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『反骨のブッダ』

  • 高山龍智: 『反骨のブッダ』インドによみがえる本来の仏教(コスモトゥーワン出版)

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2009年4月

転法輪

転法輪
佐々井秀嶺師の気力体力は、まさに超人!としか言い
ようがない。お供するワシや報道陣は、かなりヤバイ。
油断すると膝から崩れ落ちかねない。
「疲れが取れないからビタミン剤を買ってこい!」
は、仰せの通りに。・・・って、マジっすか?
徳川家康を守る服部半蔵を以てみずから任じるワシは
影の如く佐々井師の背後で奔走する。にんにん。
「団子、喰いたい」
ははあっ!おやかたさま。

仏教でいう『転法輪(てんぽうりん)』とはブッダの説法を
古代の武器になぞらえた表現である。
梵語:Dharma Chakra。パーリ語でDhamma Chakka。
古代ローマ式の戦車もしくは円盤状の投擲武器とされ、
いにしえの人々にとって、究極兵器であった。

佐々井秀嶺師来日は、一部の日本仏教関係者にとって
リーサル・ウェポンとなるだろう。
既得権益に安住し、血統におごり、舌先三寸で世を渡る
紫衣の鵺(ぬえ)たちは、早晩、滅んで消え去る。
そのときこそ、インドに続いて日本でも仏教が復活する。
と、信じたい。

無敵コラボ☆

無敵コラボ☆
無敵コラボ☆
佐々井秀嶺師&女子高生。これぞ天下無敵。ちぇけらッ!
なんたってジョシコーセーである。
きゃわゆひ♪のである。はつらつ☆元気娘なのである。
おぢさん、マジちょーうれしーんですけどぉ。

上野の御山の西郷さんの前で記念すべきスーパーショット。
じつはね、このおじいちゃん、すごいひとなんです。
インド仏教復興運動の大指導者で、約一億人ともいわれる
信者をひきいる、ダライ・ラマ級のVIP。
まぁ、たしかに見た目はフツーのおじいちゃんだけどねー。

光文社新書から出てる『破天』はこの人の半生記。
ちょーブ厚くて読むのマジしんどいんですけど、読んでね。
アスペクト出版から出てる『男一代菩薩道』もこの人の話。
こっちはけっこう読みやすいかも、みたいな。

写真、見切れちゃったコ、ごめんネ。

光と熱

光と熱
光と熱
去る26日、首都圏某所に於いて、後世のアジア史に
刻まれるべき大きな出来事があった。
佐々井秀嶺師による日本初の『アンベードカル祭』が
ついに開催されたのである。
この日、在日インド仏教徒を中心として日本人有志も
駆け付け、熱き歴史の胎動をまさに実感した。
まずは佐々井師の調声に従い全員でパーリ語の三帰
五戒を誦し、ブッダとアンベードカル博士を礼拝。
次いで、在日インド仏教徒が日頃の活動報告や研究
発表を行ない、歓喜のうちに式典は進行した。

いよいよ佐々井師登壇。
「今日は日本の方もいらっしゃるので、ヒンディー語で
はなく、一番苦手な日本語でお話しします」
かつて若き日、浪曲師として高座を勤めた佐々井師の

話芸は、四十有余年を経てもなお見事であった。
随所に笑いを取り混ぜながら、潮の如く寄せては引く。
しかし語られる内容は、わが国のマスコミが権力に膝を
屈して伝えない、凄まじい人権抑圧の事実。
佐々井師は現在もその最前線に立ち、命を捨てて義を
貫いているのである。見てみぬふりは出来ぬ、と。
思想や信仰以前の、人としての熱。これが佐々井師の
行動原理なのである。

この日の参加者で、日本仏教既成宗派に属する僧は、
ワシと弟弟子のM君、たった二人だけだった。

人の世に光あれ。人間(じんかん)に熱あれ。

ホの字のひと

ホの字のひと
「日蓮上人ご生誕の地をお参りする。おいっ、案内せい!」
うーむ。そうきたか。
佐々井秀嶺師四十有余年ぶりの来日には、日本仏教各宗派
開祖の生誕地もしくは入寂の地を、もらさず巡礼する、という
大きな目的がある。なぜなら今年秋、インド中南部ナグプール
郊外のマンセルに「大乗八宗の祖」ナーガールジュナ(龍樹)を
顕彰した大寺院が落慶する見込みだからだ。
宗派云々のこだわりなど、『9.11』以後の時代を生きる人類に
とって、百害あって一利無し、である。
違いを認めて共存の道を探す、もはや人類に残された希望は
それしかない。我が神・我が仏を尊ぶなら、汝が神・汝が仏を
尊ぶこと。分かりやすく云うなら、てめえが誰かに本気で惚れ
抜いた経験があれば、他人の恋のトキメキを理解できるはず、
という、至極当然の道理に過ぎない。

