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『反骨のブッダ』

  • 高山龍智: 『反骨のブッダ』インドによみがえる本来の仏教(コスモトゥーワン出版)

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2008年2月

落下美学

この頃、ヒラリー・ロダム・クリントン民主党候補を見ていてつくづく感じるのは、
人間の美学は『落ちざま』に問われるんだな、と。最終結果はまだだけどね。
昇り調子ならば、付加価値的「美」が周囲に漂い、ディテールをぼかしてしまう
ものだが、凋落の坂を転げ落ち始めると、容赦なく化けの皮が剥がれる。
合衆国的マッチョイズムを戯画化した “女の涙作戦” も所詮反則技に過ぎず、
いっとき勢いを取り戻したかに見えたが、落下速度を早める結果となった。
落ちる姿こそ、美が問われる。ガラスを爪で引っ掻くような音を立て、急勾配を
あがきながら滑っていく絵を晒されると、マジにドン引きしてしまう。

典型的WASPの元大統領一家は、理想のアメリカ家庭としてひとつの神話を
西側諸国に配信した。支持者を前にサックスを吹く雄姿は、「新しいJFK誕生」
というハリウッド映画であった。
モニカ・ルインスキー嬢との “不適切な関係” が露顕したとき、ヒラリーの夫は
それまでのイメージから一転、老眼鏡をかけて謝罪文を読み上げた。
「妻と娘を裏切ってしまった・・・」
と言って涙を見せた。よくよく泣き落としが好きな夫婦である。

ちなみに当時ワシは、大統領の不適切行為に同情する気持ちも少しあった。
だって、ちょっと考えてみ。家に、ヒ・ラ・リー・がっ、いるんだぜ。
真っ直ぐ帰りたくないと思うのが普通だろ?

ビル・クリントンの印象演出についてJFKを引き合いに出したが、歴代合衆国
大統領でケネディ家だけがWASPの「P」ではなかった。
弱小な一説に、宗派争いが暗殺を引き起こした、というものもあるが、それは
陰謀論が大好きなアメリカ人の “飲み屋ネタ” であろう。

バラク・フセイン・オバマ候補は、プロテスタントに改宗している。
言うまでもなく父祖の代までイスラム教徒だった。
黒人で回教徒をルーツに持つ候補。従来のアメリカ的常識では絶対にありえ
ない事態だが、『キリスト教 VS イスラム教』の宗教対立が世界人類の未来を
左右する時代を迎え、これを、天の配剤と見るのはロマンに過ぎるか。

ネットに流言蜚語や写真をばらまくネガティヴ・キャンペーンも、アメリカ人好み
なのだろうが、見苦しいかぎりである。
そこでワシの提案。「泣きのヒラリー」に対し、合衆国に選挙権を持つジェロが
オバマ候補と黒人デュオを組んで、「泣きの演歌」で勝負☆なんていかが?

♪ 残ることのない まるで海雪・・・って、シャレにならんわな。

奇跡の国

神奈川県の松沢成文知事が、国に先駆け、県立高校社会科の必修科目に
日本史を組み入れることを決めた時、異を唱えた県教組の某氏は、
「(現状の選択式をやめて)強制するのはどうかと思う。近隣諸国の感情や
国内の右傾化を考えても、いずれは『国史』が復活して “戦争をする国” に
戻ってしまうのではないかとの危惧は消せない」
と言った。世界史が必修であることは強制にはならない、と考えてしまえる
某氏のおつむはワシの理解を越えているが、自国の歴史を遠ざける偏頗な
思想は、あきらかに国際社会の常識に反している。
「うちの国の歴史と文化はこうだが、あんたの国ではどうだ?」
この程度の会話なら、海外ではバーのカウンターで普通に出て来る話だ。

米国同時多発テロのあと、ワシは血迷ってイスラム過激派の爆弾飛び交う
カシミールへ潜入したことがある。平和な日本にいて、口先だけの反戦やら
対話やらを得々と語る連中に虫酸が走り、あやうく飛んで火に入る虫になり
かけた。死なずに済んだのは、現地イスラム教徒の “平和を愛する心” の
おかげであった。本当に、殺されても不思議はなかったのである。
そのとき彼らは広島・長崎への原爆投下と戦後復興の話を聞きたがった。
ワシは手帳を破いて日本の略図を描き、原弾が投下された二カ所を示して、
そこが非戦闘地域の民間居住区であることを説明した。
「ヒロシマは戦場じゃなかったのか?それはジェノサイドじゃないか!」
反米に燃える回教青年たちは、アーリアン系のおおきな目をさらに見開いて
怒りを露にした。
「そんな目に遭ったのに、どうやって日本は短期間で立ち直ったんだ?」
信じられない、とでも言いたげに回教青年が聞く。

