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2009年10月

『虚人のすすめ』

友人の編集者から献本していただいたので紹介する。
『虚人のすすめ』(康芳夫著:集英社新書)
副題に“無秩序(カオス)を生き抜け”。康氏は、昭和の
興行界で数々の大イヴェントをブチ上げた人物。
ネッシーやオリバー君など珍獣ネタから、モハメド・アリ
招聘までも手掛けた『伝説の呼び屋』である。
ワシのような昭和テレビ少年にとって、湖面にV字波を
描きつつ鎌首もたげる恐竜の写真(もちろん偽造)や、
パンツ穿いて飛行機から降りて来た獣人(もちろん猿)
の衝撃的光景は、強烈なトラウマとなった。
特に、オリバー君がタラップの上で手(もちろん前足)を
高々と挙げ、仕込まれた挨拶芸を披露してくれた時は、
つい反射的に「あ、ども」と返礼してしまった。

さて、本の内容。
みずから『虚業家』を公称する人物だけあり、文体から
してハッタリ感が強く、胡散臭さが漲っている。
だがそれこそ著者の狙いだろう。“実”を気取る偽善者
に対する、痛烈なカウンターとなっている。
そもそも不変の実体などこの世に存在するわけがなく、
“虚”を口にする者とて、それを実体化して認識する。
ゆえに康氏は、あえて『虚人主義者』を名乗る。
「私にとって虚は何もない状態、ゼロという認識(中略)。
このゼロとはいかなる思考も感情も、そして身体すらも
入り込めない、徹底して何もなく、何の意味もない」
「ゼロは冷徹なほどまったく何もない状態でありながら、
同時に宇宙の森羅万象を一瞬にして表現してしまう」
「仏教で言うところの“空”に近いかもしれない」

ワシが思うに、霊能者という商売も、虚業ではないか。
前世などの目に見えない物件を、さも見たことあるかの
ように、もっともらしくプレゼンする。
心霊とオリバー君の決定的違いは、実物を見せてしまう
ことで是か非かを消費者判断にゆだねる点だ。
とはいえ、いまだネッシー信者がいる如く、カルト信者は
教祖の嘘にのめり込むことで、“虚”を“実”に夢想する。

その後、オリバー君は、対人ストレスから心身症を患い、
動物病院で淋しく老いていった、とも聞く。
虚業に踊らされた猿の末路はひたすら哀れである。
・・・自戒を込めて。

オッサン哀話

インドで会った日本人のおっさんの、しょーもない話。
去る九月末、ナグプールにて。
アンベードカル博士仏教復興記念祭を目前に控えた
或る朝、インド仏教会本部インドーラ寺院の入り口で
日本のおっさんに出会った。まずは、初対面の挨拶。
「僕は一週間前からこの町に来てましてね(尊大)」
ロコツに“上から”の物言い。はあ?
(ま、つまりここじゃアンタより先輩ってことよ)
とでも云いたげな口調。ワシは何年もかよってるけど。 
「お寺さんですかあ(冷笑)」
坊主=世襲ブルジョア、だから労働者の敵、ってか?
ワシはれっきとしたサラリーマン家庭の生まれじゃい。

あとで周囲のインド人達から聞いたが、そのおっさん、
ホンットになーんも知らんかったようだ。
定年後の悠々自適暮らしでインド訪問、ナグプールが
どういう場所で佐々井師がどんな存在なのかまったく
知らなかったという。たまたま見かけた現地仏教徒が、
日本からのお客さんだから佐々井師のお客さんだ、と
善意の勘違いをして、面倒をみてやったわけだ。

「三十年ぐらい前インドを旅しましてねえ」
ははん。いにしえのヒッピー世代ですな。ビートルズと
ガンジャに痺れて love&peace してた自称革命家。
戦前戦中派を毛嫌いし「古いものは悪い」の短絡式で
戦後社会をぐちゃぐちゃにした世代。ところが、IT化の
流れについていけず、てめえらが「古い」存在になって