でもしかし、なんだかなあ。
そりゃ確かに、成田空港から入国して一番近い所にある宗祖
御生誕の地といえば、日蓮上人の安房小湊:誕生寺、だ。
けどねえ、ワシが身を置く浄土真宗と、日蓮宗とは、歴史的に
宿命のライバル関係、みたいなもんなのよね。
なにせこちとら日蓮さんから、ルール無用の反則攻撃、
「念仏無間(ねんぶつむけん)」
南無阿弥陀仏を称える奴らは地獄へ落ちるぜ!fuck off☆と
股間を蹴られた側である。ワシ、完全なアウェイ状態じゃん。

佐々井師は真言僧だったが、親鸞に心酔し、語録『歎異抄』を
愛読する。同時に、日蓮さんも崇拝してるし道元禅師も敬う。
そのうえすべての教学が中途半端でなく、また、実践を通じて
ありきたりな理解範囲を突破する領域にまで達している。
これまた分かりやすく云うなら、恋の甘さも苦みも知り尽くした
“慕情の達人”、“ホの字のひと”、ということだ。

「ようこそ、誕生寺へ。がっははは☆」
見ず知らずの参拝客に気安く声をかけ、破顔一笑。
平成日本人にとって、珍獣、もしくはエイリアンとの遭遇だ。
「南無妙法蓮華経!南無妙法蓮華経!」
境内のド真ん中で豪快に唱題。フツー、寺僧でもやらねえぞ。
「いやあ、じつに素晴らしい。気持ちいいなあ」

・・・そうでしょうよ。

佐々井師来日!

今まで秘してきたが、あの佐々井秀嶺師が日本の土を
踏んだ。四十有余年ぶりのことである。
インド仏教徒一億人をひきいる大指導者にして、義理と
人情に生きる『炎の男』が、去る21日朝、ついに帰って
来たのである。
ワシと報道陣、そして、在日インド仏教徒らは、前夜から
成田市の大禅師のご好意に甘え、早朝の出迎えのため
お寺に合宿。本堂をお借りして、佐々井師の無事到着を
祈った。みな一様に、高揚していた。

21日、成田空港。
一人で荷物を推しながら、佐々井秀嶺師は帰ってきた。
迎えに出た人々から拍手が沸き起こる。
「日本の土を踏んだらまず第一番に高尾山へ行く!」
青年期時代、佐々井師が修行した寺だ。
山本秀順阿闍梨の膝下で薫陶を受け、阿闍梨が私費を
投じてタイヘ留学させてくれたにも関わらず、若気の至り
から出奔、単身、インドへと渡った。
この日の高尾は霧が立ち込め、深山幽谷の趣だった。
佐々井師は兄弟子である管主との再会に決して敷居を
跨ごうとせず、三和土に土下座して無沙汰を詫びた。
その後、山本阿闍梨の墓前に参った佐々井師は、万感
胸に切々と迫り、顔をくしゃくしゃにして嗚咽した。
同行させてもらったワシらも、泣いた。

22日、新勝寺。
成田到着の翌日、再び成田市へトンボ返り。
インド仏教復興運動のため多大なご助力を下さった先代
猊下の墓前に参る。ここ新勝寺でも、土下座を貫く。

「私には敷居を跨ぐ資格などありません!」
とりなす寺僧の勧めをかたくなに断り、ひたすら懺悔する
佐々井秀嶺師。・・・こういう人なのだ、この人は。

今回の来日には、テレビマン小林三旅氏が完全に密着、
ドキュメンタリー番組としてCX系NONFIX、
『男一代菩薩道2(仮題)』
オンエアに向けて鋭意撮影中である。(放送日未定)

すべての現代日本人よ、佐々井秀嶺師に刮目せよ!

