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くんばか学園

養老孟司氏と玄侑宗久師の対談本は、我が意を得たり、と膝を打つ箇所が
いくつかある。とりわけ体験と肉体性に触れたくだりは秀逸で、
「オウム真理教の修行なんか、バケツ持って廊下に立たされた経験がありゃ
分かるはずなんですよ。騙されるわけがない。(取意)」
体罰厳禁の民主的学校で育った “良い子” にとって、麻原から指示された
水中クンバカや片鼻呼吸などは、生まれて初めて経験する身体的なストレス
であったろう。理屈抜きに叩き込まれる実感は問答無用の説得力を持つ。

子供の頃のワシは今と変わらぬお調子者で、同級生の女子がキャアキャア
言って逃げまわるのを、さらなるリクエストと思い込み、スカートめくりに夢中
であった。担任の男性教師(空手有段者)は自慢の拳をちらつかせ、
「電脳は口で言っても無駄だからな」
と水の入ったバケツを両手に持たせ、肌寒い廊下に一時限、立たされた。
迫り来る苦痛と孤独に抗うべく、ワシはおのれの行動に論理付けを試みた。
(あれはただのスカートめくりじゃない。ハレンチごっこなのだ)
永井豪氏の漫画『ハレンチ学園』が社会現象を起こしていた時代だったので
ワシはみずからの営為を “共時性” によって正当化しようと企てたのだ。
だが、やがてすべての思考は、肉体的実感の前に完全無化した。
バケツ・クンバカが成就した瞬間であった。

公立学校の教室から「教壇」が消えて久しい。教員の側からも生徒側からも
視認性という点できわめて合理的な舞台装置であった教壇は、
「子供たちと同じ目の高さに立つことが大事」
とかいうカン違いによって学校から駆逐されてしまった。
物理的にも子供は大人を見上げる存在で、『長幼の序』が具現化した構造に
なっている。知識経験、知力体力などあらゆる面で大きな存在だから「大人」
であり、子供と違う「目の高さ」が大人たる資格なのだ。
最近の学校では低学年に新卒や経験の浅い教員を当て、高学年に行くほど
ベテランを配置する。いわゆる “お受験対策” なのだろうが、これでは人間の
基礎を学ぶべき貴重な時間を虚しく過ごす結果になりはしまいか。
理屈抜きに叩き込まなければ伝わらないことのほうが、人間にとって大切な
場合が多い、とワシは思っている。

聞くところによれば、いまや左翼教師の間では「教鞭を取る」という言葉すら
禁句になっているそうな。その理由たるや、鞭は体罰だから、って。

・・・にしおかすみこかいッ!

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