しまったという、或る意味、哀れなジェネレーション。

「よおっ、佐々井さん!水、買ってやるよ!」
ミネラル・ウォーターのことだが、これが『インド仏教徒
一億五千万人の大指導者』に対する口の利き方か?
佐々井師母国行脚の折り、各地の講演会で、
「インドへ行って佐々井上人のお話を聞きたいと願って
いるのですが、なかなか機会に恵まれません」
との切実な声を何度も何度も耳にしたワシは、思わず
ブチギレそうになった。

おっさん、いつのまにか去って消えた。
たぶん日本にいれば、女房子供や若い者から相手に
されない寂しいヒトなんだと思う。・・・しょーもないけど。

おくる現場

長い付き合いの葬儀屋さんと、茶飲み話。
「和尚。えーと、“おくりびと”って映画、見ました?」
ずいぶん前じゃん。モックンのやつだろ。いや、まだね。
「ある葬式のお施主さんからちょっと云われて、こないだ
初めて見たんですが、ありゃ、ないっすよねえ」
ふむ。たしかにあんな美男で元音楽家の納棺士がいる
わけねえし、家へ帰りゃヒロスエが待ってるんだしな。
「そおゆう意味じゃなくて」
ナガサワだったら、ワシも転職する可能性アリ、だな。
「純然たる転職にならないでしょ、和尚の場合」
照れちゃうなあ。ナガサワが家で待ってる生活かあ。
「“(無視して)ちょっと云われた”ってのは、ま、クレーム
みたいな感じだったんですけどね」

曰く、モックンの映画と違う、と。
「だいたい納棺士は全国で約二十名ぐらいしかいないし、
今では“湯灌”も病院でアルコールが普通ですからね」
遺族の気持ちになれば精一杯丁寧に送って欲しいと思う
のは当然だけど、すべての遺体が同じ状態でもないしな。
「言うのを憚るようなケースも少なくないですよ」
一般映画にゃ出来ねえわな。

その反面、都市部ではここ数年、『直葬』が増加の一途を
たどっている現実がある。
病院で死亡後、いっさいの宗教儀式や葬送儀礼をせずに
火葬場の炉へ直行!という、文化のカケラもない形式。
それを選択する遺族の考えは、
「まわりに知らせると後々の付き合いが面倒だから」
友人葬やお別れ会もしない、そんな“おくる現場”が、既に

死者全体のおよそ二割にまで達しているのである。

こういった現実に臨む立場の僧侶達は、実際にどうか?
まず、寺関係者が『仏教徒』たりえているか、疑問である。
「電脳さんはよほどインドがお好きなんですなあ」
先日、ある席で某住職から云われた。
好き嫌いじゃないでしょ、お釈迦さまの国で仏教が復活し、
それを牽引してるのが日本人:佐々井秀嶺師なんですよ。
坊主の端くれとしては、押っ取り刀でしょ、フツー。
「いやいや、ご立派。ところで海外は、今までどちらに?」
・・・インドとネパールだけじゃい!
「なら、ハワイはオススメですよお♪日本語、通じますし」

どの業界も、現場の実情は映画にゃ出来ましぇん。

世紀の対決

はじめに、特定メーカーの製品を誹謗する目的ではない
ことを明記しておく。
さてワシは約三週間ほどインド中南部ナグプールにある
寺院で生活してきた。佐々井秀嶺師の隣の部屋、という
或る意味ゼータクな毎日を送らせてもらった。
無論、極めて特殊な意味合いにおいて贅沢なのであり、
TV・ラジオはおろか生活電力に不自由する日々だった。
インド最下層民衆と寝食を共にする以上、日本における
文明の恩恵を“忘れ切る”覚悟が要る。

とはいえワシは、佐々井師とは夜空にきらめくお星様と
地べたを這いずり回る蟻ン子ぐらい、違う。
だから、『チキ〇ラーメン』を大量に持参して行った。
本来なら鶏ダシはもちろん卵すら食べてはならない殺生
禁断の僧房。佐々井師は蚊取り線香さえ炊かない。
日本におれば虫も殺さぬココロ優しきワシなれど生来の
“麺喰い”はいかんともしがたい。結局、根性ねえのよ。