『スラムドッグ』

超必見☆。インド映画:『スラムドッグ$ミリオネア』
断言しよう、スピルバーグ作品を十本見るよりこの一本、と。
ムンバイに暮らす貧しいイスラム少年が主人公、という設定
だけでも、他のどの国も真似できない。
アカデミー賞8部門受賞は、アメリカの良心だと思いたい。
日本で「クイズ$ミリオネア」の名称で放送されている番組は
世界各国が版権を共有し、それぞれ国柄でアレンジを加え、
人気を博している。インドではヒンディー語の、
『Koun Banega Caloure Patty(誰が億万長者になるか)?』
というタイトルで放送され、絶大な高視聴率に、
「映画館の客入りが悪くなった」
と“アジア最大の映画王国”の業界人が訴えたほどだ。
初代番組司会者は国民的大スター:アミターブ・バッチャン。
一時休止した後、日本にもファンが多いシャー・ルク・カーン
の司会で特番として復活した。

さてこの映画、司会者役のアニル・カプールに注目。
80年代後半に青春スターとして頭角を現し、90年代ヒット作
には必ず出演していた演技派俳優。彼の主演で、日本でも
公開された『1942 a Love Story』は、不朽の名作だ。
(独立前夜の北インドを舞台にした物語。“ガンディー主義”
だけではない、民衆の血と抵抗を描いた魂を揺さぶる傑作。
現在もネット通販等でDVD購入可能。英語字幕付き)
今作のアニルは、若い無名の主演者を目立たせるワキ役に
徹しつつ、渋い演技で見事に画面を引き締めている。

それに、もうひとつ。こちらは是非とも大注目☆の点。
警察の取調室シーンでは、スクリーンの左側中段辺りに目を
配って欲しい。刑事の背後に、なんとアンベードカル博士
肖像
が祀られているのである!
さらに物語上で、刑事が少年に、1000ルピー札に印刷された
マハートマ・ガンディーの絵を指し示した時、少年は、
「名前なら聞いたことあるよ」
と笑い飛ばす。 これは、一般的インド映画でも、またインドを
舞台にした外国映画でも、前代未聞!と云って良い。

虐げられた貧しいイスラム少年が取り調べを受ける部屋には、
人間解放と仏教復興の指導者:アンベードカル博士が祀られ
ており、少年は、『偉大なる魂(マハートマ)』を、鼻で笑う。
ここに込められたメッセージを見逃してはならない。

「This is real India(これがインドの本当の姿です)」
少年の台詞である。それに対し、お人好しな米国人観光客が、
「わたしが本当のアメリカを見せてあげるわ」
まさに、『9.11』以後の世界を暗喩した名場面であった。

さあ!何をさておいても『スラムドッグ$ミリオネア』を見よ!
そして、メッセージを読み取れ!

本能

先日、NHKでアマゾン奥に住むヤノマミ族についての
ドキュメンタリーが放映された。
約十年もの歳月をかけてブラジル政府と交渉を重ね、
スタッフが彼らと生活を共にして、撮影したという。
一万年あまりも文明化を遂げず伝統的な生活形態を
守っている、と番組は云う。
当然のことながら歴史的に西洋人によるカトリックの
布教や医療行為、研究等の文化介入はあった。
それでもヤノマミ族が、いわゆる、
『Cargo Cult』
(西洋文明の恩恵を先祖霊の御利益と思い込み狂信
するキリスト教受け入れ前の段階的な民間信仰)
に陥らなかったのは、清々しくさえ思える。

非文明の部族の暮らしゆえ、狩猟や屠殺のシーンや
ありのままの出産現場、生まれた赤子の間引きなど、
血や臓物などの露出場面が番組中にあった。
文明生活をおくる視聴者の目には生理的な恐怖感や
不快感を与えることも、やむをえないと云えよう。
だがそういった嫌悪の感想が、日頃は人権派と称し、
ジェンター・フリーやら子供の権利やらをうたっている
御仁の口から聴かされたら、どうだろうか。

「番組の抑制の利いたナレーションと、彼らの生活を
神話のように描いたのが救い。そうでなければ、グロ
テスクに尽きただろう」
あ?・・・神話、だと? グロい、だと?
バカも休み休み言え!ファンタジックなのはてめえの
脳みそだろうが、この差別主義者!

