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2008年1月

か弱き神々

現代日本の必勝法、それは「ワタシってココロが弱い」と相手より先に宣言して
しまうことだ。もう、心さえ弱ければ天下無敵なのである。例えどんなに地位や
権力や財産や肉体に秀でていようと、心が “強かったら” 負けだ。
「あの人は心が強いから」
万が一こんなことを言われた日にゃ、社会的に抹殺されたようなものだ。協力と
連帯の対象から除かれ、好きにガンバってれば?とまるで全自動家電のごとく
“やって当然” の扱いを受ける。心が強い奴は人間じゃないのである。
以前に流行した「負け犬」女性などはこの典型で、なまじ心(意志)を強く持った
がために、男社会が好むオンナの役割から距離を置く形となり、その結果として
弱者宣言(=勝利宣言)するタイミングを逃してしまったわけだ。
民俗学をひっぱりだせば、これは日本に古来からある『祭り上げ』信仰である。
自己主張を罪悪視するわが国で強い力は周囲との軋轢を生む。ゆえにその者を
祭り上げることで有効利用し、他の者たちがちゃっかり恩恵に浴する仕組み。
ヤなことはヤな奴をヨイショしてそいつにやらせとこう、と。

いにしえ、農耕の天敵である田を荒らすキツネに、『正一位』という天皇に準ずる
階級を与えて稲荷大明神にしたのも、この祭り上げ信仰だ。
言うまでもなく本当の神は『弱き民』であり、天皇もキツネも、利用出来る範囲に
於いて、仮に神として存在することが許されるのである。
「うちら一般庶民はなんにも分かりませんからねえ、へっへっへ」
そう口にする時の、あの勝ち誇った表情。考えただけでワシは吐き気がする。

仮の神、といえば『スピリチュアル・カウンセリング』とは一体なんなのか。
敢えて意訳するなら “お化けの愚痴聞き” とでもなるか。
こちらはキツネならぬタヌキのごとき太鼓腹の霊媒師が商売繁盛している。
自分で考えたり悩んだりする「生きるための手続き」を簡略化したい、と思うのは
勝手だが、それは異性を口説けないからフーゾクで性欲処理するのと同じだ。
スピリチュアルとはまさに言いえて妙。スピリットと言い切るにはあまりに幼稚で
拙いから、それっぽいもの、ということだろう。
また、カウンセリングと聞いて無条件に『善』をイメージするのは極めて危険だ。
同調と誘導、そして根本的肯定。ただそれだけのことなのだから。

こっそり白状するがワシはココロが弱い。すご~く弱い。
豆腐の角に頭ぶつけたら、本当に死んじゃうかも知れないくらい、弱い。
こないだ試しに湯豆腐の鍋へ頭つっこんだら、おでこは火傷するわダシの昆布に
足を取られて溺れそうになるわ、そりゃも大騒ぎであった。弱いっ、弱すぎる!

え? 弱いのはココロじゃなくて・・・?

道徳の味方

公教育に於ける道徳授業の教科化が、事実上、見送られるらしい。アホだな。
結局「ゆとり教育」見直しと言いつつ、なぁ~んも分かっちゃねえのだ。
確かにわが国児童の学力低下はかなり深刻である。今じゃ冗談にもならないが、
数年程まで円周率を「おおむね3」と教えていた歴史的事実がある。
詰め込み教育に反発するあまり国際標準の基本常識すら省略してしまう軽挙は、
ちょうど敗戦後、戦前戦中の教育に反発して『教育勅語』を全面否定し、勅語に
示された公共心や地域貢献や家族愛や友情すら「軍国主義的!」と決めつけて
倫理的価値観を解体した妄動に通じている。
ゼロか百か、でしか発想が出来ないのは、本気で考えてない証拠だ。

書店へ行くと『インド式数学教育』を紹介する本が平積みされている。
言いたかねえが、ど~してこ~日本人とゆ~のは、ブームに弱い民族なのか。
インド人が計算に強いのは本当である。指折り数えて両手で四百まで勘定する
技術を持つ。指一本につき、指の頭と二関節と付け根で四。だから片手で二十。
もう一方の手は二十を単位として指一本が八十、それで四百、という具合だ。
だが、インド人の計算力は、往々にして形而上的概念に走ってしまう傾向がある
ことも忘れてはならない。彼らは時間(という数字)に関しては、信じられないほど
ルーズである。なんとヒンディー語では、「昨日」と「明日」が同じ単語なのだ。
宗教の一部に生活がある(生活の一部に宗教ではなく!)インド人から日本人が
学ぶべきは、神仏を敬い伝統を重んじる、精神性のほうである。

