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2010年2月

いよいよ発売!

<報道写真家:山本宗補氏のメールより転載>

かねてから、様々な週刊誌や月刊誌、新聞などでお伝えしてきた
インド仏教徒の最高指導者として破天荒な活躍をしている、
帰化日本人僧、佐々井秀嶺師の大型写真集『日本行脚』が、
いよいよ3月10日に刊行されます。
先週19日に印刷を全て終えました。
今週中に製本作業が完了し、3月初旬には完成本となります。
そこで改めて、この写真集の告知をさせていただきます。
この写真集は、全写真を撮影した私(山本)が、ほとんど
フリーハンドで使用写真をセレクトし、編集・構成したものです。
デザイン・装丁は、気鋭のデザイナーでありフォトジャーナリスト
でもある野田雅也氏に引き受けていただきました。
インド仏教史及び日本仏教史にもその活動が刻まれることに
なるであろう佐々井秀嶺師の、後世の研究資料としても
資料価値の高い内容を目指しました。
また、今年75歳を迎える佐々井師の生き様、人となり、思考の
一端を写真という映像媒体で実感していただけるものと自負して
おります。
限定1000部の販売ですので、お申し込みはお早めにお願いし
ます。以下が写真集の基本情報です。

佐々井秀嶺師写真集『日本行脚』(撮影・編集:山本宗補)。
発行者:大日如来南天鉄塔記念協会
2010年3月10日刊行。1000部予約限定。定価6000円(送料別)。
B4版変形(35cmX25cm)、168ページ全カラー。

重さは1.7㌔をこえ、ズシリと重いです。
 
内容:
約620点の写真(インドでの活動写真20点含む)を使い、
44年ぶりの母国64日間を網羅した全記録。
佐々井師直筆あいさつ文、本音コメント多数収録。
発行者の宮本光研会長の刊行あいさつ。
巻末資料1:インド政府に渡した、ブッダガヤ大菩提寺の管理権を
仏教徒の手に返すことを請願する臨済・黄檗宗アピール文。
巻末資料2:200ヵ所に及ぶ全行脚行程リスト。
奥付資料:佐々井師略年表。地図

申し込み方法は以下を参照下さい。
http://homepage2.nifty.com/munesuke/

平成水滸伝

先週、都内某所にて久々に盟友が集った。愉快夜。
その顔ぶれは昨春、佐々井秀嶺師44年ぶりの帰国を
実現させたメンバーである。
写真家、テレビマン、武道家、そして坊主とおのおのが
身を置く畑は違えども、その熱き魂が呼応し合う。
そしてまた、みなに共通しているのは、
「何かを失う覚悟を決めている」
という点だ。
今あるものをすべて守った上で余力を“ササイ道楽”に
使う、などといった計算高い輩は、この面子にいない。
というか、入って来れないだろう。

昨年の今頃はまだ、このメンバー全員が、佐々井師の
一時帰国について半信半疑であった。
「デリー空港で搭乗直前にバックレる可能性がある」
本気でそう思っていた。
しかし、歴史は確実に動いたのだ。

梁山泊』。この集団を一言で表せば、そうなるだろう。
とはいえ気心が知れた仲間、集えばぶっちゃけトークが
炸裂する。今回はワシがイジラレ役になった。
いやぁ、こないだ講演に行った時、主催者から交通費の
領収書を出すよう言われて、ワシはこうキメたんだ。
“卒業証書と領収書は破り捨てるのが rock'n'roller さ”
「え、なに、交通費受け取らなかったの?」
口座振込でもらった。
「なっさけねー!この軟弱坊主があっ!」

帰路、駅へ向かう途中、誰ともなく呟いた。
「俺らって、活動計画みたいなことぜんぜん話さないな」
たしかに。だが、実際に動くとなると、爆発的な突進力を
各自が発揮し、結果、なんとなくまとまるから不思議だ。
メイヨコモンもいなけりゃジムキョクチョーもいない。
そんな肩書には中指立てて唾を吐く感性の持ち主同士
だからこそ、お互いに信頼し合うことが出来るのだろう。
「なんか今年も佐々井師を盛り上げることしたいね」
そう云いながらみんなそれぞれが違う企画を考えている
のだから面白い。個性派揃い、といえば聞こえは良いが
世間的には一匹狼の集団である。

