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2010年11月

龍宮へ

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明日水曜から南天龍宮城:ナグプールへ行きます。
佐々井秀嶺師の健康状態を伺い、先月開催された
龍樹菩薩大寺落慶式不参加のお詫びと、その後の
建築進捗を視察、また日本の皆様のお陰で『必生』
が早くも重版となった報告等をして参ります。
とはいえ編者は、家族に介護老人を抱えた身ゆえ、
わずか
一週間程度の滞在となりますが、可能な限り
現地の状況を皆様にお伝えしたいと考えております。

Jay Bhim!

『必生』への道

改めて『不可触民の道』(三一書房)を読んでいる。
著書は故山際素男先生。
手元にあるのは93年6月第一版第六刷。初版は82年
2月だ。その前年、山際先生は佐々井師と会った。
ワシがインドを初めて訪れたのが92年であり、帰国後
書店に注文して取り寄せたときは新品だったこの本も
ページがセピア化を始めている。
いまでいう、新書サイズのこの一冊と出会えたことが、
ワシのその後の人生を大きく変えた。
佐々井秀嶺。とてつもない男が同時代に生きている。

存在を知った時は、驚嘆した。また、畏怖をも感じた。
こちらは生臭坊主といえど同じ仏門に身を置く者。
草野球ではエースで四番のつもりでいてもイチローや
松坂とガチで勝負できるとは思わない。
だからその後、年に二回、十年以上もインドへかよい
続けたが、ナグプールだけは避けて通っていた。

やがて『9.11』勃発。世界は宗教対立の時代となる。
その後も日本とインドを往復しながら、たびたび逡巡を
繰り返してのち、やっと決心がついた。
(佐々井師に会いに行こう)
ノー・アポで訪ねた生臭坊主を師は笑って受け入れて
くれた。
「おかしいじゃないか。私のことをずうっと前から知って
いて、十何年もインドに来てながら、このナグプールへ
来るのは今日が初めてだ、なんて」
怖かったんです上人のことが。と、馬鹿正直に答えた。
「がっはは!獲って喰ったりはせんよ!」

こうして始まった佐々井師との法縁が、やがて2009年の
一時帰国、そして今年の『必生』につながった。
山際先生は『不可触民の道』末尾にこう記している。
「佐々井師を援け、不可触民の援軍に駈けつけてくれる、
仏教徒がどのようなものであるかを“知っている”ひとが、
ほかに現れてくれるのを期待したい」
・・・何もかもすべては、山際先生のお導きだったのだ。

『必生 闘う仏教』佐々井秀嶺著(集英社新書)
皆さまのお陰を持ちまして、発売後約一ヶ月で重版となり
ました。厚く御礼申し上げます。編者拝。

一ヶ月目の奇跡

『必生 闘う仏教』佐々井秀嶺著(集英社新書)
発売から一ヶ月が経過致しました。
多くの皆様にご高覧賜り、またこの間、熱い感想と心温
まる励ましのお言葉を頂戴しました。
著者に成り代わりまして、改めて御礼申し上げます。

佐々井秀嶺師及びインド仏教復興運動への支援活動は
あまたの先人によって切り開かれた道であります。
しかし、変化を続けるインドの政治、世界経済の激変等、
時代と世情により左右されてきました。
また、昨春二カ月間の佐々井師一時帰国の際、各地の
講演会で寄せられたご質問の中に、
「佐々井上人にお布施したいのだがどうすれば?」
というお声がございました。
個人での海外送金は高い手数料がかかり、浄財を圧迫
してしまいます。あるいはまた、
「インドまで行って上人のお話を伺いたいのだが、とても
行けそうにない。残念でならない」
といった切実な思いを告げられた方もおられました。

ならば、講話集のようなかたちで一般の皆様にご提供し、
その印税が直接、佐々井師へと送金されるようにすれば
良いのではないか・・・との考えから、佐々井師の全面的
ご協力を得て、遂に先月発売の運びとなったのです。

さて、以下は編者の極私的出来事。
発売後一ヶ月を迎える日、介護施設に入所している老親
を見舞ったときのこと。
介護度5で、用便はおろか、自力で寝返りを打つことすら
出来ない老親は、当然のことながら、前月に刊行された
『必生』を読めないままであった。
ところがその日、(ページを開け)、と枯れ枝のような手で
意思表示を
したかと思うと、本を編者に持たせ、食い入る
ように読み始めたのである。

その夜、親しい法友からメールが来た。
「今日は山本秀順阿闍梨様のお墓参りをして来ました」
(『必生』25~36頁参照)
他人が信じようと信じまいと、一ヶ月目の奇跡であった。

「仏教」ブーム?

