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2010年5月

笑顔の力

笑顔の力
笑顔の力
先週のはじめ、在日インド仏教徒から電話があった。
「ブッダ・プルニマをもう一度やりたいんですけど」
A.I.M.(Ambedkar International Mission)Japan主催による
仏誕祭(灌仏会、花祭り)なら、今年はすでに終えている。
法要のやり直しなど聞いたことがない。理由を問えば、
「インドから二組の親が来ているんですよ。せっかくだから
お寺参りさせてやりたいし、インド式のお勤めを聞かせて
やりたいので、お願いします」
アッチャー(OK)☆そういう事情なら、一も二もない。

というわけで去る日曜、A.I.M.『仏誕祭』のアンコール。
老若男女が集い、予想を超える参加者数となった。
日本で働く息子や娘を訪ねて来た親御さんたちは、かつて
若き日の佐々井秀嶺師と共にインド仏教復興運動の土台
を固めた功労者でもある。
驚いたことにそのうちの一組は、ワシが最初にナグプール
を訪れた際、初めて食事を供養してくれたお父さんとお母
さんであった。感動の再会。これぞ仏縁だ。

法要の後、ワシは彼らに懺悔した。
「日本にいると貴方たちを差別する側のヒンドゥー教徒とも
関わらなくてはならない。このあいだも、そういう催しに出席
してしまった。付き合い上、仕方なかったとはいえ貴方たち
を裏切ったことに違いはない。どうか許してほしい」
頭を下げるワシに、お母さんが口を開く。
「相変わらず馬鹿正直だわねえ和尚は。気にしなさんなよ」
そう言ってカンラカラと笑った。菩薩の笑顔だった。

・・・自由、平等、人権、平和。
先進国たる恩恵を充分に受けながらなおも“癒し”を求める
日本人の贅沢さを、改めて思い知らされた。
癒し、は一時的な解消にはなっても、根本的解決ではない。
彼らインド仏教徒は佐々井師と共に現実の苦難を根本から
解決するために闘っているのだ。それも、笑顔の力で。

「ジャイ・ビーム!」
拳を振り上げて叫ぶ彼らの瞳は、みなキラキラ輝いていた。

オリッサ展

オリッサ展
オリッサ展
おかげさまで医師の処方が的中し徐々に回復へ向かっている
わが右耳。いやあ、一時は肝を冷やしましたよ。
さて、抗生物質で朦朧とする中、畏友のテレビマン小林三旅氏
からお誘いを受けたので、出掛けて行った。
『オリッサ、オディッシー/東インドの踊りと暮らし展』
主催:生活工房 ギャラリーワークショップAB
会場:三軒茶屋キャロットタワー3、4F 11;00~19;00

ワシが最後にオリッサ州を訪れてからもう十五年になる。
かの州は、仏教史でいえば後期密教が栄えた土地で、仏教が
ヒンドゥー教に取り込まれる最後の段階がそこにあった。
真言宗第五祖:善無畏の出身地とする説もあり、たとえば現存
しているヒンドゥー寺院に刻まれたシヴァ神の像などを見ると、
日本人の目には“不動明王”そっくりに映る。
また現代インド仏教との関わりも深く、頑迷なヒンドゥー教原理
主義者による仏教徒迫害も、たびたび起きている。
かく云うワシも十五年前、有名なジャガンナート寺院の門前で、
ヒンドゥー僧と口論の末、あわや乱闘になりかけたことがある。
(その原因は彼が言った「仏教徒は人類ではない」)。

まぁ、今回のこの催しはインドの入口、オリッサの窓というべき
ものだから、平和そのものである。
会場で某出版社の若手にワシを紹介した三旅氏、
「えーと、この人が例の和尚ね。すぐにキレるから注意してね」

・・・そ、そんなイントロって、どおよ。

(6月13日まで開催)

ミミガー

いやはや難儀続きである。『突発性難聴』にかかった。
現在、右耳がほとんど聞こえない状態だ。
医師の処方による服薬を試みている最中だが、これから
回復状況によっては、短期入院も必要となるらしい。
罹患した理由は気候の変化+ストレスのようだが、遠因
には充分過ぎるほど心当たりがある。
ガキの頃からロック・バンド一直線で、ライヴ会場ではPA
スピーカーの真ん前に座り、大音響に耳を晒していた。
また、「ウォークマン第一世代」でもあり、常に大音量にて
シャカシャカ聞いていた。
中年を過ぎてそのツケが回ってきたのだろう。自業自得。

