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2010年10月

『必生』こぼれ話③

<第三回 ハヌマーン>
東京国際映画祭にインドから参加した『RAAVAN』の元
ネタとなったヒンドゥー教神話「ラーマーヤナ」。
この神話、インド仏教と浅からぬ関係があるのです。
ややこしい話ですので大雑把にくくりますとヒンドゥー教
三大神:維持神ヴィシュヌの七番目の化身がラーマで、
このラーマを主人公とした物語が上記の神話です。
ちなみにお釈迦様は九番目の化身、ということになって
いますが、これはヒンドゥー教徒の勝手な言い分です。
またラーマの聖地とされるアヨーディアで起きた事件に
ついては『必生 闘う仏教』集英社新書 119頁および
122頁をご参照ください

神話の粗筋はすでに紹介したので繰り返しません。
さて、インド仏教復興運動と関わりがあるのはラーマに
使役された、猿神ハヌマーンのほうです。
この孫悟空のルーツともいわれる超能力ザルゆかりの
地が「ラームテク」と称されるヒンドゥー教の聖地であり、
その下には、大乗仏教の重要な遺跡が覆い隠すように
埋められているわけです。(同書137頁参照)
神話世界で“魔族”と呼ばれる人々は征服された先住民
という例。それに、かつて“不可触民”と蔑まれた人々が
ラームテク(=大乗仏教発祥の地マンセル遺跡)に近い
ナグプールの民衆であることを考え合わせると・・・。

しかもハヌマーンは、神であっても猿なのです。
理想の人間像として登場するわけではありません。
神話が、文字どおり古代史の「神話化」であるなら、そこ
には侵略者(神)に屈伏して手先(猿)となった被征服民、
という記号さえ読み取ることも可能なはずです。
92年12月アヨーディアで起きた事件で、直接破壊活動に
携わったヒンドゥー教徒は、おもにシュードラ(農奴)階級
だったのです。佐々井秀嶺師は、
「あれはハヌマーンにやらせたのと同じやり方だ!」
と、ひときわ声を荒らげて語りました。
アヨーディア事件に限らず、仏教徒弾圧についてもその
先鋒をやらされるのは、低位カーストの人間です。
立場の弱い者に、さらに弱い者を叩かせる巧妙な手口。
差別構造に君臨する輩は決して手を汚さない、と。

以上も、これだけで専門的な研究論文一本分にも相当
するため、割愛いたしました。

『RAAVAN』

東京国際映画祭。インドの参加作品『RAAVAN』
観てきました。
この映画はヒンドゥー教神話「ラーマーヤナ」の翻案
であり、インド人なら思わずニヤリとする設定が随所
に盛り込まれてますが、もちろん神話を知らなくても、
充分に楽しめる作品となっています。
とはいえ一応、元ネタの粗筋を紹介しておきましょう。


ラーマ神にはシーター姫という恋人がいた。
だが彼女に横恋慕したランカー島の魔王ラーヴァナ
によって、シーターは誘拐されてしまう。
恋人を奪還するべくラーマは弟のラクシュマナと共に
ランカーへと向かう。ところが、彼らの行く手を海原が
さえぎる。そこへ現れたのが猿神ハヌマーン。
この超能力を操るSuper Monkeyに助けられランカー
へ渡ったラーマ兄弟は、激戦の末ラーヴァナを撃退、
無事にシーターを救い出す。
しかしラーマは、彼女と魔王のあいだに“何かあった
のではないか”?と、嫉妬してしまう。
そこで、恋人の疑念を晴らすためシーターは・・・!


