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2009年7月

大煩悩道(一)

『週刊プレイボーイ』に掲載された佐々井秀嶺師による
人生相談はかなりの反響があったようだ。
最後に佐々井師が、
「大欲清浄句是菩薩位」
と語ったことから、あれナニ?という問合わせメールが
いくつかワシのところにも寄せられた。
・・・う~ん。理趣経という経典は真言密教のもんだから、
門外漢の念仏坊主が、分かったようなこと云うのもなあ。
まぁ、逆にそおゆうのもアリかな、とか思いつつ、諸賢の
お慈悲にすがってみようかと。真言宗諸尊宿は、
「あのバカ、またなんかやってるよ、ったく」
と笑い飛ばして下さいな。
てなわけで、電脳流ぶっちゃけ理趣経トークを全四回に
渡ってやることにしました。ご勘弁を。

煩悩が煩悩たるゆえんは、誰も幸せにならないから。
しかし結果的に他者を幸せに出来れば動機がどんなに
不純であろうと、ドロドロしていようと、煩悩ではない。
煩悩を煩悩で終わらせないことが肝心なのだ。

「妙適清浄句是菩薩位」
セックスは煩悩ではない。
快感があろうと、性衝動の排泄行為で終わるなら、砂漠。
体以上に心が絡み合う性交は、排泄でなく創造だ。
ヤッちまって終わるエッチなら自慰に劣る、ってことよ。
とはいえこれって、究極の難問だわなあ。

「欲箭清浄句是菩薩位」
惚れた相手を思う心は箭(弓矢)のように一直線。

一途とストーカーの境界は、引き際を知る優しさの有無。
箭は、的を外せば地に落ちる。折れる。
その気概と根性がねえ奴に、一途を語る資格はない。
ゆえに、慕情は煩悩ではない。

「触清浄句是菩薩位」
スキンシップは煩悩ではない。
言うまでもなく、セクハラ親父と痴漢野郎は、論外。
体育祭のフォークダンスで、意中のコと手をつないだ日の
トキメキを思い出せ。皮膚感覚で伝わる心、もある。
触れ合ってこそ。念のため、一方的に触れたら犯罪です。

初回は少しロマンチック過ぎたかな?(つづく)

裏方修行

中学生の頃、体育祭では用具係が好きだった。
憧れのスポーツ万能美少女(しかも成績優秀)とお近づきに
なるチャンスを狙っての、野望に満ちた動機からだ。
しかし、自分がセッティングした行事でみんなが盛り上がる
光景には、ある種の創世感、万能感があって好きだった。
いわゆる“裏方仕事”の魅力を知った。

高校、大学とバンド活動に夢中になった。
アマバン経験者はご存知のように、自分たちの出番以外は
他の組のローディーに回る。これも快感であった。
PAウーハーの裏で、女の子バンドのメンバーを口説いたり
してロクでもないことをやっていたが、楽しかった。

先月、甲府の『桜座』へ出演させてもらった時、打ち上げで
照明さんと少し話した。
「モノ作る楽しさって、ホント、たまんないっすよねえ」
ワシが云うと、照明さんは無言で頷いた。裏方一代菩薩道。

6月7日『佐々井秀嶺師:東京護国寺講演会』の一部始終を
記録した写真を拝見する機会があった。
当日、ずっと本堂の中にいたワシは、外がどうなっていたか
まったく知らなかった。
受付係を買って出て下さったボランティアの皆さん、本堂に
入りきれず、向拝や回廊で背伸びしたまま参加して下さった
皆さん、佐々井師の出立を見送るため一時間も客殿の外で
待っていて下さった皆さん・・・。
これほど多くの方々に支えられていたことを、写真で初めて
知った。不明を恥じるとともに、感謝で涙があふれた。

護国寺関係者や、講演にお越し下さった皆さん方の温かい
お心に比べ、売名屋の行動には閉口させられた。
佐々井カンバンで一発当てよう☆という、卑しくさもしい輩。
そんな或る僧は、某所でワシをこう呼んだ。
「裏方!裏方!」
もちろん“さん”付けではないし、冗談にする間柄でもない。
どうやらそのクソ坊主は本気で自分が主役級のつもりだった
らしいが、腹を立てるのもバカらしいので無視を決め込んだ。

