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2009年1月

あそうラーメン

風花がみぞれと交差する日、ワシは都の郊外にいた。
かじかんだ手が、荷物の重さとカミソリのような真冬の
冷気に、赤く痛む。つか、マジ腹へったなあ。
ケータイでラーメン屋を検索。ほお、結構あんじゃん。
やっぱこんな日は、トンコツかな。いや、冷えた体には
背脂ごってり極太麺か。うんにゃ、北海道系だろ。

迷うより歩け、が信条のワシは、とりあえず片っ端から
見て回ることにした。
店頭にワックス・ワークがある店はパス。それだったら
駅ビル内の食堂と変わらない。知られざる名店を探す
ことこそ、慣れない街の楽しみ方だ。なんてな。
あちこち歩くうち、その崇高な哲学理念も空腹の前に
挫けてきた。へーへー、どうせワシは意志薄弱ですよ。

昔懐かしい中華そば屋風の暖簾を見つけた。
赤地に四角い渦巻き模様で縁取りした、例のやつだ。
忍耐力の限界(かなり臨界点は低い)が来ていたので
飛び込む。そうだよ、ここ名店なんだよ。たぶん。
お店の中はカウンターと椅子席、というごく当たり前な
造り。 壁にはおしながきとホッピーの広告、謎の演歌
歌手のポスター。そそ、こういうとこがウマいんだ。
昼飯時も手伝ってか、まずまずの賑わい。
「んじゃ、特製ラーメン、ひとつ」

お待ち遠さまでしたあ☆特製になりまあす♪
来たかあッ!・・・って、これ、トクセイだよ、ね?
レンゲ無し、明らかに自家製ではないチャーシューと
メンマ、普通の茹卵が半個。醤油系で、ちぢれ細麺。

ぬあるほど。敢えて何も変えない『逆オバマ戦法』か。
くっくっく。面白い。おおよ、受けて立とうぞ!

え? えええ? まんまじゃん。
外食産業が崖っ縁に立つこの時代、もしかして店主は
自暴自棄なのか? ならばせめてマズくする工夫ぐらい
してくれ。攻撃される気構えぐらい持ってくれ。
まさか、先細りで自然消滅、なんて政府与党みたいな
展開に酔っているのか。この、無くても誰も気づかない
超極薄チャーシューは、いわば定額給付金かッ!?

凍てつく風の中、満ちた腹と冷えた心を抱えたワシは、
祖国の行く末を案じつつ、ゲップをした。

老将、吠ゆ

使い古された言い回しだが、一冊の本との出会いが人生を
変えることがある。
ジャーナリスト、作家:山際素男氏。
氏の著作こそわが人生を大きく変えた運命の書であった。
18年前、ただ仏跡参拝のために初めてインドを訪れたとき、
脳味噌を金属製たわしで引っ掻き回されたようなすさまじい
カルチャー・ショックを受け、帰国後、いわゆる「インド病」に
罹り、インド本を読み漁る中で、山際氏の著書と邂逅した。

白状するがその時まで(坊主になって十年経過していたが)
アンベードカル博士はもとより佐々井秀嶺師の存在もインド
仏教の実情も、本当にまったく知らなかったのである。
『不可触民の道』-インド民衆のなかへ-
読みながら、肌が粟立った。佐々井秀嶺。そんな日本人が
あの国に、この現代にいたのか。なにしろ当時(恐らく今も)、
一般常識では“インドで仏教は衰亡し現在は存在しない”と
思われており、それどころか、本職の僧侶を育成する機関
においても、同様のことが教えられていたのである。
だが、事実は正反対。しかも、インド仏教徒の先頭に立って
獅子奮迅の働きをしているのが、日本人だったのだ。
以来、取り憑かれたように山際氏の著書・訳書を買い集め、
氏の文体が自分の口調に移るほど、どっぷり浸かった。

