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2008年6月

快楽地獄

秋葉原無差別殺傷事件がすでに『伝説化』を始めている。
情報の供給はあくまでも質より量に重きが置かれ、むしろ
考えさせないよう誘導しているように見える。
テレビで人気を博すのは、お笑いとバカと大飯喰らい。
「ああ、自分もこの程度でいいんだ、よかったんだ」
ふざけたバカな大飯喰らいで生きていたい、という潜在的
願望。これは幼時回帰に似た「甘え」の心理であり、現代
日本人の心のありようを端的に示している。

憎悪が、許容の範囲を越えて殺意へと変貌する境界線は
想像以上にきわめて細い。
驚くほど簡単なきっかけで、人は凶行に走る。それを抑止
出来るものは、理性よりも、むしろ感情の力だ。
もともと理屈じゃどうにもならないからアタマに血が昇った
のであって、話せば分かるとか命の尊さとかいうのどかな
次元の話ではない。
奇麗事や美学で飾った御高説よりも、わあわあ泣きながら
抱きしめ合うような、熱くて泥臭くて、カッコ悪い人間関係を
再構築しないかぎり魂の救いはない。
しかし、これは通常の、つまり誰もがそうなり得る刑法犯の
場合に限る。快楽殺人者は、別だ。

わが国の刑法で死刑に処される犯罪は、特別法を加えて
十七種。
理想だけで言うなら、被害者感情への国家的保障と防犯
対策の一環として死刑制度が存在し続け、執行対象者は
ひとりも出ないことが、良いに決まっている。
もし死刑を廃止しようとするなら、それに代わる制度として
『刑事治療処遇(保安処分)』の法制化が必要となる。

みずから死刑を望むような殺人鬼や、死刑の意味を理解
出来ない者の場合は、死刑が極刑たる効果を発揮しない
のだから、服役と並行した強制治療が必要となる。
が。我が国には保安処分のための医療刑務所が、無い。

「日本も、朝鮮民主主義人民共和国のような搾取から解放
された平和国家になれば、保安処分は必要ない」
北朝鮮が次々と邦人を拉致していた70年代、こう主張する
左翼人権派が、法制化を叩き潰したからである。

世界の孤児

面妖なことだが「テロ支援国家指定」とは国際ルールではなく、
アメリカ合衆国の国内法に基づいた措置である。
あの乱暴でアタマの悪いカウボーイ国家にとって、国際法など
ハナっから眼中にない。彼らにしてみれば、喧嘩の弱い奴らが
「国際」という旗を担いで群れてる程度にしか見えない。
正義は常に合衆国に在り。歴史伝統を持たぬアメリカにとって
それだけが唯一の国家アイデンティティーなのである。

さて、その合衆国基準のテロ支援国家指定とは何か? 
資金や武器供与等により国際的テロ組織を支援している国を
アメリカは「テロ支援国家」として指定する。
だがテロには、充分な軍備を持ちえない小国が、大国相手に
武力外交(つまり戦争)へ打って出る際、国際法に準じた宣戦
布告を経ないで暴力行為を働く非常手段も含まれる。
無論、テロリストを擁護するつもりなどサラサラないが、大国の
エゴに振り回される小国にのみ天使の清らかさを求めるのは、
いささか無慈悲ではなかろうか。
アメリカに指定された国はキューバ、イラン、スーダン、シリア、
それに北朝鮮の五ヵ国。一瞥して、北朝鮮だけ政治的背景が
違っていることはあきらか。地勢的にも関連がない。
キューバは、冷戦時代に旧ソ連が合衆国の喉元
に突きつけた
刃のような国であったが、それも今では東西対立の残滓。
だがイラン、スーダン、シリアは合衆国経済の主軸たるユダヤ
教徒にとって不倶戴天の敵=イスラム教国。 なかでもイランと
シリアは核開発と弾道ミサイルの保有を宣言している。
とはいえユダヤ教総本山イスラエルはとっくに核武装しており、
武力の格差がテロリズムへのシンパシーを掻き立てている。

で、北朝鮮。恐らくアメリカにとってたった一つ気掛かりな点は、
上に挙げたうち三ヶ国、イスラム教国との核開発協力だろう。
キューバは冷戦以来の行きがかり上、表立って友好していない
だけで、例えば既に野球の人材においては貴重な供給元だ。

北朝鮮に対するテロ支援国家指定を、東西対立の図式で理解
しようとすれば、背後にそびえる巨大暴力組織:中国共産党を
「指定」しなければ矛盾が生じる。
ましてや今回、日本へ引き渡されると見られる『よど号』犯など、
合衆国には “部屋の隅を飛ぶハエ” みたいなもの。

つまり、アメリカにとって北朝鮮は、イスラムに対抗するための
ちっぽけな口実に過ぎないのである。
だから合衆国は、日本人拉致事件を切って捨てたのだ

テロ支援国家指定を解除すれば、北朝鮮政府は世界銀行から
融資を受けることが出来るようになり、経済制裁は無効になる。

「北朝鮮を世界の孤児にしてはならない」
そう言ったのは、たしかアメリカ合衆国であった。

同じ日本人でありながら拉致被害者を『世界の孤児』にしようと
しているのは、福田か?加藤か?山崎か?