真冬の夜。
佐々井一家の侠客たちは、やがてそれぞれの荒野へと
散って行った・・・。
「だあから、カッコつけ過ぎなんだよ和尚はっ!」

善魔

来月20日土曜夜9時よりCX系にて放送予定の、ドラマ
『地下鉄サリン事件 十五年目の闘い』
事件発生当時から現在に至るまでを被害者家族の目線
で描くという。期待して見たい。
あの頃、オウムに肩入れしたエセ知識人連中の迷走は、
いま思い出しても眩暈がするほどだ。
現在その本人たちがいかにトボケてみせようと、自分の
アタマの中で理屈の辻褄が合えばひとの生命など一切
顧みない点において、彼らもまた「カルト」であった。

たとえば、某人物(かつて親鸞についてあちこち書き散ら
かしていた)などは、オウム道場周辺の住民が立ち退き
要求運動を展開した時、以下の如き寝言を垂れ流した。
  日本には親鸞の“悪人正機”という精神がある。
  オウム信者を受け入れてあげることが日本文化
  ではないのか(取意)
信者の居住に関する権利など法的論議はいったん措く。
そもそも、親鸞が説いた悪人正機は、これとまったく意味
が正反対なのである。
自分で修行したり功徳を積めば悟りが開けると思ってる
ひと・・・これが、親鸞の云う「善人」。
自分の限界に気づき罪の重さを噛みしめて修行や功徳
などおぼつかない懺悔のひと・・・これが「悪人」。
親鸞は、人間各自がおのれの身の丈をあるがままに知
ることこそ苦悩から解放される道、と説いた。
まちがっても、身の丈を越えて空中浮揚することが救い、
などとは言っていない。
オウムの論理ではオウム信者こそ“善人”であり、一般の
ひとびとは“悪人”。だから彼らは、サリンを撒いた。

ちなみに親鸞は“善人”に対しても、
「こころをひるがえして」
と、補完を加えている。すなわちこの場合、オウム信者が
松本智津夫と決別し、教団の犯した罪を全面的に認めて
悪人の自覚に立てば救済の道も開かれる、ということだ。

1992年の11月、オウム真理教は四百名の団体を組んで
インドを訪れた。その時ブッダガヤの金剛宝座に釈尊の
真似をして松本(麻原)がすわる事件を起こし、そのため
今でも、宝座は防護柵で囲まれているのである。

地下鉄サリン事件発生から15年・・・。

れんげ草

れんげ草
れんげ草
昨春44年ぶりの一時帰国を果たした佐々井秀嶺師だが、
インドに戻ってからのほうが体調は良いようだ。
無論、満身創痍の老躯であることに変わりはなく、きっと
日本の医療基準で診れば芳しい状態とはいえないはず
である。だが、日本で生まれ育った期間の倍以上インド
で暮らしている佐々井師にとっては、あの過酷な環境の
ほうが、もはや性に合っているのだろう。
「こっちだと気兼ねが要らんからね」
民衆の中に飛び込んでカンラカラと大笑いする姿は帰国
行脚ではあまり見られなかったことだ。
「ずっと“バンテー・ジー”と呼ばれてきたのに、日本では
“僧正”とか“猊下”とか言われて、誰のことかと思ったよ。
インド仏教の僧侶に階級はないからね」
もとより、差別解放を目指す仏教に階級制は必要ない。
復興運動の指導者アンベードカル博士は、そもそも僧侶
ですらなかった(写真下)。

ササイ・ジーを祭り上げおのれの私利私欲に利用しよう
とする輩が、インドにはたくさんいる。
長年、そういう連中の中で生き抜いてきた佐々井師には
初対面で相手を見抜く眼力がある。
一時帰国した際、師を利用して一旗揚げよう☆と企てる
日本人についても、見事にイッパツで見抜いた。
「時間がないと言って断れ」
ワシは何度もその憎まれ役をやらされたものだ。
反面、これは相手に乗ったほうがいいと踏むと、達者な
役者ぶりを見せることもある佐々井師。
「仕方ないよ。インドにはまだまだ一円十円の金がなくて
死んでいく民衆がおるんだから、そのためだよ」

今生の最後と思い定めて祖国の土を踏んだ佐々井師を、
僧正だの猊下だの歯が浮くような世辞で迎えた、一部の
日本仏教の僧侶たち。
例え彼らに悪気はなかったにせよ、そのような階級名称
を佐々井師に用いることの矛盾ぐらいは、気付いて欲し
かったと思う。
・・・いや、彼らがそのような価値観に縛られている以上、
そこ(日本仏教界)に佐々井師の居場所はない。