・・・しかし、マイッた。
No music, no life な rock'n'roll坊主にとって、音楽鑑賞に
支障をきたすことは、精神衛生の全般に関わる問題だ。
そうでなくても耳鼻の疾病は集中力及び思考力に大きな
影響を及ぼす。昨年末頃から取り組んできた書籍の編著
作業も、いよいよ大詰めに差しかかっている今、こりゃあ
マジやべえっす。

思えばこの編著、開始当初から波乱含みだった。
まず、わが老親が入院。続いて担当氏の体調不良。次に
ワシが胃痙攣を起こし救急車で運ばれ、その後業務連絡
上の行き違いから作業一時中断。そして担当氏が過労で
ダウン。ついにはワシが突発性難聴、ときたもんだ。

だが、事の成る時、艱難は吉兆である。
みんな仲良く予定調和でニコニコ、お花畑でルンルン♪と
踊ってるようなクソ状態では、ロクなモノが生まれない。
No pain, no gain.
闘う痛みこそ一歩前進する実感なのだ。がんがんれ~☆

目標意識を持つことが最良の治療法。
とはいえ、この「ボゥワアァァァァ~ン」と鳴り続けるわが耳、
早くなんとかしたいもんである。

いっそのこと琵琶を持って、壇の浦に立つか。坊主頭だし。

『私はカーン』③

教会の修復を終え、訪ねてきた妻マンディラとも再会する。
彼女はそれまでずっと息子の死の真相を追い求め、イジメ
の実態を暴くために奔走していたのだ。
安堵と感動の中、F.B.I.に通報されたことを逆恨みしたテロ
リストの凶刃が、リズヴァンを貫く・・・。

病院に担ぎ込まれ、生死の境を彷徨うリズヴァン。
一命を取り留め、退院した時、大統領はオバマに代わって
いた。ジョージア州を訪れた新大統領の演説会場に現れる
リズヴァン。TVで彼のことを知っていたオバマ新大統領は、
特別に壇上へと招く
。そしてこう語り掛ける。
「You name is Khan and you're not a terrorist」

ちなみにこの映画、ブッシュとオバマのそっくりさんが登場。
ブッシュ役はテロの勘違い騒動におびえて逃げるだけだが、
オバマ役は演説の物真似もちゃんと披露する。
しかし、細身の黒人というだけで、顔はあんまり似ていない。

「いつでも連絡してくれたまえ」
大統領のリップ・サービスを真に受けたリズヴァンは、
「あ、電話番号、教えてくれます?」

<END>

これほどの感動大作の、一体どこにヒンドゥー教原理主義
団体は反発したのか。彼らは言う。
「イスラム教を美化し過ぎている。インドを始め世界各地で
テロの犠牲になった人がいるのに無神経だ」
「作中にヒンドゥー教への反感を煽るような台詞がある」
おそらく後者が本音であろう。
インド社会において圧倒的多数派を占めるヒンドゥー教は
民族主義の色彩を強く持ち、少数派を売国奴に見立てる。
だが、この映画のメッセージは、REPAIR(修理)なのだ。
主人公が子供時代に身につけた技術であり、アメリカを旅
する際にはそれで資金を得、被災地の教会では宗教の違
いを越えて建て直しに取り組む。
壊れた関係(=平和)を修理すること。それが、この映画の
テーマである。上映反対運動はむしろ反平和的であった。

やや本題から逸れるが、このようなヒンドゥー教原理主義
の横暴と40年以上に渡って闘い続けている“
元日本人”が
いる。インド仏教復興運動の指導者、佐々井秀嶺師だ。
師が実践している菩薩道もまた、REPAIRなのではないか。

インド映画が生んだ奇跡、『My name is Khan』

対テロ戦を掲げる米軍基地問題を抱えた日本こそ、全国
ロードショーすべきだ、とワシは思う。 

『私はカーン』②

ワシントンを目指すリズヴァンは、途中で路銀が底を突く。
そこで彼は、ヒッチハイクならぬヒッチ自動車修理を引き
受けながら、糊口をしのぐ。
立ち寄った先々の街では、様々な人々と遭遇する。
ブッシュ大統領の名を冠したチャリティー“アフリカの飢餓
を救え”。なけなしの金を寄附しに訪れたリズヴァンを、
「貴方、どの教会の所属?これはクリスチャンによる慈善
活動なのよ」
と無愛想にあしらう受付係が、黒人セレブという皮肉。

