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2009年8月

生きた報道

わが畏友にして兄とも仰ぐ報道写真家:山本宗補氏の寄稿が
以下の二誌に掲載される。
今春4月21日から6月23日までの二ヶ月間、佐々井秀嶺師の
母国行脚に密着取材を敢行した氏でしか書けない、撮れない
貴重な資料の一端は、必読必見である。

◇月刊『自然と人間』9月号(9月1日発売)
カラー・グラビアに佐々井秀嶺師の全国行脚の写真が4頁に
わたって載る。題して、
「生きた仏教の実践者、44年ぶり母国に帰る」

◇週刊『アエラ』9月7日号(8月31日発売)
佐々井秀嶺師のカラー写真と記事掲載。
 ○佐々井師がなぜ「宮本武蔵と机竜之介」好きなのか?
 ○佐々井師が二人からどのように影響を受けているのか?
カラー1頁のみだが、他では決して読めない内容だ。

インド仏教徒一億数千万の指導者、“大菩薩道のひとにして
大煩悩道のひと”佐々井師に、臆することなく、徹底的に喰い
付いてコメントを引き出すフャト・ジャーナリスト山本宗補氏。
あたかも標的めがけて急降下する「猛禽類」の如きその取材
活動を間近で
見てきたワシにとって、今回の寄稿は、極めて
感慨深い。(ただし女性の前ではジェントルな山本氏である)

「生きた仏教の実践者」を生きた報道の実践者が活写する。
さあ☆熱き魂を抱く同胞よ、書店に走れっ!

政教分離

期日前投票に行ってきた。じつはワシ、選挙が好きなのだ。
もともと「あんまキョーミねえし」の投げやりピープルだったが、
数年前、或るきっかけから、変わった。
インド北西部パンジャーブ州を訪れたときのこと。
現地は州知事選の真っ最中。市街は、一種の戒厳令状態。
『カリスタン問題』
スィク教徒(ターバンに髭でおなじみ)が多数派を占めるこの
地域では、ヒンドゥー教の政治支配から脱し、スィク教による
自治もしくは分離独立を求める声が根強い。
街の至る所にインド軍や武装警官が検問所を設け、路地を
ひとつ曲がれば過激派の兄ちゃん達がたむろしていた。
検問所で旅券の提示、および乗っていた車の隅々まで調べ
られた。ギョロ目の兵隊さんの肩には、ショルダー・バッグの
ようにゆらゆら揺れるサブマシンガン。ひょえ~!
「本当に日本人か?ヒマラヤの少数民族じゃないのか?」
うっかりヒンディー語を使ってしまったために、あらぬ嫌疑を
掛けられ、自動小銃を突きつけられた。

そんな経験をしてから、選挙はバトルだ、と目覚めちまった。
宗教でメシ喰う坊主にしては、いささか生臭が過ぎるか。
日本国は『政教分離』がタテマエである。
云うまでもなくこれは、特定宗教に政治行政が肩入れしたり、
特定宗教が政治行政に介入したりしないよう定めたものだ。
(あ、いまセーキョーって言葉から某党を連想しちゃったヒト、
とりあえず公示期間中だから打ち消しといてね♪)

さて先日、首都圏某所にある市営霊園へ、法事で行った。
驚いちゃいけない。なんとそこは“お線香禁止”だった。
・・・アんじゃそりゃ?

当然のことながらワシは受付係に噛みついた。すると、
「市民税で運営してる墓地なので、お線香を焚かない宗教の
方や無宗教の方にも納税していただいてるわけで、云々」
線香を焚けば隣接する利用者の区画へ“副流煙”が侵入し、
結果的に仏教だけを優遇したことになり、それは政教分離に
反する、とかなんとか。典型的な、お役人体質。
だったら仏式用に喫煙所ならぬ線香エリアでも作っとけや!
アキれて云ったワシに、係は真顔でこう答えた。
「市長が任期満了前に辞任表明しましたので分かりません」

選挙じゃ!バトルじゃ!日本に戒厳令を敷けえぇぇぇぇい!

