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『反骨のブッダ』

  • 高山龍智: 『反骨のブッダ』インドによみがえる本来の仏教(コスモトゥーワン出版)

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祈れぬ人々

四川省から辛うじて伝えられて来る映像に、瓦礫の下から掘り
出された遺体を前に、ロウソクの薄明かりの中、ただ号泣する
しかない被災遺族の姿があった。
死は、人生で遭遇する最大の「理性の危機」であり、それゆえ
当事者のみならず、第三者までも悲しみの渦に呑み込む。
だが、ワシのように人間の死を職場とする因果な商売の者は、
妙に冷めた目で些細な点まで観察してしまう。
突然の死に直面した人は、まず茫然とし、次に混乱し、のちに
悲しみが打ち寄せて来る。そして、何かにすがろうとする。
その何かを神と呼ぶか仏と呼ぶかは問題ではない。宗教学で
いうところの、『ヌミノーゼ(畏敬感情)』だ。
現地からの映像は漢族だろうか。僅か数秒の絵だけで断じる
ことは強引に過ぎるが、あまりヌミノーゼが感じられない。
また、同じ地域に居たはずのチベット人が、チベット仏教式で
敬虔に死者を弔う光景も、なければおかしいのだ。

話は少々ズレるが、ワシが奉職する寺院(現実のほう)に最近
在日中国人が御骨を預けに来た。
四十路の施主は、文革のさなかに育ち、天安門事件の当時は
もう社会人だったそうだ。御骨は彼の妻君。病気で急死した。
文化大革命によってあらゆる伝統や精神性を排除された中で
育った彼は、愛妻の死に対し、祈るすべを知らなかった。
「これはとう使うてすか?これはなんてすか?」
お線香やお鈴(りん)を困ったような顔で見つめていた。
経典(漢文)も数珠も合掌も線香も、すべては中国から日本へ
伝わったものだ。ぎこちなく手を合わせる姿が寂しかった。

長野で対峙した中共留学生たちは『チベット弾圧』を全面的に
否定し、宗教の自由は保証されている、と主張した。

お笑いぐさ、のひと言に尽きるが、そもそも袈裟を着た坊主の
ワシに向かって宗教を云々すること自体がヌミノーゼの欠落を
証明している。というより、あまりにも幼稚であった。

先月の聖火リレーと、今月の大地震。
はからずも「畏敬感情(=宗教的感受性)」を国家に封じられた
人民の哀れさを、世界の耳目に知らせる結果となった。

改めて、犠牲者の冥福をお祈りする。祈れる自由のもとで。

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コメント

日本側は撤退の可能性も出てきたようです。
先日も書きましたがチベット族の方々の情報が
完全に封殺されてしまっているのがとても気になります。

>ま~様
すでに部分的撤退は始められているようですね。中共側から「ダム決壊の恐れがある」ので撤退するよう要請されたそうです。つまり最初から、そういう所へ押しやられていたわけですね。人民解放軍兵士の中には日本の救助隊に「早く帰れよ!」と毒づく者もいるとか。あるいは「日本隊に生存者の救出をさせると思ってるのか?」とまで言う兵士もいるそうです。
ラサの状況は、かなり深刻と思われます。ダライ・ラマ亡命政府も公式発表を控えていますが、見方を変えれば、三月の蜂起と弾圧の時には、中共の監視をかいくぐって詳細な被害状況を伝える「人」と「ルート」が機能していたわけですが、現在はそれすらも壊滅的な打撃を受けている可能性があります。また、解放軍に先立って震源地の奥深く入ったのは武装警官でした。それが何を意味するのか、考えたくもありませんが・・・。中共政治家の某は、
「地震のおかげでチベット弾圧への非難が反れて結果的に良い面もあった」
と言ったとか。それが奴らの本心でしょうね。

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