昨年、『おふくろさん』騒動でも注目された、何処の誰かは知らないけれど耳毛は
みんな知っている、あの川内康範氏が云う。
「月光仮面は、薬師如来の脇侍、月光菩薩に由来してるんだけど、菩薩は本来、
脇仏だよ。脇役で人を助けるんだ。月光仮面も決して主役じゃない。裏方なんだ。
だから “正義の味方” なんだよ。決して、正義そのものではない」
愚かな人間がみずから正義になろうとすれば、合衆国大統領みたいになる。
大切なことは「正義」という価値観の構築と、そしてその「味方」たらんとする意志
である。ここで氏が言った正義を、道徳に代えても良いのではないか。
道徳の構築とその味方たらんとする意志が、大事なのだ。

「正義の味方は、あくまで味方で、正義そのものではない。だけどね、せめて皆が
正義の味方になれば、この国は間違った方向に行かなくてもすむんだよ」
(川内康範氏)

ワシは生臭坊主だから、身をもって道徳を語れる資格なんざハナっからない。
しかし、せめて道徳の味方でありたいと思う。

運行物語

以下は、是非ともカレーライスを食べながらお読みいただきたい。
わが幼少の砌を振り返ってみても、つくづく子供というのは、『ウンコ話』が好き
なんだな、との感慨をいだく。アラレちゃんが枝で “つんつくつん” する習性や、
おぼっちゃまくんが窮地に陥った時、脱糞することで事態を更なる混乱へ導き、
逆に突破口を切り開くのも、子供世界が『本能』との感覚的距離が近いことの
象徴だろう。なんとなればウンコは、生存の根幹に関わるものだからである。
喰った「米」が腹の中で「異」なる物体に変化するゆえ、「糞」と書く。

あれは幼稚園の卒園式でのこと。
汚れなき歌声が響き渡る講堂の一角で、幼き日の電脳君は、脱糞した。
少々厚めの化粧をした美人で評判の先生が、ピンクの着物に藤紫の袴を履き、
ハンカチで目頭を押さえているその前で、さくら四組の電脳君は、体育座りした
格好のまま、微動だにせず見事にやってのけた。末は大物の器、栴檀は双葉
より芳し、ウンコは幼少より臭し、である。男は黙って脱糞だ。
その時わが脳裏をよぎったのは、いま自分のウンコがどのような状態になって
いるか?という想像だ。座った姿勢で脱糞したのだから、臀部の曲線に沿った
半月型を成して固定され、ちょうど、食べ終えた後のスイカの皮のような形状を
創出しているのではなかろうか・・・。幼心にファンタジックな夢が広がる。
無論、すべては妄想で、美人先生ならびに御父兄各位からこっぴどく叱られた
ことは言うまでもない。現実は残酷である。

数年前、こんなことがあった。
インドでひどい下痢を患い、ふらふらになって帰国した成田空港。
どうやら麻薬密輸の通報があったらしく、バゲッジ・クレームのところをワン公が
巡回していた。利用客ひとりひとりの身体を、入念に嗅いでまわっている。
レトリバー種らしき利口そうな麻薬犬、あろうことかワシのそばへ近付くと、急に
異常な反応を示しはじめた。無理もない、日本では普段あまり馴染みの少ない
スパイシーな香りを放つお尻が、そこにあるのだ。下痢とカレー漬け食生活の
合体攻撃で、ワシの尻は、マリファナより幻惑的な芳香を漂わせていた。

すると麻薬犬、やにわにワシの臀部へ鼻を押しつけてきた。
イメージして欲しい。お尻の三角谷間に犬の三角顔が突っ込まれてる光景を。
Wの下からAがめり込んでいる状態である。
「ふんがふんが、けへけへけへ」
何故か、むせかえる麻薬犬。もしかしてこのワン公、ほんとはバカなのか?