やはり野におけ、ささい草。

一途(いちず)

一途(いちず)
一途(いちず)
写真上は若き日の佐々井秀嶺師と仏教徒のおばあさん。
インド仏教会本部インドーラ寺院のすぐ隣で暮らしていた
彼女は、すでにこの世を去っている。
だがその家族は今も献身的に佐々井師の活動を手伝い、
孫夫婦はA.I.M.Japan(Ambedkar International Mission
日本支部)のメンバーとして運動している。
ちなみに90年代、ヒンディー語『SASAI伝』を編纂したのも
このおばあさんの親族だ。

差別と抑圧に呻吟する民衆とって、上からご立派な教えを
垂れるような人間は、無用だった。
だからこそ、佐々井秀嶺師が求められた。
おのれを曝け出して共に泣き笑い、時には大喧嘩をし、時
にはポカもやらかす、ササイ・バンテー・ジー。
そんな師だからこそ虐げられた民衆は一途に慕うのだ。

佐々井師の人柄を一言で表すなら、それはやはり、一途。
常に直球勝負で、中央突破するひとだ。
病気、怪我、大火傷。あるいは暗殺の危機をも乗り越えて
まっしぐらに突き進む。
「まず使命感を持つことだな。そうすると使命を果たすのが
目的となり、他人の評価や後講釈はどうでも良くなる」
豊かで平和な日本にいて佐々井師の言動を“後講釈”する
御仁には、果たして使命感はあるのだろうか。

写真下は仏教徒の子供とお母さん達。
今回、この子らにインタビューして驚かされたのは、みんな
ほとんどが『大菩提寺問題』を知っていたことだ。
「バグワン・ブッダ(お釈迦様)が悟りを開いた所が、ずっと
ヒンドゥー教のものになってるんです」
大人に模範回答を言わされてる、そんなことは当たり前。
知らないよりよっぽどマシではないか。

佐々井秀嶺師が踏み開いた道を、この子達も続いて行く。
一本の真っ直ぐな途(みち)。

香る未来

香る未来
香る未来
豊かな国ではアロマ・テラピーなどと優雅な嗜みが流行
しているが、インドでは、お線香作りは下層階級の女性
の手仕事とされている(写真上)。
細く削った竹ひごに、香料を混ぜて練った煤をからめ、
陰干しする。朝から晩まで黙々と、両手を真っ黒にして
働き、わずかな賃金を得る。
「あたしのおッ母さんもお婆さんもヒイ婆さんも、みんな
代々この仕事さ。そういう身分なんだから」
「なぜって?神様がそう決めたんだから」
彼女達がこの先もヒンドゥー教にとどまり、カースト制度
の中に居続ける限り、「神の命によって」自由はない。
下層階級の女性を“汚れた身分”として寺院から遠ざけ
るヒンドゥー僧は、彼女達が作った線香を炊いて、祈る。
・・・神は一体何を見ているのだろうか。

だが、この矛盾は果たしてインドだけのことだろうか。
高価なお香に贅を凝らす日本の仏教寺院は、世襲制と
いう日本式カースト制度によって、「聖職者」たる権益を
確保している。すでにブッダの国で仏教が復活し、その
指導者が、日本人佐々井秀嶺師である事実にまったく
関心を示さない寺関係者がいることを思えば、日本にも
ヒンドゥー教の迷信あり、と皮肉のひとつも言いたくなる
ではないか。

写真下は、祖父母や親と共に仏教へ改宗した少女達。
アンベードカル博士は被差別階級の中でも更なる差別を
受けていた女性達に、人間としての未来を開いた。
教養を身につければ闘える。
「あたし、お医者さんか学校の先生になりたい」
「あたしはヘア・デザイナーね。イギリスへ留学して資格を
取って、ボリウッドの映画女優の専属になるの」
「うっそー!本当はこのコ、あの俳優の・・・」
「きゃっ☆ちょっとお、やめてよお」
少女達のこの“少女らしい夢”も、仏教改宗による人間の
解放あったればこそ、である。

