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『真剣』

友人のテレビマンと編集者の紹介で、試斬居合道の師範と
知り合った。先日、その道場を見学に行った。
正直に言うと内心は少々ビビッていた。師範の指導方針は
一定の段階に達した門下生に真剣を持たせること、そして
実際に斬らせること。とはいえ、もちろん「斬る」のは茣蓙を
丸めた仮標。しかし、太さや強度は人体を基にしている。
ワシのようなおチャラけた生臭坊主がヘラヘラ近寄ることは
許されない気がしたのだ。

約束の時間に訪ねると意外や意外、道場は和気あいあい。
師範は門下生らとチームのメンバーのように接し、想像して
いたような体育会系 “シゴキ道場” とはまったく違った。
だが本稽古に入った途端、空気は一変した。
まず師範が基本の型を行ない、門下生がそれに続くのだが、
師範の発した気合いは、まさに“神境”であった。

以前、これに似た大音声を聞いたことがある。
インドの佐々井秀嶺師が信者に頼まれてお祈りをする際に
唱える、「南無妙法蓮華経」がそうだ。
佐々井師の唱題は一種独特で、小さく「南無」のあと渾身の
気合いを込めて「妙」、そしてまた小さく「法蓮華経」。
しかもその「妙」たるや「うおぉっ!」に聞こえるほど凄まじく、
インド仏教徒の魂の奥底へ届く“仏声”である。

道場で拝見した居合の技で、特にワシの心をとらえたのは、
介錯(かいしゃく)。すなわち『首斬り』の技だ。
前後の所作の美しさは、死を前にした者への礼節と慈悲に
満ちあふれ、ひとたび振りかぶると一刀両断。
おそらく斬られた者は、痛みも痒みも感じないことだろう。

「持ってみますか?真剣」
師範に勧められて手にしてみる。その瞬間、電撃が走った。
これは自分を斬る(=律する)ものだ、そう直感した。
次いで、正眼の構えを真似た時、これは合掌だ、と思った。
考えてみれば、試合も合掌も「手を合わせる」という。

合掌とは、自分を斬る真剣なのだ。
敢えて言うまでもないが、キャバ嬢がブランド物をおねだり
するポーズではないのである。(介錯してもらえッ、ワシ!)

『真剣』 光文社新書 黒澤雄太著 定価760円税別
師範の仏教に対する深い造詣に裏打ちされた必読の一冊。
巷に氾濫するなまじの仏教書よりずっと言葉が活きている。

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