陰徳(いんとく)
かげで目立たぬ者のおこないから、光明は発せられる。

愛染

愛染
先日、洛陽の地にて大学関係者諸氏と会食。善き哉。
集まった顔ぶれはみな、実際にインド仏教徒の暮らしを
その目で見その肌で感じ、また佐々井秀嶺師の膝下で
謦咳に触れた経験を持つ『つわもの』達である。
いわゆる“机の面積を一歩も出ない愛論戯論の輩”とは
眼光が違う。面魂(つらだましい)が異なる。
とはいえ陽気で、気さくな仲間だ。

ちょうどさっき、佐々井師から電話があってさあ、時代劇
ビデオの第一巻が見当たらない!とか、そんな用事。
「ははは。バンテ・ジーらしいですねえ」
でも、あれでけっこう“気にしぃ”なとこもあるんだよねえ。
「繊細さがあってこその豪快さ、ですね」
若い頃は燃え盛る情熱を持て余してた、って云うけどさ、
今だってぜんっぜん枯れてねえじゃん。
「あのパワーで、術をかけられちゃう感じ、しますよね」
もしかして、かけられてる?
「ええ。たぶん(笑)」
てか、ここにいるメンツみんな、かかっちゃってるし。

写真は、愛染明王。梵名:Ragaraja。
人間の煩悩を極限において昇華した密教の神格。
弓矢を手にした姿は、キューピッドの原型ともいわれる。
「欲箭清浄句是菩薩位」(理趣経)
愛する思いが弓矢のように飛んで相手の胸へ突き刺さる。
それが、真に相手を幸福にする愛ならば、菩薩に等しい。

・・・うーん、刺さっちまってますかねえ、やっぱ。
てか、あのじいさん、キューピッドかあ?

チョコ旅情

この半年余りというもの佐々井秀嶺師の来日に関係
して長距離を列車で移動する機会が多かった。
ほんで、気が付いたワシの習性。
新幹線でもスーパーあずさでも、なぜか列車に乗ると
無性にアーモンド・チョコが喰いたくなるのだ。
普段はあまり甘いものを口にしないのだが、シートに
深く身を埋め、過ぎ去る車窓の景色を徒然に眺めて
いると、もうとにかく頭の中はアーモンドだらけ。
百歩譲ってマカダミア。万が一、無いと知れば途端に
機嫌が悪くなる。ワゴンを“卓袱台返し”したくなる。
「キオスクで買っとけばいいじゃん」
冷静且つ真っ当な大人の御意見。けど、それはダメ。
なんつーかさ、旅情が伴わなくちゃ意味ねーのさ。

ほんで理由を考えた。
恐らく70年代のテレビCMが潜在意識にこびりついて
いるのだろう、サブリミナルのように。
「カリッ☆と青春」
今やあつかましいオバサンとデブ俳優の夫婦となった
おふたりが、かつてアイドルだったころ共演していた。
「♪ ちゅ~う、ちゅうちゅちゅ」
とか歌ってたねカミサンは。ええ時代やったのお。
「♪ 僕と出会~った~」
ダンナのほうは、木刀で合った、とか歌ってたのお。
このふたりが高原みたいなとこ(つまり旅先の設定)で
仲睦まじくアーモンド・チョコを食べるのだ。
(後年の体型と、因果関係を推測してはならない)

70年代は『ちからわざ』の時代であった。
熱血してりゃOK、というファンタジーの日々だった。
だからこそ、アーモンド+チョコという、超高カロリーが
世の中に歓迎されたのであろう。

現代に欠けているのは『熱血できる精神のカロリー』
だとワシは思うのである。
そのため草食系男子などと呼ばれる熱血が貧血してる
わけー兄ちゃんが出現するのではないか?

日本人よ、魂にカロリーを!