呪いの電話

後輩から電話。それも、信じられないくらい、間が悪い。
よりによってワシがケータイの音楽再生機能を使ってカラオケの
練習をしているとき、計ったかのような“
サビ前”のタイミングだ。
ンな?おちょくっとんか。
「すえんぷわあい、僕、なんか呪われてるみたいなんすよお」
呪われてんのはワシじゃボケ!じぶん、サビへと突入する直前の
もっともテンション上がる瞬間を狙ってかけてきよってダアホっ!
「なに言ってんすか、知らないっすよ、それよか・・・」
聞けオラ!これから感情込めて盛り上げまっせ泣きまっせーって
コンセントレイションのド真ん中に、
ごっつ命中してんねんぞ!
「偶然ですってば」
しかもワン・コーラス目やぞ。すべて宙に浮いて空中分解してもた
やんけ!こんなん確率で言うたら天文学的数値とちゃうんかい!
道頓堀川に飛び込んでガンジス川に辿りつく方がよっぽど楽なん
ちゃうんかいゴルァッ!
「てゆうか
、なんでインチキ関西弁なんすか?」
ワシの十八番は、やしきたかじんの『東京』なんじゃ、覚えとけ。
「最近やけに夢見が悪くて、微熱があるような無いような」
せやから貞子ナンパしたらアカン言うたやんか。
「僕、マジで困ってるんすから、なんとかしてくださいよぉ」


オカルト的思考の正体とは、客観的には無関係な複数の事象を
強引な文脈でつなぎ合わせ、あたかも論理的整合性があるかの
ように仕立てるもの。ヤクザのインネンとほぼ同じ展開だ。
いささか専門的になるが、今ある新興宗教、もしくは霊能者には、
じつは共通の元ネタが存在する。
神智学(theosophy)と云い、第一次大戦後にブラバツキーという
霊媒おばさんが言い始めたトンデモ説で、霊界には階級があり、
それは現世における人間の価値につながる、とかなんとか。
お気付きの通り、これはヒンドゥー教のカースト制をヨーロッパへ
持ち込んだ危険思想で、やがて『ナチズム』を生み出すきっかけ
となった。ハーケン・クロイツ(鍵十字)が逆卍なのは、そのため。
だから例えばTV番組で、江ばら焼き肉ブタが、
「アナタの前世は平安時代の貴族」
などと、差別意識丸出しの御託宣を垂れるのは、そういう背景が
あるからなのだ。まさに、お里(前世?)が知れる、とはこのこと。


「お祓いの仕方とか、教えて下さいよぉ」
仕方ない。一子相伝の究極奥義を授けてしんぜよう。

呪いが追いつけない速さで全力疾走しなさい。相手は、のろい。

原点

先週末、在日インド仏教徒の家庭で夕餉のお招きを受けた。
「おつかれさまでした」
佐々井秀嶺師44年ぶりの帰郷に微力を捧じたワシのことを
ねぎらってくれると云うのだ。正直、照れ臭い。
若い夫婦ふたり暮らし。もともとはIT関連に共働きの就職で
来日したのだが、不況により、夫君は現在失業中。
「あらぁ☆和尚さん、なんだか優しい顔になったわね♪」
奥さんが大きな瞳をさらに見開いて、ビックリしたように言う。
そおかあ?てか、ワシってそんなに人相悪かったかなあ。
「ま、日本人らしくなったってことだよな」
夫君は、インド仏教会本部インドーラ寺から徒歩一分の家で
生まれ育った。独身時代にはバイクの後部席に佐々井師を
乗せ、布教活動の手伝いをした“筋金入り”の仏教徒だ。

ささやかな暮らし。2LDKのアパート。
部屋の片隅の小さな祭壇には、仏像、そしてアンベードカル
博士と佐々井秀嶺師の写真が飾られている。
その前に三人でぬかずき、パーリ語のお勤めをした。
いつもなら「ジャイ!」の雄叫びを上げるところだが、近所に
迷惑が掛からぬよう、おとなしく、歌うように、ジャイ・・・。
胸にしみた。じ~んときた。

