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『反骨のブッダ』

  • 高山龍智: 『反骨のブッダ』インドによみがえる本来の仏教(コスモトゥーワン出版)

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2010年3月

ダキニうどん

「なんかキョーレツな“念”が漂ってる街っすねえ」
ごく最近知り合った『怪談&都市伝説』専門のサブカル系
ライター氏が言う。
場所は川崎。薄暗い裏通りにある韓国家庭料理の店。
「なんかルサンチマンが渦巻いてる的な」
このライター氏、日頃から周辺環境を妖怪変化で固めてる
徹底した人物。例えば、普段の食べ物の呼称についても、
コンビニでおでんのバクダンを注文するとき「目玉親父」と
指差し、喫茶店ではフレンチ・トーストを「ぬりかべ」と言い、
或いはピザを「墜落したUFO」と呼び、中華屋では春巻きを
「一反もめん」と言って断固として譲らないことをポリシーに
しているそうだ。てか、意地の張りどころが違う気がする。

「今日、聞きたかったのは『五色不動』のことなんですけど」
あ?江戸の。え~と、天海が関わってたとかいうアレ?
「太田道灌が江戸に結界を張るため建立したと伝えられる
『七森稲荷』に対抗して、後進の徳川幕府が、お不動さんを
担ぎ出した、という説なんですが」
天海や道灌がそれぞれ具体的なプロジェクトの立ち上げに
直接関与してたかどうかは知らないけど、こういう話はその
神話を共有する者の間で共同幻想としての“念”が生まれ、
勝手に独り歩きを始めるもんだからね。
「率直な疑問として、キツネとお不動さんじゃ勝負にならない
と思うんですけど。なんつーか、弱い者イジメ的な」
いや、実は稲荷信仰の背景には、インドの黒魔術が関係し
てるんだよ。外法(げほう)、つまり呪詛だけど、人間の死を
一カ月前に予知してその心臓を食らう、『ダーキニー』という
悪魔の使いがキツネやイタチで、それが日本に伝来したと。
インドでは、ダーキニーのためにネズミを丸揚げしてお供え
してたのを、日本では油揚げで代用するようになった、とも
言われてるんだな。あくまで一説だけどね。
「じゃ、不動V.S.キツネの勝敗は・・・」
サーベルで凶器攻撃したミスター不動の反則負け、かな。

まあ、南光坊天海は『宗旨人別』、すなわち信仰する宗派に
よって人間を階級分けする、日本の『カースト制度』を作った
張本人ともいわれているから、弱い者イジメっていう路線も、
あながち無くはないと思うけどね。
「僕、今日の昼、駅の立ち食いで、キツネうどん喰っちゃった
んですよお。なんか夢に出て来そうだなあ」

彼がその後、ダキニうどん、或いはダキニ寿司と言うように
なったかどうかは、さだかでない。

T2精神

このところ諸事煩多で、美女と路チューをするヒマもなく、
更新が疎かになってしまった。
さて、これから四月末までに書籍の全体校正を仕上げ、
本の土台を完成させるつもりだ。
短期間に爆発的集中力を発揮することには自信がある
(単に気が短いだけ)ので一気にやり遂げたい。
今年の「読書の秋」には、市場へお披露目できると思う。
これに賭けるわが覚悟と決意のほどは、シュワちゃんの
『T2』ラスト・シーン、って感じかな。
書店に平積みされた本を確認したら、その場にバタッと
倒れ込み、そして、天に向けて親指を立てる・・・。
「♪ ちゃらら~らーらーら~、ダダダダダッダダダッ」
例のテーマ曲。完全なる自己陶酔。

まあ、それぐらい自分の大切なものを犠牲にする覚悟を
しているということだ。
モノの売れない時代、またモノ作りがマニュアル化されて
人間本来の熱が込められない時代に、一書を上梓し、売
ろうというのだから、気持ちが“守り”についたら負け。
攻める意識を保ち続けて、中央を突破、直進していくしか
ない。勝ちに行く。退路を断ってこそ突進できる。

だからこそワシはこの仕事を無償で引き受けた。
「Trust me」
背水の陣、である。いくばくかでも自分に利益をもたらそう
とすれば駆け引きが生まれ、動機が汚れる。
担当編集者氏と共に、いいものをつくろう、というその一点
だけにおのれを嵌め込んだ。
青臭い理想、と笑わば笑え。これぞ一向一揆の心意気よ。
果たしてこの秋、市場がどのような評価を下すか。
無用、と判断されて敗北したら、その時は「I'll be back」。