日本人はひとりの天皇、ひとつの国、ひとつの精神で団結してたからさ。
自分のためより、ほかの日本人のためになることが大好きなんだ。
日本人はエゴを恥だと思い、パブリックを名誉だと考える民族なんだよ。

そう説明しながらワシは、(今の日本人は違うけど)、の言葉を呑み込んだ。
回教青年に説明したこれら『戦後復興三大原則』をすべて逆転させたものが
現代日本のありさまである。
エゴが大手を振ってまかり通り、恥という概念そのものが失われた。

「たしか、『ゴジラ』の第一作は1954年。ヒロシマのたった九年後だよね?」
日本史を学ぶ、とはそういうことでもあるのだ。

二十七年

三浦和義容疑者が逮捕。『ロス疑惑事件』そのものが風化した現在、寝耳に水と
驚いたのは他でもなく容疑者本人だろう。
前後の経緯を整理しておくと、まず1979年8月に三浦とハワイで挙式予定だった
婚約者の白石千鶴子さんが、同年3月を最後に消息を絶っていた。
五年後ロス市警は、アジア系身元不明女性死体の中から歯科X線調査の結果、
白石さんの遺体を発見する。三浦容疑者は彼女の失踪直後、個人口座から金を
引き落としていた。それについて、
「白石千鶴子さんにはお金を渡してました。その後、彼女からキャッシュ・カードと
暗証番号を書いたエア・メールが僕宛てに届きました」
だから、自分のお金を返して貰うためにおろしたのだ、と言った。
果たして世の中に、これほど都合よく物事が運ぶことなどあるのだろうか。

81年11月、ロサンゼルスで一美さん銃撃事件が起きた。
結果的にこの事件は日本の法廷では無罪となったが、ロス事件の約三ヶ月前に
三浦が内縁関係にあった元女優に命じて一美さんを殴打させた事件では、実刑
判決となった。単純な感想として、戦争中でもないかぎり、特定の人物の周囲で
こんなにまで殺人や暴力沙汰が連発するものだろうか。

三浦和義容疑者を徹底マークした人物に、ジミー佐古田氏がいた。
ジミー氏が抱いた疑念は四点。
1.事件直後、現場で複数人に目撃された白いバンの存在を三浦容疑者だけが
否定したこと
2.強盗に奪われたはずの一美さんのポシェットが、三浦容疑者のバッグに中身
ごとそっくり入っていたこと
3.三浦容疑者の証言が度々変わること。嘘発見器の使用を拒否したこと。
4.一美さんをモデルにポスターの撮影中銃撃されたというが、写真には三浦が
写っており、一美さんにカメラを持たせて注意を反らした可能性があること。

ジミー佐古田氏は1935年生まれの日系三世。
日米開戦の翌年、大統領命令により在米日系人は強制収容所へ入れられた。
氏も子供時代のほとんどを、収容所内で過ごす。氏は父君から、在外邦人として
恥じないよう、「日本精神」や「武士道」を厳しく教え込まれた。
戦後は、敗戦民族に対する差別や偏見と戦い、ロス市警の敏腕刑事となった。

ジミー佐古田氏は日本民族の誇りを賭けて、三浦容疑者を “黒” と睨んだのだ。

チャダ!

近ごろ、「初の黒人演歌歌手」:ジェロ君が話題になっとりますな。
技術的にも達者だし、日本人の血が混ざっているせいかハートが
ウエットで、ちゃんと演歌してる。
まぁ、たしかに black American としては「初」に違いないんだけど、
黄色人種以外の外国人演歌歌手なら、大先輩に、チャダがいる。

ターバンを頭に巻き、あごひげを蓄えたインド人演歌歌手。
なにせ、「印度人ですが」という他の演歌歌手が誰も真似できない
かなり反則っぽい技を用い、1975年、日本の歌謡界に登場した。
彼は苦労人で、インドで日本人を相手に観光ガイドをしていたとき、
自慢の喉を披露したら「歌手にしてやる」とそそのかされ、有り金を
はたいて来日したが、案の定、路頭に迷った。
上野駅周辺でホームレスを経験、その後、縁あって北島三郎氏の
押しかけ弟子となる。つまり山本譲二の兄弟子に当たる。
大橋巨泉事務所に所属し、デビュー曲『面影の女』が大ヒット。
各新人賞に軒並みノミネートされた。