佐々井秀嶺師来日のおかげで、多くの出会いを経験した。
熱い魂を抱いて真っ直ぐ生きる素晴らしい仲間たち。
刎頸の友も得た。
また、運命的な再会にも恵まれた。

反面、「ササイ看板で一発☆当てよう」、というくだらない輩に
付き合わされ、逃げ出したことも何度かあった。

そういう連中は佐々井師の出国と同時に雲散して消えた。
きっと今ごろ、一緒にならんで撮った写真なんぞをひけらかし、
拝観料でも取って小銭を稼いでいるのだろう。
師の滞在中には、昼夜を問わず鳴り続けたわが携帯電話も

今やすっかり静けさを取り戻している。日常に、帰った。

「いっぱい食べてちょうだいね、頑張って作ったんだから」
奥さん自慢のカレー。正真正銘、本場の味。
「ほら、冷めないうちに」
「ははは!ゆっくり食べなよ。日本人はせっかちだからなあ」
ううむ。冷めないうちにゆっくり、か。インドの神秘だ。

人間の、信仰の、仏教の、原点。
久し振りにそこへ立ち返ることが出来た夜だった。

こんわく物語

今は昔、アニメ声の葬儀司会者ありけり。
アナウンサーや声優さんがアルバイトで結婚式や葬式の司会を
することは珍しくない。で、ワシが経験した、困惑物語。
或る通夜の晩、開式前の打ち合わせに僧侶控室へ司会担当が
やって来た。女の子だ。最近ではソフト・イメージを打ち出すため
女性スタッフが表に出る葬式も増えてきている。
「本日司会を勤めさせていただきます○○ですぅ!きゃるん♪」
超ハイ・トーン。ああ、声優の副業ね。
「お打ち合わせのほう、よろしかったですかぁ?はきゅ~ん☆」
ご一緒にポテトも頼みそうになった。
「お経のお時間はどれぐらいになりますかぁ?きゃは♪」
いや、あのさ、いっつもそんな感じで司会をやっちゃってるわけ?
話し終えるたんびに笑顔とか要らなくね?葬式なんだし。
「も、申し訳ありませんでしたぁ、うるん☆」
御主人様、とか言いそ。棺桶にケチャップでハートとか描くなよ。
さて時間となり、ワシ、颯爽と入場。
果たして彼女はあの声のまんま司会するのか、一抹の不安。
が、そこはそれ、やはりプロフェッショナル。
ガラリと声色を変え、キーを落として厳粛なるMC。さすがッ。
「只今より通夜の儀を開式致します」
なるほど本職は違うな~、とひそかに感心しつつ、気がついた。
・・・これって、女王様の声じゃん。

今は昔、とんでもなく無礼な編集者ありけり。
こいつマジ頭わる過ぎね?と、わが身を棚に上げて疑いたくなる
ような執筆依頼のメールが来た。そんな、困惑物語。
武士の情けならぬ生臭坊主の慈悲で、社名を明かすことだけは
勘弁してやる。真面目に働いてる他の社員が可哀相だしな。
とにかく、初めてよこしたメールでいきなり字数と締め切りを指定
してきたのである。まだ書くともなんとも言ってないうちから、ね。
そのうえ自分が編集してる雑誌を参考として送りたいから住所を
教えろ、ときたもんだ。思わず目まいがした。
しかも自分が忙しいときにゃ秘書が応対するから、だとよー。
・・・はあ?!
こりゃマトモに相手するだけ時間と体力のムダだわ、と御丁重に
お断りの返信を差し上げた。つーか、あったりめえじゃん。
翌日、その件で“お詫びのメール”が来た。
「佐々木さんを紹介したくて」
「佐々木さんのことはいずれまた記事にしたいと思います」
そう。彼の依頼は、佐々井秀嶺師について書いて欲しい、という
ものだったのである。お断りして、正解でした。