ヤクの匂いがしたら吠えるように躾けられている麻薬犬が吠えなかったために
何事もなく済んだが、正直ちょっとビビッた。

人生の運行を左右するから、ウンコというのである(嘘)。

赤ちゃん王国

非常識に振る舞うことで自己愛を満足させるタイプの人がいる。周囲の環境と
適切な距離を取る能力に欠けているのだろう。酒場で下品に酔っ払うおっさん
に限って、乙女のように小心なことは敢えて言うまでもない。
「僕は今まで仕事(評論家)ばかりして来たから、パンツが家のどこにしまって
あるか知らないし、料理どころか、メシも炊けない」
とはTVで有名な某知識人の弁。念のため、彼はそのことを恥じているのでは
ない。無骨な豪傑をもってみずから任じているのである。家事は女の仕事だと
言いたいのか、それとも単にバカなのか。そんな彼が天下国家を論じ、官僚や
政治家を罵倒し、民族の行く末を憂いて見せるのだから、すべての日本人は
下半身丸出しでミルクをねだる赤ん坊、ということになる。ううむ。

フォーマルな場所で、私語をだらしなく垂れ流したり、見苦しくうろついたりする
大人に出くわすことは珍しくない。ワシの職場に関して言うなら、お葬式の席で
厳粛な空気を破るのは、物心つかない赤ん坊か、おっさん・おばさんである。
むしろ親戚で来てる金髪コギャルのほうが真剣だったりして、その指でお焼香
できんのか?みたいなネイルてんこ盛りの手にストラップ兼用みたいな数珠を
掛けて合掌し、マスカラぐしゃぐしゃ鼻水ぐしゅぐしゅで泣いてたりする。
「もう最近はそんなの略していいんじゃないの?」
儀式の作法について説明する葬儀屋さんを茶化すのは、決まって訳知り顔の
おっさんである。時代に取り残された奴に限って、「最近」を口にするものだ。
読経中、なぜか無性に世間話をしたくなるのは、おばさんの習性。
「あれよね~、急に亡くなるなんて、なんだわね~」
おめえが、なんなんだっつーの。

このあいだ電車に乗ってた時、イカス☆姉ちゃんを見かけた。
iPodを聞きながら足を斜めに揃えて座るその彼女、自信とフェロモンにあふれ、
いかにも「おんなの旬♪」を謳歌している様子だった。ええのお。
やがて彼女は、膝に載せた大きめのブランド物バックから、何やら取り出した。
飲みかけのペットボトルだ。すると姉ちゃん、自然な動作で電車の床へボトルを
置く。そして、それを美脚で隠す。まさか?と思っていると彼女、何事もなかった
かのように次の駅で降りた。マナー云々もそうだが、ワシは少し怖くなった。

地下鉄サリン事件は、もう平均的日本人の記憶の中では、風化したのか。
あの当時、車内に液体の入った容器を放置する者がいたら、たちまち大騒動に
なって警察へ通報されたものだ。

常識は、身を守る知恵である。非常識は、甘えだ。

電話に出んわ(恥)

どうやら、電話セールス業界(そういうものがあればの話だが)には創意工夫や
向上心というものがまったくないようだ。ただ闇雲に電話してマニュアルどおりに
セールス・トークを展開するだけ。こんな知力も体力もほとんど使わない仕事で
人件費と電話代がペイ出来るのであれば、真っ当な商売をしてないのでは?と
つい疑いたくもなる。
そもそもマンションだの墓地だのの高価な買物に、電話だけで興味を示す客が
いるのだろうか。そのこと自体からしてワシにゃ信じられんのである。
「もしもし、電脳寺さんでらっしゃいますか?」
あい。
「本日は△△霊園のご案内です。お墓はすでにお持ちでらっしゃいますか?」
え、だから電脳、寺、ですけど。
「核家族時代になってお墓探しでお困りの方も多くてらっしゃいます」
らっしゃるでしょうが電脳、寺、ですって。
「リーズナブルなお値段でそのうえ永代供養完全保証の当△△霊園は・・・」
つうか電脳、寺!だってば!
「こここ、これは失礼しましたあ~(ガチャン☆)」
ワシは徳大寺有恒か?