闘う仏教とは、人生を闘う力となる仏教のことだ。

スラム菩薩

スラム菩薩
スラム菩薩
今週水曜、無事帰国。
インド滞在中、ナグプール郊外の国道から少し外れた
裏路地にあるスラム街を訪れた。
ヒンドゥー、イスラムが混住するエリアの一画に、仏教
寺院があると聞いて、ぜひ参拝せねば、という気持ち
になった。陽はやや西に傾き掛けた時刻。夜になると
危険が増す一帯なので、今しかないと思った。
スラムの細い通路を真っ直ぐに進むと、やがて五色の
仏教旗が目に留まった。小さな寺。入口には太い鎖が
掛けられ、施錠されている。インドに住職制はない。
もの珍しそうについて来た子供に鍵の在り処を聞くと、
すぐに取ってきてくれた。どうやらその子の親が鍵番を
しているようだ。
(黄色人種のお坊さんが現れた!)
佐々井秀嶺師と勘違いされたらしい。近所から信者が
わらわら集まって来た。時間帯のせいもあってか女性
の顔ぶれが目立つ。男衆は肉体労働に出てる頃だ。
佐々井師を間近に見たことがない仏教徒の、期待を裏
切るのは忍びないが、
「いや、ササイ・バンテー・ジーじゃないよ」
と正直に言う。でもみんなニコニコして迎えてくれた。

本堂に上がり、一緒にパーリ語で勤行した。
インド仏教徒は大人も子供もたいがいお勤めを暗記し
ており、その信心の情熱は、生きる意味と一体だ。
勤行の最後は「ジャイ!」の唱和。
昨年、佐々井秀嶺師44年ぶりの帰国に際して、日本
各地の講演会で轟いた、仏教復興の雄叫びである。
バクワーン・ブッダ・キー・・・、「ジャーイ!」
夕暮れ迫るスラムに人間解放の合言葉が響き渡った。

ワシの下手くそなヒンディー語の法話も、みんな熱心に
聞いてくれた。彼らの心に言葉を届けるためには知識
や語学力ではなく、声に魂を込めなければ伝わらない。
一人のおばさんが感動してくれた。

再会を約束して去るワシを見送ってくれた彼らの姿が、
一瞬、菩薩に見えた。大地から湧きいでた菩薩に。
「地湧の菩薩」(『法華経』)。

SASAI伝

SASAI伝
SASAI伝
南天龍宮帰城最終日。今回、最大の収穫といえるのはヒンディー語『SASAI伝』を改めてじっくり閲覧出来たことだ。いわばインド版『破天』と呼ぶべきこの一書は、90年代、関係者向けに限定出版された非売品。編纂にあたってインド仏教会スタッフが来日し、岡山県の佐々井師生家や生前の御母堂様を訪ねて綴り上げた魂の讃歌、篤き信仰の結晶だ。当然のことながら、内容については故山際素男氏の著書とほぼ同一であるが、インド人の目から見た「バンテー・ジー物語」として貴重な資料であり、いつしか邦訳が出版されることを願ってやまない。
写真上はその表紙で、第一回ブッダガヤ大菩提寺管理権奪還闘争(92年)のポスターをベースにしたもの。右上に縦書きしたヒンディー語で『サ・サ・イ』。
写真下は裏表紙。若く、痩せていた頃の佐々井秀嶺師。インドの労働者がする「鉢巻き結びのターバン」が、佐々井師の飾らない人柄を表している。この姿こそ、インド民衆にとっての佐々井秀嶺師なのだ。

始まり

始まり
始まり
始まり
南天龍宮帰城第五日目の夜。ナグプール市内で学業優秀な仏教徒子弟に対する表彰式が行われた。メイン・プレゼンターはもちろん、佐々井秀嶺師。今回は特別ゲストとして野田正彰氏も登壇した。佐々井師の手ずから表彰を受ける少年少女らを見ていると、学ぶ喜びと生きる喜びが一つになっていることが分かる。スピーチに立った佐々井師は、
「みんなが勉強できるのはね、おじいちゃんおばあちゃん、お父さんお母さんが仏教徒に改宗して、アンベードカル博士のお言葉に従い、自分が食べるご飯を削ってお金を工面し、みんなを学校へ行かせてくれてるからなんだよ。だから一生懸命勉強して恩返しをしようよね」
ヒンドゥー教社会の中で、ただ生まれた血筋だけを理由に、人間として学ぶ権利もその機会すらも奪われてきた彼らにとって、今宵の表彰式はまさに『人間再生』のスタートとなるのだ。

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