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2010年9月

『必生』裏話③

昨年10月下旬、およそ20時間以上に及ぶ佐々井秀嶺師の
講話を録音したICレコーダー携え、帰国。
すぐさま集英社の担当氏による“文字起こし”作業が開始。
しかし、それからが問題の連続だった。
私事ではあるが、まず編者の老親が11月に脳梗塞で入院。
生死の境を彷徨った。他に見てやれる家族のない編者は、
途方に暮れた。また昨春二カ月の佐々井師帰国中の随行、
そして、それに続く三週間のインド滞在が、老親に計り知れ
ない心労を与えていたことを改めて気付かされ、罪悪感に
打ちのめされた。

文字起こし作業は難航した。なにしろ四十年以上インドで
暮らしている人物が語った言葉だ。日本語であっても表現
やニュアンスは印度式。しかも浪曲で潰した喉で語るから、
かなり聞き取りにくい。加えて随所に仏教の専門用語が織
り込まれるため、素養が無い人には困難を極めた。
ようやく全体の文字起こしが終わったのは2009年の師走も
押し詰まった頃だった。

編著作業は年末年始突貫で行なった。
佐々井師の少年期から青年期にかけての苦悩時代を文章
化していた時、編者の心身が変調を来した。
いわゆる“入り込んでしまった”のであろう。たびたび嘔吐に
見舞われ、挙げ句は胃痙攣を起こして、救急車で運ばれる
事態となった。今にして振り返れば、佐々井少年のカオスに
飲み込まれていたのではないか、と思える。
このため、最初に編集部へ送った本文は、基本的にNo!と
判断された。なるほど、一般の読者がページを開いてすぐに
延々と苦悩話を聞かされたら、それから先を読む気がしなく
なるだろう。
そのほか、校了までに削った文章は、最終的に本書の五倍
近くにも達した。なかには、このまま埋もれさせてしまうには
惜しい逸話もいくつかある。いずれ機会があれば公開したい
と考えている。

一応のゲラが仕上がったのは初夏の頃だった。
佐々井師へチェックをお願いし、
「まあまあこんなもんか。こりゃ、佐々井秀嶺入門編、だな」
とのお言葉をいただいた。

その後、数回の校閲を経て、遂に2010年10月15日の発売に
漕ぎ着けた。 ・・・企画の立案から一年半、インタビュー収録
から約一年を要したことになる。
<④へ続く。次回はちょっとだけ内容紹介?>

『必生』宣伝チラシ

『必生』宣伝チラシ
10月15日金曜発売 『必生 闘う仏教』 佐々井秀嶺著
集英社新書 定価735円(本体700円)

宣伝チラシを作りました。なにとぞよろしくお願いします!
以下のリンクからサンプルPDFを御覧下さい。
「hissei-72-new.pdf」をダウンロード
ただし、サーバーのファイル重量制限上、サイズや画質を
大幅に落としてあります。
鮮明美麗なA4版の実紙を御入り用の方は、Eメールにて
郵便番号・住所・氏名を明記の上、お申込み下さい。
お一人10枚以上から受付ます。10月10日頃より発送予定。
(無料です☆)
申込メールアドレス  
cybertemple@mbn.nifty.com

 ※このチラシは集英社販売部とは連携しておりません
  ので、購入申込伝票等は付属していません。
  お買い上げについては、直接書店、もしくはAmazon
  にてお願いします。
 ※チラシに使用している写真は編者及びデザイナーが
  撮影したもので、本書に御協力頂いた山本宗補氏の
  作品ではありません。
 ※上の写真は昨春佐々井師一時帰国の際に、高尾山
  琵琶滝にて編者が撮影したものです。

『必生』裏話②

インタビューは当初、編集氏から託された約五十項目の
問いに、一問一答形式で行なう予定だった。
ところが蓋を開けてみればそうはいかない。一問すれば
百答してくれる佐々井師に、時間はどんどん過ぎていく。
(そうか、印度式なんだ)
インド人は議論好き。ひたすら大声で長時間、言葉数の
多さを競い合うような習慣がある。そんな御国で四十年
以上も生活してきた佐々井師に、日本式の一問一答を
期待するほうが間違っていた。
とはいえ少年期から青年期の苦悩時代については師の
思想形成に大きく関わっているため、これからの展開を
考慮して、思う存分語っていただいた。
聞き手ものめり込んしまい、つい本来の質問を忘れて、
「・・・ん? なんの話だった?」
と、逆に佐々井師から進行を促される場面もあった。

「今度の本は私の内面を書いてもらいたい」
インタビュー二回目、佐々井師が言った。
たしかに、それまで師を紹介した文章や写真、映像等は
佐々井秀嶺という“巨人の功績”、すなわち外面を伝える
ものがほとんどであった。
無論、徒手空拳で異国の最下層民衆に溶け込み、その
国の閣僚まで勤めた人物だ。外面だけでも意義がある。
まして、いまや日本の総人口より多いとも言われるインド
仏教徒を率いる“元日本人”の存在が、故国の同胞には
ほとんど知られてない、という事実を省みれば、とにかく
まず知ってもらうことが先決であった。

