2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
フォト

« 芸道に真あり | トップページ | 南天龍宮城へ »

猫の忠義

おシャカになる、おダブツ・・・などなど。
これら仏教の民間浸透に基づいた俗語も早晩、死語と
なるだろう。つまりそれ自体が、おダブツ、と。
その謂れについては、禅宗などでは法事や葬儀の際に
南無釈迦牟尼佛、浄土宗系では南無阿弥陀佛と称える
ことから、“死”のイメージが伴う言葉として、
<ものごとが破綻する、壊れる>
といったマイナスの表現に用いられるようになった。
しかしそう考えると、法華唱題にはそのような陰方向の
俗語化がなかったことは興味深い。思い当たるのは、
「どんどん良くなる法華の太鼓」
といったプラス表現だ。勤行にパーカッションを導入する
ことは禅でも念仏でもやるから、やはり、御題目の持つ
パワフルさによるものだろう。

なむからたんのうとらやーや。
禅宗ではこれも唱える。「帰三宝」の梵語の漢字音写の
そのうえ日本語訛り。だからインド人には通じない。
さて、『江戸小咄』をひとつ。
長屋の八っつぁん、こないだ大工仲間の葬式に行って、
初めて禅宗のお経を聞いた。八っつぁんは真宗門徒。
なあ大家さん、あの禅坊主が唱えるナムカラナントカは
初耳だ、いってぇなんなんだぃありゃ?
そんなことも知らんのか八っつぁん。よぉし、語って聞か
せよう。
その昔ある田舎の村にそれはたいそう猫好きな庄屋が
いたと思いなぃ。寝る時ゃ一緒、起きてる時ゃいつでも
膝の上で撫でてるような可愛がり方だ。
そんな庄屋がある時ポックリ逝った。後に残された猫は
飼い主恋しさに、屋敷の裏の竹藪へと迷い込み、そこで
おっちんだ。ところがそれ以来、庄屋の屋敷にゃ夜ごと
化け猫が出るようになった。家人が困り果てている所へ
通り掛かったのが偉い坊さん。この方が、のちに禅宗を
開いた高僧なんだが、家人の訴えを聞き、あいわかった、
くだんの化け猫を退治してしんぜよう、だが猫といえども
主人を思うその忠義に、拙僧は深く感じ入った。いずれ
立教開宗の暁には、わが宗のお経にその猫の名を織り
込んで未来永劫、供養してやりたいと思う、と。
てなわけで、猫の名前が「トラ」だったから、なむからたん
のう「トラやトラや成仏せい」、となったわけだよ。
へえっ、そうだったのか。なるほど合点がいった。それで
猫はネズミを喰うんですね、大家さん。
なに?どういうことだ?
坊さんが感じ入るほどの忠義者だけに、チュウが好物。

・・・おあとがよろしいようで。

« 芸道に真あり | トップページ | 南天龍宮城へ »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/503578/49188224

この記事へのトラックバック一覧です: 猫の忠義:

« 芸道に真あり | トップページ | 南天龍宮城へ »