PERSONA(仮面)

PERSONA(仮面)
先月出演させてもらった甲府市の桜座にて、去る20日、
カルメン・マキさんのライヴを見た。感動で震えた。
わが国の女性ロック・ヴォーカリストの草分け的な存在
であり、かつて日本のロック少女らはみな、彼女の歌を
一生懸命コピーしたものだ。
かくいうワシとて野郎ながらも彼女のOZ時代の名曲、
『空へ』(ただしアレンジはalbum version)
によって人生観が決まった。あの歌詞のとおり今日まで
生きてきた、と本気で自負している。

デビュー四十周年ツアーは、珠玉の少編成。
Violin:太田惠資氏、Piano:黒田京子氏に、Tabla:吉見
征樹氏、Accordion:佐藤芳明氏。そして、マキ姉さん。
超一流プレイヤーたちの火花散る共演を最前列で体験。
マジすげえ。各自が要所々々で、鮮やかなホームランを
見事にかっ飛ばす。もちろん完璧なアンサンブルで。
音楽とは基本的にアナログの産物であり、つまり現在の
“デジタル小細工&音数てんこ盛り”は、音楽と呼ぶべき
ものではない、と改めて思い知らされた。

その晩は、日本を代表するシタール奏者:伊藤公朗氏の
ご自宅へお邪魔し、一宿一飯の恩義にあずかる。
焼酎を酌み交わしつつ音楽談義。愉快夜。
ブルーズ論に端を発して、やがてインド音楽を日本人が
演ることに関する「文化の差」へ。

この視点、じつはそのまま仏教にも当て嵌まる。
インドの風土と人間が生み出した「仏教」を、中国文化を

挟んで日本的にアレンジしたのが、わが国の仏教。
今までは、それでよかったかも知れないが、本国インドで
仏教が復活した今、根本的な問いは避けられない。

(もしかしたらマキ姉さん、観音菩薩かも・・・?)
酔いも手伝って、そんなことを考えながら眠りに就いた。

笑顔

笑顔
今回をもって佐々井秀嶺師来日特集は終了します。

闘う仏教、と聞いて眉をひそめる人もいるだう。
ソフト&マイルドな癒し系の知的アクセサリーとして、仏教に
関心を抱く向きには、煙たがられて当然であろう。
或る学者は「がんばれ!仏教」と檄を飛ばす。
確かに今の日本仏教は、ふにゃふにゃと腰砕けで、少しは
がんばる素振りでも見せなきゃ、資本主義社会の商倫理に
照らして御布施を受け取る資格がない。
とはいえ一体、なにをどうがんばれ、と云うのだろうか。
世襲制と非課税の護送船団に守られ、人生を闘う意思すら
持たず、既得権益の保全だけを至上課題とする僧侶らには、
がんばらずに消えてもらったほうが、よっぽど世のため人の
ためではないのか。

佐々井秀嶺師来日に関し、こんなワシでも、悔し涙を流した
ことが何度かあった。
関係者には知られた事実なので、無用な波紋を避けるため
ここでは敢えて詳説しない。醜悪過ぎるからだ。
例えば或る僧侶は、来日に先立ち、滞在中に於ける佐々井
師の言動を自分に管理させろ、と云ってきた。
また、別個の或る仏教団体は、自分たちの依頼した講演で
佐々井師側が用意した資料の配布にストップを掛けてきた。
(結果的には先方が折れ、無事に配ることが出来た)

良識ある一般の方々にはにわかに信じがたいことだろうが
21世紀の自由主義国家で実際に起きたことなのである。
こういう連中に対し、無邪気に「がんばれ!」と云える幸せな
御仁を見ると、ワシなんぞはつい、中指を立ててしまう。

『闘う仏教』。
哀しい皮肉だが、佐々井師が闘わねばならぬ相手は、日本
仏教界の中にもいたのである。
ちなみに佐々井師は、言論弾圧の件をすべて知っていた。
知ったうえで、なお笑顔を絶やさず、人生最後の母国行脚を
続けたのである。待ち焦がれる人々を笑顔にするために。

誰かの笑顔を守るため、みずから笑顔を絶やさぬこと。
それが、『闘う仏教』である。

ヒーロー

ヒーロー
上の写真は、プロレスの元祖:力道山の銅像の前で同じ
ポーズを決める佐々井秀嶺師。
ふざけてるわけではなく、本人は至って大真面目である。
力道山は、言わずと知れた昭和のスーパー・ヒーロー。
伝家の宝刀「空手チョップ」一閃、巨漢の白人たちを次々
なぎ倒す雄姿は、敗戦の失意に沈んだ日本国民に、夢と
勇気と希望を与えた。