ブロードバンド接続に関しての電話セールスも多いが、どおゆうわけだかITとは
縁のなさそうな、かなりアタマ悪そうな兄ちゃんや姉ちゃんが掛けてくる。
「お宅様でパソコンをお使いの方はどなたですか?」
なんで見ず知らずのあんたに家庭内の仕事分担を白状しなきゃいけないわけ?
「インターネットご利用についてとても良いお知らせがございまして」
それは御愁傷様です。
「○○社(有名な携帯電話会社の名前)から委託されておりまして」
ワシはずっと前から××社。でも、あちこちに営業所を持ってる○○がわざわざ
そんな委託をするとは思えないなー。
「お宅様でパソコンをお使いの方は・・・」
あ、今、めんどくさいと思ったでしょ。だけど、そっちは給料のうち。ワシは貴重な
人生時間の一部を奪われてるわけよ。その辺、ちゃんと理解できてる?
「・・・についてとても良いお知らせがございまして」
おどりゃ、しゃべるチンパンジーかっ!

それより腹が立つのは、FAXでDMを送りつけて来る企業である。
お徳用サプライ製品のご案内、って、他人様の用紙とトナーを勝手に使っといて、
これじゃ着払いと同じだろうが。ど~こ~がっ、お徳用だっつうの!

さらば物ノ怪

細木数子のレギュラー番組が、三月いっぱいで打ち切られるそうな。テレビという
近代に於ける仮想共同体のなかで、かつては現実の共同体内部に生息していた
“近所の口うるさいオバサン” の役割を演じてきた細木も、その露出過剰ゆえに
飽きられたのだろう。平成に現れた「異形の昭和」も賞味期限が切れたか。
細木について、好き嫌いで論じる声は多く耳にしたが、宗教学の立場から解剖を
試みた知見は少なかったように思う。学者のプライドがそれを許さなかったのか、
或いは、細木に関心を持つタイプの「市民」には一種の学者アレルギーがあって
専門家の分析を嫌悪する空気が強かったからではないか。
(お坊さんがテレビで有名な細木先生の悪口を言ってるぅ、なんかヤダ~)
たかが葬式坊主のワシでさえ、何度もそういう白い目で見られた。同様の経験は
サリン事件を起こす前のオウム真理教を批判した時にも味わった。
(お坊さんのくせにテレビで有名な教祖の悪口言ってるぅ、なんかヤダ~)
衆愚、といえばそれっきりだが、テレビで有名になれば、物ノ怪も「神」になる。

さて、細木数子は一応、六星占術なる “技” を武器にしているが、それを誰よりも
本人が信じていないことは、例の断言口調を聞けば容易に気付く。
共同体崩壊に伴う帰属意識の揺らぎに応じ、気の強いオバサンが眉唾な占いを
口実に答えを出してくれる、という “芸” であった。
伝統的に見れば細木の立ち位置は『市井の拝み屋』に当たる。かつて日本では
僧侶や神官など正規の宗教家とは別に、世俗社会で生業を持ちながら副業的に
呪術を請け負う拝み屋がいた。「狐や蛇などの憑き物(=ストレス障害)」に対し、
御祓いや祈祷を施して、同時に “カウンセリングもどき” も行なっていた。

「あ、それ当たってる。凄い。先生、そんなことまで分かるんですか?」
細木の番組で台本通りに驚いてみせた芸能人達のコメントは『占術』なるものの
馬鹿げた仕組みをいみじくも物語っていた。
それは当たっている、ということは、それ以外はハズレている、ということである。
占いとは、占われる側がみずから進んで『近似値回答』を探すものなのだ。

ハズした占いが圧倒的に多い事実について、細木数子は、
「悪い結果だったら、占いなんてハズレたほうが幸せに決まってるじゃないの」
と答えている。これで通るなら、何を言ってもOKではないか。