その山際素男氏と、ついにお会い出来ることになった。
光文社副編集長小松氏のご尽力だ。
約束の時間、奥さまと連れ立って現れた山際氏は、小柄で
飄然とした翁。思わず、仙人、を連想してしまった。
名だたる仏教学者の誰もが成し得なかったアンベードカル
博士『ブッダとそのダンマ』の完訳をやり遂げ、また15年
以上に渡り佐々井秀嶺師を取材、評伝小説『破天』を書き
あげた
人物が、いま自分の隣に座っている。正直、震えた。

先達に教えを乞おう、と日頃の存念を聞いていただく。
日本仏教界が、仏教の故国インドで今まさに仏教が復活し、
その偉業を牽引しているのが同じ日本人であるに関わらず
無関心、無反応な現実を如何にとやせん、と。

「坊主は嫉妬深いんだよ。嫉妬深い奴が宗教家になるんだ。
おっと、アンタも坊主だったっけね。わっはっは☆」

脳天に稲妻が落ちた気がした。
そう、嫉妬なのだ。この自分が仏門に入ったわけも、思えば
絶対に裏切らない恋人、いつでも自分だけを見ていてくれる
恋人を捜し求めた挙げ句、それをブッダに仮託したのだ。
キリスト教とイスラム教の対立も、信仰という名の“愛着”と、
その裏返したる“嫉妬”に起因するに違いない。
「佐々井秀嶺ここにあり!ってことを知らせにゃいかん!」
山際素男氏は気炎を上げた。

この、老将の檄、に応えねばならない。

平成阿呆陀羅経

ここんとこ数日、三面記事では「仏事ネタ」が続いている。
平成日本人が伝統的儀礼についてガイジンなみに無知
なのは、それをなりわいとする宗教者側の無自覚が反映
していることは、云うまでもない。「葬式仏教」を批判する
坊主が、理屈は達者でも読経が聞くに堪えないものなら
世間様からそっぽを向かれる。当たり前のことだ。
PRAYER(祈る人)は、優れたPLAYER(選手)でなければ
ならない。もちろん、自戒を込めて。

『刑法第24章 礼拝所及び墳墓に関する罪』
(礼拝所不敬及び説教等妨害)
第188条  神祠、仏堂、墓所その他の礼拝所に対し、
公然と不敬な行為をした者は、六月以下の懲役若しくは
禁錮又は十万円以下の罰金に処する。
2 説教、礼拝又は葬式を妨害した者は、一年以下の懲
役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。

過日、都内某所の葬儀場で、柩を突き落とし遺品や花を
散乱させたとして、警視庁は葬式妨害罪の疑いで容疑者
何某を逮捕した云々。
亡くなられた方、ならびに御葬家には、あらめて御冥福と
お悔やみを申し上げる。合掌。南無阿弥陀仏。
ふうむ。しかし、知らなんだ。
葬式の最中、ガキを走り回らせてるバカ親も、犯罪者。
ケータイ鳴らして読経を邪魔するおっさんも、犯罪者。
説教をシカトして世間話に興じるおばはんも、犯罪者。
どいつもこいつも懲役っ!禁錮じゃあぁぁぁッ!

てなこと考えてたら、クソ坊主の不祥事が飛び込んできた。
「朝はよから車の音がうるそうて困らせたろと」
大阪府の某住職が、寺院門前の運送会社のシャッターに
塩をまき、錆びさせたとして、取り調べを受けた。当初は、
「霊が見えたさかいお清めしたっただけですねん」
などと言い逃れしていたが、捜査員の「喝っ!」にビビって
おとなしく犯行を認めたそうな。
「はよ錆びるよう水まいたこともありましてん」
その住職は過去十年間にも渡って、塩をまき続けていた。

・・・ く、くぉんぬぉ、ド外道めがあ。
ストーカー坊主こそ、塩まいて追っ払えぇぇぇぇぇ~ッ!