<Yahoo アンケート結果>
http://i.yimg.jp/i/topics/clickresearch/roll_blogparts_tate.swf?poll_id=2355&typeflag=1,150,410

すべれない話

中東で大失敗をしたブッシュが任期満了の花道を飾るため、
北朝鮮に対するテロ支援国家指定を解除するようだ。
それに呼応して、日本政府の側にも経済制裁の一部解除と
万景峰号
入港許可の動きがある。ざけんじゃねえッ!
アメリカは、『世界の警察』とやらを自称しているが、その実、
世界最大規模の暴力団組織に過ぎない。
日本の腹黒政治家はチンピラ、北朝鮮は田舎の地廻りか。
なんだかまるで昔の東映ヤクザ映画を見るようだ。
真っ当に任侠道を通そうとした健さんは、義理立てしていた
親分から裏切られ、ついに堪忍袋の尾が切れて、
「・・・死んで貰います」
せなで吠えてる唐獅子牡丹。というわけにいかない現実。

1977年11月15日。当時十三歳の横田めぐみさんが、北朝鮮
工作員によって拉致された頃、一部の日本の文化人はあの
犯罪国家をどのように紹介していたか。
「彼らのくらしには私たち日本のくらしにはないものがあって、
それはたとえば、私たちのなけなしのくらべたら、完全という
ことばを使っていいほどの社会保障だが、おかげで、彼らの
くらしの中では老後の心配がない。病気になったらどうしよう
という不安がない。彼らのくらしには、あの悪夢のごとき税金
というものがまるっきりない」
(小田実:『私と北朝鮮』 77年。抜粋)
すべってる。目も当てられないほど、すべりまくってる話だ。

今も日本人の中にはこんなことを平気で口にする者がいる。
「六十年前は日本も朝鮮に同じことをしたじゃないか」
恐ろしいことを考えるものだ。日本はアメリカに原爆を落とす
権利がある、と言っているわけだ。
植民地支配が独立後の被支配国のいかなる犯罪をも相殺
するというなら、インド人は英国人を拉致しようがタンドーリ・
チキンにしようがOK、という理屈になる。(まずそ)
いわゆる『日韓併合』が軍事力格差に基づいた恫喝的手段
による侵略だったことは認めねばならない。
だが、有史以来二十世紀の前半に至るまで、世界人類には

侵略=悪、という価値観が無かったことも、また事実である。
ちなみに中国のチベット占領は「侵略=悪」の国際ルールが
成立した後に始まっている。

媚朝派、と呼ぶべき映画監督:井筒某は言った。
「外交カードやて。なんや嫌らしい言葉やなあ。まるでゲーム
でもしてるみたいやないか」
遊び半分に日本国民の命を弄んだのは、金正日である。

もう、すべることは許されない。

もんすたあ

ガキにはなにも強制しないことが理想的な教育だと思っている
御仁がいる。放牧、という意味で牧歌的ではある。
「日本の学校では、子供が “したくない” と言えば、わがままを
叱って無理やり従わせるのが普通ですが、欧米など児童福祉
先進国では、代わりのものを与えて子供の可能性をサポート
するのが普通です」
・・・だからどうした? というだけのこと。
児童福祉先進国と称される国々の、国民ひとり当たりの税率
負担を考えてからものを言って欲しい。また、それらの国々は
基本的に自主防衛であり、軍事費と福祉費が同等な必要性を
もって国民生活に関わっていることも忘れてはならない。
 
既に定着した感さえ漂う、いわゆるモンスター・ペアレント。
戦後、旧ソ連と中国から指示を受けた日教組が、

「教員は聖職者ではない、労働者である」
と宣言して、教室から教壇を取り去り、『仰げば尊し』を歌わせ
なくなり、教員みずから尊厳を捨て去って、子供からも親からも
舐められる存在に成り下がったことが原因である。
いま改めて、かの「脱聖職者宣言」を考察してみると、そこには
共産主義革命家が目の仇にした宗教的権威のイメージを読み
取ることが出来る。聖職者=権力者、の搾取構造。
しかもこれは、冷戦崩壊で絶滅した化石思想ではなく、現在も
中国共産党がチベットを占領する口実になっている。

仮に、中共に洗脳されたチベット僧が、こう言ったとしよう。
「私たち僧侶は聖職者ではなく一介の労働者ですから、毛沢東
主義が最高であって、仏教は神聖な宗教ではありません」
じゃ、なんで袈裟着てお経読んでんだよオメエはよ! とツッコミ
入れられるのがオチである。

教育を
神聖な営みと認めない、人間の尊厳を侮辱する破壊的
思想が、堂々と大手を振って罷り通ってきた。
そんな教育を真に受けた子供らが親になり、わが子を学校へ
通わせる時代が来て、
モンスターの登場と相成った。