「あたしの(六星占術)はね、宗教じゃない。絶対に違う」
・・・信用しろというほうが無理である。

B(坊主)BOY

丸坊主は楽である。洗顔時は特にその恩恵を感じる。前方からそのまま後へ
シャキンっと一気に移動。これでおしまい。もちろんトニックもムースも不要。
とはいえ、厳寒の時期はけっこうシンドかったりする。冬の払暁など頭が寒くて
目が覚めることさえある。だが、寒風吹きすさぶ中、シーブリーズを塗った顔で
向かい風の中を突き進むと、流線型の風洞実験を如実に体感できる。
「おおー♪ここからこう行って、こう来るかあっ☆」
風を感じる。しかもリアルに。かなりハードに。油断してると風邪を引く。
近頃ではいわゆる『B系』の少年たちがスキンヘッドをファッション化しているが、
本家本元はワシら坊主である。仏教僧侶とは、世間が多勢に流されて「YES」と
答えてしまうことに「ちょーっと待ったあ!」を掛ける立場だ。つまり、その意味で
仏教はHIP HOPであり、読経はメッセージであり、坊主はラッパーなのだ。
例外的に、東西本願寺の真宗教団は門主からして髪を伸ばし、これにつらなる
末寺の僧もたいがい有髪で、一般人より長かったりする。A(アキバ)系だな。

いずれにせよここ数日、むちゃくゃ寒い。空気が鋼鉄のように堅くなってる。
つーことで夏だ。寒さに対抗するためSUMMERの話をする。

坊主頭にとって、真夏は直射日光をダイレクトに浴びるから、むごい。
仏教の故国インドでは、「如何にして “涼” を取るか」が日々の暮らしの最優先
課題なのだが、このため修行の第一は、酷暑に耐えること、とされる。
実際、天竺の夏は、電子レンジで焼かれるが如し。思わずセルフで回転したく
なるくらいだ。むかし『悟空の大冒険』というTVアニメの最終回で、天竺へ辿り
着いた三蔵法師一行が凄まじい暑さにショックを受け、失望した孫悟空が、
「ただ暑いだけじゃないか!こんなとこが天竺か!」
と絶叫する場面があった。たぶん実在の玄奘も内心そう思ったのではないか。

そんなインドの夏。一日中、外をうろついていたワシは、頭の皮が日に焼けて
ベリっと剥けてしまったことがある。あれはちょっと感動的だった。
或る朝、洗面台に立った時、鏡に映った自分の頭に何やら白いものが見えた。
フケか?丸坊主で?それにしてもデカいな。指先で摘むと、剥けた頭皮の断片
であることが判明。ひゃはーっ、珍しいこっちゃ。そぉ~っと慎重に、出来るだけ
大きく取れるようにアーティストの感覚で剥いていく。・・・ぅわんだほぉ♪

ゲットしたマイ頭皮を明かりに透かして見ると、そこには、数知れぬ小さな穴が
開いていた。もちろん毛穴だが、あたかもキッチン・シンクのようであった。

坊主頭は、けっこう遊べるのである。

赤い冬

おめでたい場所を囲む紅白幕のいわれは、赤が誕生(ハレ)、白が日常(ケ)を
意味している。赤は血の色であり、お産に際しての出血から来ている。
逆に、お葬式の鯨幕は、黒が死去(ハレ)、白が日常(ケ)を意味してるのだが、
最近では黒白に代わって水色と白の幕を用いることが多くなった。その理由は
見た目の明るさ、だと云うが、本来的意味合いは失われてしまった。

赤に関して、わが恥を白状しよう。
ワシはかなりの年令になるまで「白系ロシア」の意味をカン違いしていた。
蒙古系黄色ロシア人に対して、スラブ民族系の白人をそう呼ぶのだと、本気で
思い込んでいたのである。かあ~っ、みとっもね~。
ご承知の通り、ロシア革命に反対した人々を、赤化(社会主義化)しなかった
ロシア人、という意味で「白」と呼んだわけだ。年間のほとんどを真っ白な雪に
覆われる彼らにしてみれば、白は忌むべき色であり、赤は温かい炎や太陽を
イメージする幸福の色だったのである。社会主義は「冬そのもの」だったが。