「ナマステ~♪ チャダでぇーす!」
インド式に合掌して首を左右に水平移動する挨拶は、とてつもない
衝撃であった。
当時、『外タレ』といえば、E.H.エリックやイーデス・ハンソンのような
戦勝国白人はいたが、お釈迦様の国から来た演歌歌手である。
日本の中にまだアジア差別が色濃くあった時代を思えばチャダが
味わった苦労は並大抵ではなかったろう。

現在では、東京品川とインドのチェンナイを拠点に、貿易商として
成功をおさめている。

くんばか学園

養老孟司氏と玄侑宗久師の対談本は、我が意を得たり、と膝を打つ箇所が
いくつかある。とりわけ体験と肉体性に触れたくだりは秀逸で、
「オウム真理教の修行なんか、バケツ持って廊下に立たされた経験がありゃ
分かるはずなんですよ。騙されるわけがない。(取意)」
体罰厳禁の民主的学校で育った “良い子” にとって、麻原から指示された
水中クンバカや片鼻呼吸などは、生まれて初めて経験する身体的なストレス
であったろう。理屈抜きに叩き込まれる実感は問答無用の説得力を持つ。

子供の頃のワシは今と変わらぬお調子者で、同級生の女子がキャアキャア
言って逃げまわるのを、さらなるリクエストと思い込み、スカートめくりに夢中
であった。担任の男性教師(空手有段者)は自慢の拳をちらつかせ、
「電脳は口で言っても無駄だからな」
と水の入ったバケツを両手に持たせ、肌寒い廊下に一時限、立たされた。
迫り来る苦痛と孤独に抗うべく、ワシはおのれの行動に論理付けを試みた。
(あれはただのスカートめくりじゃない。ハレンチごっこなのだ)
永井豪氏の漫画『ハレンチ学園』が社会現象を起こしていた時代だったので
ワシはみずからの営為を “共時性” によって正当化しようと企てたのだ。
だが、やがてすべての思考は、肉体的実感の前に完全無化した。
バケツ・クンバカが成就した瞬間であった。

公立学校の教室から「教壇」が消えて久しい。教員の側からも生徒側からも
視認性という点できわめて合理的な舞台装置であった教壇は、
「子供たちと同じ目の高さに立つことが大事」
とかいうカン違いによって学校から駆逐されてしまった。
物理的にも子供は大人を見上げる存在で、『長幼の序』が具現化した構造に
なっている。知識経験、知力体力などあらゆる面で大きな存在だから「大人」
であり、子供と違う「目の高さ」が大人たる資格なのだ。
最近の学校では低学年に新卒や経験の浅い教員を当て、高学年に行くほど
ベテランを配置する。いわゆる “お受験対策” なのだろうが、これでは人間の
基礎を学ぶべき貴重な時間を虚しく過ごす結果になりはしまいか。
理屈抜きに叩き込まなければ伝わらないことのほうが、人間にとって大切な
場合が多い、とワシは思っている。

聞くところによれば、いまや左翼教師の間では「教鞭を取る」という言葉すら
禁句になっているそうな。その理由たるや、鞭は体罰だから、って。

・・・にしおかすみこかいッ!

盾(イージス)

東京近海の船舶ラッシュには凄まじいものがある。久里浜~金谷間のフェリーに
乗ってみると分かるが、あまりの混雑ぶりに肝を冷やす。
輸送や漁労など仕事で操業する船舶に加え、色鮮やかな帆を満々と張って競い
合うヨット・レースの集団もいる。
大型船舶が通り過ぎた後のV字波に小さな船が落ち葉のように揉まれる光景は
傍目にも恐怖を覚える。うねりの高さが操舵室の目線より上なのだ。
ワシは船酔いするタチなので、「船」と聞いただけで腰が引けてしまい、ましてや
それを操縦するなんざ考えただけでもうギブ・アップである。

海上自衛隊のイージス艦『あたご』が漁船と衝突、漁船『清徳丸』が真っ二つに
割れて沈む事故が起きた。
軍船が民間船を巻き込む悲劇は古今に絶えず、近年の大事故では、森内閣が
米海軍潜水艦の急浮上によって日本の実習船が転覆させられた事故の対応に
しくじり、国民の猛烈な反感を買って解散した。加えて事故の最中、森元総理が
ゴルフに興じていたことも、怒りの声をさらに強くした。
「山の中のゴルフ場だったので携帯電話の圏外だったから伝わらなかった」
ちなみに、元総理が遊んでいたのは、横浜市内にある程ヶ谷カントリー倶楽部。
もちろん電波はちゃんと届くところだった。