怪物にとって、仮想敵はいつも、時代や社会。
「子供らは被害者、親も被害者。教師も学校も被害者、だって
み~んな弱いんだもぉ~ん♪」
怪物の怪物たるゆえんは、おのれのモンスター性を当事者が
まったく認識していないところにある。

権力病院

以下は実際わが身に起きたことに基づいている。もともと
医者要らずの鈍感な体で生きて来たワシにとって、病院
という施設そのものが異空間。見るもの聞くものすべてが
驚きに満ちあふれた、非日常ワールドである。
しかし、新聞の投書欄に出て来るような信じがたい事態に
おのれが巻き込まれようとは・・・。

足のむくみを取るため通ってる掛かりつけの鍼灸医から、
「そろそろセカンド・オピニオンも必要だな。東洋医学との
並行を嫌がらない内科医を教えるから行ってみそ」
と勧められ、云われるまま訪ねてみたら、ワシと同世代の
温厚な開業医師。すごく丁寧に診てくれて、
「より正確な診断を期したいので××市民病院に紹介状を
書きますから都合が悪くなければ今から行って下さい」
と指示され、レントゲン写真に紹介状を添えて、
「うちの支払いは後日で良いですよ」
と、まるで赤ひげ先生。日本の医療は素晴らしい!と心で
万歳三唱しながら、××市民病院の受付へ。
すると、さんざん待たされた挙げ句、出てきた公務員女医
(これがマジで田嶋陽子クリソツ)は事務的にひと言、
「専門がいないので診ても分からないと思いますから木曜
なら専門が来ますので今日はこれで」
これでって。今日は金曜、つまり一週間も放置ってこと?
実際、ワシが持ってたレントゲン写真の大きな袋には目も
くれず、何ひとつ診察もせず、立ち話だけでサヨウナラ。

ぬわんじゃこりゃあぁぁぁぁッ!
先ほどの医院へ戻って事態を報告すると、さすがに温厚な
赤ひげ先生も激怒、医師名鑑みたいなのを開いて、

「こいつですかッ!?」
と田嶋モドキの公務員医師を指さし、ページを叩いて、
「町医者をナメんじゃねえッ!」
まあまあセンセ、怒ると血圧に良くないですよ、年令的に。
「こうなったらうちで出来ることを全部やりますから。あんな
とこを紹介した責任もありますし、私にも意地がある!」

メディアでは “深刻な医師不足” とか言うけれど、市民税で
やってる大病院に勤めてる医者は、権力側の強者でしょ。
傷病者ってのは、『絶対弱者』なんだよね。

「和尚は見た目が頑強で病人っぽく見えないからなあ」
・・・ワシのせいかい!

再び善光寺のこと

残念なことに全国放送されなかったニュースをご紹介しよう。
去る17日、チベット亡命政府日本事務所ラクパ・ツォコ代表が
長野を訪れ、北京五輪聖火リレー辞退と4月26日に善光寺で
行なわれた犠牲者追悼法要について感謝の意を伝えた。
ラクパ・ツォコ代表は善光寺大本願に詣で、皇族出身の鷹司
上人をはじめ高僧らと面会した。
「善光寺のお坊さん達が、同じ仏教の僧侶として非常に踏み
込んだご判断の上で理解を示されたことに関して、私は今日、
お礼に参りました」
ローカルメディアの取材に流暢な日本語で答えるラクパ氏は、
まさしく温厚で信心深い典型的なチベット人であった。

亡命政府といえど一国の代表が由緒ある古刹で皇族出身者
と面会し、 しかもそれが、中国共産党による日本国内で戦後
最大の主権侵害と言うべき事件に関係したことでありながら、
全国に報道されなかったのは、やはり政治的な判断か?
あの当日の凄まじい光景を知る者としては、その後の首都圏
メディアがあまりにも事実をゆがめていることに慄然としたが、
嘘でも報道されただけ、マシだったのかも知れない。
つい先日も、と或る坊さんとの会話の中で、
「卓球の愛ちゃんを邪魔したりして、あれはどうかと・・・」
という声を聞いた。タシィ・トゥリン氏のことを言ってるわけだが
タシィ氏が福原選手を存知せず、たまたまテレビカメラが多く
並んでいるのを見て、祖国の窮状を訴える好機と思って飛び
出したこと、逮捕後、不当に長い拘留期間を経て、胡錦濤が
日本を去るまで解放されなかったことなど、くだんの坊さんは
まったく知らなかった。
善良であることは残酷なものである。無知は鞭に勝る。

「同じ仏教の僧侶として」
あの日善光寺が、そして今、ラクパ氏が語ったこの言葉こそ、
実を言うと現在に至るまで日本の仏教界に “無かった” 感覚
なのである。関心事の最大枠は、せいぜい「宗派」が限度。
そういった意味からも、『紅旗ノ乱』は日本史にとって『9.11』に
匹敵するような価値転換の大事件だったのである。