ネットで買った専用どんぶり(フタ付き)まで持ち込んだ。
さあ、いざ食すべし。お湯を注ぎ、待つこと三分。
フタを開けて、おや?と驚いた。
「ほおー。最近のは、ブラック・ペッパー入り、なのかあ」
出来あがったラーメンの上にびっしりと黒い点々。
が。それは黒胡椒ではなく、袋に侵入した蟻の群だった。

スーツケーツに無理やり詰め込んだため、麺が袋を突き
破り、何ヶ所か穴が空いていたからだ。
インドの蟻。いつもカレーばっか喰ってるから、ラーメンに
斬新な喜びを感じていらっしゃるご様子だ。
しかし貴重な日本の味、もとより捨てるつもりなどない。

フォークですくった麺に絡んでないかを確認しつつ慎重に
食す。スープに浮いた死骸はスプーンでこまめに撤去。
地道な作業を繰り返し、なんとか完食。死骸を移した器の
中身は、苺ジャム(つぶ入り)のように見えた。

アリとの対決。
そう、かつて『燃える闘魂』アントニオ猪木が挑んだ勝負。
がんじがらめのアリ有利ルールのなか、苦肉の策で生み
出されたスライディング・キックこそ、通称“アリ・キック”。

ワシは思わず「1、2、3、だあーっ!」と叫んでいた。

道
道
日本の某有名出版社からの依頼で『佐々井秀嶺語録』を作るため、のべ五日間に渡って佐々井師と二人きり、膝を交えて話を聞かせてもらった。過去にも何度か個人的にはそういう機会に恵まれたこともあったが、今回は公的出版物ということで、始めは互いに少々緊張した。
「蛇がのたくるような放浪だったな」
若き日の苦悩時代を振り返り、佐々井師は言う。蛇行。紆余曲折。しかしこの人には終始一貫した“ひたむきさ”がある。それは、ワシのような中途半端に蛇行しイイ加減に紆余曲折する者から見れば、『大いなる直進』に映る。
「とにかく劣等感の塊だった」
ひとは往々にして、劣等感に取り憑かれるとその反動で権威や肩書にしがみつき、自我を保全しようとする。だが佐々井師の場合は、あらゆる権威や肩書を拒否し、劣等感のドン底まで自分を落とし、大地の底に足が着いたところで、すっくと仁王立ちする生き方を選んだ。・・・どうしたらそんなふうに強くなれるんですか?
「強くなんかねえよ。アタマで考えるな、カラダで考えろ」
佐々井師は、常に本質を直視する。直視して、直進する。その後ろには、真っ直ぐな道が出来る。
今日、ワシはインドをあとにする。

夢
夢
休日の朝、空き地で草サッカーに興じる仏教徒の青年。周知の如く、アジアや中南米の貧困地帯ではサッカーが盛んだ。ボールひとつあれば出来るからである。そして、裸足。この青年たちも、細く長い足で原っぱを駆け回る。しかもここはインド、やはりあちこちに牛糞が転がっており、彼らはそれを見事にかわしてパスをつなぐ。この足さばきならW杯も夢じゃない?
だが、フィジカル・エリートが正当に評価されにくいインド社会、その理由もカースト制度と無関係ではない。額に汗して励む仕事は卑しむべきであり、やんごとなき身分のすることではない、と。
「将来の夢?エンジニアさ。ITにカーストは関係ないからね」
「仏教復興。これっきゃない」
「僕はイングランドに行ってフットボールのプロを目指します。ナカタみたいになりたいですね。ダメだったら映画俳優、かな」
「おめえアホじゃねえの?」(一同爆笑)
彼らがこうして夢を語れるようになったのは、言うまでもなく、祖父母や両親の代に、血統階級制のヒンドゥー教から仏教へ改宗したからである。