ブッシュ後の世界

初の黒人米国大統領誕生。被差別者がさまざまな抑圧を
跳ね返して全世界のリーダーとなった、という一点でのみ
ワシはオバマ氏に快哉を送る。
彼が、いわゆる「奴隷の末裔」ではなく、ネガティヴな面も
多く伝えられていることも知っているが、それらを一蹴して
余りある努力を彼が成した、という証明に他ならない。
米国発の世界恐慌、そして、ユダヤ・キリスト教とイスラム
教の対立は、まるで終末神話を具現化したかのようだ。
そんな時代にバラク・フセイン・オバマ氏が大統領に就任
したことは、『天の配剤』といって良いのではないか。

オバマ新大統領がアフガン増兵を公約したことについて、
なぜか西側メディアは俎上に載せたがらない。
毒を食らわば皿までと、米国と一蓮托生の覚悟を決めて
いるならともかく、サクセス・ストーリーに隠れて大虐殺を
報じない態度には、嘔吐を催す。
差別を跳ね返した新大統領の美談が新たな被差別者を
生み出していることに気付かねばならない。
差別される痛みは、当事者にしか体感出来ないものだ。
足を踏みつけながらその相手に対し、
「何もそんなに痛がらなくていいじゃないの」
と言い放ち、挙げ句は、安全地帯へ逃げ込んで、
「こっちだって痛い思いしてんだから」
などと口を尖らせる者がいる。愚かを通り越して哀れだ。

それでも他人事でない分、まだ許せる部分もある。
だが、北朝鮮による拉致事件で親北的態度をとる連中の
吐く言葉は、思わずその神経を疑ってしまう。
「オバマ新政権は中国重視、北朝鮮との関係も改善され、

東アジア情勢は安定の方向へ向かうでしょう」
そんな世迷い言を、保守本流と称する自民党の政治家が
口にするのだ。この結果、チベットは合衆国からも見捨て
られ、ビルマは中国の後ろ楯でますます軍事独裁が進み、
拉致被害者はさらに帰郷の日が遠のく・・・。
どれもこれも他人事なのだ、わが国の政治屋さんには。

かりにも『平和主義』を標榜するなら、初の黒人大統領が
生まれた今こそ、世界のリーダーよ平和のリーダーたれ!
と諫言すべきではないのか。

オバマ新大統領への「逆差別」は、すでに始まっている。
だが彼は、それらも見事に跳ね返すことを信じたい。

『禅 ZEN』

高橋伴明監督作品『禅 ZEN』を観に行った。
日本曹洞宗の開祖、道元禅師の生涯を描いた映画である。
あたりまえだが坊主といえどもタダではない。きっちり一般
料金1800円也を自腹切った。ま、とりあえず業界の話題に
ついてけないと困るしね。
しかし、観る前から期待感は薄かった。
空海の物語なら超絶的カリスマだし、親鸞なら結婚問題や
弾圧やらで波瀾万丈、日蓮ならとにっかく特濃キャラだから
作品として成立しやすいだろうけど、うーん、道元ねえ。
なんか、ずっと坊さんが座っているだけの映画になっちゃう
気がするなあ。てなことろが、正直な思いであった。

ワシは横浜にある曹洞宗二大本山の一つがご近所なので、
妙な親近感を勝手に持っている。
そこで修行する若い雲水が、青々と剃り上げた頭と新品の
作務衣姿で庭掃除などしている光景は、とても清々しい。
彼らが、夜ごと焼き肉屋に繰り出し、酔った勢いで風俗店に
なだれ込み、逆におねえちゃんから説教されたりすることも
よく知っている。べつにいいんじゃね?若い証拠だし。
もちろん、真剣に取り組む者もいるだろう。
「只菅打座(しかんたざ)」
ひたすらすわる。それは、立ち上がったときなにをするか?
という意味ではないか、と念仏坊主のワシは思っている。

さて、本編について。
組織の身内褒め、もしくは布教目的の動員映画になるのは

宗教モノの宿命といえるが、いくらなんでもこりゃヒドイ。
唯一、共感できたのは道元の『反権力』の姿勢だけで、後は
ただ礼賛一色。葛藤も煩悶も、まったく描かれていない。
批判的に書くと「宗派が違うから・・・」等と邪推されそうだが、
実際、そのレベルにすら達していないのだ。
恐らく教団側から陰に陽に、圧力じみたなにがしかを受けた
であろう高橋監督の、忸怩たる思いは察するに余りある。

禅が、不動なる大岩、を目指すなら、念仏や題目は、
「ROCK'N ROLL(転がり続ける岩)」
なんだな、と改めて感じた。

1800円、返せ~ッ!
ワシはその金で、特製つけ麺大盛全部のせ、を喰う!