今回の事故で注意すべきは、一方がイージス艦であることだ。
哨戒索敵を主務とする最新の護衛艦が、漁船を認識出来なかったのである。
イージス艦がイージス(盾)の用をなしていなかったということだ。
漁船を沈めたことは言うまでもなく大失態だが、これが万一、たとえば北朝鮮の
秘密工作船だったら、どうなっていたのか。爆弾や細菌兵器を積んだ突撃艇を
認識出来なかったとしたら。
防衛省の発表によると『あたご』はハワイでの訓練を終え、横須賀港を目指して
いたという。作戦行動中でなかったとはいえ、全方位に複数対象の探知と識別を
する能力を持った国内最大級のイージスだ。周辺海域の船舶の動向には人知と
最新機器をフル稼働して当たっていたはずである。
が。そうではなかった、ということか。

左翼市民団体は「待ってました♪」とばかりに防衛費削減を言い出すだろう。
また “自己責任論” が大好きなネット右翼は、漁船側の不注意を「非国民!」と
ばかりにあげつらうだろう。

ワシは、軍の使命は自国民の「盾」、とだけ言っておく。

朝から及川

いやぁ、日曜の朝から濃ゆいもん見ちまった。たまたまつけた
テレビで新しい五色戦隊モノ
やってて、脳みそ半休眠状態の
まんまぼわぁ〜んと眺めてたら、敵方っつーか悪役っつーか
女首領役に、なんと!元AV女優の及川奈央が出ているでは
ないか。当然のことながらそのコスチュームは谷間ガッツリの
大きく割れた胸元に、太股パッツンの露出系。
いいのか?日曜の朝に。

ここ数年、変身ヒーロー番組はお母さんをターゲットにイケメン
若手俳優の登竜門(オダギリ・ジョー、要潤ら)となっているが、
次はお父さんに照準を合わせた、ということか。
いいのか?アリなのか?日曜の朝に。

今後は展開上、たとえば懐かしの『オールスター水泳大会』の
お約束ハプニングみたいなポロリもあったりするんだろうか?
そんときゃやっぱし、バトルは騎馬戦ってことになりますかね。
いくらなんでもそりゃねえわな、日曜の朝に。

いっそ及川嬢を筆頭に五人集めて「エロ戦隊」なんてどうだ。
だけど、色は全員ピンクだな。元AVだけに。

湯煙浄土

冬は夏に比べて快楽の選択肢が少ないように思う。クリスマスから正月そして
バレンタインと、エロスなベクトルのイベントが立て続くわりには、寒さで制動が
掛かってしまうせいか、中途半端なメルヘンの匂いが漂っている。
これが夏なら、「夏♪」と頭にのせただけで、もう脊髄反射がビンビン、顎下に
したたる汗と淫らな野望でリビドーのマグマが大噴火を起こす。
冬は理性で納得できる “物語” が必要になるが、夏は “やったもん勝ち” だ。
桑田の歌なんて、それだけで三十年以上だもんなあ。

冬といえば、ここんとこワシの楽しみは、『スーパー銭湯』である。
廉価で時間を気にせず脳味噌が蕩けるまでトロピカルに浸れる、サブプライム
時代の「ぷちリッチ」なエンジョイメントだ。
基本料金480円也を払えばそこはレンタル観葉植物の緑に包まれた南の楽園、
流れるチープなBGMがいやがうえにもリゾート気分を盛り上げる。
し・か・も。ワシはイカツイ坊主頭のおかげで、洗い場の空いた蛇口を探すのに
不自由しないという利点がある。湯煙に目をしかめているだけでもかなりコワイ
感じになるので、モーゼの十誡のごとく、ささーっと人波が開ける。
こないだなんかあきらかにそっち系の本職と思われるオアニイサンとふたりで、
仲良くケロリンの洗面器を並べたものだ。世間的には、恐怖のデュオだな。
温泉まで出掛ける時間と金と気力がないワシにとって、スーパー銭湯こそ冬の
娯楽の王様だ。白い鼻緒の雪駄(坊主とヤクザ御用達)は銭湯によく似合う。

温泉。またまた「インド話」で恐縮だが、あちらにも温泉はある。
北西部ヒマラヤ中腹のマナリやマニカランが有名で、たまにダライ・ラマ法王も
つかりに行くそうな。遠く離れた南東部のラージギルには『温泉精舎』があって、
こちらはその昔お釈迦さまが湯治されたという、由緒正しき霊験の湯である。
ワシはマナリもマニカランも温泉精舎の湯も試してみたが、日本的衛生観念に
照らして快適だったのは北西のふたつ。残念ながらお釈迦さまが入った温泉は
お世辞にも清潔とは言えなかった。ましてや今はヒンドゥー教寺院になってる。