とまぁ、これぐらいにしときましょう。
その物語を現代に置き換え、魔王の視点から描いた
のが映画『RAAVAN』です。ちなみに「ラーヴァン」とは
サンスクリット語「ラーヴァナ」のヒンディー語発音。
また余談ながら超能力ザルが主人公を助けて異郷へ
渡り、悪魔を退治する、というモティーフは『西遊記』の
元ネタにもなっているようです。
さて『RAAVAN』で特筆すべきは、悪魔と呼ばれる人々
がカースト差別の犠牲者として描かれていること。
古今東西、神話世界で“悪魔”の役割を背負わされて
いるのは征服された先住民族ですね。
インドのカースト制の起源は、アーリア人の侵略による
ドラヴィダ人征服の歴史といわれています。
(『必生 闘う仏教』集英社新書、80~83頁参照)


この映画の主人公:極悪人「魔王」ビーラーは、差別と
貧困に喘ぐ民衆から神の如く敬われています。
それはあたかも、90年代初めに山際素男先生が発表
したダコイット(=インド山賊)のルポを想起させます。


そして、次の『こぼれ話③』にもつながっていきます。

『必生』こぼれ話②

<第二回 ヒッピー騒動>
ご承知の通り、ヒンドゥー教で牛は“神の使い”とされて
います。破壊神シヴァが乗る聖牛ナンディー、ですね。
そのためインド社会では、仏教徒であろうとイスラム教
徒であろうと、牛を敬うフリをせねばなりません。
不殺生を第一とする仏教徒であれば、動物愛護という
ことで問題ないですが、豚以外なら肉料理の大好きな
イスラム教徒にしてみれば、複雑でしょうね

いずれにせよ、牛は敬っておけば面倒がない、と。

さて、佐々井秀嶺師が初めてブッダガヤーを参拝した
のは1970年代の始め頃。
敬虔な気持ちで釈尊成道の根本聖地を訪れた若き日
の佐々井師が見たものは、到底聖地とは呼べぬ頽廃
と混乱の、ヒッピー天国。
日本仏教界が各宗派合同の名目の建てた日本寺には
輪番(交替制住職)が不在で、本堂のあちこち、境内の
到る処には、世界各地から集まったヒッピーが、乞食も
目を背けるような不潔な身なりで転がっていた。
しかも辺り一面には、大麻の紫煙。
「ナニやってんだ君らは!居候にも仁義があるぞ!」
彼らとさほど年令の変わらぬ佐々井青年ではあったが、
人生を一からやり直すつもりで来たインドで、同年配の
若者が自堕落に耽る光景を目の当たりにし、つい昂奮
してしまった。
「全員立て!これから本堂と境内の掃除を手伝え!」
反発されるかと思いきや、みんな素直に従った。

だが彼らの本性は、数日後に露顕した。
夜、そろそろ寝ようかと横臥した佐々井青年の耳に、時
ならぬ狂騒が聞こえてきた。なにごとか?と慌てて外へ
出ると、境内ではキャンプ・ファイヤーのお祭騒ぎ。
しかもその炎の上では、どこから盗んで来て殺したのか、
牛が一頭、丸焼きにされている。白人ヒッピーが叫ぶ。
「Yeah!SUKIYAKI!」
こんなことが近隣のヒンドゥー教徒に知れたら暴動が起
きる。ましていわんや釈尊成道の聖地に建つ日本寺の
境内である。佐々井青年のリミッターが外れた。
「キサマらとっとと出て行けえぇぇっ!」

どう? 聖書にあるイエスが神殿前の商店を追い払った
話にも通じる感じがして、よくない?
「う~ん、エピソードとしては面白いんですがね、本題と
離れ過ぎてますし、なんか夢も希望もないので『必生』
のテーマにそぐわないような・・・」
と、ごもっともな指摘を受け、これも割愛しました。

『必生』こぼれ話①

編著の段階で割愛した小ネタ的エピソードを紹介して
いこうと思う。細か過ぎて伝わりにくいオハナシ。


<第一回 印度汁粉>
インドへ行かれた経験のある方ならご存知でしょうが、
普通のインド人が日常的に食するカレーは、豆カレー
です。「ダール」、というやつですね。
ご存知ない方のためにその形状と味についてご説明
しますと、トウモロコシの粒の約三分の一程度に挽き
割りしたレンズ豆を、ターメリックの黄色い汁をベース
に煮たスープ・カレーです。インド人はこれを味噌汁の
ようにほぼ毎食、口にします。辛くはないが、あんまり
美味くもない?

