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2010年1月

突破

突破
突破
突破
南天龍宮帰城第四日目。仏教遺跡の街シルプールで、多数派ヒンドゥー教徒居住区を中央突破するデモ行進がいよいよ始まった。及ばずながらこのワシも、インド僧衣で馳せ参じる。なにせ『現在の一向一揆』をみずから任じるワシにとって、これこそがインドにかよう意義でもあるわけだ。
行進は、整然粛々と始められた。シュプレヒコールでシャウトするワシが微妙に浮いてる感じがした。
「いかん、これは日本のような平和ボケ国家で行われる宗教ゴッコとはわけが違うのだ。みんな本当に命懸けなんだ」
そう思い直して気持ちを正す。周囲で見物するヒンドゥー教徒たちは、みな一様に迷惑そうな、そしてなにより、
(汚らわしい不可触民どもめ)
といった蔑みの表情をあからさまに示す。ワシの闘志がさらに熱くなる。
行進は無事終了。陣頭指揮をとった佐々井師が仮設舞台に上がり、仏教徒民衆に感謝の言葉を述べた。
その舞台袖には、サブマシンガンを持った護衛が立っていた。

間脳のひと

間脳のひと
間脳のひと
南天龍宮帰城第三〜四日目。ナグプールから車で東へ終夜移動し、シルプールに向かう。そこは仏教を庇護したヴァーカータカ王朝(8世紀以降)の首都があった場所とされ、近年、佐々井秀嶺師によって発見された壮麗な仏教遺跡がある。だが、他の仏跡と同様、周辺地域はヒンドゥー教徒に席巻され、依然として仏教徒はマイノリティのままだ。今回佐々井師は、その街のヒンドゥー教エリアのど真ん中を果敢に突破するデモ行進を先導するため、徹夜で敵陣に向かうことになった。もちろんワシもお供する。写真上は、深夜の国道沿いの茶店で一休みする佐々井師。
野田正彰氏の佐々井秀嶺師観察評。
「おそらく間脳の機能が一般的平均より相当活発なんでしょうね。感情の高ぶりが身体に作用して人並み外れた行動力を生み出すんでしょう」
写真下はシルプール仏教遺跡。
・・・なるほど。

解放

解放
解放
南天龍宮帰城第三日目。佐々井秀嶺師のお供で仏教徒の新築式に招かれた。現場でこまごまと飾り付けなどに指示を出す佐々井師を見ていると、去年二ヶ月間日本にいた時より、ずっと生き生きしている。また仏教徒達はみな佐々井師のことを心から信頼し、敬愛し、帰依していることが分かる。初めてナグプールの仏教徒に接した野田正彰氏は、精神科医の知見として、
「眉間から額にかけて、こわばりが少ないようです。精神が落ち着いて安定してる、ということでしょう」
この人達がかつて不可触民と呼ばれて蔑まれ、触れてはならぬ、見てはならぬ、声を聞いてもならぬ、影を踏んだだけでも汚らわしい、と忌み嫌われていた事実を思うと、ブッダが、アンベードカル博士が、佐々井秀嶺師が彼らにもたらした人間解放の偉業が、いかに比類なきものか、改めて深く知らされる。

天竺午睡

天竺午睡
天竺午睡
天竺午睡
南天龍宮帰城第二日目。野田正彰氏を案内して佐々井師と共にマンセル遺跡へ行った。マンセルは仏教遺跡であるが、後発のヒンドゥー教に乗っ取られたかたちとなり、ヒンドゥーの聖地:ラームテクとも呼ばれている。そしてそこにはヒンドゥー教過激派原理主義組織の本山があり、彼らは現在も仏教復興に対し実力行使で妨害を続けている。そこへ、インド仏教の指導者:佐々井秀嶺師は、平気な顔でフラリと乗り込む。お供するワシは野田氏のことを考えいささかナーバスになっていた(写真上)。だが、犬猿の仲も一緒にお昼寝するインドの午後(写真中)。何事もなく終わった。
ちなみに、下の写真はその場所で撮った、というだけのことで、犬猿の仲という意味ではありません。あしからず。