温泉精舎で発見したこと。
それは、インド人は温泉につかると慌てる、という驚愕の事実だ。
日本人は普段忙しく働いて、温泉ではゆっくりするが、インド人は普段ちんたら
してるくせに、温泉ではなんか別のスイッチ入ったみたいに、慌てる。
たぶん、暑い国の人だから体の芯まで温まることが本能的に嫌なのだと思う。
だったら来るなよ、と言いたいが、それが彼らのスタイルなのだろう。

お釈迦さまが慌ててお湯をバシャバシャ浴びてる姿・・・。想像したくねえな。

鬼畜米兵

沖縄でまたもや米海兵隊員による婦女暴行事件が起きた。被害者は中学生。
「未成年とは思わなかった」
この程度のアホに最新銃火器を使わせてるのが合衆国だ。成人女性であっても
強制猥褻と強姦罪に変わりはない。そもそも、綱紀粛正や指導の徹底と言うが、
兵器の使用法についてのマニュアルすら充分に理解できない(例えば迫撃砲の
銃身には四コマ漫画でトリセツが描いてある)馬鹿ネイビーに意味が通じるわけ
ないのである。アブグレイブ刑務所で、アルカイダ捕虜に対し性的虐待を加えた
米女性兵士にしても、意識のありようは同じだ。
「日本人が乗った自動車、荷車等はアメリカ軍の車両を追い越してはならない。
違反した場合には射殺もありえる」
これは敗戦後の占領下で実際に公布されたGHQの命令だ。表の歴史教育では
取り上げられないが、かつてわが国は本当に、現在のイラクやアフガンと境遇を
同じくしていたのである。そしてまた、駐留米軍側の基本認識は、占領当時から
六十余年を経た今もほとんど変わっていない。

日米安保条約。日本の軍備を解体し武力外交を禁じたアメリカは、その代わりに
いつでも自分たちが代理戦争をやってやる、と大見得を切った。
こんな “無私の慈善事業家” みたいなことを本気でやる政府があったら、国民は
たまったもんじゃない。見ず知らずの、縁もゆかりもない異民族を守るため危険な
目に遇わされるのだ。そこに裏がないはずがない。
「きっと政府もマジじゃねえよ。それよか銭だぜ。東洋で、酒と薔薇の日々さ」
駐留米軍とは、合衆国政府の雇用対策なのだ。
安保がなかったら北朝鮮の拉致や核の脅威から国を守れない、などと云う声が
聞こえてきそうだが、拉致事件は、今よりずっと国際関係が緊張していた時代に
起きた。核開発もビル・クリントン政権が支援したKEDOによるものだ。
アメリカは、国家の代表たる海外派遣兵士に強姦魔を混入させ、しかも日本から
『思いやり予算』までせしめている。
せめてワシら日本人は、時代劇風に言えば、用心棒の先生をヨイショして最後は
まんまと自分たちだけ美味い汁を吸う悪徳商人、ぐらいにはなりたいものだ。

敗戦直前、首里城の地下に、旧日本軍の第三十二司令部が置かれた。
天巖戸(あまのいわと)戦闘司令部。
昭和十九年三月、そこは大本営直属となり、沖縄は半年もてばよい、と捨て石に
された。同年十一月、皇居を信州松代の地下へ移す計画が始動している。

鬼畜に与する外道ども! 被害者少女の救済にこそ『思いやり予算』を使え!

恥かきツアー

団体パッケージ旅行を好む人が求めているのは、『自分を変えずにすむ』利便性
ではなかろうか。ワシは幼少期の家族旅行や修学旅行を除き、パック・ツアーは
たった一回しか経験がない(それも次回から単独で行くための体験が目的)ので
分かったようなこと言えた義理じゃないが、海外で日本人団体を見かけるたび、
「このひとたちTVで旅番組見てたほうが安上がりじゃん」
と思う。団体の中で日本人のまんま。そう、旅人にすらなっていないのだ。
いまだに相変わらず白い帽子にリュック(猫背)とウエスト・ポーチ(メタボお腹)の
おじさん&おばさん軍団は或る意味微笑ましいが、牧童に従う羊の群だ。
移動の自由が禁じられていた “入鉄砲出女” の時代から日本人にとっての団体
旅行とは必ず出発点に戻って来ることが大前提であった。寺社奉行が発給する
通行手形は、旅券と査証の両方を兼ね、あくまでも元の居住地へ帰着することを
条件としていたのだ。今も日本人の団体旅行者が「自分を変えたがらない」のは
江戸時代以来の伝統文化とも言えるのである。
一方で、「旅の恥はかき捨て」と言いながら、団体行動の制約にしばられることを
みずから選び、メシを喰うにもみやげを買うにも、他の参加者に恥をかかないよう
気を遣う姿には哀れみを禁じえない。まさにそこは『ミニ日本』なのである。

