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『反骨のブッダ』

  • 高山龍智: 『反骨のブッダ』インドによみがえる本来の仏教(コスモトゥーワン出版)

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奈良の若き友へ

目を背ければ見ずにすむ。耳を閉ざせば聴かずにすむ。なに、北京五輪さえ
終わってしまえば、みんなチベットのことなんか忘れてしまうさ・・・。
口に出さずとも心ではそう思っているのではないか、南都の若き僧たちよ。
もちろん、どんな考えを持とうと、それは貴僧らの自由だ。
だが世俗倫理で言うなら、例えば、目の前で暴漢に襲われ助けを求めている
ひとがいたとする。それを見捨てて立ち去ったとして、これからの長い人生を
なんの負い目も抱かずに生きて行けるだろうか。
ましてやこれは、仏法に関わることだ。明日、なにもしなかったとして、明後日
貴僧らは、なんの後ろめたさも感じず、御本尊の前に立てるのか。

闘い方はいくらだってある。TVが垂れ流す右翼の妨害活動を見て、すべての
抗議行動を放棄するような現実逃避は、あまりにも情けない。
『非暴力(不殺生。梵語:ahimgsa)』が意味するものは、ただ黙って風向きが
変わるのを待つことではない。暴力行使以外の、ありとあらゆる手段を講じて
事態改善に努力する知的誠実のことだ。 また、暴力を振るう者にその誤りを
諭すことも非暴力である。よって、チベット仏教弾圧の首謀者、胡錦濤首席に
対して黙することは、不殺生戒を破ることなのである。
参詣拒否は「一切衆生悉有仏性」の教義に反する。ならば、首席を始めとする
中共の犯した仏教徒虐殺の罪過を、彼らに代わって懺悔する法要を勤めれば
よいではないか。場所は、路上沿道で構わない。ロウソクも線香も要らぬ。
至誠あれば、すなわち仏まします。

先月26日、善光寺で営まれた『チベット/中国犠牲者追悼法要』に、南都から
かの有名なY寺関係者が来ていたのを、ワシは目撃している。またその際、
「今日のこのこと(法要の成功と感動)をぜひT管長にお伝え下さい!」
と善光寺側が頼んでいたのを、すぐ側で聞いている。
奈良仏教界の重鎮は、なにもかも知ってるのだ、南都の若き法友たちよ。

法難。仏教教団あるいは仏教徒が、権力や侵略者もしくは他の宗教から迫害
弾圧を受けることをあらわす、仏教用語。
インドでは13世紀初頭のイスラム教徒による破壊と大量殺戮が代表例であり、
ヒンドゥー教ナショナリストによる仏教徒迫害は、今日なお続いている。
中国では、『三武一宗法難』が知られ、三人の武帝と一人の宗帝による廃仏が
辛辣を極めた。日本では鎌倉時代の法然や親鸞、日蓮に対する弾圧が有名。
近代に入ってから、わが国では明治の廃仏毀釈があるが、中華人民共和国の
文化大革命に於ける宗教弾圧や今日に至るチベット仏教迫害は、人類史上に
類のない『大法難』、と言ってよい。

明日、南都に法灯が燃えることを祈念する。

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