地獄ドライブ

1000ccに関わらず15万キロ走破に耐えているわが愛車に
鞭打ち、アクセル目一杯踏み込んで国道を疾駆していると、
前方に蛇行する大型車を発見。げ、あぶね。
冬の陽光を受けて銀色にきらめくタンクと、あたかも後続を
威嚇するかのような「毒」の文字が目に入った。
危険薬物を運搬している緑ナンバー。戦車みたいなもん。
クラクションを鳴らそうか?と思ったが、もし逆ギレされたら
困る。万が一、チェイスを仕掛けられたら敗北は必至だ。
ここは三十六計と、さらに加速し追い越しを試みる。
前へ出てからミラーを確認すると、タンク車の運転手さんは
なんと片手でお食事中。しかもがっつりマジ喰いだ。
ワシも時々やる(もちろん違反ですよ)けど、いくらなんでも
毒を運んでる最中に、そりゃないんじゃねえの。

てなことを思いつつ、たびたびチラ見してたら運転手さんと
目が合った。先方、臆することなくメンチを切ってきた。
(やべ。ワシ死ぬかも知んない)
とにかく相手は「毒」を持ってるのだ。いかなる抵抗手段も、
最終的にはムダな悪あがきに終わってしまう。
頭の中を、電光の勢いでさまざまな展開シミュレーションが
駆け巡った。ここは天下の公道、逃げ場はない。
煽られる、追突される、信号待ちで降りてきた運転手さんに
胸ぐらつかまれ、食べかけの調理パンを口にねじ込まれ、
「おいこら!ナメんな坊主、なんとか言ってみろ」
「ふんがほごほご、ごっくん」
「てめえはサザエさんか、ゴルアァァァァッ!」
・・・dead。
ああ、ワシがこの世で最後に口にするのはむくつけき野郎の
唾液にまみれたコンビニの調理パンかあ。

ゼエタク言わないから、せめて裸エプロンの巨乳ギャルから、
「はい☆あ~ん、して♪」
と、オムライス食べさせて欲しかった。南無阿弥陀仏。

こみ上げる涙に霞んだ瞼の裏に、お花畑のむこうから手招き
する御先祖さまが見えた。オイデオイデ、と。
じゃなくて地獄で仏、停止を促すお巡りさんであった。 蛇行に
気付いた誰かが、110番通報してくれたらしい。助かった!

「ダメですよお坊さんなのに信号無視しちゃあ」

曲学阿世

朝青龍に殺害予告!と聞いて、そんな強い奴おるんか?と
ワシは考えた。って、素手で挑むわけねえわな。
だが「既知外」が大手を振って罷り通る世の中、横綱並びに
関係者各位、なにとぞご用心くださいませ。
この手の「愉快犯」を聞くといつも思うのだが、気力と体力が
有り余り過ぎて、そのぶん妄想力が暴走している感じだ。
横綱が気に喰わなけりゃ相撲見なきゃいいじゃん。
「国技を冒涜してる!品格がない!」
ほおー、どちらの偉いさんですか。要は、そいつを負かしたら
いいだけのこと。ノー・サイドだったら品格ありますかね。

ワシは格闘技全般が好きだから相撲も見る。確かに朝青龍
の取り口には、相撲っぽさ、がない。アルティメット系だ。
かつて曙がとやかく云われた時、ワシは、
「初の外国人横綱なら、初の“覆面悪役力士”になれぃ!」
と提唱した。ぜひ朝青龍関にもご検討を頂きたい。
ネット掲示板で生かすの殺すの悪ふざけに興じるクソガキは
言うに及ばず、てめえでは汗も流さず痛い思いもせず、口先
だけの御託をならべる連中よりも、鍛え上げた肉体で悪役を
演じる戦士にこそ、ワシは共感を抱くことが出来る。