三回目。聞き手から大幅な路線変更を提案した。
問答ではなく、佐々井秀嶺師の一人称で、現代日本人に
語りかける形式にしてはどうか、と。
五十問の答えを再構成し、聞き手の言葉を消して、読者
と一対一で法話しているようなかたちにしたい、と。
「うん。それがいい。そうしなさい」

四回目。佐々井師が体調を崩した。
「頭がボーッとしてるが、時間がもったいない。やるぞ!」
師は決して健康体ではない。むしろ満身創痍である。
だが常人と違うのは、辛くなればなるほど、なにかが燃え
上がり、凄まじいエネルギーを発揮する点だ。

五回目の夜。「アンタも疲れたろ。ご苦労さん」
こうしておよそ20時間以上に渡るインタビューは終了。
インド民衆のため多忙を極める佐々井師の、激務の合間
を縫って行なった録音は、結局、全体で三週間を要した。
<③へ続く>

『必生』裏話①

佐々井秀嶺師に関する本を出せたら、という企画は昨春
二カ月間の来日中、いくつか持ち上がった。
とはいえ、思い出すと笑っちまうようなものもあり、
「ぜひ佐々木さんのことを〇×△□」
と、秘書名義でメールを送ってきた業界人もいた。しかも
本人のプロフィールに“東大卒”。・・・佐々、きぃ~?
こりゃあ人違いだな、と判断し、謹んでご辞退申し上げた。

やがて縁あって、畏友の写真家山本宗補氏の紹介により
集英社新書の編集者氏と知り合った。
当初はどういった内容の本にするのかまったく未定で、
「弊社の『週プレ』でやった問答形式では?」
昨年七月に発売された週刊プレイボーイの佐々井師特集
を増補拡大したかたちにする案が出された。例の、
「女の子はぶん殴って、そのあとキスしろ」
というやつである。
あのインタビューには、“現代日本の若者言葉通訳”として
同席したが、正直、冷や汗をかいたものだ。

佐々井師滞在中そしてインド帰国後、編集氏と打ち合せを
繰り返し、昨年10月、ナグプールのインドーラ寺にて、単独
インタビューを敢行した。
「おい。ほんとはな、本なんか出してもらいたくないんだ」
録音前に師が言った。
活字化されれば、読者の中でイメージが独り歩きを始めて
しまう(それはこのブログとて同じこと)。
「私のことはインドの民衆が分かってくれてるから、それで
いいんだよ。日本の人には、申し訳ないとは思うが」
かつてわが国で、佐々井師に関する一書を上梓した者の
中には、仏教の基本的知識もないまま勢いだけで書いて
しまった人もいた。ただひとり、山際素男先生だけが師の
息遣いをリアルに伝えてくださったが、小説『破天』は長編
であり、膨大な情報が詰め込まれているため、“読むのを
途中で挫けた”、という声を耳にすることもあった。

さて、インドーラ寺の管理人に佐々井師が、
「この部屋には緊急の用件の者以外、誰も入れるなよ」
と念を押し、いよいよインタビュー開始・・・。
<②へ続く>

唄神

唄神
唄神
先日、都内で行なわれたシタール奏者:伊藤公朗さんと
奄美島唄:牧岡奈美さんのコラボを聞きに行った。
このライヴは今年の春頃にも開かれたが、あいにくその
時は土壇場になって他の集まりに呼ばれてしまい、断念
せざるえなかった。悲嘆に暮れたワシは横浜港から遥か
奄美の喜界島へ、切ない思いをカモメに託したものだ。

そして遂に願いが叶った☆
今回は伊藤公朗さんのシタールに牧岡奈美さんの島唄と
三線、それに伊藤快さんのギターも加わる。
(・・・おお。ゆ、揺れているっ)
異なる三種の弦楽器と奈美さんの歌声が、音空間におだ
やかでゆるやかな渦を起こし、螺旋を描きながら上昇する
“気”の流れが、大空を目指していく。
奄美島唄は男女の愛をテーマに、人間の根源的生命力と
天の世界をつなぐ。それは時に神、時には先祖霊といった
言葉で表わされる、柔らかで逞しい“原初のちから”だ。
仏典でいうならば『理趣経』の説く「妙適清浄句是菩薩位」
であろうか。

シタール、三線は洋楽風のリフを随所に即興で織り込み、
各々の弦が文字通り、琴線を絡め合う。
そして、すべての音の島々を抱く海原のようなギター。
快さんのバッキングは技術、タイミング、ハート等すべての
面で素晴しく、これほどのギタリストは滅多にいない。