団体ならまだしも、慣れぬ土地でたったひとり恥をかくのは、地獄だ。
先日、所用あって大阪へ出向いた。
環状線の某駅で電車を待っていると、後ろのおばちゃん軍団が漫才を始めた。
単なる世間話なのだが、ボケとツッコミの絶妙な絡みといい、掛け合いの間(ま)
といい、思わず聞き惚れてしまうほど “芸” が完成している。
「あんたンとこのぼっちゃん、いま受験で大変やろ」
「せやから難儀やねん。あのアホ、女子校に行きたい言い出してん」
こんな会話は関東では決してありえない。

車両に乗り込み、空いていたので椅子に腰掛ける。
が、すぐ異変に気付いた。なぜか男が見当たらない。げげっ、マジやべえ!
おばちゃんズの漫才に注意を奪われ、ついうっかり女性専用車両に乗り込んで
しまったのだ。静かに視線を左右に配る。い、いかん。これじゃモロ変態だ。
唯一の救いは手鏡を持っていないことだけ。って、それ救いか?
向かいの席に座ったOLさんの心の声が、波動となって押し寄せて来る。
(このぼんさん、間違えたふりして、ワザとやな)
ネイティヴ発音の大阪弁がワシの脳内をF1のように走り回る。
(エロぼん、エロぼん、エロぼん・・・)

ドアが開いたのでダッシュで下車。振り向きもせずに反対側ホームを目指す。
つか、何から逃げてんだワシ。逆に怪しいって。

風邪の股三郎

小学生時代、盲腸手術で入院した同級生の見舞いへ行った時、病室の白壁に
非日常の空気と言い知れぬ冷たさを感じて以来、今日に至るまでワシにとって
病院とは「近寄ってはならぬ異境」である(無論ナース・コスプレを除く)。
ひとを見舞うこと自体が初めての経験だった当時のワシは、
「あ、これ、おみ、まいです」
緊張のあまり何をどう言ってよいか分からず、時代劇でお代官様にまいないの
カステイラを献上する悪徳商人の如く、持参した『少年マガジン』を捧げた。
あとで聞いたら、同級生は載っていたギャグ漫画を読んで笑ったために縫合が
ゆるみ、傷の治りが遅れてしまったらしい。子供の頃から罪深いワシだ。
「盲腸ってオナラが出たらOKなんだぜ」
クラスに必ずひとりはいる物知りを気取った級友の言葉に、
(ええ〜っ、もし傷口の縫い目からオナラが漏れたら、どどど、どーしよお)
今より少しは素直だったワシは、自責の念にかられたものだ。

大学生時代、講義を脱け出して、真冬のグラウンドで寝転がってたら、猛烈な
悪寒におそわれた。あったりめえだが風邪を引いてしまった。
学食へ行って友人に体の不調を訴えると、すぐさま彼らは尋常ならざる気配を
察し、保健室へ担ぎ込もうとしたが、授業をサボって冬の屋外でお昼寝、という
切ない事情を説明すると、テキトーに寝かせとけや、とばかり近所のアパートに
住んでる奴の部屋へ搬送した。
だが、深夜になってワシの容体が急に悪化し、うわごとを口にするようになると
さすがに心配してくれて、数人がかりで病院へ運んでくれた。解熱剤を打って
もらい、座薬の頓服と氷のうを渡されて、部屋へと戻った。

氷のうは頭と喉用、両腋用に、そして股間用があった。
コンビニなんか無かった時代だから、友人たちはあちこち駆け回って氷を調達
してくれた。さて問題は、座薬の投与と股間の氷のうをどうするか、だ。
いくらなんでもそれは恥ずかしいので、ワシは熱に浮かされた状態で便所まで
這って行き、朦朧とした意識のなか座薬をケツへ、氷のうを股間へと当てた。
そこで、記憶が中断した。