追記 ツイッターを始めました。
利用者の方は「nagabodhi」でユーザー名検索を。

再会

再会
再会
南天龍宮帰城第一日目。今回お連れしたゲストは精神科医でノンフィクション作家の野田正彰氏。野田氏は昨年、佐々井秀嶺師四十四年ぶりの一時帰国の折り、東京のホテルで約一時間半ほど会見した。その続編として、今度は野田氏が訪印し、佐々井師とインド仏教徒の『普段着の触れ合い』を取材する運びとなった。初日の今日は、野田氏が滞在するホテルでの会談。両者共、予定調和のぬるま湯に安住しない気性も手伝って、途中で何度か議論が白熱する場面があった。しかしそれはまさに建設的な対話であり、「座学の徒」が言辞を弄ぶがごとき空理空論の類ではなかった。明日からが楽しみな、再会となった。

明日から天竺

今から一年以上前のこと。
ナグプールにあるインド仏教会本部インドーラ寺院の
僧房にいたワシは、佐々井秀嶺師に呼ばれた。
「ゲストハウスの管理人のおばあちゃんが、あぶない
ようなんだ。様子を見に行ってくれないか」
佐々井師のもとを訪ねた経験のある方なら、おそらく
みな、そのおばあちゃんの世話になったことがあるの
ではないか思う。痩せて、物腰おだやかな老婦人だ。
出かけようとするワシを佐々井師は呼び止め、
「これ持ってけ」
自分が着ていた袈裟を脱いで、手渡された。
「頼むぞ。俺もすぐ行くから」

町外れのゲストハウス。白い二階建ての建物。
下の部屋に入ると粗末なベッドの上におばあちゃんが
横たわっている。かなり意識レベルが落ちていた。
佐々井師から預かった袈裟をおばあちゃんの体に掛け
てあげる。そして耳元で、
「ほら、ササイ・ジーが来てくれたよ、元気出して」
すると一瞬、おばあちゃんの目に輝きが戻った。
(これからどうすりゃいいんだ?)
ヒンディー語は話せても、次に自分がなにをしたら良い
のか分からない。家族に容態を聞くと、今夜が山、と。

おばあちゃんが歩んできた人生を思い、胸が詰まった。
不可触民と呼ばれて蔑まれ、佐々井師に出会うまでは
“人類”として扱われなかった、ひとりの女性。
シルクのサリーなど一度も着たことがない、貧困と抑圧
に耐えてきた釈迦の国の仏教徒が今、臨終を迎えよう
としている・・・。
手をこまねいて立ちすくんでいるところへ、佐々井師が
やって来た。
おばあちゃんのため、一生懸命に祈るササイ・ジー。
この人は、今日まで四十年以上、こうして民衆のために
祈り続けてきたのだ。そう思うとさらに胸が詰まった。

帰り道、佐々井師から怒鳴られてしまった。
「なにをボサッと突っ立ってやがったんだ!お前は!」
その目尻が、銀色に光って見えた。

明日から一週間、ナグプールへ行ってまいります。

剣は真言(まこと)

剣は真言(まこと)
剣は真言(まこと)
「アルジャジーラTVが取材に来るんですよ」
黒澤雄太師範から連絡があった。
(いよいよワシも中東デビューする日が来たかあっ!)
無論、取材対象は師範の試斬居合道なのだが、これを
きっかけにこのワシもドバイ辺りで脚光を浴び石油王の
お嬢さまとロマンスの花が咲いて、逆タマで巨万の富を
得るかも知れないではないか☆
ちょうど、書籍の編著作業に煮詰まっていたところだし、
キャッホらんらん♪と日本武徳院へ出かけた。

やって来たのはイギリス人スタッフ。
通訳と撮影助手の日本人ふたりを連れた、英国紳士。
(・・・あれま)、と思った。
ターバン巻いた髭面が迷彩服を着てAK47でも担いで
来るか、と期待してたワシは、少々拍子抜け。
旧ソ連製自動小銃と日本刀の勝負をぜひとも見てみた
かった。って、ンなアホな。

演武を撮影したあと、短いインタビュー。
「斬る前に何か言ってますがあれはなんですか?」
黒澤師範は構えに入る時、不動明王の真言を唱える。
右手に『刀印(人指し指と中指を伸ばして薬指と小指を
親指で抑え輪を作る)』を結び、
“ノウマクサーマンダバーザラダンセンダーマカローシャ
ダーソハタヤウンタラターカンマン”

師範が笑って答えた。
「外国人は必ずその質問するんですよね」
異なる精神文化に触れて率直な疑問を持つゆえだろう。
敵に勝つための祈りなら、キリスト教徒もイスラム教徒も
するはずだ。 しかし『剣禅一如』の精神的高みを目指す
武道(仏道)は、彼らには理解しにくいのかも知れん。

