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瞳
無事にナグプールへ到着した。
インドにいると、感受性の或る一部分だけが特化して鋭敏になる。それは主に宗教性についてだが、少々困った副作用も引き起こす。宗教性以外のことにはとんと無頓着になることだ。どこにでもいるような少女の何気ない眼差しに、神秘の匂いを感じてしまう。大概は思い過ごし(相手にとっては大きなお世話)なのだが、ここナグプールでは必ずしもそうとは限らない。この少女も、自分たちを「人類」として認めないヒンドゥー教を離れ、仏教に改宗した家族の娘だ。彼女の瞳に、ブッダの哀しみを見て取ることは、決して過剰な感情移入ではない。

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コメント

無事インドに着かれた様でなによりです。

垂れ流しの「情報」の嵐の中に居ると、人間が本来持っている感覚が鈍りますよね。
和尚様もきっとインドに行くと人間本来の感覚スイッチがONになるんでしょうね。(普段以上に)

ここにコメント書かれている皆様も情報の嵐に流されない感覚をお持ちの方たちばかりですが、日本に居てその感覚を持ち合わせるのは大変だと思いました。

普段、人の「目」を見ることはあまり無いと思いますが、ここの人たちは人の車の中でも平気で覗き込みます。
目が合うとニコッと笑っていきます。
最初はとても抵抗がありましたが、最近では近所のおっちゃんと「目」で挨拶できるようになりました。
「目は口ほどにものを言う」を実感しています。

この少女も和尚様の目を見て心の安堵を感じたんではないでしょうか。

〉まねき猫様
相手の思いを正しく受け止めたい、こちらの気持ちをきちんと伝えたい、という人間(じんかん)性は、どうやら不便な生活のほうが育つようです。利便性と効率を求めると、人間本来のダイナミズムが失われる。要は、『人情』ということだと思います。

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