日々是好日。困惑物語。

ボース忌

ボース忌
スバース・チャンドラ・ボース。 日本の近現代史に深い関係を
持つインド人。「ネタジ(司令官)」と称されるベンガルの志士。
戦時中、東條内閣が組織した『大東亜会議』のメンバーとして、
スカルノやアウンサンらと共に、武力行使によるアジア解放を
目指した。昭和20年8月18日、飛行機事故で死亡。
そんな彼の遺骨が東京に祀られているなど、平均的日本人は
もちろんのこと、母国インドでもほとんど知られていない。
本日、都内の某寺にて、命日法要が営まれた。
(ちなみに2006年インド政府の調査委員会は日本に存在する
遺骨の客観的信憑性を否定している)

「日印友好の一つのかたちとして、知っておくのもあり、かな」
というわけで、御参りに行った。
チャンドラ・ボースとアンベードカル博士は同時代人。
武力による独立と、非暴力による人間解放。両者が選び取った
道は別々だが、回天の志士、という点では共通している。

さて、インド式の袈裟で行ったもんだから、先方の関係者から、
「ぜひなにか一言」
くっくっく。知らんぞ、どうなっても。
ワシは、“ここぞ!”とばかりにアンベードカル博士とインド仏教、
そして佐々井秀嶺師について、拳を振り上げ、ガンガン熱弁。
だが、参加諸氏の一部には、
<ミリタリーな青春の思い出にひたるおじいちゃまたち>
もいらっしゃり、あるいは、
<右側通行が性に合ってるタイプの方々>
も何名かおいでになられ、彼らは一様に、さあ~っと、ドン引き。
そりゃそおだ。場違いな坊主のおカド違いな演説ってわけだ。
話し終えると同時に、ワシはバックレた。

あーあ。また、やっちまったな。
以前、テレビマン小林三旅氏はかかるワシの性癖を指して、
「悪ガキが隣の教室へ乱入し、黒板いっぱいにイタズラ書きして
逃げる、みたいな感じですよね」
と形容した。・・・うう。まったく反論できましぇん。

意の血

意の血
無論、自戒を込めて云うのだが、痛みの伴わない言葉は
いつも虚しい。いかに響きが美しくとも、本性は雑音だ。
64年目の『敗戦記念日』
頭の中でいじくった屁理屈だけで勇ましげに愛国ポーズを
取るひとに、痛みはあるのだろうか。
同じく、加害者の自覚を強調するあまり断罪の恍惚に酔い
痴れているひとにも、果たして痛みはあるのだろうか。
意の血(いのち)。こころが血を流す。

非暴力には、暴力行使と比較にならないほど強靱な意志と
固い覚悟が要る。平和は、戦争より困難な闘いなのだ。

写真は、高尾山参道に建てられた山本秀順阿闍梨揮毫の
『殺生禁断』碑
佐々井秀嶺師の師匠:山本秀順阿闍梨は、実際にこころと
からだの血を流して、戦争に反対し続けた。大慈悲ゆえに。
そして、戦死者も手厚く弔った。大慈悲ゆえに。

「殺生禁断だって!なんか怖っえー!」
過ぎ行く観光客が、碑文を横目で見ながら言った。
つまり「殺・禁・断」の字面から、意味も分からないまま反応
したらしい。それに気づいたのか、佐々井師は苦笑した。

意の血が流れなくなったとき、“ひとのいのち”は枯れる。
悼み、すなわち、痛み。

『男一代2』を見て

午前二時に目覚ましを掛け、オンタイムで見た。
『男一代菩薩道2 ~佐々井秀嶺44年ぶりの帰郷~』
先週、制作者:小林三旅氏から電話で、
「和尚は泣きますよ、絶対泣きます、号泣します!」
と宣告されていた。
その言葉通り、放映開始後10分もしないうちに映像が
涙でかすみ、1カットも見逃すまいと、ワシは片目ずつ
交互に瞼を押さえながら画面に喰らい付いた。
思えば、昨年秋から佐々井師来日のための下準備に
取りかかり、多くの素晴らしい人たちと出会った。また、
呆れるほど下劣な輩にも遭遇した。それらの出来事が
番組オンエアで昇華され、夏の夜空に舞った。
三旅氏は、ワシにとって友であると同時に、恩人だ。