平成20年4月26日、善光寺は一般の若者達で埋まった。
後世の史家は「あれが歴史の転換点だった」と評するだろう。

体に悪いバカ

「田嶋陽子の言うことに腹を立ててもしょうがない」
いくらワシが間抜けでも、それぐらいわかってます、ハイ。
とはいえ、 ときどき田嶋本人がそのマスコミ的役割分担を
てめえの価値と勘違いして、なにを言っても許されるという
ような振る舞いに出ると、そうそう寛容でもいられなくなる。
読売TV『たかじんのそこまで言って委員会』をYou Tubeで
見ていて、ワシはうっかりぶちギレれそうになった。
この関西ローカル番組、題名の通り「ヤバさ」が売りであり、
いわば、視聴者をキレさせてなんぼ、てなもんでんがな。
が、しかーしッ!拉致被害者家族の横田夫妻をスタジオへ
招いて収録された回の田嶋の言いぐさだけは、断じて看過
出来ひんでホンマ。(すまん、ワシ関東人です)

当時十三才のめぐみさんを北朝鮮に拉致されて三十一年、
ひたすら悲しみと苦しみに耐えながら我が子の帰りを待ち
続け、時には誹謗中傷に晒されながらも、奪還運動に命を
かけて来られた横田夫妻の面前で、田嶋陽子は、
「拉致問題解決は “急がば回れ” 」
と前提した上で、持論の三カ条を掲げた。
1.制裁では北朝鮮は動かない
2.拉致解決なくして国交回復はない、は間違い
3.世界の人権問題と相対化して同じレベルに持っていく

この三つを挙げた。くどいようだが、ご夫妻の前で、だ。
三十年以上も待たされ既に老境へ入ったご両親に向かい、
急がば回れ、を口に出来る神経は、まったく理解不能。
古巣の社民党は後期高齢者制度に反対しているはずだが
田嶋が言ったことは完全にお年寄りを侮辱している。
経済制裁で動かないなら、戦争でもするか?

拉致解決の前に国交正常化すれば両国の交流が活発化
して間口が広まり、「拉致被害者も帰って来やすくなる」、と
田嶋はホザくが、平壌はディズニーランドではないッ!
世界の人権問題云々について、田嶋はチベット問題を引き
合いに出すのだが、バカも休み休み言えッ!
チベットの人権問題は、国家を破壊され自決権を奪われた
被占領民族の普遍的人権に関する問題であり、北朝鮮に
よる拉致事件は、現に機能している日本国と主権に対する
侵害だ。チベットには仮の亡命政府しかないが、日本には
曲がりなりにも正式な政府機関が存在している。
まさか田嶋は、全日本人を難民指定するつもりなのかッ!

うー。血圧上がっちまったい。・・・田嶋は体に悪い。

浄玻璃鏡

刑法第三十九条(第一項)心神喪失者の行為は、罰しない。
(第二項)心神耗弱者の行為は、その刑を軽減する。

告白するが、ワシも誰かを殺したいと思ったことがある。
当時を振り返ってみると分かるが、殺意の狂熱は心神の喪失、
乃至は耗弱状態そのものだった。正常な心神を保ったままで
ひとを殺せるわけがない。
そのような  “当たり前” な人間観察に基づけば、上記の刑法
第三十九条が存在すること自体、正気の沙汰でない。
そこで不備を補完するため「原因に於いて自由な行為」という
定義があり、たとえば泥酔して判断力を失った上での犯行は、
飲酒という行為に自由意思が介在しているから、心神喪失や
耗弱を認めない、といった常識的判断への道も開かれている。

以下は、法律の素人に過ぎない生臭坊主の妄言。
秋葉原無差別殺傷事件の加藤は、犯行前及び最中において
常に独善的思考を抑制しない自由意思を働かせており、刑法
第三十九条の対象にならない、とワシは思う。

「ひとりの生命は地球より重い。近代国家にあって残虐な死を
被告に強制するのは不当である」
死刑廃止論が、時として存置論より文化的、理性的に聞こえて
しまうのは何故なのだろうか。思うに、断罪する後ろめたさから
逃れたい、というエゴが底辺にあるからではないか。試しに、
「死刑は野蛮だ!」
と小声で良いから言ってみると、なんだか背中に天使の羽でも
生えたような浮遊感覚を味わえる。

これは、想像力と他者性の問題だが、死刑廃止を言う人間は、
果して自分が現行法で死刑相当の罪を犯した場合にも廃止を
主張するのだろうか。
やむにやまれぬ情況が被告人を犯行へと走らせた、悪いのは
被告を取り巻いた環境で本人ではない、みたいなことをいつも
公言しているのだから、自分がそういう立場にならない保証は
どこにもない。その時、被害者遺族を無視して、
「私を死刑にするのは野蛮だ!私の命は地球より重い!」
と言えるのだろうか。
それとも、てめえだけは罪を犯さないと思っているのか。