だが、ツイッターを始めたせいか“短文思考”がさらに加速
してしまい、じっくり読めて再読に堪えうる文章を書くことが
ヤバくなってる。なう。
ほとんど毎晩のように“寝落ち離脱”で眠りに就くのが習慣
になりかけてる。ど~せロクなこと呟いてないんだけどね。

と言いつつ、今宵もまた140字の子守歌に浸るんだよなー。
あ、作業はちゃんとやりますからね、担当氏。

破天忌

破天忌
今日19日は故山際素男先生の一周忌にあたる。
昨年、彼岸の檀家参りに飛び回っていたワシは、旧知の
編集者氏から山際先生の訃報を伝えられた。
言葉を失った。全身から血の気が引いていくような衝撃
だった。ほんの二カ月程前にお会いしたばかりであった。
「そおかあ、佐々井が帰って来るのかあ」
本当に嬉しそうな顔をされた。
「となったら大々的に歓迎会の準備をしなくちゃな」
いや、佐々井師本人はこっそりと帰って来たいようなこと
云ってましたから、あまりハデハデしいのは・・・。
「あの男は口じゃそう言うが、本当は派手に芝居かがった
ことが大好きなんだよ、わっははは☆」

佐々井秀嶺師の存在を日本に初めて紹介した山際先生。
粋でいなせで気っ風の良い、颯爽とした文士。
熱狂的読者のワシは山際素男作品のすべてを読破した。
アンベードカル関連やインド解放文学の翻訳本は当然の
こと、ダライラマ法王との会見記や、ダコイットと呼ばれる
インドの山賊に取材したルポ、そしてオリジナルの小説、
あるいは岸田今日子&吉行和子の二大女優を案内して
インドを訪れた珍道中記『脳みそカレー味』まで読んでる
ことを云うと、
「おいおい、おっかねえなあ。ヤな読者だねえ」
山際先生はおどけたふりで首をすくめた。

あれから一年、時間の密度が極めて濃厚であった。
佐々井秀嶺師44年ぶりの帰国。
山際先生の御遺族から佐々井師へ分骨が手渡された時、
その場にいたワシは、子供のように号泣してしまった。

そして2009年6月7日。護国寺。佐々井師最後の関東講演。
MCを拝命したワシは、夢中でこう叫んでいた。
「今日の講演の、本当の主催者は、山際素男先生です!」

南無阿弥陀仏 合掌

必見!『日本行脚』

畏友:山本宗補氏撮影による佐々井秀嶺師写真集、
『日本行脚』
~44ぶりの母国64日間の全記録~
     インド仏教最高指導者
          アーリヤ・ナーガルジュナ

その実物が手もとに届いた。ずっしりと重い。もちろん
物理的重量だけでなく、内容の資料的価値も、だ。
いまだかつて、これほどの情報量で佐々井師の活動、
及び人となりを克明に記録、公開したスチールはない。
おそらく今後も現れることはないだろう。

仏教に興味のある方だけでなく、異国の地で民衆から
圧倒的な支持を受けている同胞がいる、という事実は、
今日、目標を喪失した日本人に強烈なカンフルとなる
はずである。
なんとなれば佐々井師の相貌は『古き熱き日本人』
そのものであるからだ。
赤褐色のインド僧衣に身を包んだ佐々井師の眼光は、
時に鋭く、あたかも紅蓮の大火炎を背にした不動明王
を想起させる。
あるいはまた、粗衣を本分とした良寛のごとく、慈愛に
満ちた眼差しで現代の日本を見つめる。

かつて佐々井師は言った。
「机にかじりついて本ばかり読んでいてはダメなんだよ。
机っていうのは、狭い知識の小さな乗り物。つまり小乗
仏教だな。それに対し、大乗仏教の学問は、体で読む。
社会生活の中で学び取るものなんだ」

これはワシの造語だが、佐々井秀嶺師の大乗精神は、
「大情仏教」
と呼べるのではないか。個々人の小さな情けではなく、
大いなる慈悲とその実践、という意味での、大情。
だからこそ、インド民衆は佐々井師のことを慕ってやま
ないのだとワシは思う。

写真集の単価六千円は、手頃な価格とはいえない。
だがそれを上回る価値が充分過ぎるほどある。
みなさんも、ぜひ実際に手にとって、その目で確かめて
いただきたい。大情菩薩の帰国行脚を。

http://homepage2.nifty.com/munesuke/

奇跡?

