2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
フォト

« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »

2009年6月

使用前使用後

使用前使用後
使用前使用後
上の写真は、タイの寺院へ留学直後の青年僧:佐々井秀嶺師。
わけー!しかもちょいイケメンてか?
(インド版「TIME」のような雑誌『バーラト』の表紙より)
青年僧秀嶺は、タイでヴィパッサナー(毘波舎那=観)瞑想法を
習得し、“すわる仏教”にひとつの答えを見た。
だが若き秀嶺に平安は訪れなかった。愛の嵐に飲み込まれた。
やがて、
逃げ出すようにタイを出奔、インドへと渡った。
はちゃめちゃな大煩悩道のひと、である。

下の写真は見てのとおり、現在の佐々井秀嶺師。
母国行脚の道すがら、くたびれ果ててお昼寝しているところ。
(開き直ったヒキガエルではない)
“すわる仏教”から立ち上がった佐々井師は、今日までひたすら
歩き続けて来た。時に石もて追われ、時に転びながらも。
「逆風こそが応援歌だよ、がはは☆」
決して楽天家ではない。グチも言うし、やつ当たりもする。
それでも最後は周囲を笑顔で満たし、共に再び前進を開始する。
はちゃめちゃな大菩薩道のひと、である。

インド仏教徒は熱いシュプレヒコールを交わす。
「Sasai bhante ji aage bolo!」
(ササイ・バンテ・ジーと一緒に声を上げよう!)
「Ham tumhare saat hai!」
(私たちはあなたと共にいる!)

伝説のライブ!

伝説のライブ!
伝説のライブ!
伝説のライブ!
6月27日土曜、山梨県甲府の『桜座』にて、実験的ライブが上演
された。日本を代表するシタール奏者の伊藤公朗氏、文楽人形
遣いの吉田勘緑氏、公朗氏の御子息でギタリストの快氏、そして
このワシの声明によるパフォーマーの異種格闘技戦、
「Sitar Fantasia extra vol.4 響想」
がおこなわれた。初夏の甲斐路に、情念の炎が燃え上がった。

(写真はリハーサル風景)

演目は、吉田氏の提案による即興的オリジナル。
タゴールの詩“ベンガルの苦行者”を題材にとり、舞台を日本へ
移して、求道者と娘のラブ・ストーリーを描きだした。

 <物語>
僧と少女は幼馴染み。或る時ふたりは再会し、恋に落ちる。
精神の高みを目指す僧は、本心を殺して、娘を避けようとする。
悩んだ娘はみずからを責め、病いに倒れる。
僧は狂乱する。目の前にいる娘ひとりを幸せにしてやれなくて、
なんの救い、なんの神、なんの仏であろうか!
ラスト。僧は蘇生した娘を抱きかかえ、共に光につつまれる。

上演時間約一時間半。通し稽古は、たった一度だけ。
それを大成功に導いた吉田氏、伊藤氏親子に感謝申し上げる。

「Play is Pray (演、すなわち祈り)」
・・・またやりたい!

龍神

龍神
龍神
龍神
高尾山中は琵琶滝にて水行する佐々井秀嶺師73歳。
年寄りの冷や水、と云うなかれ。
こんなことマジでやっちゃうから凄いんだ、このひとは。
同行した取材陣へのサービスで、
「もいっかいやる?」
と三度挑戦。とはいえ最後は、くちびるパープル。
しかしこの画像、拝んだだけで御利益ありそうだよなあ。

☆てなわけで、ちゃっかり告知。
今週末、甲府でシタール奏者:伊藤公朗氏×文楽人形
使い:吉田勘緑氏×ギタリスト:伊藤快氏、そしてワシの
声明コラボで、ライブが開かれます。

◎日時 6月27日土曜 17時開場 18時開演
◎場所 『桜座』(甲府駅より徒歩10分)
山梨県甲府市中央1-1-7   電話055 233 2031
◎料金 3500円(カレーと飲み物付き)

