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大菩薩峠

大菩薩峠
大菩薩峠
「独立者は常に生死巌頭に立在すべきなり」
明治の傑僧:清澤満之の言葉だ。
生命を“生ききる”には、断崖絶壁に立つ肝の座りが要る。
それでこそ人は“ひとりの人”たりえる、という意味。
清澤師の人生がそうであったように、佐々井秀嶺師は常に
断崖絶壁で仁王立ちする生き方を選んできた。
若かりし頃、悩める青年だった佐々井師は、ここ大菩薩峠
から身を投げて自殺しようと考えた。
いま、ふたたび思い出の地を訪れ、往時を回顧する。

「あのときは虚無主義に陥っとってね」
何事か真摯に取り組む者は、必ず虚しさの砂漠を知る。
「死にたければ勝手に死ね。中里介山『大菩薩峠』主人公、
机竜之助の台詞だが、自分に対してそんな気になった」
虚無の暗夜は、再生への曙光であった。
「死ねそうな絶壁を見つけ、その上で座禅を組んだ。そんで
立ち上がって崖の下を覗いたとき、閃いたんだな」
死ぬ気になればなんでもやれる!
俺は死んだ、そして生を得た。死即生。次の道を求めよ!

あるいはこれを、単純、と嘲る者もいるだろう。
だが、虚無主義は現世への批判と反骨がもたらす真っ当な
感覚と云って良い。虚無感を抱かぬ者は、所詮中途半端に
逃げているだけである。死ぬ気にならないから、生ききれて
いない。まぁ、その方が利口な生き方ではあるが。

『必生(ひっしょう)』
佐々井秀嶺師の造語。しかし、真実の言葉である。

 ☆必読☆
四日木曜発売の『週刊文春』「宮崎哲弥の仏頂面日記」
宮崎哲弥氏と佐々井秀嶺師の対談が載ります。
書店、コンビニへ走れ!

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コメント

本日、総持寺へ子供を連れて行って参りました。
初めて直に拝見する佐々井和尚様のお姿に、月並みな言葉ではありますが大変感銘を受けました。
五臓六腑を抉られるようなお声が衰えることなく響き渡り、正座の脚の痛みも忘れて身動きできなくなりました。
もう日本にはお帰りにならないのだ、と思うと寂しいのですが、一刻も早く佐々井和尚様を待ち焦がれているインドの人たちのもとへ帰られることを願っている私でした。
実は喜捨を持参していたのですが、お渡ししそびれました。残念でなりません。このヘタレをどうかお許しください。

え。HIROMIさんいらしてたの?
気がつきませんでした。残念(T_T)

和尚様
今新幹線車中なのでまた明日書きます。

えっっっ?桃青様 いらしてたのですか?ひょえ~ダブルで残念!!
はるばる新幹線でお疲れさまでした!

>HIROMI様&桃青様
ええーっ!おふたりとも見えてらしたんですかっ!
(/ω\)ハズカシーィ
今さらながら、何を隠そう、佐々井師のそばをウロついてた赤い袈裟の坊主がワシです。十年間「オフ会」をやらずに正体を隠してきたワシの素顔が、とうとうバレてしまったのかあぁぁぁぁ・・・(フェイド・アウト)。
今回の総持寺はあくまで先方マターでしたが、7日は護国寺さんと山本さんとワシのプロデュースです。佐々井師、人生最後の首都圏講演。なにがなんでも成功させなきゃ!明日は護国寺さんで最終的な打ち合わせです。

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