パキスタン人夫婦は、イスラム教徒であることを周囲に気
付かれないように旅をしていた。
しかし、
ナマース(一日五回の祈り)の時間になると衆目を
憚らず礼拝するリズヴァンの姿に、夫婦の心も次第にほぐ
れていく。

ジョージアの貧しい黒人集落を訪れたリズヴァンは、陽気
な母子の世話になる。その家の長男は、貧困ゆえ軍隊に
志願し、イラクで戦死していた。
だがイスラム教徒のリズヴァンを温かく受け入れる母子。
集落にあるキリスト教会で開かれた戦死者追悼のミサで、
リズヴァンは、義理の息子が死んだことを語る。
虐げられた者同士が痛みを共有し、その時にわかに沸き
起こる、ゴスペルの合唱(このシーンは圧巻だ!)。

ロサンゼルスに着き、礼拝に訪れたモスクでテロリストの
謀議を聞いたリズヴァンはF.B.I.に通報、未然に防ぐ。
しかし、ロスに大統領が来ると聞いた彼は、式典会場で、
「Mr.President, my name is Khan and I'm not a terrorist」
と叫んでしまう。最後の“・・・テロリスト”だけを聞いた群衆
がパニックを起こし、彼は逮捕されてしまう。

嫌疑が晴れて釈放された時
、ニュースが飛び込んで来る。
「ジョージア州をハリケーンが直撃」
やもたてもたまらず母子のもとへ戻るリスヴァン。
被災者のために献身する彼をインドのTVスタッフが報道、
それを見た善意の人々が黒人集落へと駆けつける。
そして避難所である倒壊しかけたキリスト教会を、人種と
宗教の壁を越え、一致団結して修復する。
その光景は、全世界に中継される・・・。

<③に続く>

『私はカーン』①

今年始めインド国内でヒンドゥー教原理主義者による上映
反対運動が起きた話題の映画、『My name is Khan』
早くもDVD化されネット通販にて入手可能と知り、早速買い
求めて鑑賞した。・・・文句無しに素晴らしい!
現時点では日本での公開予定はないようなので、これ程の
傑作が知られずにいることはわが国にとって文化的損失と
考え、ストーリー全体と、上映反対運動の背景にあるインド
社会の問題等を三回に分けて紹介しようと思う。

物語は『9.11』以後の在米インド人イスラム教徒らの受難と
その克服を軸に、宗教、人種、文化の違いを越えて人々が
理解し合う過程を描いたヒューマン・ドラマだ。
ともすれば重くなりがちなテーマを軽妙かつスピーディーな
展開で一気に見せるカラン・ジョハール監督の演出が光る。
主人公リズヴァン・カーンを演じるのはインド映画界を代表
する超人気俳優、シャールク・カーン。

リズヴァンは、Asperger's Syndrome(アスペルガー症候群)。
インドの決して裕福でないイスラム教徒の家に生まれた。
母と弟の三人暮らし。持ち前の集中力で機械修理の技術を
身につけたリスヴァンは、自活していく力を得た。
兄弟が成人したある日、弟は仕事を求めアメリカへ行く。
母の死を見送った後、リズヴァンも弟を訪ねて渡米。
そこで、美容師として働くヒンドゥー教徒のシングル・マザー、
マンディラ(演じるは、90年代にシャールクとの黄金コンビで
ヒット作を連発した女優、カージョル)と出会い、恋に落ちる。
彼女の息子サミールともほどなく打ち解け、ついに結婚。
新居を構え、隣の米兵一家とも親戚同然の生活が始まる。
・・・だが、幸せな日々も束の間、『9.11』勃発。
周囲からの冷たい視線。サミールは学校でイジメを受けるが、
ただひとり彼をかばってくれたのは、隣家の白人米兵の息子
リースだった。しかし、リースの父がアフガンで戦死。
少年の友情に亀裂が走る。そんな折サミールは、度を越した
イジメによって重傷を負わされ、亡くなってしまう。

悲嘆に暮れる妻マンディラは、リズヴァンをなじる。
「貴方がイスラム教徒だからよ!貴方の苗字がカーンだから
あの子は殺されたのよ!」
「ぼ、僕はテロリストじゃないのに・・・」
「ここはアメリカよ!みんながイスラム教徒を憎んでいるわ!
いっそのことブッシュ大統領に直接会ってこう言いなさいよ、
“私の名前はカーンですけどテロリストじゃありません”って。
もう嫌っ、あたしの前から消えてちょうだい!」