後日、学食はワシの話題で持ち切りだった。
下半身丸出しで便所の前にひっくり返り、股間に氷のうと陰のうをぶら下げて
うわごとに「オンナが欲しい」と口走っていた、というのである。迷惑料か。

以来、風邪にだけは気をつけるようにしていたが、ここ数日の凄まじい寒さで
ついにヤラレてしまった。明日は、大阪まで出向かなくちゃいけないのに!
・・・へっくし☆

擬獣化する日本

犬のためのヨーガ教室があるそうな。はあ。いわゆる、セレブっちゅうやつなんで
しょうなあ。もちろん、たかが犬畜生にプラーナーヤーマやアーサナなんて出来る
わけがないので、正確には愛犬と一緒にやる飼い主のための教室なんですが。
ワシはヨーガの本場インドで、生まれた血筋ゆえにアーシュラム(道場)の敷居を
またぐことすら許されない「元不可触民」仏教徒たちと起居をともにしているので、
なんとも複雑でございますよ。いやはや、それにしても犬とはねえ。
ヨーガ思想はヒンドゥー教を根本とする。日本の神道では八百萬(やおよろず)の
神というが、ま~だまだ甘い。ヒンドゥー教には三十三億も神がいるのだ。
天地万物、たいがい何かの神様の化身なのだが、不思議なことに犬と猫だけは
メンバーから外されている。ヒンドゥー教神話の中では、時々ストーリーに絡んで
くることもあるが、象や牛や蛇のように信仰の対象にはなっていない。
たぶん、存在があまりにも身近過ぎて、おそれ多い感じがしなかったからだろう。
そんな本場じゃ軽く扱われている犬が、日本ではヨーガ道場へ。なんかなあ。

愛犬を体にのせてアーサナを決め、犬畜生と一体化するようにプラーナ(呼吸)を
整える飼い主たち。なるほど、物理的にはダンベルやフィットネス・グッズの代用
として、重力負荷を掛ける道具にはなるか。しかし、尻尾を振るダンベルねえ。
感情移入が過ぎて愛玩動物を「擬人化」してしまうのはよくある話だが、ここまで
いくと、飼い主の『擬獣化』に思えてくる。
これが従順な犬ではなく、我がまま気ままな猫だったら、恐らく教室なんぞ成立
しなかっただろう。猫背を矯正できない、とかじゃなく飼い主に協力して何かやる、
という習性がもともとニャンコにはない。
ちなみに、ヒンドゥー神話に猫が登場する時は、まず決まって悪役である。

インドの街では、道の真ん中に寝そべって死体のようにピクリとも動かない犬を
よく見かける。人が近づいても意に介さず、自動車に轢かれそうになってやっと
立ち上がりノロノロと回避する。犬のような俊敏さがまったくない、犬。
「Working like a dog」
犬のように働く、という英語表現があるが、インドの犬はひたすら寝てる。
理由は、あの国の凄絶な暑さである。
とはいえ飼い主にブランド物の洋服を着せられ、靴を履かされ、オーデコロンを
ふりかけられ、教室へ連れて来られる犬と、どっちがヨーガ的だろうか。

近頃は、犬より躾けられてない人間が、物騒な事件を起こすようになった。
日本人が擬獣化してる、とワシは思うのである。Bow wow。

狂祖は生きている

ここ二週に渡り、『週刊新潮』誌上に麻原彰晃(松本智津夫)の四女が書いたと
される手記が掲載された。地下鉄サリン事件当時、まだ幼くてなにも理解できな
かった彼女が、いま改めて現実に向き合い、実の娘から見た『殺人教祖の父』と
オウム真理教の闇を暴き出している。とはいえ書かれた内容については既報の
事どもが多く、新たな知られざる真実!というほどではない。
接見に訪れた娘達の前で父:麻原がおのれの男根をつかみだし、自慰を始めた
くだりはさすがに呆れたが(あいつならやりかねない)とワシは思った。
麻原は、すべて自覚して、狂気を演じている。日弁連や精神科医がどう言おうが
似たような業界にいるワシには、ピン☆とくるのである。
オウム教学が標榜していた『タントラ(密教)』では、ありとあらゆる人間の欲望を
向上的エネルギーに転化可能と考え、煩悩を、否定や抑制や懺悔の対象でなく
悟りへの原動力として肯定する。だがそれは高次の哲学的解釈に裏打ちされた
もので、単純な “なんでもあり” とはまったく違うことは、言うまでもない。
麻原はこういった思想経緯を意図的に端折って、毒ガスを撒こうが、実娘の前で
センズリかこうが、すべてを「神の戯れ」に擬しているのである。