『浄玻璃鏡(じょうはりきょう)』
昔の仏教説話で、閻魔大王の法廷にあるといわれた鏡。
亡者が生前に犯してきた罪が、一つ残らずブルーレイのような
高画質で鮮やかに再生されるという、迷惑千万なアイテム。

これを信じてた時代の日本人の倫理観の方が、三十九条より
はるかに文化的かつ理性的に、ワシには思える。

岩手宮城内陸地震

宮城沖地震から三十年、四川大震災から約三十日。周期説は
ややもすればオカルトがかってしまうものだが、閉じた球体たる
大地の下、一定の間隔を置き震動が反射することはありえるの
ではないだろうか。素人考えながら。
今朝、CX系『報道2001』で地震学の権威と称される学者が、
「国家存亡に関わるような壊滅的大地震でないかぎり、予知や
対策について万全な取り組みはなかなか難しい(取意)」
と言った。怪獣映画と現実を混同されては困る。
国民の生命が保障されてこそ国家は成り立つのだ。国家中枢
だけが存続しても、税金を払ってくれる国民の大半が滅びたら
総理大臣もメシが喰えなくなるではないか。
いわんや、国立大学の教授なんざ、座学しか能がないゴク潰し
なんだから真っ先に失業するに決まってるじゃねえか。
・・・慈悲がなさ過ぎるんだよ、専門バカは。

「慈悲というのは、実践のことなんだ」
インド仏教復興運動の指導者:佐々井秀嶺師が言っていた。
「慈悲の心を持って行動を起こせばなによりなんだが、なかなか
理想通りにはいかない。受け取る側からしてみたら、動機なんざ
二の次三の次で、動いてくれること自体が大慈悲行なんだよな。
だからまずなんでもいいから出来ることから行動を起こしてみる。
結果はそれこそ神仏に預けて、とにかく実践することだよ」
徒手空拳、四十年以上の間、祖国日本を離れてインドの被差別
大衆のため満身創痍で孤軍奮闘してきた佐々井師の言葉には、
血と汗に裏打ちされた真実が在る。
本当に大事なことは、いつもシンプルなものなのだ。
コンビニの釣り銭募金もしない奴に四の五の言われる筋合いは
はない。人間にエゴがある以上、自己満足でない『善』はない。
それがどうしたというのだ。

行方不明の方々が一刻も早くご家族のもとへ帰れますように。
合掌。
避難生活を送られている方々がお心強く過ごされますように。
合掌。
怪我をされた方、病気に罹られた方々が快癒されますように。
合掌。

そして地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
合掌。南無阿弥陀仏。

教育漫才

かつて『ゆとり教育推進』の旗手として教育改革の名の下、
全国にバカ製造工場を設立するという、空前の公共事業を
やってのけた文部官僚、寺脇研氏がこう言った。
「彼は25才ですよね、勉学一辺倒の最後の世代。23才から
下は “ゆとり世代” で学力が低いとか言われてるんだけど、
動物や植物を育てて、命を育む教育を、学校で取り入れる
ようになった。 学力一辺倒じゃない、命の教育です。もっと
早く導入すべきだったと悔やまれてならないですよ!」
じつはこれ、秋葉原無差別殺傷事件に対する、文部科学省
現職官吏としての、寺脇氏のコメントである。
どうやらこの東大卒エリート氏、不謹慎、という感覚をお持ち
でないご様子だ。御身の言い分を通してはしゃいでるように
しか見えないのは、『負け組』坊主のひがみか。

「勉学一辺倒の最後の世代」
寺脇氏は、本当にそんな世代的線引きが可能だと思ってる
のだろうか。いつの時代にも勉学一辺倒の子どもはいるし、
詰め込み&偏差値教育の真っ只中で遊びまくってた糞ガキ
(つまりワシだ)もいる。
「ゆとり世代で学力が低いとか言われてるんだけど」
待たんかいッ!円周率を「おおむね3」と教えてたり、太陽が
東から出るか西から昇るか、小学生ならまだ知らんでもええ
とか言うてたんは、アンタやろが。アホ言いないな。
「動物や植物を育てて、命を育む教育を、学校で取り入れる
ようになった」
せやけどやな、飼育係とか花壇委員とかなら昭和時代から
学校教育にありましたやんか。ウサギさんが猫に襲われて、
死んだとき涙した純情な少年(つまりワシや)は、大人になり
バニー・ガールを追いかけてますけど、それが何か?

