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『反骨のブッダ』

  • 高山龍智: 『反骨のブッダ』インドによみがえる本来の仏教(コスモトゥーワン出版)

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大煩悩道(一)

『週刊プレイボーイ』に掲載された佐々井秀嶺師による
人生相談はかなりの反響があったようだ。
最後に佐々井師が、
「大欲清浄句是菩薩位」
と語ったことから、あれナニ?という問合わせメールが
いくつかワシのところにも寄せられた。
・・・う~ん。理趣経という経典は真言密教のもんだから、
門外漢の念仏坊主が、分かったようなこと云うのもなあ。
まぁ、逆にそおゆうのもアリかな、とか思いつつ、諸賢の
お慈悲にすがってみようかと。真言宗諸尊宿は、
「あのバカ、またなんかやってるよ、ったく」
と笑い飛ばして下さいな。
てなわけで、電脳流ぶっちゃけ理趣経トークを全四回に
渡ってやることにしました。ご勘弁を。

煩悩が煩悩たるゆえんは、誰も幸せにならないから。
しかし結果的に他者を幸せに出来れば動機がどんなに
不純であろうと、ドロドロしていようと、煩悩ではない。
煩悩を煩悩で終わらせないことが肝心なのだ。

「妙適清浄句是菩薩位」
セックスは煩悩ではない。
快感があろうと、性衝動の排泄行為で終わるなら、砂漠。
体以上に心が絡み合う性交は、排泄でなく創造だ。
ヤッちまって終わるエッチなら自慰に劣る、ってことよ。
とはいえこれって、究極の難問だわなあ。

「欲箭清浄句是菩薩位」
惚れた相手を思う心は箭(弓矢)のように一直線。

一途とストーカーの境界は、引き際を知る優しさの有無。
箭は、的を外せば地に落ちる。折れる。
その気概と根性がねえ奴に、一途を語る資格はない。
ゆえに、慕情は煩悩ではない。

「触清浄句是菩薩位」
スキンシップは煩悩ではない。
言うまでもなく、セクハラ親父と痴漢野郎は、論外。
体育祭のフォークダンスで、意中のコと手をつないだ日の
トキメキを思い出せ。皮膚感覚で伝わる心、もある。
触れ合ってこそ。念のため、一方的に触れたら犯罪です。

初回は少しロマンチック過ぎたかな?(つづく)

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コメント

理趣経とは英語で説明するなら Human Natureかな。(違ってたらごめんなさい)
どんな衝動も、どんな欲望も、人間なら必ず起きる。むしろ起きなければ病を心配しないといけないですね。それなのに最近の教育は、なんだか衝動や欲望を抱くこと自体を戒める向きがある。アホか、と言いたい。だから草食系みたいな半病人が湧いてくるんだよ(言い過ぎかな)!
好きな人をモノにしたいという欲望も、憎い人を殺めたいという衝動も、慈悲のおかげで寸止めにできる。誰にもそんな経験があるはずですよね。
痴漢やストーカーや殺人犯なんて、子供のころに寸止めを習ってこなかった気の毒な奴らだ。
そうだ、極意は慈悲にあり、なんだ!うーん、わかりやすい。和尚様さすが~

>HIROMI様
いつのまにか世の中、自分自身と真正面から向き合わないことを「オシャレ」と勘違いする風潮が蔓延してますよね。自己の最底辺に横たわるドロドロから目を逸らし、臭いものには蓋をしようとする。だから、おのれの本性が鎌首をもたげると、すぐギブアップ。悪や煩悩から逃げても、天使の花園なんて無いのにさ。

いかにも。脳内がお花畑だと己を滅ぼしますよ。
人間一番難しいのが己と向き合うことですね。鏡に映る自分を凝視するのは辛い。

>HIROMI様
そうそう。で、鏡の前に立ってる時、素の自分じゃなくて、逆にポーズをとったりする(こんなワシでもね)。だから、例えば油断してたり、他のことに気を取られたりしてる時、ふいにビルの窓ガラスとかに自分が映ると、「げ〜!こんなんだっけ?」。友人のカメラマンはそのへんを心得てて、シャッターを切る際、「あれ?故障かな」とか「はい、終りー」と言いながらタイミングを外して、素顔を引き出します。

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