もうひとり、畏友にしてまた“兄”とも仰ぐ報道写真家の
山本宗補氏が、『大法輪』今月号に寄稿している。
<佐々井秀嶺師帰国行脚同行記> (198頁より)
二カ月に渡る全行程を俯瞰的にまとめた氏の文章は、
紙幅と字数の制限の中、なんとかして真実を伝えよう
という誠意と、佐々井師への真摯な敬意に満ちている。
各地での講演会を振り返り、
「それにしても僧侶の数が少なすぎた」
「佐々井師に対する僧侶の関心の低さが多くのことを
物語っている」

これは「佐々井師に対する」と同時に、釈尊の国インド
で仏教が復活した、
という歴史の現実に対する関心の
低さ、と言い換えることも出来るだろう。
本家が斜陽になっていたあいだに繁盛した分家にして
みれば、なんとも居心地わるい時代が来たわけだ。
実際、現場で“ジャイ!”唱和の音頭を取っているとき、
ワシと目が合うと慌てて視線をそらす僧侶さえいた。
(自分の宗派で称える言葉と違う)
良識ある一般の方なら失笑を禁じえないそんな理由で、
彼らは、逃・げ・た、のだ。

宗派的な枠組みをアイデンティティーにして自我を保全
したかったのか、あるいは営業上の都合だったのか。

阿弥陀は、「無限、永遠」を意味する梵語だ。
無限であるはずの阿弥陀に、有限な感覚を持ち込んで
一体なにを守りたかったのだろうか、彼らは。

彼らの守りたいものが、じつは彼らを呪縛しているのに。

大煩悩道(四)

遂に放映!13日木曜未明 2時38分より3時38分、
  NONFIX
『男一代菩薩道2 ~佐々井秀嶺44年ぶりの帰郷~』
フジテレビ系(関東圏のみ) 超必見☆

さていよいよ今回でオーラス、ぶっちゃけ理趣経トーク。

「色清浄句是菩薩位」
メンクイは煩悩ではない。
そもそも、惚れてしまえばアバタもエクボ。これ真理。
人間なんて勝手なもので、嫌いになったら美形ほど鬼に
見えるもんさ。姿は、視覚より心が作り出すビジョン。
だけどカタチは大事だぜ。カタが決まらなきゃ、形無しだ。

「声清浄句是菩薩位」
サウンドにシビレるのは煩悩ではない。
よく女の子が“電話声”を使うけど、あれって必殺だよな。
声だけじゃなく、言葉も音。魂のサウンド、言霊だ。
言霊は、必ず現象化・実体化する。
ま、伝えられない想いのほうが多いのは、切ないけどね。

「香清浄句是菩薩位」
フェロモンに反応するのは煩悩ではない。
出してる本人が自意識過剰な場合は、イタイし、臭せえ。
嗅覚は脳のもっとも原初的な部分に直結しているそうな。
だから、仏教でもカトリックでもイスラム教でも、礼拝には
お香が必須アイテムなんだな。神仏のフェロモンってか。

「味清浄句是菩薩位」
まいうー。は煩悩ではない。
食事を楽しむ秘訣は、話し相手と、なごやかな雰囲気。
メニューそのものは二次的要素。平和こそ御馳走だ。
民族や宗教が互いに貪り合う現代、美食は世界を滅ぼす。
B級グルメに未来あり。まいうー&ぴーす。

んで、これらを総称して「大欲清浄句是菩薩位」と云う。
ちっちぇー欲は煩悩だが、でっけぇー欲なら菩薩道。
本能(ほんのう)に濁点が付けば煩悩(ぼんのう)になる。
GODはDOG、LIVE(生命)はEVIL(悪魔)と裏表・・・。

ならば大煩悩道を生きようではないか!