前置きが長くなったが、さて、今回の表題。
「きょくがくあせい」と読む。
学問的真実をネジ曲げて権威におもねるエセ学者、の意。
じつは、アカデミズム業界には、そんなゴキブリみてえな学者
先生がうじゃうじゃ巣くっているそうな。
新たに真実が発見されても、発見した人物が気に喰わない、
というだけで、「白」を「黒」と言い換える学者もいる。

先日、知人の解放活動家から電話をもらった。
「ガイド・ブックを読んでたら、『世界の迷い方』インド編の中に
ひどいデタラメが載ってましたよ。インドの仏教徒は総人口の
約0.7%、ですって。仏教徒一億人が0.7なら地球はインド人で
埋め尽くされちゃうじゃないですか」
・・・まったくだ。じつは、この数字には政治的ウラがある。
ヒンドゥー教徒が圧倒的な多数派を占めるインド政府とっては
反カーストの立場をとる仏教は、ある意味、邪魔な存在。
そのため、公式発表する数字は意図的に矮小化され、日本の
政府も外向的な損得勘定を優先して、嘘に乗っかっている。
しかも、永田町から鼻薬を嗅がされた日本を代表する学者が、
インド側の発表にお墨付きを与えているのだ。
ちなみにその学者先生、武士の情けで実名は伏すが、政府の
有識者会議で顧問を務めるたいそうな御方である。
で、どうやら学者先生の本心は、
(佐々井秀嶺が気に喰わないからインド仏教は無いことに・・・)
にわかに信じがたいことだが、そんなもんなのである。

呆れるねえ。・・・ふ~む。学者と愉快犯は、同類なんだな。

行動する仏教

久々に『大法輪』を手に取った。くだんの月刊誌は、いわば
仏教のヲタク本で、その筋が内向きの言葉ばかり吐いてる
印象を個人的に持ってたので、ワシはここ数年遠ざかって
いた。つか、ぶっちゃけ、あんまオモロクねえし。
今回その禁を破って(笑)手にした理由は、わが畏友にして
兄とも慕う写真家:山本宗補氏の寄稿を読むためだ。

 月刊『大法輪』第76巻 平成21年第二号
   *圧政と闘うビルマ僧に聞く*
     -世界仏教徒会議と「行動する仏教」-

山本宗補氏は「エンゲイジド・ブディズム(行動する仏教)」を
取材テーマのひとつに捉え、軍政下のビルマに潜入を敢行、
アウンサン・スーチー女史への単独インタビュー中、現地の
秘密警察によって身柄を拘束され、国外退去処分を受けた
という、本物の報道写真家。しかも男前♪ときたもんだ。
(あんまり褒め過ぎると本人から苦情が来るのでこの辺で)
そんな御方を平気で「ムネさん」と呼ぶワシはたかが一介の
葬式坊主に過ぎないのだから、罰当たりな話ではある。

山本氏が報じたのは、昨年11月東京浅草寺に近いホテルで
開催された『第24回世界仏教徒会議日本大会』の模様だ。
主催は我が国伝統仏教58宗派の連合体、財団法人全日本
仏教会。 日本開催は三十年ぶりで、しかも全日仏創立五十
周年を記念した一大イヴェントだった。
が、ワシゃぜんっぜん知らなんだ。 たまたま前日、山本氏と
歓談していた際、「明日、浅草行く?」と訊かれ、花やしきの