「学力一辺倒じゃない命の教育です」
なんや、言うてることが新興宗教みたいやなあ、ほんま。
助かったんは教祖様のお陰や、助からんかってんは信心が
足りんかったせいや、みたいなやね。ハラたつわ~。
しかも、その理屈で言うたら、命の教育を受けてへん世代は
危険人物集団になるやんか。差別ちゃうんかい、ボケ!
「もっと早く導入すべきだったと悔やまれてならないですよ」
どこに喰い付いとんねん! もうやめさしてもらうわ。

アタマでっかちな理想主義者が、凶悪事件に便乗して持論を
欲しいままに開陳する不健全さ。
それこそ、命の教育とやらに反すると思うよ、ワシは。

泣く鬼畜

「誰か止めてくれれば良かったのに」
取り調べに対し、殺人鬼加藤はそう言って泣き崩れたという。
どんだけ他者依存なんだ?この鬼畜は。
悪いのは家庭環境や派遣勤務先、携帯サイトに書いた犯行
予告を知りながら止めてくれなかったネット住人と、秋葉原の
歩行者天国にいた他の通行人たち。そう加藤は言っている。
あいにくとワシは、自身の経験知から『性悪説』の立場なので
鬼畜の詭弁に呆れはしても、驚きはしない。
用意周到に立てた計画のひとつが、この泣き落としなのだ。

両親の記者会見を見た。
謝罪、と呼ぶに相応しい内容かどうかはいったん措くとしても、
果たして25過ぎた息子の不始末を親が代わりに謝る必要が
あるのかどうか。無論、道義的に無視は許されないが、養育
義務年令をとっくに過ぎている以上、息子を “一大人” として
責めることも認められて良いのではないか。

さて、会見の内容。あれならやらないほうがマシだった。
問題は父親。シャツの第一ボタンを開き、裾をズボンから出し、
後ろ手(マイクを避けたつもりなのか?)で、休めの姿勢。
例えば、あれで頭を下げられて、彼は納得出来るのか。
となりで母親がヘタリ込んだからマスコミ的には絵になったが、
それが無ければ、袋叩きに遭いかねない代物だった。

語り口がまた他人事のようであり、情緒が欠落していた。
あまりのことにまだ実感が掴めてないにしても、地元警察から
詳細な説明を受けたあとなのだから、もう少し社会人としての
感性を働かせるべきだった。

今後、週刊誌やワイド・ショーでは、犯人の成長過程における
家庭内の『父性欠如』と『母親の過干渉』があれこれ取り沙汰
されることだろう。そして、識者と呼ばれるバカが必ず、
「現代に生きる我々はいつ加害者になってもおかしくはない」
みたいなことを言う。そりゃアンタだろ、って。
ご自分が、殺人鬼予備軍なのを自覚なさっておられるならば、
早急に無人島へでもお引っ越しなさることをお勧めする。

『常識力の復権』こそ現代日本の急務だとワシは思っている。
極めてシンプルながら、人類文明が生んだ常識は、これ。

ひとごろしはひとごろし、だ。

ひとごろし

秋葉原で七人が殺害され、十人が負傷する事件が起きた。
犯人は、借りたトラックで歩行者天国の真ん中へ突っ込み、
サバイバルナイフを振り回して、無関係な人々を刺した。
小、中学校では成績優秀、スポーツ万能で知られた加藤は
県下でトップクラスの進学高に入った頃から様子がおかしく
なっていった・・・と云々。その程度なら当たり前の挫折だ。
理不尽な死を一方的に強制された人々も、それぞれ人生に
哀しみや迷いを背負って、その日まで生きて来たのだ。

「俺が騙されてるんじゃない 俺が騙してるのか」
「いい人を演じるのには慣れてる みんな簡単に騙される」
(携帯サイトの書き込みより)
加藤は、全能感に酔いたかった=劣等感が異常に肥大して
いたのだろう。往来にトラックで突っ込んだこと、凶器が刃物
であったことの二点から考えて、無防備の歩行者、すなわち
反撃される恐れの少ない相手を狙ったことは明らかである。
警官の拳銃を前にして呆気なく投降したのもその証拠だ。
また、秋葉原へ行く前に渋谷へ寄っている。シブヤを通過し、
アキバを凶行の場所に選んだことにも、加藤の卑劣な計算が
働いているように思う。渋谷には、ケンカの強い奴が多い。
甘ったれた殺人鬼の心理なんざ想像するだに反吐が出るが、
身柄確保の瞬間、加藤は “素” に戻ったのではないか。

「大人には評判の良い子だった 大人には」
「友達は、できないよね」
25才にもなって「大人には」とは、つくづく畜生以下の男だ。
友達は自然に出来るものではなく、自分自身を磨き、高めて
作るものである。イマドキの学校教育では “みんなともだち”
などと共産主義みたいなホラを吹くから困る。

大人に気に入られたい子供と、子供に嫌われたくない大人。
一体、何に怯えているのか?