こうして彼は、ワシントンD.C.を目指し、旅に出る。
「Mr.President, my name is Khan and I'm not a terrorist」
このメッセージを大統領へ直接伝えるために。

<②に続く>

再放送☆

再放送☆
再放送☆
小林三旅氏の密着取材による佐々井秀嶺師ドキュメント、
『男一代菩薩道2 ~44年ぶりの帰郷~』
CSにて、いよいよ待望の再放送だ。
昨年夏は関東地区のみ深夜枠での放映だったので見逃した
方も多いと思う。まだ、の方も、また、の方もこの機会に是非
ご覧いただきたい。

http://bangumi.skyperfectv.co.jp/HD/query:nonfix/
ちなみに、護国寺イヴェントの控室シーンで、畏れ多くもあの
佐々井師へ「気合い入れて!」と発破を掛けている声はワシ
です。

三旅氏とワシの出会いは四年前。
ナグプール市で開催されたアンベードカル博士改宗五十年を
記念する歴史的行事『黄金祭』の会場だった。
以来、公私に渡り親しくさせてもらっている。
佐々井師来日中、三旅氏はカメラを担いで全国各地へ同行、
その取材ぶりは凄絶ですらあった。
広島では、佐々井師が就寝した後、三旅氏とワシのふたりで
名物のお好み焼きを食べに行ったことを思い出す。

氏はワシより年下だが、ずっと大人だ。
たまに、痛烈なツッコミを入れられることもある。
それはワシが基本的に「小学五年生男子」の人格だからだが、
とても感謝している。感謝はするが、学習はしていない(笑)。

改めて思うのだが、『男一代』とは佐々井師の人柄をもっとも
よく表わした題名である。
浪曲調の響きを持ち、金も名誉も捨て一代限りの求道人生を
歩む佐々井師の横顔に、驚くほどピタリとハマる。
その意味でも、まさに真実を記録したドキュメンタリーなのだ。

写真は佐々井師を同行取材中の小林三旅氏。

爆発力

いささかなりとも表現活動に携わる人間として感じるのだが、
吸収と噴出は、いわば呼吸のようなもので、inputとoutputは
常にシンクロしているように思う。
表現のリビドーは基本的に貪欲だ。他人との間に、それまで
無かった関係性を構築(感動、共鳴)させようというのだから
ずいぶん欲張りな話である。
昨年末から編著作業に没頭していた頃はTU〇YAにもかよい
通しで、映画DVDはもちろん、音楽CDも借りまくっていた。
特に栄養をもらった映画は宮藤官九郎監督作品、
『少年メリケンサクック』
劇場公開当時は宮崎あおいの主演と聞いて、アイドル映画と
勝手に思い込み、食指が伸びなかった。
その後、周囲の勧める声を受けて観てみたら見事ハマッた。
設定、ストーリー、配役等、すべてがワシのストライク・ゾーン
ど真ん中。繰り返し見たあと、Amazonで買ってしまった。

作中で描かれるバンドマンのダメダメぶり。
本当にいつまでもメリケンサックを嵌めたチンピラ少年のまま
なPUNK中年。
(そーそー、そうなんだよなあ・・・)
今までこれほど感情移入できた映画は無かったと思う。
ラストは“明るい破滅”で終わるのだが、それもまさにROCK。
みっともねえくたばり方こそ、ロッカーの理想の最期だ。
だが、中途半端に卒業したふりをして、
「もともと本気じゃなかったからね」
それが大多数なのではないか。
立派になろうとすれば半端を受け入れるしかないのが、世間と
いうものかも知れない。RIPPAの条件はHANPA。

70年代末から日本に上陸したPUNKブーム。
時空的にはまさにそれをリアルタイムで経験した世代なのだが、
その当時のワシはHard Rock命!だった。
H.R.もPUNKも、rock'n'roll spiritがわかればみんなひとつに溶け
合うことを実感できたのは、恥ずかしながらもう少し後になって
からだった。

みっともねえくたばり方。
あえてこじつければ、仏教でいう『空(くう)』に近い。
なぜなら空とは、虚しさではなく、物事の本質をあばく爆発力の
ことだからだ。
実体のない世界で虚栄にしがみつくなんざクソである。
『色即是空』とはアタマでっかちな達観ではなく、王様は裸だ、と
言ってしまうストレートさのことだとワシは思う。