浄土

浄土
浄土
廃材を組み合わせ、ゴミ捨て用の黒いビニール袋を張った家で暮らす親子。貧困の理由はただひとつ、彼らが生まれた『血筋』だ。「ダスユ」あるいは「パリヤ」等、いわゆる不可触民と呼ばれる彼らは、かつてインダス文明を築いたドラヴィダ民族の末裔とも云われる。
氷河期を逃れカスピ海沿岸から南下したアーリア民族は、金属器文明を用いて各地の先住民を侵略、ある者は現ドイツ近辺に住み着きアーリア・ゲルマンとなり、またある者は中東に住み着いてイラン(アーリアン)人となった。インダスからガンジス河流域を経てさらに南下したアーリア民族は、次第にドラヴィダ民族と混血し、よりアーリア系の血が濃い者から順に、下へ下へと階級制度を作った。それが『カースト』である。問題は、このような古代の悪弊因習が、いまだにインドで機能しているということだ。牛が神聖視される国で、虫ケラ以下に扱われる人間がいるのである。
現代日本人でインドの表面を撫でただけの御仁は、平然とこんなことを口にする。
「貧乏は本人たちの努力が足りないから」
「インドの暗い面ばかり強調するのは古い。今や経済は急成長している」
「インドを旅行したけどカースト差別なんて見なかった」
「不可触民といわれる人たちに会ったけどみんなちゃんと普通の生活をしてた」
こういった耳を疑うような妄言に接すると、腹が立つより情けなくなる。一体、何を見てきたのか?少しばかり感性のアンテナを伸ばせば、それこそ「普通」に分かることなのに。

ビニール小屋の家族を夕陽が包む。昼間の炎熱が去り、涼しく優しい時間が訪れる。落日の方角は『浄土』の象徴である。

激辛曼陀羅

激辛曼陀羅
激辛曼陀羅
激辛の国インドで韓国製激辛ラーメンを喰う之巻。究極☆の自虐行為。
外は直下型モンスーンの嵐で蒸し暑さ大爆発。室温40℃を越す僧房は天然のサウナと化し、まさに体の内も外もBURN!意識は跳んで涅槃が見える。のりPが高そうなお皿を回し、ターバン巻いた鳩山首相がHIPHOPダンス踊ってる。すわいこをだずえい!良い子のみんなは真似しちゃダメだお。ドクローさまですぶぁいヤイヤイ。ついでにトッピングは同居の蟻ン子だ。麺にからんでどうにも避けようがねえ。殺生禁断の聖域なれど、這って鍋に入るインドの蟻。とりあえず斬新な具ということで、解脱じゃああああっ!

報道?

報道?
日本三大紙の一角をなす某大手新聞のニューデリー支局が、佐々井秀嶺師へ取材を申し込んできた。今春二ヶ月間の母国行脚以来、佐々井師から日本のマスコミ対応を任じられているワシは、早速、担当者へ打ち合わせの電話。すると担当いわく、
「ナグプール日帰り取材なので、半日は佐々井先生、そのあとヒンドゥー教右翼組織の本部に行く予定でいます」
・・・なんじゃそりゃ? いまどき『80年代ニューアカ』でもあるまいに、価値相対主義の両論併記、ってか?つまり、殺人事件の被害者家族にインタビューしたその足で、加害者側に菓子折りを持って行くわけね。人道に反するとか仁義を欠くとか、ごく常識的なハナシだと思うのだが。同新聞社には優れた記者氏もおり、ワシもずいぶん世話になっているから社名は伏せるが、いくらなんでもお粗末過ぎやせんかねデリー支局。ここは佐々井師に判断を仰ぎ、直接電話へ出てもらった。すると担当、逆ギレしたのか『インド仏教徒一億五千万人の指導者』に向かって、
「それが私の仕事ですからっ!」
・・・わかってねえのか、それとも単にアホなのか。これぞスーパーウルトラKY、だ。
佐々井師からこんこんと事情を説明され、右翼との掛け持ち取材はとりあえず断念したようだが、やれやれ、である。かつてインド独立時、イスラム教との融和を唱えたガンディーを暗殺し、アンベードカル博士の仏教復興を“亡国”として排撃するヒンドゥー右翼。実際に佐々井師周辺では命を奪われた仏教徒も少なくない。人命にかかわる宗教問題を芸能人の浮気取材レベルで考えていたとは、コラッ!天下の大新聞、しっかりしろ!