おおらかな性行動の末に未婚の少女が出産、間引き
せざるえない現実を、あっさり唾棄する人権屋。
挙げ句は、出産に一切男が関与しない古典的風習に
までジェンダー・フリー礼賛ゆえに不快感を表す。
はいはい。狩猟にも育児休暇ね。動物と商談せにゃ。

本能の反対語は、理性ではない。
理性は時として不遜に走り、「理」と「利」を混同する。
私利私欲は、理性の裏付けがあって成り立つ。

ホンノウ(本能)が濁れば、ボンノウ(煩悩)になる。

レッド見参!(後編)

禅師の笑顔に包まれる。どうぞ、と奥へ案内された。
「こちらが〇〇総長の△△師です」
あ、いや、ジャイ・ビーム!じゃなくてナマステ!でも
なくて、その、はずぃめますぃて。
緊張する余りなぜか東南アジア訛の日本語になる。
(ぼ、僕ぅわ、ヨギータ・ラガシャマナン・ジャワリカと
申すぃます。らがぬしゃ、むるぽこ)
チュートリアル徳井のネタが脳裏に浮かんだが、今
ここでそれをやったら大破壊だ。自制する。
高僧方は、みな一様に面食らった表情だ。なにしろ
イキナリ目の前に戦隊レッドである。すんまへん。

場所を変え、膝を交えて禅師からお話を伺う。
禅仏教はまるっきり門外漢のワシだが、しなやかで
きめ細かな大徳の風光に触れ、“なにか”を感じた。
その“なにか”が分からないのがワシの愚かさだが、
言葉で考え、理解しようとすれば頭蓋骨の大きさを
一歩も出ない。学問は、机の面積を越えられない。

禅師が初めて佐々井秀嶺師に出会った時、佐々井
師は掘っ建て小屋の中で、牛糞の上に藁を敷いた
寝床で横になっていた、という。
差別され虐げられた人々とまったく同じ生活環境へ
身を置いていたのである。
佐々井師を『炎のひと』とすれば、禅師は、対照的に
物静かで優しい、『清流のひと』である。
このふたりだからこそ、数十年もの長き渡り、友誼を
保ち続けて来られたのであろう。
父の戦友。そんな懐かしい気持ちが、胸に満ちる。

夕刻より他の禅僧方も交えて、一席が設けられた。
「いやあ、ワシは一向一揆の末裔ですから」
がっははは☆・・・次第にブレーキの利きが甘くなる。
動物的カンで「敵」と見れば自然に守備を固めるが、
味方だと感じたらノー・ガードで間合いへ飛び込んで
しまうのが、ワシの悪い癖である。

後日、その席で面識を得た禅僧からメールが届いた。
「強烈なお話しぶりに圧倒されました」

やっちまったな。

レッド見参!(前編)

レッド見参!
レッド見参!
京都南禅寺は観光客で賑わい、右を向いても左を
見ても、『るるぶ』と『じゃらん』の大行進だった。
桜吹雪が舞う中、上から下まで赤褐色のインド式
装束に身を固めた異形の坊主が、まかり通る。
「くふふ。ワシ、五右衛門サイドの人間だし」
不敵な笑みを湛えつつ、赤い袈裟を風になびかせ
由緒ある名刹を闊歩する。
南禅寺三門は、天下の大泥棒:石川五右衛門が、
「絶景かな、ぜっけえぇぇぇいかぁなあぁぁ!」
と、中指立ててrock'n'roll☆した超有名スポット。
しかしワシの中では、なぜか五右衛門がルパンの
キャラで斬鉄剣を構えている。
「♪ ひよおぉぉ~っ、テンっ、テテテテ、テン!」
登場SEの笛と鼓を口ずさみながら、三門へ昇る。
周りにいた観光客はあきらかに怪訝な顔で、
(見ちゃダメ、気付かないふり!)

禅師とお約束した時間よりもだいぶ早く着いたので
フツーに観光してみる。
なんとも気持ちが盛り上がらない。そりゃそおだ。
小堀遠州作の『枯山水庭園』、と云われても坊主に
とっては日ごろ見慣れた景色みたいなもん。
「来週もまたモアベターよ」
その“コボリ”じゃねえって。と、ひとりボケツッコミを
してたら、女子大生グループに気味悪がられた。

時間が来てケータイが鳴る。あ、いま境内にいます。
寺務所へと伺う。受付のおばはんに怪しまれる。
若い雲水らも(なにコイツ?)目線でメンチきってくる。
遊園地の戦隊ヒーロー・ショーでもあるまいし、突如、
禅寺に真っ赤なオヤジが出現したのだ、無理もない。

「やあ、はじめまして」
いよいよ禅師と対面。 <以下、後編につづく>

南禅寺へ

名刹、京都南禅寺の高僧とお会いできることに
なった。なのでワシは京都へ行くの。明日。
しかしこんな乱暴者が伺ってもいいんだろうか。
お電話では何度か禅師とお話しをさせていただ
いたが、温厚で慈悲に溢れた、菩薩の海潮音。
臨済宗の大物、と聞いて初めは勝手に“豪快な
禅僧”をイメージしていたが、実際にお声を拝聴
すると、まさに『悟達のひと』であった。
「ご自分で見事な仏像を彫られる芸術家タイプ」
友人がそう評していたことも頷けた。