もう、十年近く前の話だ。当時はまだ、中共のチベット
支配についてわが国では“知らなくてもフツー”な状態
であった。だが、もちろん多数派に於いての話であり、
その頃から抗議の声を上げていた日本人もいた。
(お畏れながらワシもそのひとり)

とはいえ実際、仏教関係者でさえも以下の如き妄言を
公然と吐いていた事実がある。
「もし中国が侵略しているとしたらそのこと自体は遺憾
ではありますが、ラマ教は“活仏が転生する”といった
教義的に低次元な宗派だということも問題です」
120万人を越す大虐殺を、遺憾の一言で片づけられる
神経にも驚かされるが、Lamaismなる呼称が欧州人に
よって「キリスト教を信ぜず師僧(=ラマ)に従う野蛮な
邪教」という響きで付けられた蔑称であることすら知ら
ない僧侶が、ほんの十年ほど前まではわが国に存在
した事実を歴史に刻んでおこう。
※ 例えば、門主を“生き仏”と仰ぐ日本最大の某宗が
「Monshuism」と呼ばれたら教団は受け入れないだろう。

坊さんでさえもそうだったのだから、一般の、いわゆる
スピリチュアル系の御仁が知らなくても仕方ない。
「チベット仏教にだけ関心があってチベット問題(?)に
無関心で、なにが悪い!」
そんな風にワシは喰って掛かられたことがある。
ちなみにそのメールには本当に「(?)」が付いていた。

こういった状況は、仏教ブーム(?)の現在でも本質的
に変化していないように思える。
確かにチベット問題についての認識は以前に比べれば
数段広まっているだろう。
しかし、同じ日本人の血が流れる佐々井秀嶺師の活動
についての関心度は、果たしてどうだろうか。
全世界の仏教徒にとって根本聖地たるブッダガヤーの
大菩提寺管理権奪還闘争。その陣頭に立ち満身創痍
の老躯を圧して指揮しているのは、佐々井師である。
仏教ブームなら、何をさて置いても真っ先にこの事実に
関心が集まるはずだと思う。
インドでは今もカースト差別による人権蹂躙や、虐殺が
起きている。そのための解放運動が、仏教復興なのだ。
ところが、なぜかそこには目が向けられない。

「瞑想とか癒し系にだけ関心があって、仏教復興(?)に
無関心で、なにが悪い!」
・・・やはりそう言われるのであろうか。

『必生』こぼれ話⑥

<第六回 臥龍の系譜>
佐々井秀嶺師が育った岡山県山間部には『平家落人伝説』
がいくつか残されている。
貴人流離譚の類、と一括りにすればそれまでだが、正史に
漏れたいにしえの敗者の怨嗟は、時に人間の真実を語る。
なぜなら歴史は、いわゆる勝者(武力において勝った者)が
記す独善の創作物語だからだ。
敗者弱者に寄り添う師の精神世界において、出雲族、平家、
また古代インドの被征服民ドラヴィダ族は、一連の繋がりを
もっている。これは、下手をすればトンデモ偽史に化けかね
ない話だが、その底流には佐々井師の慈悲心がある。

「子供のころ父親について山仕事に行ったとき、少し開けた
ところで急に立ち止まった父が、こう言ったんだ。
“ここは源氏射場といってな、その昔源氏の追手がここから
向こう側の崖に向けて矢を射掛けた場所なんだ”
そして、反対側の断崖を指差した。見ると頂上あたりの岩が
赤く染まってる。平家の落人が流した血が、怨念と共に染み
ついた、そんな言い伝えがあったんだな」
清盛が信仰した厳島の祭神は、蛇体の弁財天といわれる。

佐々井師の思想には、“龍蛇(ナーガ)”が深く関わっている。
(『必生 闘う仏教』99頁)
平家物語:壇ノ浦の章で、幼い安徳帝が二位尼に訊く。
「朕は何処へ参るのか」
「弥陀の浄土へ。波の下にも都がございます」
京へ帰るのでなく来世へ行くのです、と入水して果てる。
さて、海底にある都といえば龍宮城。かなり強引ではあるが、
それはナグプールを意味するのだ、と佐々井師。
誤解のないように補足するが、龍蛇として表現される魔族は
地に臥した敗者を指して勝者が謂ったものだ。
出雲のオオクニヌシも、本来の名称オオナムチ(大穴持)が
表わす如く、地に(洞窟に)潜む蛇体神である。

龍宮城、龍蛇神、後進勢力に滅ぼされた先住民・・・。
みずから「平家落人の末裔」を称する佐々井師にとり、これら
敗者の系譜こそが、生々しい人間の真実なのだ。
すべては、痛みに共感するがゆえに。


