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擬獣化する日本

犬のためのヨーガ教室があるそうな。はあ。いわゆる、セレブっちゅうやつなんで
しょうなあ。もちろん、たかが犬畜生にプラーナーヤーマやアーサナなんて出来る
わけがないので、正確には愛犬と一緒にやる飼い主のための教室なんですが。
ワシはヨーガの本場インドで、生まれた血筋ゆえにアーシュラム(道場)の敷居を
またぐことすら許されない「元不可触民」仏教徒たちと起居をともにしているので、
なんとも複雑でございますよ。いやはや、それにしても犬とはねえ。
ヨーガ思想はヒンドゥー教を根本とする。日本の神道では八百萬(やおよろず)の
神というが、ま~だまだ甘い。ヒンドゥー教には三十三億も神がいるのだ。
天地万物、たいがい何かの神様の化身なのだが、不思議なことに犬と猫だけは
メンバーから外されている。ヒンドゥー教神話の中では、時々ストーリーに絡んで
くることもあるが、象や牛や蛇のように信仰の対象にはなっていない。
たぶん、存在があまりにも身近過ぎて、おそれ多い感じがしなかったからだろう。
そんな本場じゃ軽く扱われている犬が、日本ではヨーガ道場へ。なんかなあ。

愛犬を体にのせてアーサナを決め、犬畜生と一体化するようにプラーナ(呼吸)を
整える飼い主たち。なるほど、物理的にはダンベルやフィットネス・グッズの代用
として、重力負荷を掛ける道具にはなるか。しかし、尻尾を振るダンベルねえ。
感情移入が過ぎて愛玩動物を「擬人化」してしまうのはよくある話だが、ここまで
いくと、飼い主の『擬獣化』に思えてくる。
これが従順な犬ではなく、我がまま気ままな猫だったら、恐らく教室なんぞ成立
しなかっただろう。猫背を矯正できない、とかじゃなく飼い主に協力して何かやる、
という習性がもともとニャンコにはない。
ちなみに、ヒンドゥー神話に猫が登場する時は、まず決まって悪役である。

インドの街では、道の真ん中に寝そべって死体のようにピクリとも動かない犬を
よく見かける。人が近づいても意に介さず、自動車に轢かれそうになってやっと
立ち上がりノロノロと回避する。犬のような俊敏さがまったくない、犬。
「Working like a dog」
犬のように働く、という英語表現があるが、インドの犬はひたすら寝てる。
理由は、あの国の凄絶な暑さである。
とはいえ飼い主にブランド物の洋服を着せられ、靴を履かされ、オーデコロンを
ふりかけられ、教室へ連れて来られる犬と、どっちがヨーガ的だろうか。

近頃は、犬より躾けられてない人間が、物騒な事件を起こすようになった。
日本人が擬獣化してる、とワシは思うのである。Bow wow。

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