かたやワシは「ひとり一向一揆」の問題児。
竹槍を舌鋒にかえ、常に赤色灯を回転させてる
24時間臨戦態勢のコンビニ型バトル屋、だ。
ブッダを仰ぐ仏教僧、といってもこちらの場合は
筋肉少女帯の『釈迦』である。
「♪ トロロの脳ずううぃ~(シャララシャカシャカ)」
そんな外道が、歴史と由緒ある臨済宗南禅寺派
御本山なんぞへ行ったら、途端に仏罰が下って、
「頭破作七分(ずはさくしちぶん)」
アタマが破裂して七個のパーツになり飛び散る、
と経典に書いてある。ひょえ~!マジっすか。
南禅寺といえば“湯豆腐”が名物。ワシの脳髄が
昆布だしで煮られる光景を想像してしまった。

禅師は若かりし頃、単身インドへ渡り、その当時
まだ無名の存在だった佐々井秀嶺師と出会った。
以来数十年、肝胆相照らす数少ない法友として、
佐々井師の活動を支援しておられる。

「まあ、戦友ってとこだなあ」
そう云った佐々井師の表情は、肉親を思うときの
ように穏やかで、なごんでいた。

念仏と禅。わが国精神文化の基盤である。
鎌倉時代初頭、浄土宗太祖:法然と臨済宗祖師:
栄西(ようさい)は、ほぼ同時期に仏教改革という
大偉業に着手した。共に「反骨のひと」である。

明日は京都。

鬼手仏心

要は、打ち上げ花火をひとに向けてはいけません、という
たったそれだけのことだ。某自称平和主義者は、
「テポドンが、てぽ・ド〜ン!と飛んで来たからって、すぐに
制裁措置とか言うのは、違うんじゃないかなあ、と。まずは
じっくり粘り強く話し合うべきなんじゃないかなあ、と」
ウケを狙ってるとしたら、下劣極まる。
同胞の生命が危機に晒された局面で駄洒落を言う神経を
“平和”と呼ぶのなら、平和とは、なんと無慈悲だろう。
今も北朝鮮では餓死が断えることなく、また多くの日本人
拉致被害者が恐怖と闘って生き抜いておられる。
愛する肉親をさらわれ30年以上待ち続ける被害者家族に
なおもまだ「じっくり粘り強く」を強要するのか。
抹香臭い言い方をして恐縮だが、こういうのを仏教では、
『外面似菩薩内面如夜叉』
(げめんじぼさつないめんにょやしゃ)
と云う。外ヅラは一見、やさしげで穏健そうだが、内ヅラは
冷酷無比かつ残虐非道、を意味する。
もしも、平和なるモノがそれを良しとするほど陰惨な事態で
あるとしたら、「幸せ」と「平和」は、相容れないことになる。

念のため、テポドンとは今回のムスガンリと同じく、ミサイル
発射場の地名であって、兵器名称は「労働(ノドン)」。
だから、テポドンが飛んで来れるわけがない。
ついでながら弾道弾とは、弾道、すなわち弧を描いて飛ぶ
兵器のことで、衛星軌道とはまったく異なる。

「アメリカの学者も、弾道ミサイルなら大気圏再突入のため
先端が尖っているはずだが北朝鮮のは球状だから衛星の
可能性が捨て切れない、と言ってるのに」

果てしないアホだ。いまどき、軍事衛星から盗撮されている
なんざ常識以前であり、どこの世界にバレバレの弾頭部を
発射前に放映させる馬鹿がいるか。
「PAC3で迎撃してもし人工衛星だったらどう謝罪するつもり
なんでしょうか」
領空侵犯した相手にあやまる謂われはない。
「もし仮に核弾頭でもPAC3が的を外したら自衛隊が国民を
傷つけることになるんじゃないでしょうか」
迎撃対象を反れたパトリオットが日本国土へ落下する前に
北朝鮮の核ミサイルが日本国民を虐殺する、そんなことも
分からないで平和を論じるとは、無責任にもほどがある。

ひとの国から中古自転車を盗み、潰して溶かしたアルミで
ミサイル作るような山賊と、なにを話し合うのか。
その間どれほど無辜の涙が日本と北朝鮮両国で流される
と思っているのか。キザな物言いだが、平和とは涙を笑顔
に変えることだ、とワシは信じている。