赤に関して、良い思い出もある。
甘くほろ酸っぱい青春の、小さな恋の物語。
あれは中学のスキー教室。体育授業の一環で冬休みに一泊二日、ゲレンデへ
出掛けた。単細胞なワシのテンションは、往きのバスの中で、はや臨界点に。
「うおぉぉほぉーッ、どぉけどけどけえぇぇぇいッ!」
満足にボーゲンも出来ない状態で、先生の制止も聞かず銀世界を直滑降する
馬鹿少年ひとり。滑り始めてから止まり方を知らないことに気が付くのは、今も
同じだ。自業自得。途中でコケて助かったが、案の定、足を捻挫。
ロッジの部屋で天井を見つめながら反省していると、誰かが扉をノックする。
「えと、電脳くん、おなかすいてると思って、あたし、作ったから・・・」
同級生のA子がお盆を手にやって来た。
「チキンライス、嫌いじゃないよね、あの、食べてみて・・・」
A子の存在はそれまでまったく気にしていなかったが、冬の魔法か、突如として
眩いばかりの美少女に見えてきた。心拍数急上昇。恋愛大明神の御降臨。
遠慮なくいただく。もちろんチキンライスを、だ。きょうびのスレっからしたガキ共
みたいに「Hで始まる恋もある」なんて、ぜってぇありえねー時代だった。
味は、いや味わってはいけない。女の子の手料理はひたすらガツガツ喰うのが
男の義務である。食事は本能の猛りであり、味覚は官能なのだ。

窓の外は一面の銀世界。
ロッジの部屋には、ストーブより温かい恋の炎。雪の白。チキンライスの赤。
でも、ただそれだけ。手も握らなかった。そんな、赤い冬の思い出。

三成でポンッ☆

今日、つれづれなるままに、柿を喰いながら思った。

武将石田三成は天下分け目の戦に破れ、東軍に捕らわれて
刑場へと引き据えられた。盛者必衰の理である。
敵方が「武士の情」で末期のはなむけに柿をひとつ勧めると、
三成はそれを断って、こう言ったという。
「柿を食べると腹が冷える」
死に臨んでも、将たる矜持を貫いたわけだ。ダンディズムね。

だけど、喰ってたらどーなったんだろ、とワシは考えた。
お腹こわしてたら?
首が刎ねられてポーンと飛んだ瞬間に、下痢ッピー。

上がポーンで、下はピー。
・・・なるほどなあ。こりゃかなりシュールだわ。
合掌。南無阿弥陀仏。

優しい日本人

ワシはよく自戒を込めて「中年叩き」をネタにするが決してヤング連中に媚びて
いるわけではない。古代遺跡にも刻まれていたという “今時の若い奴らは” に
つらなる愚痴の不毛を恥じるからだ。そもそもワシの青年時代たるや思い出す
だけで赤面、硬直、汗顔、痙攣、阿鼻叫喚の淫堕裸曼陀羅であり、他人様の
ことをとやかく言えた義理ではない。へえへえ、ワシゃ~外道でござんすよ。
が。今回は匹夫の勇を奮い、一部の「ヌルい」若けえもんに諫言する。
・・・生き延びたければ爪を研げ!

日本人バカップルが、インドの空港でイミグレ行列の先頭にいたと思いねえ。
わが国の交通機関のように時間通りにはいかないのが当然の異国で、しかも
テロ対策のため厳重なチェック体制が敷かれ、また滑走路や機器の点検等に
よる遅延で各国行の出発便が一斉にチェック・インを開始した、と思いねえ。
言うまでもなくイミグレには長蛇の列。白や黒や茶色に黄色、あたかも人種の
見本市の如き様相を呈していた。その先頭に、若き日本人カップルがいた。
スキだらけ。そのくせ妙に怯えた空気を漂わせている。案の定、ふたりに目を
付ける奴が現れた。外国ではごく当たり前の、“横入り野郎”  だ。
「Excuse me, I'm so busy なんたーらかんたーら」
腕時計を示しつつ、急いでいるから先に入れてくれ、と言っている様子。
カップルの男の方がカノジョの手前、親切なところを見せたかったのか、なんと
素直に応じてしまった。あーあ、収拾つかなくなるぞ。
予想どおり、今度は家族連れがふたりに交渉開始。訴える口調で泣き落とし。
男が身振り手振りで(わかった)と答えようとしたとき、ふたりのすぐ後ろにいた
アングロサクソン親父が、キレてしまった。
「Please, say no! You look that line がぎぐげご!」
しかし今度は女の方が、ほっぺをフグのように膨らまして、不満たれブー。
「いいじゃん。優しくないあ、外人って」
もしも~し。あのね、キミたちもここじゃガイジンなのよ、わかりゅ?

