2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
フォト

« 意の血 | トップページ | こんわく物語 »

ボース忌

ボース忌
スバース・チャンドラ・ボース。 日本の近現代史に深い関係を
持つインド人。「ネタジ(司令官)」と称されるベンガルの志士。
戦時中、東條内閣が組織した『大東亜会議』のメンバーとして、
スカルノやアウンサンらと共に、武力行使によるアジア解放を
目指した。昭和20年8月18日、飛行機事故で死亡。
そんな彼の遺骨が東京に祀られているなど、平均的日本人は
もちろんのこと、母国インドでもほとんど知られていない。
本日、都内の某寺にて、命日法要が営まれた。
(ちなみに2006年インド政府の調査委員会は日本に存在する
遺骨の客観的信憑性を否定している)

「日印友好の一つのかたちとして、知っておくのもあり、かな」
というわけで、御参りに行った。
チャンドラ・ボースとアンベードカル博士は同時代人。
武力による独立と、非暴力による人間解放。両者が選び取った
道は別々だが、回天の志士、という点では共通している。

さて、インド式の袈裟で行ったもんだから、先方の関係者から、
「ぜひなにか一言」
くっくっく。知らんぞ、どうなっても。
ワシは、“ここぞ!”とばかりにアンベードカル博士とインド仏教、
そして佐々井秀嶺師について、拳を振り上げ、ガンガン熱弁。
だが、参加諸氏の一部には、
<ミリタリーな青春の思い出にひたるおじいちゃまたち>
もいらっしゃり、あるいは、
<右側通行が性に合ってるタイプの方々>
も何名かおいでになられ、彼らは一様に、さあ~っと、ドン引き。
そりゃそおだ。場違いな坊主のおカド違いな演説ってわけだ。
話し終えると同時に、ワシはバックレた。

あーあ。また、やっちまったな。
以前、テレビマン小林三旅氏はかかるワシの性癖を指して、
「悪ガキが隣の教室へ乱入し、黒板いっぱいにイタズラ書きして
逃げる、みたいな感じですよね」
と形容した。・・・うう。まったく反論できましぇん。

« 意の血 | トップページ | こんわく物語 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

和尚、残暑お見舞い申し上げます。
チャンドラ・ボースの生涯や、その遺骨の流転秘話は今ではほとんど忘れられてしまってますね。歴史上の人物の業績を後講釈するのは簡単だけれども、ご本人は、その時代に生きて、目の前の問題に必死に対峙していたと思うと、純粋に畏敬の念が湧いてくるというもの。その意味で、現代の問題を考えるには過去にも目を向ける、まさに温故知新の和尚の姿勢に大いに共感します。が・・・、御法話の後は「バッくれる」のではなくて、やはりそこは、衣川館の弁慶のように、最後まで踏みとどまって立往生せねば!!。インフルエンザが目を覚ましたようですので、渡印までくれぐれもご自愛下さい。

追伸 小生も、我が家の墓もある多磨霊園で、もう一人のボース、ラス・ビハリ・ボース夫妻の墓に参り、故人の波乱に富んだ生涯に思いをはせたことがあります。
歴史が眠る多磨霊園:http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/H/bosu_b.html)

※誤表記陳謝の上訂正
歴史が眠る多磨霊園:ボース、ビハリの墓http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/H/bosu_b.html

>米太郎様
いやはや面目ない。ただ、いかんせん立場上、要らぬ言質を取られて一部の御仁に利用されては我が師父に迷惑が及びかねないので、早々に退散した次第。案の定、帰ろうとするワシを呼び止めて「そのような言葉」を言わせようとした人物もおりました。また、インド政府の関係者も列席しており、彼らの特権階級然とした「お公家さん顔」を見てるとブチ切れそうになったので、忍法霧隠れの術、と相成ったわけです。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/503578/45965491

この記事へのトラックバック一覧です: ボース忌:

« 意の血 | トップページ | こんわく物語 »