英雄は孤独である。弱音を吐くことすら許されぬ。
力道山の最期も、また然り。暴漢の刃を受けても治療に
専念することを拒否し、不死身のヒーローを演じ続けた。

もう一人、昭和の英雄で忘れてはならない天才がいる。
漫画の神様:手塚治虫。
彼が描いた作品の主人公は、孤独で、周囲から理解され
にくい異能の存在が多かった。
『鉄腕アトム』。高性能人型ロボット。最期はたったひとり
核ミサイルと共に太陽に突っ込んで爆死する。
『ジャングル大帝』。レオは人間の言葉が話せる白獅子。
最期は雪山で人間を救助したのち凍死する。
『ブラックジャック』。高額な報酬で不可能を可能に変える
天才外科医。世間を離れ、丘の上でピノコと暮らす。
『ブッダ』。人を愛し、常に悩み続け、人々の未来を信じ、
死の瞬間まで説法を続けた。

佐々井師の激越な生き方は、余人に理解されにくい。
だが、インド仏教徒の青年はこう言った。
「僕らは映画が大好きさ。俳優ではシャー・ルク・カーンが
一番かな。でも僕らのヒーローは、ササイ・ジーだね」

(写真は三沢光晴選手の御急逝以前に撮影したものです。
衷心より哀悼を捧げ、謹んで三沢選手の御冥福をお祈り
申し上げます。合掌。)

『PB』に登場!

佐々井秀嶺師、『週刊プレイボーイ』に見参!
来週7月21日火曜発売号で、なんと約8ページ(予定)もの
大特集が掲載される運びとなった。必見必読☆
写真は、若手フリー・カメラマンの福持英助氏。佐々井師が
一目置く気鋭の才能だ。撮影当日、雨にもかかわらず渋谷
街頭でのロケを快諾した佐々井師の心意気から、福持氏に
対する信頼の度が窺えよう。

さあ、ササイ・ファンの男性の皆様、発売日には本屋さんへ
息荒く駆け付け、血走った眼で買いまくり、店員さんから、
(・・・どんだけスケベなのよ?)
と思われて下さい。
女性ファンの皆様は、敢えて彼氏に買わせ、巻頭グラビアを
彼がどんな顔して通過するか、厳しくチェックしましょう♪

「大欲清浄句是菩薩位」(理趣経)

草食系男子は、物腰が柔らかでも、菩薩ではない。
それはただボサッとしてるだけである。
リビドー大爆発のプレデターな奴こそ、菩薩たりえるのである。

いや、べつに自己弁護じゃなくて。

風雲の時代

風雲の時代
風雲の時代
まず上の写真をよくご覧頂きたい。この光景が何かお分かりに
なる方は、真に平和を愛するひとであろう。
昨年の4月26日、善光寺を席巻した北京五輪聖火リレーに対し、
日本全国から集まった青年男女が、雨降る中、リレー終着点の
公園で掲げた『自由と平和』を訴える横断幕である。
「FREE TIBET! FREE EAST TURKISTAN!」
現在、中共による虐殺と武力制圧が報じられる、いわゆる、
「新彊ウイグル自治区」
こそ、横断幕に記された「東トルキスタン」である。
日本政府は“恒久平和”を謳った憲法のもと、かかる全人類史に

未曾有の生命軽視、人権抑圧、宗教弾圧、武断政治を黙認して
いるのである。しかもあろうことか、一部の識者は、
「中国にもイスラム過激派が出て来ましたねえ」
などど、寝ぼけたことをほざいている。バカも休み休み言え!

虐げられし者、抑圧されし者らの、已むにやまれぬ怒りの爆発を
過激と断じるなら、飼い馴らされた羊になれ、と云うのか。
無論、暴力行使は避けるべきだ。しかし、それは方法論の問題
であって、闘う意思そのものを捨てることではない。

「つまりな、『闘う仏教』でいう“非暴力”ってえのは、相手に暴力を
使わせないように、意思と行動を示すことなんだな」
佐々井秀嶺師の教えを思い出した。

出雲にて

出雲にて
出雲にて
佐々井秀嶺師、出雲大社参拝。
イズモのカミは『国津神』、いわゆる日本土着神の代表格であり、
また祭神『オオナムチ(大穴持)』は深い洞窟の奥でとぐろを巻く
大蛇を原型とする。
汎世界的に見られる龍(蛇)神信仰の残滓は、「勝者の歴史」を
裏返せば、至る所から読み取ることができる。
そこで悪役を押し付けられてる存在、八岐大蛇、エデンの悪魔、
インド「不可触民」、みな“SERPENT”のイメージで語られる。