だがそれは、現代の日本人にも同じことが云えるのでは
ないか、とワシは思った。

習慣性気楽症

このところ長文と格闘している。
以前は『サイバー辻説法』を不定期ながら更新してた
ので、長い文章をまとめることが生活リズムの一部に
あった。だが、ブログという手軽で素早いスグレモノが
現れたおかげでコラム文体、つーか短文思考が染み
ついてしまった。ま、短兵急な性格も原因だけどね。

コラムは説明的になったらオシマイだ。
もともと、新聞の隅っこに円柱形で囲った、言いきり系
の短文記事が起源だそうな(諸説アリ)。長文、それも
一冊の書籍、という尺で書くとなると、思考のスパンが
まったく違ってくる。当然、コラム脳では書けましぇん。

そのせいで、担当編集氏には多大なご迷惑をお掛け
致しております。誠に遺憾に存じますです、ハイ。
なにせ必要な箇所に「because」、「anyway」等の類が
欠如しているのだから、ほとんど子供の作文を手直し
するに等しい作業を強いている。ごめんちゃい。
しかも書き手のワシときたら、
「いや、生活BGMをさ、ジミヘンから80年代西海岸系
American Rockに変えたのよぉ。そしたらさぁ、なんか
調子良くって、ノリノリで書けそな感じぃ♪」
ちなみに、書いてるのは真面目な教養書である。
また悪い癖で、短い中にも起承転結を入れようとして
章末にいちいちオチをつけてしまう。
「東京03のコントは参考になるよぉ、ツッコミの」
・・・逆の立場だったら、間違いなく殺意を覚えてるな。

『習化』。じっけ、と読む仏教語。
そのひとに染みついた習慣と、それにより形成された
生き方の姿勢、というような意味である。
「習い、性(しょう)となる」
みたいなことだわな。究極の自己責任論、ともいえる。
ポジティヴに捉えれば、NO FATE。
武道が、まず体の姿勢を云うのは、そこに偽らざる性
(しょう)がハッキリ出るからだ、とワシは思う。
命を賭けた闘いにおいて、習化を読まれること、即ち
死である。

悪い癖ほど身につきやすいもの。
あ、言い訳じゃないっすよ、ちゃんとやりますからね。
担当編集氏、合気道やってるし。

聖地奪還

聖地奪還
樹下に端座する僧侶。一見のどかな南アジア仏教国の風景。
(写真提供:大橋正明恵泉女学園大学教授)

だが彼らの心は、静かに熱く燃えている。
ブッダガヤ大菩提寺管理権奪還闘争のハンガー・ストライキ。
仏教は世界三大宗教のひとつでありながら、釈尊が成道した
根本聖地を、ヒンドゥー教徒に乗っ取られたままなのだ。
写真の僧侶らは決死の断食で人類の良心と国際世論に訴え
ているのである。
大菩提寺奪還闘争には、インド仏教界はもとよりタイの仏教、
スリランカ仏教、また台湾仏教の一部も共闘している。
わが国仏教界でも、臨済宗、黄檗宗など禅門が宗旨を越えて
聖地奪還の法炬を灯し、積極的に行動している。
ただ日本では残念なことに、浄土系や法華系、密教系宗派が
このレコンキスタ(失地回復)に消極的だ。
浄土系にとっては阿弥陀如来の西方極楽浄土、法華系ならば
久遠本仏常住の霊鷲山、密教系なら大日如来の密厳浄土が
教義上の聖地であるため、歴史上のゴータマ・ブッダが悟りを
開いたその場所については、関心が低いようである。

また、チベット仏教はインド国に亡命している立場であるため、
亡命先の内政干渉になることを警戒し、奪還闘争には距離を
おく態度を取っている、という事実もある。
つまり、聖地奪還運動が一枚岩になっていないのだ。
チベット仏教は、苦渋の選択を余儀なくされた結果であろう。
だが日本のお寺さんは、亡命生活を送っているわけではない。
高級外車を買うカネがあったら、抗議のハンストに挑む彼らに
せめて毛布ぐらい送ってあげて欲しいものだ。

「わざわざ揉め事を起こさなくてもいいのにねえ(冷笑)」
自分たちの宗教の根本聖地奪還闘争を、そのように揶揄した
日本人僧侶もいる。・・・ただただ、呆れ果てるばかりである。