なにが起こるか分からないジョイント・ライブ!来てね♪

佐々井師去る

佐々井師去る
佐々井師去る
佐々井師去る
6月23日火曜、佐々井秀嶺師はインドへ帰って行った。
日本各地に「光と熱」の嵐を起こして。

行脚に用いた菅笠と金剛杖は、日本に残した。
何かを断ち切る思い、を感じた。

見学デッキに上り、最後の最後まで見送った。
佐々井師搭乗機が離陸する際、万感の思いを込めて
ワシは怒鳴った。
「とっとと帰れっ!この野郎おぉぉぉぉっ!!」
・・・そうでもしなけりゃ、泣いていた。

さて、次回からは佐々井ファン必見の超激レア画像を
特別大公開だ☆乞ご期待♪

最後の墓参

最後の墓参
最後の墓参
出立を目前に控えて、佐々井秀嶺師は高尾山を登拝した。
生涯の師:山本秀順貫主と出会った、思い出の地。
「日本を去る前に、もう一度お師匠様へご挨拶せんとな」
二か月前、成田空港到着後、真っ先に訪れたのもここ高尾山
だった。日本の土を踏んだらまず最初に師匠の墓参りをする、
そして出国する時はきちんと今生のお別れをする。
佐々井師は、義のひと、である。

山本秀順師は戦時中、ブッダの説く「不殺生戒」に則り、当時、
日本の仏教界が権力に膝を屈して戦争支持へ走る中、敢然と
戦争反対を唱え、のべ四百日に及ぶ過酷な拷問を耐え抜いて
信念を貫いた傑僧であった。
獄中で、ややもすれば揺らぎそうになる山本師を支えたも
のは
親鸞の語録『歎異抄』の言葉だった。
後年、門下に加わった佐々井師は山本師からその本を授かり、
むさぼるように読みふけった。
「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
悪人、とは自分のことだ・・・と。

「俺の嫌いな言葉は、人間失格、だな」
それは、失格する手前で諦めた者が口にする言い訳だから。

諦めるのはいつでもできる。
佐々井秀嶺師が残した、われわれ日本人への宿題だ。

ジャイ!よ、響け

ジャイ!よ、響け
ジャイ!よ、響け
ジャイ!よ、響け
佐々井秀嶺師日本最終講演にお越しいただいた皆様、
心より感謝申し上げます。
龍谷大学の関係者各位、学生諸君、本当にありがとう
ございました。皆様からの熱い「Jay!」の声に送られて
日本を去りゆく佐々井師は、また「Jay!」に迎えられて
インドの大地に降り立ちます。
まさに、日本とインドで「Jay!」が共鳴し合うのです。
この新たな歴史の幕開けを導いたのは他でもなく、日本
各地で講演に駆け付けてくださった、皆様です。
佐々井師から『こころのちから』を受け取ってくださった
皆様。今度は、日本人が『こころのちから』で立ち上がる
番です。ジャイ!の雄叫びと共に。

 追記:
 帰りに声をかけてくれた龍大生三人組、ありがとね♪

新たな旅へ

新たな旅へ
いよいよ明日、佐々井秀嶺師日本最終講演。
4月21日成田空港に到着以来、ひとときも休むことなく、
母国の各地を行脚し続けた。
「これが最後」
その胸中を、なんぴとも計ることは出来ない。果たして
一体、どこの誰が四十有余年間も異国、それも最下層
民衆と同じ水を飲み、同じ物を食べ、彼らのために命を
賭して闘うことができるだろうか。
ある者は軽々しく云う。“また来ればいいのに”、と。
情けなくなる。また、が無いから真剣なのだ。

某所で佐々井師の講演を聞いた者が、賢しらに批判を
公表しているようだが、恥を知れ!と言いたい。
インドの「不可触民」がどのような暮らしの中で、仏教に
救いを見い出しているのか、頭で想像したぐらいで理解
できるはずもない。これは、痛み、の問題なのだ。
痛みが伴わない教理教学なんざクソの役にも立たぬ。