ひとごろし。
命の大切さを教えるのはもっともだが、頭で考えて理解できる
ようなことは、所詮、うすっぺらなものである。
理屈抜きに叩き込まなければ伝わらないことの方が大切だ。

被害者のご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
南無阿弥陀仏。

ランボーな非暴力

本日、遅まきながら、『ランボー/最後の戦場』を観に行った。
言わずと知れたスタローンの、代表作シリーズ最終章。
じつはワシ、『ロッキー』は何作か観たが、こちらは今回初めて
なのである。てなわけで、生卵をジョッキで一気飲みする男が
鶏を追っかけ公園の階段を駆け登り「エイドリア~ン!」と叫び
ながら弓矢でヘリを撃墜する映画、ぐらいに思ってた。
それでも今回、映画館まで足を運ぼうと思った理由は、物語の
舞台がビルマ(ミャンマー)だったからである。
「軍事政権の弾圧と虐殺に抵抗する少数民族カレン族のため
すでに隠居していたランボーが再び立ち上がる!」、と。
ワシの知人に、カレン族の村で実際に生活しながら取材をした
ジャーナリストがおり、また昨秋、同じ仏教徒であるビルマ僧が
素手で軍事政権の銃火に立ち向かったことも含め、他人事の
ような気がしなかったのである。

で、ランボー。問答無用に手足がちぎれ、首が飛ぶ。
なんか制作費のほとんどを虐殺のCGに注ぎ込んだみたいで、
残酷描写以外は、あまりにも中身なさ過ぎ。
冒頭に、昨年九月のビルマでのニュース映像が使われていた
ことを除けば、敵は宇宙人でも良かったかも知んない。
とはいえ、それ以上に情けなかったことがある。原版の台詞は
みな “ビルマ” で統一されていたにも関わらず、日本語字幕が
ひとつの例外もなく “ミャンマー” に変えられていたことだ。
これは、チベット「自治区」と同じで、独裁者側の言い分である。

観終わってから考えた。
もしもランボーが、チベットへ行ったらどうなるか、と。
ビルマ軍事政権を支えているのは中国共産党であり、チベット
侵略もまた然り。背景の政治構造は、ソ連のアフガン介入にも
共通している。ならば、『ランボー/怒りのチベット』だ。

<あらすじ>
上海の経済特区で悠々自適の老後を楽しむランボーのもとへ、
チベット人の美少女が現れ、故郷の惨状を切々と訴える。
最初は気乗りがしないランボーだったが、話を聞くにつれ怒りの
炎が燃え上がる。少女と共にラサを訪れたランボーは、若者を
集めてゲリラ戦の手ほどきをする。ところが青年達は、
「暴力に暴力で報いても、また更なる暴力を生むだけです」
と、ダライ・ラマ法王の教えを彼に説いて聴かせる。
愛想を尽かしたランボーがラサを去ると、突然、人民解放軍が

チベット全土に戒厳令を敷く。漆黒の闇が仏の都を包む・・・。
その時、中国軍のヘリに向けて一本の矢が放たれた!
帰って来たランボー!しかも非暴力の教えを守り、矢の先には
爆弾ではなく、ピコピコ・ハンマーが付いていた!

(今年八月、北京五輪開会式にて上映決定☆って、ねえよ)

哀しき異教徒

今日発売の『週刊文春』に、四川省成都で連行される人々の
写真が載っている。余震が続くなか、チベット族、というだけで
公安当局は取り締まっているのだ。

大震災報道で吹き飛ばされたが、敢えて今、ほんの三カ月前
まで中国共産党が繰り広げていた、ダライ・ラマ法王に対する
下劣極まる悪口雑言を振り返ってみようと思う。
「ダライが大嘘つきで、とんでもない破戒僧ということは中国人
なら誰でも知っていることだ」
「愚かなことに西側はダライの夜の顔を知らないのだ。本当の
顔を。チベットの女たちがどんな目に遭っているのかを」
これらは実際、中共がおおやけに配信していた中傷である。
ワシのところにも、留学生と称する輩から似た内容のメールが
送付されて来た。こんなもので “挑発できる” と思われたのは
わが不徳の致すところだが、純朴な支那青年ならいざ知らず、
これを真に受けるほど日本人は馬鹿ではない。わはは。

世界を閉口させたあの「ダライは悪魔だ」に応え、法王猊下が
頭の上に指で角を作って、私が悪魔に見えますか?と冗談で
切り返したのは、日本国内での記者会見。
ワシは勝手な想像ながら、そのことに歴史的な符合を感じた。

六十年以上前、日本の法王=天皇も、悪魔と呼ばれた。
敗戦の翌21年正月、昭和天皇の『人間宣言』が発せられた。
それは、占領軍による日本人洗脳計画が具体的に開始された
第一歩であり、その政治的背景については今日の歴史家から
数多くの問題点が指摘されている。
「朕は爾(なんじ)ら国民と共にあり。常に利害を同じうし休戚を
分かたんと欲す。朕と爾ら国民との間の紐帯は、終始、相互の
信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生
ぜるものにあらず。天皇を以て現御神(あきつかみ)とし、かつ
日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、延べて世界
を支配すべき運命を有すとの、架空なる観念に基づくもの
にも
あらず」
改めて一読してみて、これはあきらかに日本国民へ向けたもの
ではなく、占領軍側の言い掛かり的な誤解に対する反論だった
ことが分かる。キリスト教連合でもあった米英の目から見れば、
当時の日本は、天皇という “邪神” を崇めて唯一神に反抗する
野蛮な異教徒集団であった。

中共がダライ・ラマ法王を罵る時の口調を思い出さないか?

