『小三治』
求道者(ぐどうしゃ)。 かような厳めしい形容が、この洒脱を
きわめた名人噺家に相応しいかどうか知らない。
だが、ドキュメンタリー映画『小三治』を観て、そう思った。
柳家小三治師匠。独演会チケット即日完売の、生ける伝説。
その風貌は短髪と痩躯も手伝ってか、ストイックな修行僧の
ようにも見える。否、むしろ「芸道の夜叉」と云うべきか。
師匠の“芸”に料理されると、既に完成されたはずの古典が
まったく別個の姿で立ち現れて来る。
「こんな噺だったのか!」
映画の冒頭、扇子を煙管にして、悠然と煙草をくゆらす師匠。
高座だから落語だろうが、つい至芸に見とれてしまう。
それが『欠伸指南(あくびしなん)』と分かった時、一瞬呆気に
取られた。この映画がドキュメンタリーとして成功した瞬間だ。
小三治師匠は子供の頃から歌が好きで、オーディオ・マニア
としても知られ、またバイクや車をこよなく愛する顔も持つ。
「遊びは、真面目にやらなきゃ遊びにならない」
すべては芸の肥やし。しかも、肥やしにしてやろう、だなんて
野暮で無駄な「力み」はこれっぽっちも見せない。
個人的感想を一つだけ言えば、小三治師匠と弟子が交わす
師弟の情に、ワシ自身の体験を重ねて、泣けてしまった。
「教えることは何もない。ただ見てるだけでいい」
『らくだ』。死体を背負ってカンカン能を踊るという、ブラックな
名作。小三治師匠の「鬼気」が奔流となって客を巻き込む。
映画終盤、『鰍沢(かじかざわ)』は、まさに圧巻。
人間のエゴと悪意、身勝手な欲望と表裏一体の御利益信仰。
どうしようもなく愚かでいとおしい人間の本性。
観客(独演会場も映画館も)は、“偽らざるひとのいとなみ”を
眼前にして、古典が伝える「笑い」と「哀しみ」を知る。
この傑作ドキュメンタリーが単館上映とは、あまりに惜しい。
柳家小三治、という名人と同時代を生きていることの希有な
価値を知れば、人生は倍の意味を持つに違いない。
「これも、お材木(=御題目。信仰)のおかげ」
鰍沢のサゲが解らなくなったとき、日本人は滅びるだろう。
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(;´Д`A ```小三治師匠のドキュメンタリー映画が存在することすら知りませんでした。
テレビでチラッと観たのですが、たしか師匠は持病を圧して高座に上がっていらっしゃると…。私は落語はあまり明るくない分野なのですが、師匠の姿に「こうやって生きていくのだ」と教えられる思いがします。
投稿: HIROMI | 2009年3月 4日 (水) 10時58分
>HIROMI様
いやマジで、傑作ドキュメンタリー映画でした。DVD化されたら是非ともご覧いただきたいです。今やスピードで消費される「おふざけ」程度のお笑いがブームになっていますが、人間の業を笑いながら抱きしめる本物の『芸』こそ、現代日本に必要なのではないかと思います。
投稿: 電脳和尚 | 2009年3月 4日 (水) 11時38分