インド仏教徒の生活。
薄暗い掘っ建て小屋の中には、床が無い。
土間でじかに寝起きする。仏教徒であっても、お線香や
ロウソク、数珠などを買うお金は、無い。
壁にはヤモリが這い、掌より大きな蛾が飛び交う。
そんな暮らしを、ただ生まれた血筋だけを理由に強制
された人たち。佐々井秀嶺師の仏教は、彼らの痛みを
正面から受け止め、立ち上がるちからに変える。

『闘う仏教』とは「痛みを知る仏教」なのである。

6月18日木曜 15時より  京都 龍谷大学(西本願寺隣)
大宮キャンパス清和館3Fホール。

そして佐々井師は、新たな旅を始める。

艶歌の花道

艶歌の花道
「ちょっと気分転換に古本屋を見て歩きたい」
佐々井秀嶺師が言った。
はて、どんな古書をお探しか。やはり、高価な仏教書か。
「最近の日本の若者が行くような店がいい」
てなわけでインド仏教徒一億人の大指導者をご案内し、
かの有名な“ブック○フ”チェーンへ。
「おー、凄い凄い!ここはなんでもあるじゃないか!」
超ハイ・テンション。もはやスキップ状態。
「中古のしーでーもあるぞ。おい、演歌を探しなさい」
見つけましてございます!
「ん。でかした。どれが良いと思うか?」
その時ワシに御告げが下った。藤あや子、を薦めよ、と。

小説『破天』に描かれたとおり若き日の佐々井秀嶺師は、
自己に内在する「魔性」と対峙してきた。
佐々井師に似合うきょうびの演歌、否、艶歌歌手といや
藤あや子をおいて他にいない、とワシは思った。
「ほお、べっぴんだなあ」
ジャケット写真を見て老眼をさらに細める佐々井師。
ふふふ。やったぞ。魔性コラボだっ!

隠れ家ホテルに帰り、早速ノートPCで再生。
「美空ひばりのほうがいいなあ」
どうやら歌声はあまりお気に召さなかったようだ。
けど、ソソる感じとかしません?男をダメにしちゃう系の。
「なんだ、それを云わせたかったのか」
おまえの手には乗らんぞ、とばかりにベッドへ、ごろん。
そして買って来た古本の文庫を広げた。
ニーチェ。である。

次の瞬間、ワシは(やられた!)と思った。
「神は死んだ」
と言った哲学者の本を、魔性の艶歌を聞きながら、読む。
余計なことは一切語らず、寝転がって「姿」の説法。
負けました。完敗です。

写真は『親鸞入滅之地』を参拝した際の佐々井秀嶺師。
藤あや子、ニーチェ、親鸞の悪人正機。
・・・うう~む、じつに深い(んだかなんだか)。

日本最終講演

日本最終講演
『6.18』日本ファイナル in KYOTO。
佐々井秀嶺師の疲労は日に日に濃くなっている。
だが、人生最後の母国行脚にかけるその気迫と情熱は
むしろ日を追って強く、深く、熱くなっている。
「あんたは落語家になりゃよかったんだよ」
せめてものねぎらいにと、道化者を演じるワシをかえって
思い遣ってくれる。

広島講演の終了後、ドキュメンタリー『男一代菩薩道』
制作した小林三旅氏と二人で、お好み焼きを食べながら
語り合った。
イマドキの日本仏教って、とりあえず「癒し系」やってれば
新しいとか、若者の味方とか、そんなんばっかじゃんさー。
結局、癒しって、“ま、すわっておちつきましょう”みたいな
ことしきゃ云ってねえじゃんか。それもいいんだろうけどさ、
ほんとはみんな、「立ち上がるちから」を求めているんだと
思うんだよねえワシ。癒しは、すわり系。だけどニーズは、
なんつうか、Get up!Stand up!みたいなさ。
小林氏が言った。
「ええ。パンクがわかる若い子なら、佐々井さんの言葉を
しっかり受け取れると思うんですよ」

『佐々井秀嶺師日本最終講演』
日時:6月18日木曜 15時より
場所:京都 龍谷大学 大宮キャンパス 清和館3F

さあ、ジャイ!で立ち上がろう!