仏教では『慈悲』、キリスト教では『愛』を説いている。
いずれにせよその反対語は、同じ言葉だ。それは、無関心。

巴
巴
東京南麻布にあるフランス大使館の旧庁舎解体に臨み、
日仏の表現者が屋内外の空間を自由に用いて、アートや
ファッション、建築そしてパフォーマンスとジャンル越えて
集う記念碑的イヴェント、
『NO MAN'S LAND』-創造と破壊@フランス大使館-
が開催されている(1月31日まで)。
去る9日は試斬居合道日本武徳院の演武が行なわれた。
それに先立って、黒澤師範の門下でアーティストでもある
日下部泰生氏によるライヴ・ペインティングが、厳寒の下
披露された。フリーハンドの筆と墨汁が描き出したものは
数知れない線からなる『巴』(写真上)。
意識の内奥へと向かう渦が、同時に外へ外へ、世界へと
拡大していく。三つ巴。三は「完全体」を表す。
ひとつの巴が渦を成し、それが三つ集まってさらなる渦を
形成していく。内へ内へ、と見れば自分自身の核に到る。
この巴は「龍」である。人間生命の地下水脈なのだ。

引き続き、武徳院一門による演武。
観衆との距離が近い。大使館警備担当が神経を尖らす。
云うまでもなく、使うのは本身、「真剣」だ。
しかも地面は玉砂利が敷き詰められ、足場が良くない。
だが、稽古を積んだ武道家にはまったくの杞憂であった。
見事に一刀両断(写真下)。
「せっかくですから何かご質問は」
演武のあとで、黒澤師範による質疑応答のコーナー。
「何年ぐらいで斬れるようになりますか?」
フランス人らしき観客が問う。いかにも西欧的合理主義の
発想だ。当然、個人差があるに決まっている。
「流派は?歴史は?」
日本人観客の質問。比較しても仕方ないが、フランス人の
それに対し、なんともアタマデッカチな印象を受ける。
自分もやってみよう、とする外国人。
とりあえず知識だけ得よう、とする日本人。
大雑把なくくりだが、ワシには象徴的な対比に思えた。

・・・それにしても寒かったなあ~。
やっぱワシは「おふらんす」より、インドざんす。しるぶぷれ。

智の復権

昨晩、夕食をとるため外出していたとき、ケータイが
鳴った。インドの佐々井秀嶺師からだ。
人づてにわが老親入院の話を聞き、心配して電話を
くれたのだった。佐々井師の人情が身に染みた。
「日本にいる間アンタの親御さんにゃ一度も挨拶して
なかったからなあ。すまんなあ」
容態を説明すると次第に佐々井師の声が震えていく
のが分かった。こんな出来損ないのワシのために、
『インド仏教徒一億五千万人の大指導者』
が嗚咽してくれてるのだ。
夜の横浜歓楽街。天下の公道も忘れ、ありがたさの
あまりワシはつい泣き出してしまった。
新年会で盛り上がってる通行人たちは、いっせいに
ドン引き。そりゃそおだ。 弁慶の如き体躯の坊主が
いきなり街中で号泣し始めたのである。
(正月早々アブネー奴。見ないフリ見ないフリ)

すまん。だが、義理人情に泣けなくなったら日本人も
お終いだぜ。
理に走るのが知性なら、情を忘れぬのが智性だ。
知という字には「日=太陽」がない。
温かみも無ければ希望も光明も差さないのが、知だ。
理を整え、知ったところでなんになる?
要は、どう行動するか、どう他者と関係性を構築して
いくか、である。これをといい、智性という。

『共感脳』。
大脳前頭前野部が持つ機能で、他者の心を察したり、
思い遣ったり、思い入れたりする脳の働き。
かつての日本人は、浪曲や浄瑠璃など芸能を通じて
この共感脳を日頃から鍛えていたようだ。
残念なことに、いつのまにか誇るべき脳力、文化力が
退化してしまったように思う。
「他者性欠如」
共同体崩壊の時代を生きる日本人は、知らず知らず
のうちに、前頭前野が鈍磨した、とワシは思う。

・・・とはいえ、街中で号泣はねえわな。
夜だったし、周りは酔っ払いが多かったからまだしも、
あれが真っ昼間、たとえば商店街とかだったりしたら
間違いなく通報されてた。いやはや面目ねえ。