大煩悩道(三)

今日から再開☆ぶっちゃけ理趣経トーク第三回。

「愛清浄句是菩薩位」
惚れたはれたは煩悩ではない。
むしろストイックさのほうに麻薬性があるので御用心。
エコやダイエットにハマってる奴は、そうでない人間に
対して密かに、あるいは露骨に優越感をいだく。
古今東西、あらゆる宗教が禁欲を云うのは、愛し方を
間違えるな!ってことなんだよ。


「慢清浄句是菩薩位」
自信を持つことは煩悩ではない。
念のため、交遊関係の「社会的地位」や「金」を自分の
ステイタスにしようとする輩は、もちろん、クソである。
人間、目標を見つけてハイにならない奴はいない。
ノボセるぐらい、可愛いもんじゃん。


「荘厳清浄句是菩薩位」
オシャレごころは煩悩ではない。
豹柄スパッツのボンレスハムおばさんも、ご当人たちは
あれで身だしなみに気を遣ってるつもりらしい(恐怖)。
ちなみに、坊主が法衣をまとう時、いわば勝負服だから
オシャレ感覚♪全開っ!で着付けてますよ。


「意滋沢清浄句是菩薩位」
こころが潤う感覚は煩悩ではない。
なんか、悟りって砂を噛むように味気ない心境みたいな
誤解ってあるよね。だったら薄情モンはみんな悟ってる
ことになる。そんなブッダならブタのほうがよっぽど世の
中の役に立つ。義理人情の大煩悩道こそ、大菩薩道。


「光明清浄句是菩薩位」
感動は煩悩ではない。
ただし、よくカルトのアホ連中が「光を見た!」とか言って
無邪気にはしゃいでるが、ありゃ洗脳されてるだけだ。
感動を“解放”と勘違いしたらカルトだが、解放には必ず
熱い“感動”があるんだぜ。rock'n'roll!

「身楽清浄句是菩薩位」
快感は煩悩ではない。
βエンドルフィン等の快楽物質は、むしろ宗教的行為に
よって分泌されやすい。いわゆる“法悦”というやつだ。
逆に、すぐ「いやぁ、大変で」とか言いたがる輩に限って、
いい加減にやってるもんさ。真剣は、快感なのだ。

次回いよいよファイナル。守るために壊せ!(つづく)

核廃絶

核廃絶
1998年5月11日。インド政府は、酷暑期のラジャスタン砂漠
上空に発生する大気の揺らぎによる屈折を利用して米偵察
衛星の目をかいくぐり、核実験を断行した。
同年6月10日、佐々井秀嶺師を乗せたトラックが首都デリー
の国会議事堂前に現れた。
「Eei!Paagal!Aaja!(おーい!馬鹿野郎!出て来い!)」
佐々井師の大音声が響き渡る。当時の大統領を衆人環視の
なか、いささかも臆することなく馬鹿呼ばわりした。
世界唯一の被爆国民として怒りに血をたぎらせた佐々井師は
一気呵成にまくし立てた。
「Abhi mujhe ma lo!(さあ、すぐに俺を殺せ!)」
貧困にあえぐ最下層民衆と共に生きてきた佐々井師にとって、
保身と権益のため核開発に大金を注ぎ込む政治家は、馬鹿。
「罪なき人々を虐殺する兵器の開発にうつつを抜かす汝等が、
俺ひとり殺すなど造作もなかろう!この坊主を殺してみろ!」

戦争の狂気が生んだ核兵器は、米ソ対立の道具を経て、今や
第三世界の虚栄心を満たすシンボルとなった。
万一、テロリスト集団が小型核を使用した場合、核保有大国が
報復に打って出れば、そのとき人類は滅亡する。
もはや核均衡による「かりそめの平和」は、終わったのだ。

今年初夏、佐々井師のお供でアマチュア児童劇団が演じる、
『かよこ桜』 (長崎原爆投下の悲劇を描いた物語)
を観劇した。
ワシは、日ごろの強気はどこへやら、子供たちの一生懸命さに
どっぷり感情移入してしまい、ポロポロ泣いてしまった。
それをあとで弟弟子にからかわれたが、あれで泣かなかったら
漢(おとこ)がすたる、ってもんだ。べらぼうめ!