『鬼手仏心』(きしゅぶっしん)
外ヅラは鬼のようでも、内ヅラに仏を宿して行動すること。

反骨パイコー

反骨パイコー
ノドンの飛来に恐々とするなか、それとは関係なく
わが百年の知己らと横浜中華街にて会食。
『龍鳳酒家』
居合道師範のご推奨。あの食通としても知られた
作家、故:池波正太郎氏いきつけの店である。
絶妙な広東家庭料理に、我を忘れて陶然となる。
よく、「カントン風」といえば甘口でとろみをつけた
だけの贋作が多いが、ここは本物。マジうま☆
特にお勧めは「パイコーのトーチー」(写真)。
豚スペアリブを黒豆と和えた炒め物で、皿全体が
お袋の味的な優しさに満ち、心と腹に染みる。
ついつい、紹興酒のピッチも早くなる。

心酔していた文士氏の訃報に接して以来、ワシは
感情の針が振り切った状態というか、スウィッチが
ONになったまんまだったので、紹興酒も手伝い、
ひとりでまくし立ててしまった。
ワシが、今は亡き文士氏から“受け継いだ”と勝手
に思ってるのは、権威に屈さぬ反骨精神。
「反骨だよ仏教は。ブッダもアンベードカル博士も
佐々井師も眼前にある不義不正に黙することなく
立ち向かってる。鎌倉時代の親鸞や日蓮もそう。
この反骨を失ったから日本仏教は死んだんだ!」
スペアリブの骨をしゃぶりながら反骨を云々してる
生臭坊主。ぜんっぜん説得力ねえなあ。

「そのパンクな感じがいいんですよ」
テレビマン氏が頷いてくれた。
温厚な編集者氏も、眼差しで応えてくれる。師範は
ワシの“気”の乱れを武道家の勘で敏感に察知し、
さりげなく流してくれる。
おかげで、どれほど勇気づけられたことだろう。

その日、横浜の夜は冷え込んだが、ワシの胸には
友が灯してくれた火が赤々と燃えていた。
・・・あ、紹興酒か、これ。

上から目線

新年度。まずは『世界史』授業のおさらいから。
18世紀前後、英・仏・葡・蘭など欧州列強の植民地
争奪戦によって分断された頃のインド三角大陸。
かつて日本人が“天竺浄土”と憧れた釈尊の国は、
栄華の夢も露と消え、白人に媚びて下位カーストを
犬猫以下にあしらう特権階級だけが、斜陽貴族の
坂道を転げ落ちゆく「細密画」の世界・・・。
とまぁ、そんな情景をイメージしていただきたい。

インド南東部にある仏領ポンディシェリーの教会へ
フランス人司祭が赴任してきた。
「ぼんじゅ~る♪皆さんは神の前で平等で~す☆」
戦国時代のわが国へ宣教師が訪れた時の拠点は
他でもないインド。アジア植民地化の基地だった。
そういう外道な毛唐が『平等』だとかホザイてるわけ
だから、ウマくいくはずがない。
司祭は或る教会で、不可触民と“人類階級”が座席
を分けて礼拝し、両者のあいだが内壁で仕切られて
いたことに気付いて、大激怒した。
「おめえら、主をナメてんじゃねえぞゴルアァァッ!」
すぐさま内壁は撤去された。

ここで終わってりゃ、美談ですんだ。
数日後。教会へ礼拝に来た高位カーストの奥様が、
神様にお参りする際の印度的習慣として、精一杯に
おめかしをし、香水を振りかけて来た。司祭は、
「アんだてめえ? キャバかよっ!」
と、また大激怒。衆人環視の前で容赦なく罵倒した。
「いいか。これからはクリスチャンらしく地味な格好で

来い。どいつもこいつも、わかってねーなあ!」
分かってないのは司祭のほう。先の内壁の件といい、
プライドを傷つけられた“人類階級クリスチャン”達が
総決起し、暴動に発展。ついには戒厳令状態となり、
フランス総督府は以下を決定。
「インド人クリスチャンが許可なく四名以上集まれば
共同謀議と見なし、反乱罪を適用する」
結局、再び教会に内壁が設けられて、元の木阿弥。

このエピソードは『9.11』以後を生きる現代人に多くの
示唆を与えてくれる。
人権、平等、平和うんぬん。上から目線は禁物だ。

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