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殺すなかれ

通り魔殺人が相次ぐ中、町村官房長官は、
「命の大切さを、教育現場で、あるいは家庭で、社会でしっかり
教えていくことからやっていくしかない」
結局、なんも言ってないのと同じ。彼の立場は弁解係みたいな
もんだから、まぁ、あれが限度でしょう。
そもそも人類文明始まって以来、「命の大切さ」という形而上的
概念を万人が納得するよう説明し切れたことなど、一度もない。
当たり前である。考えて分かることなら誰も苦労はしない。

さて、叡知の結晶、仏典や聖書はどう説いているか。
「Ahimgsaa(不殺生)」
「汝殺す勿れ」
“こうこうだから、殺してはいけない” 、とは書かれてないのだ。
地獄に落ちるから人殺しはダメ、なんて釈迦もキリストも言って
いない。そんなものは、所詮エゴの延長線上に過ぎず、理屈が
通れば殺してもよい、という考えを生み出すもとになってしまう。
あるいは中国や北朝鮮のように、無神論・唯物論を国是とする
連中には、地獄落ちの恐怖感などない。
だからこそ人類の叡知は、
「人殺しはダメ。とにかくダメなものは絶対ダメなの!」
と断言したのである。

真実は、単純なものなのだ。
「どうして人を殺してはいけないんですか?」
子供に問われて、いいオトナが知識人まで慌てふためいた。
「そんなことも分からなくなったのか」
と嘆いてみせた知識人たちは、じつは彼ら自身がそんな
ことさえ
考えた経験がなかったのだ。
すべての物事は説明出来る、というのは迷信である。
論理で納得させようとすれば、必ず反論を受けるのが人間社会。
なぜなら、人はエゴの生き物だからだ。

「命を大切にしましょう」
このスローガンが果てしなく空虚なのは、
「殺すな!」
と断言すべきところを、無駄に考えてしまうからである。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

すばらしい!このコラムを日本中の小中学校に配布すべきだ。
私もかねがね、くどくどと子供に屁理屈を垂れる教育が幅を利かせていることに不快感を抱いてきた。
「これ食べたくない」
「あれ欲しい」
「○○するの、いやだ」
幼子は口がきけるようになった途端、エゴ丸出しの要求と拒絶のオンパレードだ。昔だったら、食べたくないと言ったら罰があたるぞと睨まれ、欲しいと言えば我慢を強いられ、いやだと言えば叱られた。どれもこれも、人間のエゴの暴走を遮断するために必要な躾だったと思う。ところが今では、食べたくないと言えば、やれ赤い食べ物(蛋白質)黄色い食べ物(炭水化物)青い食べ物(野菜)と称して、食事指導から始め、欲しいと言えば金や物の大切さを説明し、いやだと言えば何故いやなのか聞いてから説得にかかる。時間と労力の無駄だし、子供が真っ先に屁理屈を覚えてしまってろくなもんじゃない。実際、善悪を差し置いて論破さえすればよいと思っている奴があまりにも多いではないか。
この屁理屈教育の根底にあるのは、いわゆる人権至上主義だと思いますね。子供だって立派な1人の人間だ、頭ごなしはいけないってね。バカも休み休み言ってくんねえ。

>HIROMI様
以前、ワシが努めた葬式で、こんなやりとりの現場に遭遇しました。
火葬場で遺体が炉に入る時、子供が親に聞きました。
「じいちゃん、どうなるの?」
当惑した親は、苦し紛れに、
「か・・・神さまになるんだよ」
子供はこう言いました。
「なんだ。じゃ、いなくなるんだ」
ワシはすぐに生命のはかなさと死の必然性を、子供でも分かるよう、切り花が
枯れる譬えで説明しました。それに対し、親が返した反応は、
「・・・ちょっと残酷ですねえ」

命の大切さは、死の必然と一対なのに、事実の好ましからぬ面から子供を遠ざけようとする。これが、ワシがイマドキ言われる「命の大切さ」に胡散臭さを感じる理由なんですね。

「殺すな!」
と断言すべきところを、無駄に考えてしまうからである。
>激しく同意です。

他人を殺す人も増えていますが、自殺を選ぶ人も増えていますね。

細部は人によって違うかもしれませんが、概ね「生きる理由が見つからないから死のう」という考えだと思うのです。

そもそも生まれてすぐ自分の存在理由を自覚している人などいないはずなのですが。ただ「生まれてきた」「生きている」というだけでは心が折れてしまうのですね(恥ずかしながら私もそんな時期がありましたが)。