写真は、長崎原爆投下地点に立てられた石碑の前で黙祷する
佐々井秀嶺師。

『男一代2!』

来週木曜に迫った『男一代菩薩道2』放映に先立ち、制作者
小林三旅氏からメッセージが届いた。
ご本人の了解を得て、ここに転載させていただく。

**************************************************

6月23日の帰国後すぐ編集作業にとりかかり、先日無事完成
いたしました。
二ヶ月間の取材で収録は200時間以上に及び、インド取材を
含めると収録素材は300時間にもなりました。
番組は正味50分ですので、もったいないというか、さびしいと
いうか、どうにも複雑な心境です。
  NONFIX
『男一代菩薩道2 ~佐々井秀嶺44年ぶりの帰郷~』
8月13日(木曜)早朝<深夜> 2:38 to 3:38
放送局 フジテレビ

今回は関東圏内のみの放送になります。また、放映の時間に
ついては選挙前ということもあり、なんらかの事情で10分前後
ずれることもありえますので、予約録画される方は余裕をみて
いただければ幸いです。

ローカル局に関しましては前回(パート1)もかなりの局で放送
があったようですので、時間を置いていずれ放送されると思わ
れます。

株式会社 三度 ディレクター 小林三旅

**************************************************

小林氏の取材活動をインドや日本で間近に見ているワシは、
放送時間の都合上、編集によって切らざるを得なかった氏の
忸怩たる胸中が、痛いほど分かる。佐々井師みずから、

「テレビは三旅くんだけ!」
と全幅の信頼を置く小林氏の仕事ぶりは、凄絶、といえる。
温厚で口数少なく冷静な人柄は、ややもすれば暴走しがちな
このワシを、いつも正気に戻してくれた。
佐々井秀嶺師来日では多くの方々からお力添えを頂いたが、
もし小林氏がいなかったら、ワシは歴史的重圧に耐えかねて
とっくの昔に逃げ出していただろう。

うっしゃあっ☆当日は、気合を入れてオンタイムで見るぞー!

大煩悩道(二)

まずは待望の告知をば!
佐々井秀嶺師母国行脚に二カ月間独占密着取材を
敢行した小林三旅氏制作によるドキュメンタリー、

『男一代菩薩道2/佐々井秀嶺44年ぶりの帰郷』
CX(フジ)系にて、8月13日深夜<早朝>2時38分~
3時38分、いよいよオンエアだっ☆

みんな!気合い入れて、脇をしめ、拳を内側に構えて
えぐり込むように、見るべし!見るべし!見るべし!

・・・さて、ぶっちゃけ理趣経トーク第二回。

「愛縛清浄句是菩薩位」
束縛し合うことは煩悩ではない。
愛とは基本的に押しつけがましいものである。例えば
親の愛情は、子供のリクエストと関係ない。
“自主性”を尊重するくらいなら、アンタなんかどうでも
いい、と白状しちまえ。裏切られても自主性だ。

「一切自在主清浄句是菩薩位」
えー、ちょっとマジメな説明が要るかな。
一切自在主とは、Lokeshvara、つまりシヴァ神のこと。
仏教では“人が煩悩にとらわれ苦悶することを楽しむ
コマッタちゃん”というキャラなんだ、あの神様は。
ほら、いるじゃん。ひとをからかって、
「コクっちゃえば?なんなら代わりに言ったげよか」
とか勝手に盛り上がる奴。
でもそいつのおかげでカップル成立なら、儲けもんだ。

「見清浄句是菩薩位」
見つめることは煩悩ではない。
グラビア・アイドルを、じゃないぜ、あれはお仕事だ。
惚れた相手をうっとり見つめるあまり、相手の心が見え
なくなることって、あるだろ?
だから、ちゃんと見る。初心に帰って見つめることだ。

「適悦清浄句是菩薩位」
しっくりいく喜びは煩悩ではない。
だいたい赤の他人同士が、ピタッ!と隙間なく合わさる
なんて、本当はありえないことなんだ。
予定調和や妥協ではなく、グッチャグチャでみっともない
本音の次元で共鳴し合うこと。これが肝心。

なんか披露宴の祝辞みたくなってきたなあ。(つづく)

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