よって、精神障害などを理由に麻原彰晃の死刑執行を延期することは、まったく
無意味なのである。“人権” を担ぎ出すつもりなら、
「私は未来際にマイトレーヤ(弥勒仏)として転生する魂だ」
かつて『朝生』でライバル宗教:幸福の科学と討論した時に麻原が言った言葉を
尊重し、信教の自由を擁護して、さっさと転生しやすくしてやればよいのだ。

さて、いま敢えて、当時オウムの煽りを受けて正気を失った既成仏教の僧侶が
いたことにも言及しておこう。
赤子の手を捻るがごとくオウム信者に論破された青年僧侶は少なくなかった。
血統世襲で寺院を継いだだけの「おぼーちゃまくん」には、無理からぬことでは
あったろうが、彼らはその後ちゃんと “お勉強” したのだろうか。
また、オウムへの破防法適用が云々されたとき、単なる条件反射の反権力で、
「人権侵害だ!政教分離を定めた憲法違反だ!」
と適用阻止を叫んでいた東西本願寺の有志僧侶の皆さん、お元気ですか?

本質的に、信仰は狂気である。
要は、その狂気が社会にもたらす影響を責任もって引き取れるかどうか、だ。
かかる法的かつ道義的範囲に於いて、自由主義国家では「信教の自由」を保証
するのである。言うのも恥ずかしいことだが、自由は、天賦の権ではない。

首都のど真ん中でテロをやられて、その首謀者を税金で生き延びさせてる国が
“テロとの戦い” を言うなんざ、ちゃんちゃらおかしいぜ。

殺虫剤餃子

何年前だったかヒマラヤのロッジでドイツ人の登山家と同宿した。彼は日本にも
住んだ経験があり、有名な某温泉旅館でスキーのインストラクターをやっていた
こともあるという。プリンセス・プリンセスが流行ってた頃だったそうな。
「僕はいろんな国へ行ったけど、世界中で、アメリカと中国が好きなのは日本人
ぐらいなものだよ。アメリカを好きなら進歩的、中国を好きなら平和的、ってね。
だけど、なんでそんなふうに考えちゃうのかなあ、って思ったよ」
彼が滞在中に会った日本人の限定的統計だけで断定されては困るが、確かに
日本社会にはそのような空気が漂っている。
う~ん。若い世代は別だけどさ、あの子たちに歴史を伝えるべき世代の連中が
かなり強烈に『敗戦国根性』を持ってて、アメリカには負けた中国へは侵略した
みたいな、妙なインプリンティングが深いところにあると思うんだよね。
するとドイツ人登山家は、片目をつぶって言った。
「ナポレオンの墓を見にくる観光客で一番多いのは、どこの国の人か知ってる?
答えは、イギリス人。本当におとなしく死んでるのか確かめたい、ってね」

アメリカと中国は、実験的人工国家という点で共通している。
かたや自由主義を建国理念とし、かたや毛沢東主義で十数億の民を束ねる。
中国、と聞くと日本人は “四千年の歴史” とやらをコドモみたいにありがたがる
傾向があるが、文革以後の中国は、過去の支那とはまったく別物なのだ。
いや、それ以前にも『三国志』の時代からずっと統一民族国家だった試しはなく、
だまし合いと裏切りで成り立って来た。「中原に覇を唱える」の言葉にあきらかな
ごとく、国家より “大陸の覇者” たることが重視されていた。
覇王を目指すという点においても、アメリカと中国は共通しているのである。

中国製冷凍食品の餃子に、猛毒の殺虫剤が混入していた。
包装された内側に付着していたことから、製造過程の管理不行き届きが原因と
見られている(今日現在)。だが、果してそれだけが理由だろうか。
「信用できなきゃ喰うな。喰ったんなら文句言うな」
事件の背景には、あちらのお国柄が関わっている、と言ったら民族差別か?

中国では、共産党幹部八百五十万人の医療費が免除されている。
そのツケは一般人民へと回り、患者はべらぼうな医療費を負担させられる。
都市居住者の七割、農村部では九割近くがこの負担分を払えず、日本と比べ
満足な医療を受けられないでいる現実がある。
そのような自国の惨状にフタをしたままで、北京五輪という壮大な欺瞞に興じる
お国柄を、殺虫剤餃子と同一文脈で考えるのは間違ったことだろうか。

大唐の昔、玄奘が世情の荒廃を嘆いて天竺を目指した故事を、改めて思う。
(中国びいきの朝日新聞「天声人語」を真似てみました)

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