『6.11』ヒロシマ

『6.11』ヒロシマ
『人間解放の仏教を獅子吼する』
来る6月11日木曜、広島市中区大手町1-6-18西向寺で
佐々井秀嶺師ヒロシマ講演会が開催される。
17時開場、17:30開演、19時迄(予定)。会費 1,000円。
第一部は講演、第二部は小森龍邦師との対談で、
「仏教は、いかに人間を解放してきたか」。

上の写真は今より痩せていた頃のワイルドな佐々井師。
まさに“闘う仏教”。僧というより闘士そのもの。
鉢巻きが似合い過ぎるぜ、親分!

ところで、6月11日オープニングのパーリ語勤行、なんと
事前の指導係をワシが仰せつかってしまいました。
ぜひ、シャウトを指導したいと思います。

護国寺

護国寺
護国寺
護国寺
護国寺にお集まり下さった皆様、ありがとうございました。
初夏を通り越し、まるでインドの太陽が呼び寄せられたかの
ような暑い中、立ち見の方まで出る大盛況でした。
護国寺管長様、関係者一同様。心より感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
おそらく今まで、日本の大寺院において、特定教団の組織的
動員もなく、一般の方々が五百名以上も集まり、最後は拳を
振り上げて「Jay!」の大合唱。こんなことはまさに前代未聞。
確実に、歴史が動き始めました。
その大きなうねりを引き起こした力はほかでもなく、護国寺へ
おいでくださった皆様ひとりひとりの、心です。

反省会で、メディア関係の友人からダメ出しを受けました。
「質疑応答で女性を指名してなかったよ」
気配りが足りませんでした。
ああいった状況では、女性、特に若い方が発言しにくいのは
分かりきっているはずなのに、申し訳ございませんでした。

『6.11』ヒロシマ、『6.18』日本ファイナル in KYOTO
以上につきましては追って告知いたします。

総持寺

総持寺
総持寺
去る6月4日木曜、横浜鶴見の曹洞宗大本山総持寺にて
佐々井秀嶺師初の首都圏講演が開かれた。
今回の法筵は、数十年前、インドで佐々井師と共に仏教
復興運動に携わった篠原鋭一禅師の御尽力と、当初は
一般公開の予定がなかった講演を、関東在住の人々の
ため御英断くださった総持寺様の御好意によるものだ。

講演前、佐々井師は『只菅打座』した。(写真上)
指導係の禅僧がまるで初心者に教えるように話していた
のがいささか滑稽ではあったが、たしかに、
「インド仏教徒一億人の大指導者:Arya Nagarjuna」
といえども、ここでは初心者に違いない。
ワシも参禅させてもらう。ガラにもなく緊張。壇へ昇る際に
スリッパを脱ごうとして、約2mほど飛ばしてしまった。
あわわわわわ。・・・・頭真っ白。ちがう意味で、無念無想。
(やっぱワシは念仏坊主なんだなあ)

聴衆で埋め尽くされた講演会場。
佐々井秀嶺師はノン・ストップで1時間半、一気呵成に語り
続けた。理屈や知識ではない、『熱』を伝えるため。
「さすがにくたびれたよ、がはは」

いよいよ、来る7日は東京護国寺にて首都圏最終講演。
これを逃せば、二度とない。
全身全霊で獅子吼する佐々井師の『熱』をぜひ全身全霊で
受けとめて欲しい。「Don't think, ・・・feel!」

2009年6月7日15:00。東京都文京区大塚5-40-1 護国寺。
本堂に結集せよ!

