回、かの有名な「ブログ女王」もいらっしゃる大手サイト:ココログさまの
軒先三寸借り受けまして、再々度の出発とあいなりましたる次第。
皆々様方には倍旧の御愛顧を賜りたく、隅から隅までズズズイィーっと、よろしく
御願い申し上げ奉りまする。

今年、ビルマ(ミャンマー)仏教の僧侶たちが銃火をもとのもせず自由と民主化を
求め立ち上がり、仏教の本国インドでは、身分差別撤廃と平和を訴える「全印度
法兵軍(All India Dhamma Sena)」が法戦布告の烽火を上げた。
日本国内の “すべてが揃っているため情熱を持てない” 冷めた空気と違い、いま
大きな歴史の流れは『仏教が一番熱い』その「とき」を迎えつつあるのだ。

ミャンマーで凶弾に倒れたジャーナリスト、故長井健司氏の葬儀(10月8日)に参列
して見たものは、場所柄もわきまえずに “写メ” をしまくる一部の心ない弔問客の
姿だった。なかでも、御高齢と病躯を押して五百名を越す参列者一人一人に挨拶
する長井氏の御両親を、シャッター音も高らかに撮りまくる「市民」がいた。
文字通り、写真に命を賭けて亡くなられた長井氏の葬送に際し、それはあまりにも
見苦しい光景だとワシには思えた。

ブログは、情報伝達速度の面において、現在最も早いメディアだろう。
だが、速さは往々にして「浅さ」を伴う。
そのうえ恐るべきことに、浸透力や波及力は、浅いほうが効率的なのである。

本日よりブログ版『てやんDay!』を再々出発するに際して、長井氏の葬儀で見た
あの「悪意なき写メ市民」を反面教師として、肝に銘ずる所存である。

では皆の衆、コトバの竹槍は準備よいか?・・・再々度、一向一揆じゃあぁぁッ!

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