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『男一代2』を見て

午前二時に目覚ましを掛け、オンタイムで見た。
『男一代菩薩道2 ~佐々井秀嶺44年ぶりの帰郷~』
先週、制作者:小林三旅氏から電話で、
「和尚は泣きますよ、絶対泣きます、号泣します!」
と宣告されていた。
その言葉通り、放映開始後10分もしないうちに映像が
涙でかすみ、1カットも見逃すまいと、ワシは片目ずつ
交互に瞼を押さえながら画面に喰らい付いた。
思えば、昨年秋から佐々井師来日のための下準備に
取りかかり、多くの素晴らしい人たちと出会った。また、
呆れるほど下劣な輩にも遭遇した。それらの出来事が
番組オンエアで昇華され、夏の夜空に舞った。
三旅氏は、ワシにとって友であると同時に、恩人だ。

もうひとり、畏友にしてまた“兄”とも仰ぐ報道写真家の
山本宗補氏が、『大法輪』今月号に寄稿している。
<佐々井秀嶺師帰国行脚同行記> (198頁より)
二カ月に渡る全行程を俯瞰的にまとめた氏の文章は、
紙幅と字数の制限の中、なんとかして真実を伝えよう
という誠意と、佐々井師への真摯な敬意に満ちている。
各地での講演会を振り返り、
「それにしても僧侶の数が少なすぎた」
「佐々井師に対する僧侶の関心の低さが多くのことを
物語っている」

これは「佐々井師に対する」と同時に、釈尊の国インド
で仏教が復活した、
という歴史の現実に対する関心の
低さ、と言い換えることも出来るだろう。
本家が斜陽になっていたあいだに繁盛した分家にして
みれば、なんとも居心地わるい時代が来たわけだ。
実際、現場で“ジャイ!”唱和の音頭を取っているとき、
ワシと目が合うと慌てて視線をそらす僧侶さえいた。
(自分の宗派で称える言葉と違う)
良識ある一般の方なら失笑を禁じえないそんな理由で、
彼らは、逃・げ・た、のだ。

宗派的な枠組みをアイデンティティーにして自我を保全
したかったのか、あるいは営業上の都合だったのか。

阿弥陀は、「無限、永遠」を意味する梵語だ。
無限であるはずの阿弥陀に、有限な感覚を持ち込んで
一体なにを守りたかったのだろうか、彼らは。

彼らの守りたいものが、じつは彼らを呪縛しているのに。

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