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不器用道楽

「仏教」が“知のファッション”と化し、あるいは、仏像が
好事家の慰み物となる現象は、今に始まったことでは
ない。奈良平安の貴族仏教もしかり、時代下って江戸
庶民の娯楽は神社仏閣詣でを大義名分とした。
僧侶そして民衆が真摯に仏教に取り組まない世相は、
実は平和で安定している時代なのだ。
これは仏教に限らず、宗教全般もしくは政治思想にも
云えることではないか。 それまで社会通念化していた
価値観を根本から覆す『魂の爆弾』は、平和な社会に
とってはウザイだけなのだ。
現在の日本仏教に絞って見ても、稀に興味を持たれる
のは、いわば道楽としての仏教であろう。
道楽仏教。無論、仏道は安楽の法門などといった高尚
な話ではない。趣味、娯楽、一時的癒しとしての、仏教。
季節柄、ビールの喉ごし程度の役目、と例えておくか。

がんばれ仏教・・・。じつに不思議な言葉だと思う。
何をどう頑張れ、と云いたいのか。僧侶が、
「本当は僕らだって僕らなりに頑張ってるんですよぉ」
と、認めて欲しいのか。他の職業人ならとても恥ずかし
くて口に出せないだろう、そんなこと。
例えば、歴史的イヴェントを翌日に控えた打ち合せに、
「ちょっと熱っぽいので行けません」
サラリーマンだったらクビである。ところがそれを言って
しまえる僧が、自分では“頑張ってる組”だと思っている
らしいから、いやはや困ってしまう。
まさか、ブッキョウだけに不器用、って駄洒落か?
視点を変えて、先のビールの例えから、仏教及び仏教
関係者(どんなくくりだ?)に頑張らせて、そのあたふた
する光景を、かつてTVでナイター観戦していたオッサン
よろしく、ビール片手に眺めよう、という意味なのか?
・・・こっちのほうが理解できなくもないな。

しかしいずれにせよ、仏教に関する知識の量を競うが
如きは、見せ物としても最低最悪だ。
そこに観客聴衆がいる以上、喜ばせてナンボである。
この“喜ばす”というのは大衆迎合ではない。
便宜上、数値で表わせば、観客の意識が5のレベルで
あったとしたら、8まで煽って引き上げ、それを壇上から
10の力で飲み込もうとするショーマン・シップ。
これが、喜ばすことだと思う。
知識や言葉の応酬は、一見スマートで整っているように
映っても、所詮はリアルな人間の凹凸に欠けたカタログ
に過ぎない。

がんばれ仏教、を云う人。世間並に頑張ってね♪

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コメント

男一代再放送1と2拝見いたしました。 日本のお坊さんにはホント頑張って欲しい。酒飲んでタバコ吸ってんじゃねえよ!永平寺での説法のシーンでの仏者として世界を堂々と闊歩していただきたいという佐々井さんの思いには私、唸りました。がんばれ僧侶!信仰を求めている人達への責任をまず果たせ! くだらないシキタリはぶっ壊して釈迦の教えに全うして下さい。よろしく!

>パブロ様
はじめまして☆よろしくお願いします。
『~2』の撮影裏話は現在発売中の「Samgha Japan vol.2」に小林三旅氏自身が寄稿しておりますので、お読み頂ければなおいっそう〝裏〟が分かると思います。
ワシが実際その場に居合わせた例では、某僧侶は佐々井師にお酒を注ごうとしてやんわりと断られ、
「インドじゃ坊さんは酒飲んじゃいけないのかも知れないけどさ、日本じゃ坊さんは酒飲んで一人前なんですよ!」
と暴言を吐きました。佐々井師はニコニコとシカトしてましたけどね。
自分達が普段日本で、そういう生活をしているからといって、インドで四十年以上も民衆解放のために闘ってきた「インド仏教の僧侶:佐々井秀嶺師」に日本式を押し付けることは、仏教うんぬん以前に、人としてどうよ?と思いましたね。

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