大それた場所

有楽町電気ビル20階、日本外国特派員協会にワシはいた。
そう、かの有名な『外国人記者クラブ』である。
かつてオウム真理教の村井(故人)が記者会見に応じた際、
てめえのインテリ度を自慢したいばっかりに、当時、所持が
疑われていたAK47カラシニコフ自動小銃のことを、
「アーカー・・・」
とロシア語風に言いかけて、武器に詳しいことが逆にバレて
しまったという、あの伝説の場所だ。

そんな大それた所へ、なんで一介の生臭坊主が訪ねたか?
というと、畏友にして兄とも仰ぐ報道写真家:山本宗補氏の
作品展示会が開かれたからだ。
最初、場所が分からなかったので駅前交番に聞くと、
「うーん。知りませんねえ」
と若い巡査。て、おいおい。外国特派員協会だぞ。この国の
テロ対策は一体どうなってるんだ?
外国人記者の皆さん、日本の警察は今あなたがいる場所を
知りません。どうか自分の命は自分で守って下さい。

さて、当たり前のことだが、フロアはみんなガイジンだらけ。
国際空港のラウンジみたいだ。
「あー、和尚。お久し振り。よく来てくれましたね」
にに日本人だ、ににに日本語だあ。(そりゃ有楽町だもん)
山本宗補さんが笑顔で迎えてくれた。時折テレビで拝見する
役者ばりの二枚目。天が二物も三物も与えた芸術家だ。
『Photo Exhibition : SEE YOU TOMORROW』
と銘打った作品展は、写真集「老いの風景~また、明日」を
世界に紹介する特別ギャラリーである。
僻地や離島で暮らす高齢者たちの、皺一本一本に肉薄した

氏のレンズからは、深い愛情が立ちのぼっている。

「立食パーティー形式なんで、自分でやってください」
山本氏は忙しそうに来客の波間を泳ぐ。世界的な写真家の
一面を垣間見た。うむ、せっかくだしメシ喰お。ワイン飲も。
んみゃあ☆やっぱ外国人記者クラブは違うねえ♪

鍼灸医から足の腫れが引くまで禁酒を命じられていることを
すっかり忘れてた。翌朝は、地獄・・・。(仏罰じゃ!)

小麦狂騒曲

先日のCX系『報道2001』で、名実共にバカ政治家として日本を
代表する自民党の加藤紘一が、やってくれました。
あの先生、現内閣で食糧問題にたずさわっておられるそうで、
原油価格高騰と小麦の不足が乳製品を含む国民の食生活に
深刻な影響を及ぼしていることを嘆いておられました。
「アメリカが言う、バイオ燃料生産のためなんて、そんな理由は
私はおかしいと思う」
おお、さすが。勝手に原油産出国イラクをぶっ潰したアメリカが
バイオ燃料を云々すること自体、世の中をおちょくってる。
また、合衆国にとって余剰小麦の処理は、経済全体に関わる
大問題である。小麦はパン食文化の基本ゆえ、その生産力は
国家経営の根幹を成す。結果、作り過ぎて、穫れ過ぎる。牛や
豚などの飼料へ回しても、なお残る。食品価格暴落を招く。
そこで合衆国政府は、時局に応じて対策を練り、たとえば戦後
わが国の学校給食を支えたあの不味いコッペパンやソフト麺、
脱脂粉乳などは、アメリカが無償でめぐんでくれた余剰小麦の
おかげである。だから、環境に優しいバイオ燃料を作るために
小麦が不足している、などというのは眉唾なのだ。

加藤先生、そのへんでやめときゃあ良かったのに、調子こいて
暴走してしまった。
「新興経済大国の中国とインド、この両国の消費が急速に増大
していることも大きな理由です」
まあね。
「中国では今まで鶏や豚が食肉の中心でしたが、最近は豊かに
なって牛肉を食べるようになった。牛と豚では育てるのに必要な
餌の量が違う。それが小麦不足を招いてる」
ここまではOK。ところが、
「インドもそうだと思いますよ」
だだ、大丈夫か?加藤紘一ッ!インド人は牛、喰わねえよ!

仮に加藤がインドへ行ったことがあるにせよ、どうせ日本国民の
税金使って一泊料金が現地人の年収を上回る超高級ホテルで
美食三昧だろうから、知らなくても仕方ないか。
肉料理と菜食料理ではコックさんが違い、鍋釜など調理器具も
わざわざ分けるお国柄なのだ。理由は『不殺生』の信仰。
インドの消費が増大したのは、IT景気による中産階級の台頭と、
今までカースト制度で虐げられてきた下層の人々が社会進出を
果たしたことによるところが大きい。


飢餓解決と食糧危機は、表裏一体なのである。
ベタベタ親中派の加藤紘一にしてみれば、中国だけが悪いわけ
じゃない、とでも言いたかったのだろう。

こんな「メタボ脳みそ」な政治家が、食糧問題を云々する日本の
不幸を、いかにとやせん。

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