その後バカップルは、待合室の売店で、使えない日本円で買物をしようとして
店員と揉めていた。仕方なくワシは両替と通訳を買って出た。
ふたりとも単にガキなだけだが、意識の根底に平和ポケ国民特有のヌルさが
ベットリとこびりついている。タフさの伴わない優しさは、自己愛に過ぎない。

「ありやとございした~♪」
帽子をかぶったまま礼を言う彼らに、生きて日本へ辿り着くことを念じた。

味修羅ん

ローマ字で書けば東京築地の老舗と同じになる日本料理屋が、ニュー・デリーと
カトマンドゥにある。外人さんにゃ日本語の店名ロゴは読めないし、老舗のほうは
日本人でも滅多に行けない高級料亭だから、異境の地で和食に飢えた同胞なら
うっかり釣られて暖簾をくぐる、とでも踏んだのだろうか。これがNYやロンドンの
街中であれば、“日本通” のインテリ白人あたりにすぐバレるだろうが、なにしろ
インドとネパールである。まず客自身が店に入る前からカルチャー・ショックやら
乞食の集団攻撃やら下痢やらなんやらで、正常な判断力が低下している。
だから、フェイクで通用する。
ちなみにその店のイニシャルは「T」。東京築地の名店は最初の一文字が漢字で
次に平仮名二文字の、計三文字。なんちゃって、のほうは平仮名で三文字。
かなりあざとい。フェイクの経営者は日本人だから、確信犯だろう。

南天竺超激辛カレーの日々に正直食傷していたワシは、十数年来の友人と共に
“なんちゃって” の暖簾をくぐった。以前も何度か訪れたことはあるが、たいがい
ヒマラヤで高山病に罹ったりして健康を害していた時だったので、和(風)食との
再会を単純に喜んでいた。今回は浅はかにも、味わおうとしてしまった。
注文したのは、幕ノ内弁当。インドの友人も同じ物を頼んだ。
(・・・なんじゃこりゃ)
首都のデリーゆえ物価は高い。それにしても、値段にそぐわぬ出来損ないだ。
日本円でざっと1500円。インドの公務員平均月収の、約1/8強。続けて一週間
喰ったら、すってんてんになる計算だ。それで、この味かあ?

つい先日までナグプールの「元不可触民」仏教徒達の極貧生活を目の当たりに
していたワシは、彼らに対し、申し訳ない気持ちで一杯になった。
食傷、などと言ったが、彼ら仏教徒はこのワシに供養のカレーを食べさせるため、
家族の誰かが一食抜いていたのだ。

デリーの友人は、店のテーブルに置いてあった七味唐辛子を、フェイク幕ノ内の
白い御飯が真っ赤に染まるほどぶっかけて、こう言った。
「うんうん、イケるイケる。七味って、インド人の口にも合うね」
・・・ “のりたま” じゃねえって!

佐々井師登場!

今週発売中の『AERA』(08.1.14号)に、ちょっとだけですけど
佐々井秀嶺師が取り上げられてます。写真は一枚だけだし、
記事内容もわが電脳寺で既に紹介済みのことばかりですが、
よかったら覗いてみてください。

ブット暗殺の陰に

ワシがちょうどインドへ到着したその日、隣国のパキスタンでブット元大統領が
暗殺された。わが国ではどの程度まで報道されていたか、不在だったワシには
知る術もないが、かつて同一国だったインドでは大騒ぎになっていた。
現ムシャラフ政権は軍事クーデタで成立した。背景には、イランのホメイニ師に
端を発する『回教復古運動』の流れがあり、アフガニスタンのタリバンを支えて
いたのは、パキスタンの武力供与だった。
ブット女史とその陣営は、中国の軍事力を後ろ楯にして、インドとの緊張関係を
保ちつつ、政治面では民主化=反イスラム化政策を進めていた。ただしこれは
冷戦崩壊後の価値観変動に応じたもので、西側諸国が懐く民主主義のイメージ
とは違い、世俗化(=神権からの離脱)であって、言うなればサダム・フセインが
目指していた政治に近いといってよい。実際、ブットが権力の座にいた当時、
「彼女はファシストだ」
と非難する声も少なくなかった。薔薇の如き美貌は、辣腕の刺を備えていた。