奇跡?
先週末、都内某所で在日インド仏教徒のための法要を
勤めさせてもらった。
「日本の生活に慣れていない新婚夫婦に祝福を」
とだけ依頼されていたので、気軽に参上したら、最終的
には十人近くも集まってしまった。
そのうえありがたいことに、彼らの連絡網でわが老親の
入院を全員が知っており、代わる代わる見舞いの言葉
を掛けてくれた。つい、ウルっときちまったい。だが、
「このあとみんなで病院へ行こう!」
となりかけたので、それだけはカンベンしてもらった。
いくらなんでも、突如インド人十数名が出現したら、他の
患者がぶったまげる。ナースがパニックを起こす。
しかも、サリー姿の奥さん族はほとんど日本語が喋れな
いのである。

団地の一室にテーブルを用意し、布を敷いて小さな仏像
を置いた簡素な仏壇にて、お勤めする。
御本尊は、新婚夫婦が鎌倉を観光した際に現地で購入
した土産物の大仏模型。まぁ、仏像には違いない。
お供えは新妻手作りのインド菓子。甘過ぎる点が、新婚
らしさというべきか。
さて、インド式の袈裟を付けてパーリ語のお経をあげる。
なぜかいつも以上に気合いが入る。

読経しながら、感慨がこみ上げてきた。
佐々井秀嶺師がいたからこそ、今日のこの日がある。
それまでインド社会で「不可触民」と蔑まれ、人間としての
あらゆる権利を奪われてきた彼らが、こうして日本で生活
できるようになったのも、佐々井師のおかげだ。
・・・あまりにも大きな存在。
それを考えると日本における佐々井師の知名度の低さは
あまりにも異常、としか言いようがない。

読経を終えて歓談している時、ワシのケータイが鳴った。
「もしもし!インドの佐々井ですが」
マジである。一瞬、誰かが仕込んだヤラセか?と疑ったが
正真正銘のハプニングだった。
「今なにしてる?」
状況を説明すると、佐々井師のほうもビックリ☆していた。
「じゃあ、みんなによろしく言っといてくれ」

御本尊の鎌倉大仏は模型だが、本物の法要、になった。

熱血!

いわゆる『熱血漢』は、褒め言葉ではない。
なにごともほどほどをもって良しとするわが国の風土に
おいては、“異形の者”に対する見えざる線引きを意味
している。つまり、あちら側のひと、といった感じだ。
たしかに熱血は鬱陶しい。かくいうワシとて世間の平均
からすればか~な~り暑苦しいタイプだが、自分と似た
ような、あるいは、それを上回る熱血漢と一定時間以上
席を同じくすると、正直ゲンナリする。
ただ、孤高をもってみずから任じる熱血漢は、清々しい
と思う。そもそも個性とは「孤性」なのだから。
鬱陶しいのは、やたら同意・同調を求めて来る熱血だ。
そういう輩はたいがい自分のしていることを、世のため
人のためだと信じ込んでいる。熱血、を称賛だと勘違い
している。
たとえば、捕鯨船乗組員の命を危険に晒しても鯨を守
ろうとするような、カルト思考にハマる。

熱血漢は基本的に欲求不満が常態である。
満ち足りたら、アイデンティティ・クライシスに陥る。
つまり、いつも「飢えた狼」のような精神状態でいないと
冷めた豚肉料理になってしまうのだ。
要するに、変な奴なのである。
念のため言うが、このワシが自他共に認める暑苦しい
野郎なので、実感として分かるのである。

『風狂(ふうきょう)』という言葉がある。
常識にとらわれない異形の者を指したものだが、その
響きは飄然として、一見、熱血漢とは正反対のようにも
思える。
だが風狂は、同意・同調を求めず、あるいは予定調和
に安住せぬ孤性的熱血に裏打ちされてこそ成り立つ。
ちなみに歴史上の人物で“風狂のひと”といえば、あの
一休禅師が知られている。
現存するその肖像を見ると、どことなく立川談志師匠を
想起させるような風貌である。悟りすました感がない。

熱血漢は、孤独でいいのだ。
むしろ問題なのは、仲間を増やそうとする『冷血漢』。
冷血が同意・同調を求めて広まるほうが、よほど怖い。

神話を継ぐ者

神話を継ぐ者
写真はインド中央部ナグプールの改宗記念広場に建つ
アンベードカル博士の遺骨を祀る仏塔。
この巨大なドーム型建築物は、決して富豪による寄進や
町おこしのハコモノ事業で建てられたものではない。
差別と抑圧に喘ぐインドの最下層民衆が1rupee、5rupee
(1Rs.は3~4円)を貧しい中から捻出し、彼ら自身の存在
証明として、文字通り「打ち立てた」仏塔である。
その境内も内部も静謐と清潔を常に保ち、インドの寺院
にありがちな、喧騒とゴミの山は無い。
一階部分が記念ホールを兼ねた本堂、二階には修練場
が設けられている。

驚くべきは、この壮大な仏教施設に僧侶がいないという
ことだ。正確にいえば、常住の管理僧(住職)がいない。
基本的にインド仏教における寺院は一般の信者が共有
する“祈りと集いの場”であり、僧侶はゲスト講師に近い。
なぜなら特定個人が居住すればそこに私有意識が生じ、
利害を同じくする者でセクトが作られ、やがて首長と称す
る者が現れ、組織が整備され、その結果“継承権神話”
が捏造されていくからだ。
宗教的権威と世襲制が一体化したヒンドゥー教社会から
被差別民衆を解放し『自由・平等・博愛』の実現を目指す
インド仏教にとって、継承権神話など断じて認めることは
できない。
日本仏教を例にしてひらたくいえば、お寺さんの血筋、と
いうことだ。

或る僧は言った。
「タイやミャンマー、インドのお坊さんみたいに、修行三昧、
学問三昧に浸ってられないのが日本の僧だ。家庭の父と
して、夫として、また寺の経営者としての義務がある」
・・・あえて何も云うまい。
ビルマの僧達が、丸腰で軍隊の前に立ちはだかり、民衆
の楯となったことなど、きっと彼は知らないのだろう。

ファズな日々

昨年末から没頭していた書籍の編著作業が、なんとか
一通りの下原稿を終えることが出来た。ヒイコラ。
とはいえこれから全体の推敲と校正に取り掛かるので
まだまだ気は抜けない。ドクローさまでしゅ。
しかし、ず〜っとそのことばかりに打ち込んできたため、
冬季五輪がいつ始まって終わったのかも知らなかった。
なんか、冬眠から覚めて久々に外界へ出たような気分、
それが現在の率直な心境でありましゅ。へけけ。

振り返れば去年から時間の密度が異様に濃かった。
編著作業に取り掛かる直前に老親が入院し、それと時
を同じくして担当編集氏が体調を崩した。
以降、年末ギリギリまで公私ともに諸事煩多をきわめ、
年明けてそのストレスから胃痙攣で救急車に乗るハメ
にもなった。って漫画かいっ!とツッコミたくなる毎日が
続いていた。

書籍は、現時点では四部構成になる模様。
第一章を書き始めた当時は、本当にしんどかった。
先述のごとく心身を追い込まれた状態にあって、しかも
生活BGMがジミヘンだったから、混沌の極地にいた。
こりゃいかん、と二章からは80年代アメリカ西海岸系の
脳天気ロックに変えて気分を一新。
三章は、その内容の関係から女性的エッセンスを必要
としたので、ワシが大ファンの「メタルのマリちゃん」こと
浜田麻里にどっぷり浸かりながら作業を進めた。
最終章ではアグレッシヴにたたみかけるため直線的で
小技を使わぬ、JUDAS PRIEST。
こうして見ると。かなり偏った趣味、とわれながら思う。
ま、とにかく、ギターにディストーションが掛かってないと
欲求不満に陥るのさ。あ、ジミヘン時代は「ファズ」ね。

編集打合せで冒頭の導入部を決める際、
「ライヴでいうなら“Are you ready!”って絶叫するのか、
・・・・タタタタとフェイドインしてく感じにするのか」
本当にそんな風にしか表現できなかったワシである。
だが担当編集氏、
「じゃ、前者のほうでよろしく」
さすがは武道で胆力を鍛え上げた人物。敬服しました。

けど、レストランで立ち上がって技の型を実演するのは
ヤメテね。いくらワシでも恥ずかしいから。

玉面公主

今朝、勤務寺の境内で、ハクビシンが死んでいた。
最初発見した時は(猫かな?)と思ったが、近くへ
寄ってみて、顔に白いすじを確認。
いや実際、飼っていた犬や猫が死んでその死体を
一言の挨拶もなく寺へ棄ててっちゃう人って、時々
いるのよ。
そうかと思えば、イグアナに戒名を付けてくれって
人もいるし、飼い主もいろいろだわな。
さて、故ハクビシン霊位。このワシが見つけたのも
何かの因縁だろうと思い、中庭に手厚く埋葬。
南無阿弥陀仏、合唱礼拝。おまけにパーリ語勤行
もオプションしてやった。功徳じゃのお。

妄想が駆けめぐる。『ハクビシンの恩返し』。
ある晩、ワシのとこへうら若き乙女が訪ねて来る。
見れば色白の美人。
一夜の宿を請われて、部屋をあてがう善良なワシ。
「決して中を覗いてはなりません」
そう云う白美人の言葉に、あ、これってお誘いネ♪
と思い込んだワシは、深夜を待って部屋へ。
するとそこには青白い顔に口が耳まで裂けた女が
ドンペリ抜いて待ち構え、イヒヒと笑いながら、
「いらっしゃいましぇ~」
ワケわからん。

念のため、ハクビシン関連をウィキペってみた。
ほほお・・・、外来種とされてきたが日本列島に現在
生息している個体群は顔面の班紋などが他の分布
域のものと異なることから日本に自然分布している
固有の独立亜種である可能性・・・なるほど。
なにぃッ?SARSとの関連性も疑われている、だと!
しまった、感染したかなワシ。

中国語では「果子狸」や「花面狸」と書くそうな。
・・・おンや、と気づいた。
『西遊記』の中で、孫悟空に退治される美人妖怪に
玉面公主というのが登場する。その正体は、狸。
もしかしたら、ハクビシンのことかもなあ。

ふむ、三蔵法師になった気分ぞよ(←罰当たり)。

友情の碑

友情の碑
今号の『月刊宝島』誌に増田政巳氏が流麗な筆致で
紹介しておられるが、現在、インド中央ナグプール市
郊外のマンセル(龍樹連峰)に佐々井秀嶺師を願主
として、故山際素男先生の御遺徳を顕彰する石碑の
建立が進められている。
(写真は作業現場を視察する佐々井秀嶺師)
白大理石のワンピース作り、その表面には増田氏の
手になる碑文が、日本語と英語で刻まれる。
山際先生がいなければ今の佐々井師はない、これは
佐々井師自身が断言しているところである。
日本の国内に初めて「インドに佐々井秀嶺あり!」と
知らしめたのは、山際先生の著『不可触民の道』。
ワシが佐々井師の存在を知ったのも、この本だった。
それを出版したのが、当時、三一書房の編集部長を
なさっていた増田氏なのである。
ワシにとって、正真正銘、人生を変えた本であった。

その後、佐々井師との邂逅を経て、山際先生や増田
氏とも直接お会いすることが出来た。
ことに山際先生とは、昨年一月末、都内某所にて席を
囲み、長時間に渡ってその謦咳に触れる得難い機会
に恵まれた。
「坊さんってのは嫉妬深いんだよ」
との山際先生の言葉を、佐々井師が一時帰国した際、
改めて思い知らされた。
かく言うワシとてわが国の坊主業界で三十年近く禄を
食んで来た身、嫉妬云々については大概経験ずみの
つもりでいた。ところが、或る宗派関係者などは、自分
達で佐々井師に講演を依頼しておきながら、自宗派が
所依とする経典をアンベードカル博士の視点から捉え
直す、という講演内容に、クレームをつけてきた。
・・・嫉妬、としか言いようがない。
往々にして現代日本の僧は、自分が所属する宗派を
アイデンティティーに擬してしがみつき、「我執」ならぬ
「我宗の虜」となっている向きが多いようである。

故山際先生の顕彰碑は、やはり、あのインドの大地に
屹然と建つのが相応しい。

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