ジェットコースターを連想したくらいであった。

さて、大会当日の詳細は、山本原稿をお読みいただくとして
ワシが何度も頷いた箇所をご紹介したい。
  「大会は大成功だった」とする全日仏が大会終了後に
  出した大会宣言書にはがっかりした。そこには、四川
  大地震被災者支援は触れているが、チベット僧に対す
   る武力行使については一言もない。
  ビルマについても、名もないたくさんの僧侶が軍隊に
  よって殺害され、逮捕投獄され、かつ拷問されている
  現実に対し憤りが全く感じられない。
  ビルマ軍政と中国政府に対して、僧侶に対する夥しい
  人権侵害を即座に停止するよう諭す文言もない。
  宣言文は、「人々と苦悩を共有し多くの社会問題解決
   へと具体的な行動を起こすことを宣言する」とまとめら
   れているが、宣言を実のあるものとする実践を心から
   願う。

か~、案の定、って感じだなあ。
チベット仏教弾圧やビルマ仏教弾圧と僧尼虐殺に関しての
外交的判断を優先した態度には、いつもながら脱力する。

昨年の4月26日、長野市で北京五輪聖火リレーに際し、
「FREE TIBET! WE WANT JUSTICE!」
と、一緒に声を枯らした青年たち。これが全日本仏教会の
現実です。代わりに謝ります、本当にごめんなさい。

妖刀ムラサメ

帰国した翌日、いまや「百年の知己」となった(とワシが
勝手に思っている)居合道の師範を道場に訪ねた。
稽古初めはまた後日だそうで、その日はお時間を頂き、
歓談に興じさせてもらった。
インドで佐々井秀嶺師に師範の人となりを話すと大変な
関心を示していたことや、佐々井師が武道史にも造詣を
持ち、元「不可触民」仏教徒の護身のためインドの地に
空手を定着させたことなども語らった。

いやぁ、ワシが半日近くも師範のことばっかり熱弁してた
もんだから、佐々井師に“おまえ、気があるのか?”って
からかわれちゃったよ。むはは☆
「え、そっちすか」
それから、あのじいさんってかなり無邪気なとこあるから、
師範に“妖刀村雨”をくれるよう頼んでくれ、だってさ。
「村正、ですよ。ムラサメはフィクションです」

場所柄が寺院の武道場なので、お正月ということもあり、
正面に祀られた武神:毘沙門天にインド仏教式の読経を
奉じた。パーリ語で三帰五戒を唱える。
「わー、なんかすっごく気持ちいいっすねえ♪」
幸い門弟諸氏にも喜んでもらえた。
思えば、戦後日本社会は“戦争の反省”という名のもと、
自己内面への『武』、すなわち「もののふたる矜持」まで
捨ててしまった。毘沙門天の忿怒は、内側への怒りだ。

歓談の際、“ワシや師範はキャラが濃いほうか?”という
話題になった。
「和尚は濃いでしょ。でも僕は、ぜんぜん濃くないですよ」

そう師範がマジメに言うと、門弟諸氏は目線を落とし、
(やっぱこのひとわかってねえし)
と嘆息した。

『刎頸の友(ふんけいのとも)』。
代わりに首を刎ねられても良いと思えるほどの友、の意。
・・・ちょーっと待ったあぁぁっ!
師範は介錯の技を使えるから、クビちょん斬られるのは
ワシだけじゃん。ううむ、洒落にならん。

乙女の未来

乙女の未来
乙女の未来
ナグプールを去る前夜、薬剤師を目指す仏教徒の女学生たちが、ワシに会いにきてくれた。夕方の勤行のあと、寺の前庭で即席座談会を開いた。尤もらしい説教は柄じゃないので、昨年体調を崩したことなど、不摂生の失敗談で座を和ませた。質疑応答のコーナーでは、ワシがふざけて好きな映画スターを尋ねたのに対し、かなりシリアスな問いが上がった。
「日本女性の高等教育就学率は?」
「雇用機会の男女差は?」
「日本女性の社会進出と結婚後の労働環境は?」
など。そしてその質問のどれもが、カースト制度による差別と虐待、という数千年にわたる苦しみを背景にしているのである。
「あたしのスターはアンベードカル博士ね」
そう言っておどけた乙女の笑顔が、観音菩薩に見えた気がした。