さて、『必生 闘う仏教』第一章から、こぼれ話。
ラージギル妙法寺の八木天摂上人のお世話になりな
がら、工事現場で働いていた佐々井秀嶺師。
八木上人は東京日本橋の和菓子屋の生まれ。インド
でもあれこれ工夫して、手作りのお菓子を若い佐々井
師に食べさせてくれたそうです。
今も甘党の佐々井師、まして当時は肉体労働の毎日。
八木上人が作ってくれる印度式和菓子が、なによりの
御馳走でした。そんなある満月の晩、上人は、
「なあ、佐々井さん。今夜はお月見をしようじゃないか」
と、特別にお汁粉を用意してくれたそうです。
チャパティの粉をこねてお団子にし、ダールを応用した
黄色い汁を、甘くして作った“印度汁粉”。
銀色に輝く満月が天竺の宵闇を照らす中、初老の僧と
青年僧が二人、多宝山の頂きに並んで座り、お汁粉を
すする。団子はバサバサして崩れやすく、黄色い汁は
甘くても、見た目はカレーそのもの。
それでも二人の日本人は笑い合いながら、美味しそう
に食べた。そんな彼らを、仏月が微笑みながら静かに
見守っていた・・・。南無妙法蓮華経。


という感動の秘話っ☆なんですが、
「豆カレーを食べたことない読者には作る工夫の大変さ
を踏まえた上での感動が果たして伝わるでしょうか?」
ううむ。至極真っ当、かつ冷静なるご指摘。
そうだよなあ。インド料理の紹介にページを割くわけにも
いかないからな。てなわけで、やむなく割愛しました。

『必生 闘う仏教』 佐々井秀嶺
集英社新書より定価735円にて好評発売中!

『必生』本日発売!

『必生』本日発売!
佐々井秀嶺師の半自伝的講話集『必生 闘う仏教』、
集英社新書より定価735円にて本日発売☆

(写真は昨年6月京都龍谷大学講演会にて編者撮影)
熱く、剛直で、しかも愛に満ちた希代の傑僧の言葉は、
人間の最も奥深いところから発せられ、それゆえ最も
奥深いところへ届く。

「虚無を突き抜ければ、その先にきっとなにかが見えて
くるはずだ」
「千年一日のごとく個人の心にばかり重点を置き、ほか
の人の苦しみには無関心で、迫害にあえぐ人々をむざ
むざ死なせてしまうような仏教であったなら、人間にとっ
てマイナスだと私は考えます」
「必死は、当たり前のことなのです。わざわざ宣言しなく
ても、人間はいつか必ず死ぬ」
(本文より抜粋)


あえて巻中には献辞を載せなかったが、本書を泉下の
山際素男先生に捧げる。
先生の御功績なくして本書はありえなかった。
今から十八年前、編者が初めてインドを訪れ、帰国後
に手にした山際先生の御著書から、すべてが始まった。

ジャイ・ビーム!

735

ついに今週15日『必生 闘う仏教』が店頭に並ぶ。
頁数二百は、読書家にとって雑誌程度に物足りなさを
感じさせる紙の量かも知れない。
だがそれは絞りに絞り、幾度も鍛造を繰り返した鋼鉄
の言葉たちである。ゆえにシンプルかつストレート。
或いは佐々井師の姿は、現代日本の知識人の目には、
驢馬にまたがり風車小屋(大本山の大伽藍)へ向けて
突進するドンキホーテと映るやも知れぬ。
だが佐々井師が闘っている相手は、なに宗なに派など
といった、そんな小さなものではない。
自由・平等の実現を阻む大国インドの闇。それは、あら
ゆる人間が心のどこかに隠し持っている陰湿さや残忍
さが凝固した、現世の地獄・・・。それと闘っているのだ。