寺の門前。下校途中でお参りに来た少女たちの笑顔に、佐々井師もホッとした様子だった。

大恋愛

大恋愛
大恋愛
ワシ的にストライクゾーンど真ん中なラブストーリーを知った。
ナグプール郊外に広がる沃野千里のマンセルに、日本の篤志家:有方静恵さんの寄附により運営される老人ホームがある。そこの管理を任されている男は、もと札付きの荒くれ者。手のつけられないヤンキーであった。更正を願う周囲のはからいで佐々井師と邂逅、頭を丸めて僧侶となり、お年寄りのために尽くすこととなった。やがて彼は、ひとりの女性と出会う。不可触民児童の学校で教鞭をとる先生。お互い、弱者に献身する立場のふたりは、やがて恋に落ちる。元不良少年と女教師。燃え上がる情熱の炎。しかし、インド僧は基本的に結婚が認められない。彼はとうとう佐々井師に無断で挙式、入籍してしまう。佐々井師激怒。破門か?破局か?結局、彼は還俗を許され、夫婦揃って『有方老人ホーム』で働くことに収まった。灼熱の大地をさらに焦がす、大恋愛物語。
・・・羨ましいこっちゃ。

新生

新生
新生
新生
「おい!出掛けるぞ、付いて来い!」
佐々井秀嶺師はいつもそんな調子だ。具体的説明を期待するほうが悪い。頭で考えるな、魂で感じろ。基本的に佐々井師はRock'n'-rollなのだ。その日は、新たな仏教徒の誕生を祝う法筵にお供した。不可触民であっても差別を跳ね返し、裕福な暮らしを勝ち取る者もいる。そんな一家に招かれた。佐々井師は、この子の将来に幸あれかし、と一心不乱に祈る。しかも赤ん坊が泣き出さぬよう、まるで童謡を歌って聞かせる如く、柔らかに読経する。今日まで佐々井師は、こうしてインド民衆に愛を注ぎ、そして愛されてきたのだ。赤ちゃんは泣き出さなかったが、そばで見ていたワシは感動のあまり涙ぐんでしまった。いやはや、面目ない。

仏母

仏母
仏母
仏母
女性解放もまた『仏教復興』の主たる目的である。男尊女卑という、力無き男どもが根拠無き圧力にすがり自己保全を企てる迷信の呪縛から、生命の母源を解き放つこと。それは人間解放の根本である。わが国の密教で唱えられるところの薬師如来真言に曰く、
「オン コロコロ センダリ マトーギ ソワカ」
センダリは、インド社会における不可触民階級チャンダールの女性形:チャンダーリー。マトーギも同じく不可触民マータンガの女性形:マータンギー。すなわち、差別された人々の中でさらに差別される立場=女性、の意味である。薬師真言は祈念する。
「聖音 苦患より解き放たれし歓喜の笑顔 世界に満ちるべし チャンダーリーとマータンギーよ とわに幸あれ」

必生

必生
必生
必生
「仏教徒になる」。果たしてどれほどの日本人がこの言葉の切実さに気付き得るだろうか。インド民衆にとってそれは人間の尊厳を賭けた「人生の転換」、人として再生するための一大決心なのだ。佐々井師の造語を借りれば、まさに『必生』である。必死、を口にする者は多い。いわく、必死で頑張ります、必死の思いでやったのに・・・云々。
「必ず死んでみせる」と言っておきながら平気な顔で生き延びた者が、必死を云う。日本では、本来、仏教のプロであるはずの寺院すら世襲制によって、必生の気概を喪失している。仏教徒になる、のではなく「仏教徒だったかも知れない」のが、現代日本の哀れな姿である。

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