愚かな報復

愚かな報復
帰国前日、イスラエル軍によるガザ地区への空爆、いや、パレスチナ・イスラム教徒非戦闘員に対する大量虐殺を伝えるニュースが飛び込んで来た。日本にいれば対岸の火事で済むことだろうが、インドでは地勢的、宗教的にそうはいかない。今回の虐殺は、そのタイミングから考えて、昨年11月26日ムンバイで起きたイスラム過激派テロへの報復、とも見ることが出来よう。たとえ合衆国大統領が元イスラムの黒人に変わろうと、ユダヤ資本の世界支配に揺らぎはない、とのメッセージか。あまりにも愚か過ぎる。世の中には本心から「平和が嫌い」な奴らがいるのだ。だが、そんな馬鹿どもの背中に隠れて「へーわへーわ」と酔漢の鼻唄を繰り返しているのが、ワシら日本人なのである。

庶民の味

庶民の味
ここインドでも「庶民の味」の代表は、インスタントラーメン。言うまでもないが、カレー味。それを写真のごとく、お皿にぶちまけてスプーンで食べる。どう考えてもフォークのほうが食べやすいと思うのだが、おそらく大英帝国植民地時代に押し付けられた「スープ」文化の影響であろう。ちなみにインドのインスタントラーメンは、平均的茹で時間がニ分、と日本より短い。あの気の長いインド人がどうしてあと一分待てないのか。地元の友人に聞いたところ、彼は事もなげに言った。
「気が長いからニ分なのさ。もし三分も待ってたら、ラーメンを茹でてることを忘れてしまうんだよ」
・・・これもインドの神秘ではある。

新年の新婚

新年の新婚
新年の新婚
暗く苛酷な差別の中で、一輪の白蓮が愛の花を咲かせた。おっと、つい浪花節に駆られて恥ずかしいこと言っちまったい。とにかく、めでてえことにゃちげえねえ。御託は要らぬ、高砂や♪。仏教徒の青年男女がこの日、結婚式を挙げた。不可触民居住区の寺で、仲間内だけのささやかな式であったが、新郎新婦を、ブッダの微笑みが確かに包み込んでいた。

村が消える

村が消える
佐々井師のもとには連日連夜、面会者が途切れることはない。写真は、下校途中に立ち寄った地元女子高生グループ。今やわが国では博物館にもいない「無垢で純情可憐な乙女」たちである。公正を期すため敢えて云うなら、彼女らに囲まれてご満悦の表情を浮かべる老僧もまた、現代日本ではほぼ絶滅した「侠気と義理人情の男」である。
この夜、遅くに現れた陳情団の口からは、想像を絶する事態が告げられた。なんと明日、約百五十人の暮らす村落が、強制的にブルドーザで破壊される、というのだ。立ち退き通告は直前まで伏されていた。それもそのはず、真の理由は、「不可触民集落だから」。
その村には、あの女子高生のひとりが暮らしている。佐々井師の形相が瞬時にして『不動明王』のかんばせと変わり、新たな闘いに立ち上がった。

今年のおせち

今年のおせち
お正月、ということで特別に供養された夕食メニュー。写真右から、プーラン・プーリ(甘い“おやき”)。中央は菜っ葉の炒め物(殺人的超激辛)。左は生煮えのご飯。以上、インド不可触民仏教徒にとって、かなりリッチなフルコースでございます。日本仏教のお坊さん方、ちょっとぐらい心が疼きましたか?え、なんも感じなかったって?あ、そっすか。まぁ、そちらは極楽、こちらは地獄ですから、共通感覚が成立しえないんでしょうね。同じ仏教徒のはずなのに。

*謹賀新年*

*謹賀新年*
2009年、平成廿一年の劈頭を飾るのはやはりこの人、この顔。男一代菩薩道、仏教の故国インドで差別と抑圧に喘ぐ民衆と車座になって泣き笑いを共に四十有余年、人の世に光と人間(じんかん)に熱をもたらす男、大菩薩道の人にして大煩悩道の人、インド仏教徒一億人の指導者、佐々井秀嶺師。
写真は、その生涯を賭けて開顕に心血を注ぐ龍樹(ナーガールジュナ)法城遺跡。

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