理由がなければ受け入れられない、納得できない。だから殺してもいいし死んでもいい。私も未熟ですから偉そうなこと言えませんが(汗)そんな理屈(屁理屈?)に人は傲慢さ故振り回されてしまうのですね。

和尚様
へえ、「残酷」ねぇ。美しい花もやがて、枯れて朽ちる。ありのままを教えて何がいけないんでしょうね。さっぱりわからん。
私も、教え子に鶏の羽をむしらせ解体させ、鍋にしてに食べさせた高校教師の話をしたら、やはり聞いていたひとたちは「残酷だ」と言いましたね。昭和の中ごろまでは、そんなことは農村じゃ良く見られた光景だったそうです。その先生は、「命を喰う」ことを実体験で教えたかったんでしょう。

いまや肉は切り身だし、トイレは水洗だし、人の死に目は見られない。子どもの目に映る世界は、上っ面のきれいごとだらけ。夏休みは宮崎アニメの狂騒だし、もうウンザリしますよ。

>蒼天様
仰る通り、ひとは理由を欲しがる生き物なんですね。自己肯定のための自己説明が。だがそれは太古から人間が向かい合ってきた問題でもあるわけです。では、いにしえの人々はそれをどう克服してきたか?というと、広い意味での「宗教」なんですね。特定宗派を信仰していなくても、親兄弟であるとか友人であるとか、恋人やパートナーであるとか、子供であるとか、それらの存在を鏡として、人間は自己のありようを確認してきたわけです。ところが戦後日本は、そのような関係もしくは共同体を、個人尊重というタテマエで破壊してきた。この背後にはアメリカの占領政策と、旧ソ連や中国共産党の走狗であった日教組が『教育勅語』を徹底的に排斥したことも大きく関わっています。


>HIROMI様
じつはワシ、宮崎アニメ、嫌いなんですよー。
内容云々よりも、あの妙にか細い描線が、生理的に受け付けないんです。たしかに飛行場面の描写技術などには目を見張るものがあると思いますが、なんつーんでしょうかねー、肌に合わないんですよー。『侍ジャイアンツ』のトラウマかもねー。
ファンの方には申し訳ないですが、例えば『トトロ』の猫バス、あれって普通は気持ち悪い、と感じるものじゃないですか?

アンチジブリがここにもいらっしゃった♪確かにトトロの猫バス、妖怪じみてますよね。
私も、あの老若男女みんな同じ顔、力の入ってない描線が大嫌いなんどす。「アルプスの少女ハイジ」なんてゲルマンの顔じゃないっすよね。低い鼻で、ほっぺに赤丸つけて、韓国系に見える。「アルプスの少女」を夢中で読んでいた私には違和感ありすぎて。私はハイジがトラウマですね。

戦後の日本人は物理的にも精神的にもたくさんのものを奪われてしまったのですね…

自己肯定のための自己説明…先に「自己肯定」とあるところがミソですよね(w;)

そういえば、今の人間は「自分の勝手」「自分は他人とは違う」…そう思う(思いたい)あまり、家族や友人との繋がりも薄くなってしまって、それに代わる「自分をこちら側に繋ぎ止める理由」が必要であり、東奔西走している方多いですね。

なんだか虚しいことです。

おひさしぶりです。
仕事が忙しくなかなかこれませんでした。
新内閣を見て、これは
サイバーに書き込むしかないと思いきました。
日本に止めを刺すつもりの内閣なんでしょうか?
売国奴勢ぞろいの陣営にそろそろ日本でも
本格的にクー○ターや暗○を実行したほうが
国会議員の目がさめていいのではないかと思う今日この頃です。
こんな考えを持ってしまう私をお許しください。

〉ま〜様

新閣僚の二階と林は中共政府から歓迎メッセージが発表されるほどの媚中派。彼らが就いたポストがこの「安心実現内閣」の実体を表しています。また、民主党との大連立も消滅したわけではありません。そもそも福田の考えは民主党左派のそれに近い。こいつら中華人民共和国日本省工作員を駆逐するには、山拓やバ加藤に投票してしまうような選挙民の意識を改革するしかありません。

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