「私は徳の高い僧などではありませんし、聖人君子のよ
うに思われたくない」(『必生』本文より)
この独白こそ面目であろう。
佐々井師の生き方はいにしえの高野聖に近いといえる。
もしくは念仏聖、野の法華行者。つまり、市井の菩薩だ。
実際「日本人僧:佐々井秀嶺」の思想は空海の宇宙観、
親鸞の懺悔、それに日蓮の情熱が三本柱を成している、
と編者は個人的に理解している。

日本のマスコミ等で“インド通”として売っている学者は
たいがい佐々井師の存在自体を無視する。
かの国の知識人階級と折り合いを付けていくためには
そうしたほうがなにかと都合が良いからだ。
文化サロンでケーキと紅茶を嗜みながら、屁のツッパリ
にもならない“日印友好”という名の造花を愛でている。

本書の定価735円(税込み)はカレーライス一杯分だ。
カレーの美味しい食べ方は、出来立て熱々をガア~ッと
かっこむこと。学者や知識人は、
「このカレーが美味しいのはジャガ芋の切り方がどうの、
スパイスが〇〇gだからこうの、なんたらかんたら」
そんな蘊蓄を並べ立てるうちにカレーはすっかり冷めて
しまう。冷めたカレーほど不味いものはない。

さあ、熱々のササイ・カレーをガッツリ喰おう!

『必生』書影

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「煩悩は生きる力」・・・!
来週15日に迫った 佐々井秀嶺著『必生 闘う仏教』
集英社新書 定価735円
発売に先駆けてその書影がいよいよ公開された。
眼光炯々、天下御免。見よ、この勇姿を。
「インド仏教復興運動を率いる破格の僧が語る菩薩道」
とは編集部。
「悟りは虐げられた民衆と共に生きる中にある」
野田正彰氏の推薦文が、現代日本人の良心を射抜く。

これぞSOULな一冊!まさに平成の奇書!
体で読むべし!

『必生』裏話④

佐々井秀嶺師は、他者の痛みが分かるひと、である。
それは人間のみならず虫魚禽獣の類にまで到る。
すなわち、慈悲のひと、なのだ。
また佐々井師は誰よりも痛みに共感するがゆえに豪胆に
振る舞い、時には粗暴とも映る態度を取ることさえある。
剛毅朴訥は義に同じ、である。
だがジャーナリズムはえてしてその表面上に記号化された
部分だけを切り取る。結果、佐々井師のイメージは、
「やたらと強気な異形の者」
として独り歩きを始めてしまう。師の内面を置き去りにして。

今回は『必生 闘う仏教』、章立てのあらましをご紹介しよう
と思う。あくまで予告編ではあるが。

<第一章> 生い立ちと出家、生涯の師との出会い、日本
からタイそしてインドへの旅路が語られる。
三度の自殺未遂と、放浪。 あまりにも真摯であり続けるが
ゆえに挫折と絶望を繰り返した、青年期。
<第二章> 小説『破天』では未発表のエピソードを軸に、
佐々井師が劇的な“脱皮”を遂げていく過程を描く。
じつは本書の中心となる章なので、これ以上はヒ・ミ・ツ。
<第三章> 実際のインド仏教復興運動の現場を通じて、
副題にある「闘う仏教」とはなんぞや?が語られる。
徒手空拳、満身創痍に関わらず怯むことなく不退転で突き
進む佐々井師の原動力は、慈悲に基づいて、“怒ること”。
<第四章> 2009年に一時帰国したその動機、そして44年
ぶりに見た日本へ向けて、必生(ひっせい)の思想を説く。


さて昨年、各地で開かれた佐々井師講演会にお越し頂いた
方々の中から、たびたび、
「佐々井上人へ御布施したいのだがどうすれば?」
といったご質問を受けた。個人の海外送金は手数料だけで
五千円近くかかるが、本書の印税は直接、佐々井師へ送金
される。つまり、誰にでも出来る佐々井師への布施、なのだ。


定価735円から始められる仏教復興支援。ぜひご協力を。

佐々井秀嶺著『必生 闘う仏教』
来週10月15日金曜、集英社新書からいよいよ発売!

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