大菩薩峠

大菩薩峠
大菩薩峠
「独立者は常に生死巌頭に立在すべきなり」
明治の傑僧:清澤満之の言葉だ。
生命を“生ききる”には、断崖絶壁に立つ肝の座りが要る。
それでこそ人は“ひとりの人”たりえる、という意味。
清澤師の人生がそうであったように、佐々井秀嶺師は常に
断崖絶壁で仁王立ちする生き方を選んできた。
若かりし頃、悩める青年だった佐々井師は、ここ大菩薩峠
から身を投げて自殺しようと考えた。
いま、ふたたび思い出の地を訪れ、往時を回顧する。

「あのときは虚無主義に陥っとってね」
何事か真摯に取り組む者は、必ず虚しさの砂漠を知る。
「死にたければ勝手に死ね。中里介山『大菩薩峠』主人公、
机竜之助の台詞だが、自分に対してそんな気になった」
虚無の暗夜は、再生への曙光であった。
「死ねそうな絶壁を見つけ、その上で座禅を組んだ。そんで
立ち上がって崖の下を覗いたとき、閃いたんだな」
死ぬ気になればなんでもやれる!
俺は死んだ、そして生を得た。死即生。次の道を求めよ!

あるいはこれを、単純、と嘲る者もいるだろう。
だが、虚無主義は現世への批判と反骨がもたらす真っ当な
感覚と云って良い。虚無感を抱かぬ者は、所詮中途半端に
逃げているだけである。死ぬ気にならないから、生ききれて
いない。まぁ、その方が利口な生き方ではあるが。

『必生(ひっしょう)』
佐々井秀嶺師の造語。しかし、真実の言葉である。

 ☆必読☆
四日木曜発売の『週刊文春』「宮崎哲弥の仏頂面日記」
宮崎哲弥氏と佐々井秀嶺師の対談が載ります。
書店、コンビニへ走れ!

出発点

出発点
出発点
甲斐ノ国、大善寺。佐々井秀嶺師の出発点だ。
かつて苦悩する放浪青年であった佐々井師は、大菩薩峠で
自殺未遂の後、この古刹の境内で行き倒れた。
住職井上秀祐師に拾われ、住み込みの寺男として働かせて
もらう。昼は雑役、夜は自己流ながらも行者顔負けの荒行に
打ち込む佐々井青年を見て、秀祐師の天眼は、余人にあら
ざる“なにか”を感じ取った。
「うちの寺は男の子が三人いるので、君をこれからお坊さん
として、一人前に育てていけるだけの経済的な余裕がない。
高尾山の山本秀順師は、私の兄弟弟子だ。彼に君のことを
預けたいと思う。どうだ、行ってくれるか?」
佐々井師の『男一代菩薩道』は、大善寺から始まったのだ。

「子供だった僕らには、いい遊び相手だったんだけどねえ」
現住職が笑って言う。
「でも、近郷の村人たちは、みんな気味悪がってたよ」

当然である。突如現れた痩せこけて鬼気迫る若者が、毎晩
山上や滝の下でわめいてるのである。ウロ覚えの般若心経
ならまだしも、鳥とも獣ともつかぬ奇声を、“うおぉぉ~っ!”
“きえぇぇ~いっ!”と漆黒の闇に轟かせた。
「がはは。いや、あれは、気合いの稽古をしとったんだよ」
インド仏教徒一億人の指導者は照れ笑いする。

感動の瞬間もあった。
驚くべきことに、現住職ご夫妻は四十有余年前佐々井師が
大善寺を旅立つ時置いて行った私物を、今日まできちんと
保管していてくださったのだ。
大きな箱が三つ。いつ帰るか分からない、帰って来ないかも
知れない風来坊の忘れ物を、完璧な保存状態で守っていて
くださった。・・・なんと素晴らしい人たちだろうか!

「これであたしの大事な務めがひとつ済みましたわ」
現住職夫人の言葉に、胸が熱くなった。

« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »