2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
フォト

« 随処主 | トップページ | 非尊敬主義 »

求道と功徳

数々の名作を世に送り出してきた映画監督の言葉。
「撮り終わって編集段階に入ったら、真っ先に切るべきは
監督自身が一番思い入れのある場面だ。言いたいことの
ほとんどは、自己満足に由来する。観客にとって、それは
往々にしてクドイだけである」
至言だ、と思う。
表現者は表現が目的であって、それが受け手にどう映る
かを、考えてるつもりでじつはあまり考えていない。
もとより何事かを表現しようとする以上、ある程度あつか
ましい神経を持っていなければ、沈黙するしかない。
万人に受け入れられるものを作ろうとすれば無味無臭の
“なくてもいいもの”を出すしかなくなる。
屁にも劣るね。

クドイ、といえばインド人は、かなりクドイ。
塩と油とマサラをふんだんに使ったカレーばかりを朝昼晩
口にしているせいか、性格までちょ~クドイ。
あちらの人々とはかれこれ20年近いお付き合いになるが、
いまだかつて、“あっさりスッキリ”の系インド人とは片手で
数え切れるほどしか会ったことがない。
彼らはとにかく繰り返す。似たような内容を何度も繰り返す
ことで真実味が増す、と本気で信じてるようだ。
日本に伝わった仏典の中にも、反復や重複が頻出する。
漢訳仏典だけではなく、パーリ原典やサンスクリット原典を
確認してみても、そのクドサは変わらない。
ワシ的にこういう箇所は、いわばギターのリフみたいなもん
だと思ってる。ROCKの名曲にはイントロから一貫して必ず
キメのリフがある。まぁ、お経も似たようなもんだ、と。

ひるがえって、クドイのは悪いことか?と自問してみる。
言うまでもないが、他者に対してクドイのはハタ迷惑なだけ
である。
先に引いた映画監督の言葉にもある如く、自己満足の押し
付けはゴメンだ。一歩まちがえれば、ストーカーになる。
しかし、自分に対してクドイのは、良いことだと思う。
掘り下げていく努力をしなければ何も掘り当てることはでき
ない。そういう自己満足は、おおいにすべきだ。

『求道(ぐどう)』。それはクドイ。つまり求道い、ということ。
そして、いつまでもクドクド続けるから、功徳(クドク)になる
のである。・・・てか、この文章クドイ?

« 随処主 | トップページ | 非尊敬主義 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/503578/48003132

この記事へのトラックバック一覧です: 求道と功徳:

« 随処主 | トップページ | 非尊敬主義 »