これもまた専門的な研究論文一本分に相当するため、割愛
致しました。

『必生』こぼれ話⑤

<第五回 机という小乗>
佐々井秀嶺師の読書量は驚異的だ。それは、幼少期から
(『必生 闘う仏教』13頁)今日まで一貫している。
テレビのない時代の山村で、蓄音機とラジオのほか娯楽と
いえば読書しかなかったわけだが、映像や音のような情報
の方から寄ってくる媒体ではなく、受け手が“読もう”と意思
しなければ受け取れない読書という認識法が、佐々井師の
人格形成に与えた影響は少なくないはずだ。
膝下で謦咳に接するようになって七年ほど経つが、ある時
編者は師の胸を借りるつもりで、仏教に関する問答を仕掛
けたことがある。大小・顕密・権実等、知り得る限りの角度
から勢い込んで斬り掛かったが、塚原卜伝の故事よろしく
見事あっさりかわされた。そして一刀両断。

だが佐々井師は知識で身を飾らない。むしろ頭でっかちを
嫌う、行動のひとである。
「こんなもんが楽しみでしてねえ」
初対面のときカセット・ボックスを開いて見せてくれた。
中には、広沢虎造をはじめ浪曲大全集のテープがずらりと
並んでいた。この時、佐々井師を四十年間支え続けてきた
ものの一部を、垣間見た気がした。それは、もっともらしい
理屈や能書きではなく、
「困ってる人がいるんだ、黙ってられるか、べらぼうめ!」
という心意気のようなものだ。差別に苦しむ民衆と一杯の
飲み水を分かち合って笑う、浪花節のひとなのである。

「机に齧りついて本ばかり読んどってもダメだ。いうなれば
読書は、出掛ける前に地図を頭に叩き込んどくようなもの。
道に迷わないためには大事だがね」
「机は、知識の小さな乗り物。社会は生身の人間が暮らす
大きな乗り物。机の上だけの仏教知識こそ、小乗なんだ」

「若い不可触民の母親がね、泣きじゃくりながら死んだ赤ん
坊を抱え、炎天下、診てくれる医者を探して駆け回っとった。
もう死んでいる、と言うても聞かんのだよ。医者は不可触民
だから診てくれん、まだ生きてる、と。仕方ないので、母子を
自転車の後ろに乗せ、あちこち汗だくになって走ったよ。
(こんちくしょう!ばかやろう!くそったれ!)
当時は私もナグプールに来たばかりの若い頃だったからね、
日本語で怒鳴りながら、泣いとったよ」

佐々井秀嶺師の菩薩道の原点である。
紙幅の都合上、アンベードカル博士の功績を優先するため
割愛しました。


※『必生 闘う仏教』関連のブログ。こちらもご覧下さい!
http://nagpur.blog.shinobi.jp/

『必生』こぼれ話④

<第四回 武蔵と龍之介>
岡山県出身の佐々井秀嶺師にとり、剣聖宮本武蔵は郷土
が生んだ英雄であり、吉川英治の小説に描かれる求道者
のイメージは、佐々井師の理想でもある。
※但し武蔵の著『五輪書』には播磨国(兵庫県)と明記され
ている。吉川氏が拠った美作国(岡山)説は江戸期から。

昨春、一時帰国の際に「武蔵小次郎巌流島ノ決闘」の像の
前で佐々井師がチャンバラした映像記録も残されている。
無邪気というか、なんというか・・・。

「私の中には龍がいてね。それが宮本武蔵のほうへ行くと
活人剣秀嶺なんだが、もうひとり、逆の方向に机龍之介が
いるんだ。そっち側へ龍が這い出すと、魔性剣秀嶺が出現
してしまったというわけなんだ、若い頃は」
う~ん、よくわっかんないっすよ、俺。
「だから武蔵は求道者だろ?ところが人間、そればかりじゃ
いられないわけだ。迷いもするし嫌気も差す。そのとき虚無
主義者の机龍之介が、顔を出すんだな」
あー。なんかわかる感じっすね。
「聖性と魔性、といったらいいかのな。どっちにしろ、人間の
中から出て来るものだろ。もとは同じなんだ」
リビドーってことっすか。
「気取った片仮名を使うな!つまり“龍”なんだよ!」
逆だったら佐々木小次郎だと思うけど。
「机龍之介なんだよ私の中にいるのは!『大菩薩峠』の!」
お供して行きましたもんね、大菩薩峠まで。
「とにかく、龍がいるんだよ。善も悪もない龍がね。そいつが
武蔵を好めば活人剣求道者秀嶺、龍之介を好めば魔性剣
虚無主義者秀嶺と、昔はさまよっていたわけだ」
文字通り、蛇行ですね。

どうかなこれ?
第二章に出る“生命力という名の龍蛇(ナーガ)”の補足にも
なるし(『必生 闘う仏教』 100頁)、面白い話じゃない?

「机龍之介というキャラの認知度や小説『大菩薩峠』が最近
どれだけ読まれてるか、を考慮すると、補足の上にまた補足
が必要となってしまうのではないでしょうか」

そっかあ。ということで、これも割愛しました。

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