娘の叫び

夕食を摂るのも忘れて一気に読んだ。
『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』
~地下鉄サリン事件から15年目の告白~
松本聡香(徳間書店)

オウム真理教の教祖:麻原彰晃こと松本智津夫の四女が
その生い立ちや教団の暗部について赤裸々に綴る。
平易な語りの文体も手伝って、巻置くことあたわざる一書
となっている。
内容的には事件後各メディアで既報の事柄が多いように
感じられたが、やはり実の娘からの視点、心情の吐露は、
想像を遥かに越えて凄絶を極める。

地下鉄サリン事件当時まだ幼かった著者は、人格形成の
基礎となる大切な時期を教団施設内だけで過ごした。
いわゆる“家族の記憶”らしきものはほとんどないに等しく、
父も母も姉や弟達も、カルトの「聖家族」という虚像の中に
いた。だが、実生活は麻原の好色による両親の夫婦喧嘩
が絶えることなく、次々に手を着けた女性信者と妻妾同居
の異常な環境であった。

わずか2才の頃から窓のない一人部屋で寝起きさせられ、
たまに親と顔を合わせることがあれば、虐待を受けた。
父母が相次いで逮捕された後は、世間の目から身を隠し
ながら暮らした。それでも著者は、
  面会室を出て行く父の背中に向かって「大好き!」
  <本文より>
と叫んだ。カルト教祖への帰依などではなく、罪を犯した父
であっても最後の最後まで娘であろうとする。
この張り裂ける思いこそ、いかなる教義や修行、神秘体験
よりも、まさに人間の真実なのである。

この書は、カルト教団のみならず組織に埋没する者たちに
とって多くの示唆を含んでいる。
ジャーゴン(身内言語)だけで思考することになんの疑問も
持たず、むしろジャーゴンの樹海へ入り込もうとする。
例えば既成の日本仏教各宗においても、この樹海指向に
関しては、カルトを批判できないのではないか。

著者は真摯に、父、教団の犯した罪、そして「宗教」と向き
合おうとしている。
その姿勢と生き方に深い感銘を受けた。是非ご一読を。

五月の風

風の粒子に夏のコロンが少しずつ混ざってきた・・・な~んて
柄にもないことを感じる季節になった。
基本的に南方系のワシは、日差しが強くなると全身の細胞が
活性化し、それに代わって思考力がこれまで以上に低下し、
より感覚的、感情的、情動的になる。
小学五年生の男子。どうやらその辺りでワシの人格ベースは
固定されているようだ。
縁あって知り合った精神医学の権威に、冗談でワシの鑑定を
頼んだら、ものすごくマジな顔になり、
「やめときましょう」
と言われた。そそ、そんなにヤバイのかワシ。妙に納得。

「お前は“問題児”なんだってさ」
小学生の頃、学校から呼び出しを喰った親が云った。
そしてこっぴどく怒られた。あの当時は教師の評価が絶対で、
悪ガキは学校と家庭のダブル・ヘッダーを戦わなくてはならな
かった。戦闘。そう、あらゆる悪知恵を駆使して事態の好転を
画策し、場合によっては戦線離脱、もしくは逃亡もありえた。
だが敵には“兵糧攻め”という究極戦法があった。
今のようにコンビニなどない時代だ。駄菓子屋へ行きたくても
小遣い銭に不自由する昭和少年は、降伏するしかない。
まぁ、クラスのひょうきん者が歯止めが利かなくなって、授業を
たびたびぶち壊し、教師から“問題児”と呼ばれた、と。
ワシはその程度のパープリンである。今でもね。

問題児ってコトバ、近頃もあんの?
学校職員を辞めて塾講師をしている友人に聞いてみた。
「無くはないよね。概念だけ残ってる感じかな。よく言われてる
ように、現代ではむしろ、表面化する問題を起こさないような
児童の隠された部分が問題なんだよね」

先日、老親が入所している介護施設へ見舞いに行った。
小さくなった体を車椅子に載せ、窓辺から外の景色を見せて
いると、何かモゴモゴ言った。
発話能力の回復はまだなので、よく聞き取れない。
「おいのおり」
そう聞こえたので、お祈りがしたいのか?と問い返すと、首を
左右にグラグラ振って否定。そして、枯れた指をヨロヨロ伸ば
した先を見ると、そこには悠然と青空を泳ぐ『鯉のぼり』。

かつて息子の成長を願いこの親も立てていた鯉のぼりを、今、
車椅子を押しながら、息子が共に眺めている。

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