なによりワシは、奈美さんの美貌とその歌声にすっかりKO
されてしまった。いやあ、幸福なる降伏です。

『必生 闘う仏教』

『必生闘う仏教』
いよいよ来月発売!
『必生 闘う仏教』 集英社新書  0561−C
佐々井秀嶺著 200頁 定価735円(本体700円)
2010年10月15日発売  I SBN978-4-08-720561-9

ちなみにタイトルの読み方は「ひっせい」。
<執筆関係者。順不同、敬称略>
編者:高山龍智、写真:山本宗補、用語解説:志賀浄邦、
巻末解説:野田正彰

昨秋、雨季明けの暑さの戻りも凄まじいナグプール。
部外者を完全にシャット・アウトした寺の一室にて、のべ
五日間、合計約20時間以上に及ぶ録音をもとに再構成
した、佐々井秀嶺師初の半自伝的講話集である。
今回は新書という紙幅の関係上やむなく割愛した逸話も
少なくないが、一人の歴史的巨人の功績を細大漏らさず
網羅し尽くすことなど、もとより不可能だ。
また、先に山際素男先生の名著『破天』があることから、
本書は佐々井師自身の希望により、師の内面告白を軸
に据えてある。

四十年以上インドの最下層民衆のため命を捧げてきた
希代の傑僧は、時に声を荒らげ、時に冗談を交え、また
時にはセンチメンタルに、その波瀾万丈の半生と辿り着
いた境地を語ってくれた。
(上の写真は昨春一時帰国の際、高尾山にて編者撮影)

『必生』とは、佐々井秀嶺師の造語である。
しかし、これほどまでに師の生き方を端的に表現しうる
言葉は他にない。

※本書の印税は日本政府の課税分を除き、佐々井師と
インド仏教復興運動のために布施されます。

印度原体験

ふと、わが“印度原体験”を振り返ってみたくなった。
物心ついて最初にインドという国の存在を知ったのは、
昭和少年に深いトラウマを刻んだ特製ヱスビーカレー
のテレビCMだ。ターバン巻いてドーランを塗りたくった
(褐色の肌を演出したのだろうが当時ほとんどの家は
白黒画面だった)芦屋雁之助師匠が空中浮揚しつつ、
「インド人もビックリ!」
あれである。幼かったワシはインド人が本当に朝昼晩
カレーばっかし喰ってるなどとは思いも寄らず、インド
では驚くとジャンプするんだ、ぐらいの認識であった。
が、ある時、親戚の法事で読経に来た僧侶が、
「仏教はインドでお釈迦様が説いた教えで・・・云々」
と語るのを聞いて、ターバン+ドーランで袈裟をまとい、
おでこの真ん中にポッチを付けた雁之助風のブッダが
ジャンプする姿が脳裏に浮かび、その晩はうなされた。

次は、1967年の手塚アニメ『悟空の大冒険』。
これがもう無茶苦茶。PUNKを先取りしたような作品で、
三蔵法師=軟弱青坊主、というイメージは本作が嚆矢
ではないかと思う。
最終回(この辺りワシの記憶が捏造されてる可能性が
あるので正確でない。ひらにご容赦)、はるばる天竺へ
辿り着いた悟空一行は、インドの凄まじい暑さに驚き、
「ただ暑いだけじゃないか!こんなところのどこが天竺
(=天国)なんだ!出てこい、お釈迦さん!」
と絶叫(たぶんそんな意味内容の台詞だったと思う)。

次は、1969年のPOLAテレビ小説『パンとあこがれ』。
いわゆる“昼ドラ”のはしりだが、新宿中村屋創業者の
一代記(番組中では、穂高屋)である。
なんと物語にインド独立の志士、ラス・ビハリ・ボースが
登場。演者は河原崎長一郎(with 褐色ドーラン)。
「おねがいします、ほたかやさん」
Namasteではなくいきなり日本語で挨拶したボースには
子供心にのけぞったが、カレーをカリーと発音したりと、
なんとなく“通”な気分に浸れた作品だった。

そして極めつけは1972年『愛の戦士レインボーマン』。
わがインド原体験は、この変身特撮ヒーロー物によって
決定づけられた。あの、あまりにも有名な主題歌、
「♪ インドの山奥で 修行してぇ~」
まさか、長じてから本当にこの歌詞をなぞった生き方を
しようとは、その当時は想像だにしなかった。

今改めて振り返ると、すべての道がインドへ通じていた
ように思える。
「ぼぼ、僕はイイ、インドがすす、好きなんだなこれが」
(雁之助『裸の大将』風レインボーマン)

獅子吼

獅子吼
獅子吼
佐々井秀嶺師は御身の誕生会においても、民衆の心に解放の火を灯すことを休みはしない。否、むしろその命の炎を、インド被差別民衆に分け与えているかのようでもあった。剛毅にして繊細、聖にあらず俗にあらず、すべての境界を自在に跳躍するその原動力は、ただ「義を見てせざるは」の心意気である。
佐々井秀嶺師の存在そのものが、現代における奇蹟に思えてならない。

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