さて佐々井師、出雲大社の御守りを購入。
まさかあの歳で縁結びでもなかろう、袋の中身に興味があった
ようだ。基本的に、大事なとこがコドモなのだ。
ベリベリベリ、ポイッ☆
ああー!と慌てる一行をよそに、守袋を捨て御札を取り出した。

神道関係者各位、何とぞ御寛恕賜らんことを。なにしろ大事な
ところが基本的にコドモなのです。
「ぬわんじゃごるりやあぁぁぁぁぁぁっ!!」
やにわに怒声を上げる佐々井師。どどど、どーしたんですか?
「ナーガ(龍神)が描かれておらんじゃないかっ」
だだをこねるコドモ状態。

・・・あのさあ、だから、縁結びの神なんだってば。

(写真提供:呪われしempty dragon)

壇之浦にて

壇之浦にて
壇之浦にて
佐々井秀嶺師は『平家落人伝説』が残る岡山県の小村で
生まれ育った。奇妙な符合だが、常に佐々井師には、
「かつて栄華を極め新興勢力に滅ぼされた虐げられし者」
必ずこのテーマがついてまわる。
しかもそれらがみな龍(蛇)神信仰と関わっているのだ。
インド不可触民のルーツは龍を信仰する古代民族だった
とも(龍種族)いわれ、アーリア人によって滅ぼされた、
「零落せる神の末裔」「まつろわぬ民」
と見る説もある。ナグプールの意味は、『龍宮』

閑話休題。
佐々井師母国行脚で、一行のあいだに流行ったギャグが
あった。ただし、こういった類は多分に“楽屋落ち”のため
なかなか伝えにくいが・・・。壇ノ浦で、佐々井師が、
「(まるで平家の)亡霊(に取り憑かれたかの如く迷ってる
未熟者)のくせに(生意気を云うな!)」
と言おうとして、44年間も外国語だった日本語を間違え、
「亡霊のくせに!」

それ以来、会話の末尾に「亡霊のくせに!」と付けるのが
シメのギャグとなった。あんまし笑えないネタだけどね。

(写真提供:ぞんびー空龍)

舞台裏話

えー、甲府『桜座』の思い出を、ちょいと振り返ってみます。
じつはワシ、文楽を見たことがなかった。
基本的にrock'n'roll坊主なので、クラシック系には意味なく
拒否反応を示してしまう、ちっちぇー根性の持ち主さ。
(カタにハマるのはごめんだずぇい)
しかし「型破り」というのは、カタが決められないと形無し。
そんな、一種のコンプレックスだったわけです。

桜座に着いてまずスタッフにご挨拶。
照明さんは、いかにも!な感じの舞台職人。“虎ひげ危機
一髪”みたいなイカツイおっさん(てゆか同年配)。
ところが、劇場のオーナーさんはワシを見るなりひと言、
「優しそうで安心した。和尚って怖い人だと・・・」
どんな噂たっとんねん!
言っときますが、日曜朝の戦隊ヒーロー物を見て感動して
泣いちゃうぐらい繊細なんですよワシは。

吉田勘緑さんのパワーは凄かった。
芸の求道者、いや、芸道の鬼。まさにプロ中のプロだった。
後頭部から炎が出て、文楽をrock'n'rollしてる。
演技に熱中するあまり、なんと、人形の腕を折ってしまった。
あたかも、ステージ上でギターを破壊するジミヘン、もしくは
リッチー・ブラックモア。
ならば、声明(しょうみょう)はシャウトするしかない。
ギタリスト快さんのバッキングに支えられ、ヴォーカリストの
坊主が吠える。人形が乱舞する。魂と魂が火花を散らす。
爆発だあぁぁぁぁぁぁっ!!

公演終了後、シタールの伊藤公朗さんが云ってくれた。
「和尚は、声もそうだけどさ、ヤクザなところがいいよねえ」
くー。ツボを突かれた。もう好きにして♪

今後につながる素晴らしい舞台でした。
もっとお客さんを楽しませなきゃ、と向上を決意しました。
(ううむ、ワシはどこに向かってるんだろう)

桜座へお越し下さった皆さん、ありがとうございました☆

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