以上は事実。以下はあくまでワシの憶測であることを断っておく。
暗殺事件の数日後、ブットの息子氏は記者会見で開口一番、こう言い切った。
「My mother also said, “Democracy is best!”」
ワシはこのスピーチを聞いて、(あー、やっぱねー)と思った。
事件の背後構造を『民主化 VS 反民主化』の図式に納め入れようとしている。
つまり、合衆国がイラクやアフガンを攻撃した時と同じ思考の枠組みに、世論を
誘導しようとしているのだ。
<反ブット派=ムシャラフ政権=イスラム過激派=アルカイダ>
母君を殺された悲嘆と苦痛は、部外者が四の五の言える事柄では到底ない。
だが期せずして、わざわざ危険を冒してまで帰国する決意を彼の母親に促した
黒幕の存在を、図らずも匂わせる結果となった。

ムシャラフにとって、ブットは、目障りでも死なれちゃ困る存在だ。
「神を蔑ろにする独裁者から祖国を救った」
これが現クーデタ政権にとって唯一の正当性なのである。
いわんや、テロによる殺害であればアメリカの軍事介入に口実を与えてしまう。
そんな自分で自分の首を絞めるようなことをするわけがない。

ブット暗殺の陰にアメリカあり。
くどいようだけど、憶測だよ、あくまでも憶測ね。
えーと、その国に安全保障を依存してる国がいたっけな。どこだっけ・・・あ?

要注意人物?

本日、無事帰国しました。今回はさらにCOREで濃厚な天竺の原液にどっぷりと
浸かって参りました。ガイドブックや団体さんの大名旅行で見えるあの国の姿は
虚像に過ぎません。まぁ、観光も産業のひとつですからね。
さて、小泉政権時代にブチ上げられた観光立国宣言、「ようこそ!ジャパン」。
当時は空港の至る処で目の細い白髪おじさんが両手を広げてる姿に出会った。
その後、約一年ほど「なんで僕、ひきうけちゃったんだろ?」的な迷いを瞳の奥に
漂わせた没落貴族がそれを勤めたが、ひょうたん眼鏡じゃキャラのインパクトが
絶望的に弱いせいか、現在はSUSHI、TENPURA、GEISHAGIRLになってる。

一昨年、パスポートの更新に行った時、呆れる経験をした。
言うまでもなく旅券とは、政府が身元を保証する世界で通じる本人確認証だ。
その更新に、有効期限がまだ数カ月残ってる現物をほかでもない写真の本人が
携えて出向き、しかもこれまた本人確認証たる運転免許証まで持参していながら、
ぬわんと、受付係サマはこうのたまったのである。
「えー、電脳さまは、住基ネットを拒否しておられるようですので、住民票をお持ち
いただいてからのお手続き、ということになります」
ん?  パスポートと免許の写真と実物を見りゃ、本人って分かるでしょ。
「住基ネットをご利用なさっていれば、すぐに手続きができるんですがねえ」
だ~からあ。パスポートは国際身分証、免許も似たようなもん。そこに付いている
写真は本人確認のため。その写真の実物が、今あ~たの前にいるわけよ。
「え、ですが」
ワシは  “おねえキャラ”  じゃないし、高須クリニックにも行ってない。
「住基ネットが・・・住民票が・・・」
もしかてこのワシのことを、ビンラーディンの舎弟だとか思ってませんか。
「○×※$#%△□」
わあーった!住民票ね。なんか権力に屈した感じで、世をはかなんじゃうよワシ。

現在は幾分改善されたらしいが、以上は事実である。
確かに、世界が『テロの時代』を迎えた今、旅券の発給については厳密を期する
必要があることぐらい、充分理解しているつもりだ。
だが、いわゆる「ビューロクラシー」というやつは、どうしてこうも間が抜けているの
だろうか。少なくとも、国際テロ組織の連中は、もう少し知恵がある。

とはいえ、査証欄にインドのヴィザばっかり押してあるワシのパスポートは、誰が
見てもか~な~り怪しい、というのも事実ではあるが。

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