記憶

KAT-TUNの赤西君が主演する映画『BANDAGE』のCMを見て、
(バンテー・ジー?)
ほお、佐々井秀嶺伝をジャニーズがやるのか☆ と勘違いした
ワシです。すんません、脳がシビレてるもんで。
年末年始突貫!で今年刊行する書籍の編著に没頭しており、
しかも内容に則してBGMにジミヘンを聞いてるため、脳味噌に
紫の靄がかかってる状態なのよ。ぱあぷりん、へいず。

某人物の過去に関する部分を書いていて、人の記憶がなんと
いい加減で錯綜に満ちたものであるかを思い知らされた。
昨年観たイスラエル映画『戦場でワルツを』のなかで語られた
記憶実験のエピソードにも、
「被験者に子供のころの写真と古い遊園地の情景を合成した
画像を見せると、何割かはだまされて、行ったことがある、と。
だが時間が経過するにつれ、最初は記憶にないと答えていた
被験者までが、ああ!思い出した、やっぱり行ったことがある、
と言い出すんだ」
記憶世界では、客観性の肩身が狭くなる。脳の天敵はストレス
だから、思い出の内容いかんによっては、一切無かったことに
してしまう場合もある。つらい記憶も、楽しい記憶も、当事者の
現在状況によって意味や粗筋まで変わってくるものだ。

仏典にいわく、『三界唯心、但是一心作』。
これは“破地獄偈 ”と呼ばれ、地獄に落ちてもぜんぜんOK♪
という、チョーありがた~い経文。
「さんがいゆいしん、たんぜいっしんさ」
と読み、この世はみんな気の持ちよう、ってな意味だわな。
馬鹿にしたもんじゃねえぞお。心とは脳内現象であり、知覚も
認識も、すべて脳が「そのように受け取っている」だけ。
仏教は最先端の脳科学とも相通じるところがあるのだよ諸君。

よく、講演会の打ち上げなどでワシが聞かれる質問に、
「佐々井師と出会ったいきさつは?」
毎回同じことを喋っていると、客観事実でさえもが潤色を帯び、
ネタとしてこなれてくるものだ・・・。
そう、あれはワシがひとりでインドを旅していた時のことです。
タージ・マハルの上空に銀色に光るUFOが現れたかと思うと、
中から聖母マリアが降りてきて、こう言ったのです。
「Let it be」
その御告げに従ってナグプールヘ行き佐々井師と会いました。

たまぁ~にコレを本気にしちゃうヒトがいて困るんだけどね。
いずれいせよ、記憶は造られるもの、というオハナシ。

*謹賀新年*

皆さん、新年あけましておめでとうございます☆
ヒンディー語で言うと、
「ナヤ・サール・ムバーラク・ホー!」
考えてみたら日本で新年を迎えるのは18年ぶり。
ずっとインドで年越しをしてきた。
この歳月は昨春44年ぶりの一時帰国を果たした
佐々井秀嶺師に祖国の土を踏んでもらうための
準備期間だったのだ、と思う。
自慢じゃないが、それなりの犠牲を払ってきた。
ハワイのコンドミニアムでニュー・イヤーを迎える
リッチな方々と違い、不便、不衛生、それに加え
テロや暴動の危険とも隣り合わせの新年だった。
何より、老親には多大な心労を負わせてきた。
今年は病院のベッドで正月を迎えている。

インドは基本的に太陰暦なので、西暦での新年は
あんまし盛り上がんない。
いちおう、大晦日は徹夜で花火なんぞ打ち上げて
ドンチャン騒ぎするが、元日になったら、地味。
つーか、グダグダないつものインドに戻ってしまう。
子供が凧上げしているのを見て、
「おおっ、やっぱ正月じゃん♪アジアじゃん♪」
と思っても、インドの子供は一年中凧上げしてる。

インド仏教会本部インドーラ寺のおとなりで暮らす
おばさんは、元日の未明からヒスを起こす。
ドンチャン騒ぎで眠れなかった! と騒ぎが鎮静化
した直後から、キィ~キィ~わめきだす。
まじハンパねえ勢い。怒濤の元旦ヒステリー。
おかげでワシは、大晦日の騒ぎが終わってやっと
眠れると言うタイミングで、おばさんの絶叫に叩き
起こされる「ナヤ・サール」だった。

いやあ、久し振りに静かな新年を迎えました。
今年もよろしくお願いします。

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