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『必生』こぼれ話⑤

<第五回 机という小乗>
佐々井秀嶺師の読書量は驚異的だ。それは、幼少期から
(『必生 闘う仏教』13頁)今日まで一貫している。
テレビのない時代の山村で、蓄音機とラジオのほか娯楽と
いえば読書しかなかったわけだが、映像や音のような情報
の方から寄ってくる媒体ではなく、受け手が“読もう”と意思
しなければ受け取れない読書という認識法が、佐々井師の
人格形成に与えた影響は少なくないはずだ。
膝下で謦咳に接するようになって七年ほど経つが、ある時
編者は師の胸を借りるつもりで、仏教に関する問答を仕掛
けたことがある。大小・顕密・権実等、知り得る限りの角度
から勢い込んで斬り掛かったが、塚原卜伝の故事よろしく
見事あっさりかわされた。そして一刀両断。

だが佐々井師は知識で身を飾らない。むしろ頭でっかちを
嫌う、行動のひとである。
「こんなもんが楽しみでしてねえ」
初対面のときカセット・ボックスを開いて見せてくれた。
中には、広沢虎造をはじめ浪曲大全集のテープがずらりと
並んでいた。この時、佐々井師を四十年間支え続けてきた
ものの一部を、垣間見た気がした。それは、もっともらしい
理屈や能書きではなく、
「困ってる人がいるんだ、黙ってられるか、べらぼうめ!」
という心意気のようなものだ。差別に苦しむ民衆と一杯の
飲み水を分かち合って笑う、浪花節のひとなのである。

「机に齧りついて本ばかり読んどってもダメだ。いうなれば
読書は、出掛ける前に地図を頭に叩き込んどくようなもの。
道に迷わないためには大事だがね」
「机は、知識の小さな乗り物。社会は生身の人間が暮らす
大きな乗り物。机の上だけの仏教知識こそ、小乗なんだ」

「若い不可触民の母親がね、泣きじゃくりながら死んだ赤ん
坊を抱え、炎天下、診てくれる医者を探して駆け回っとった。
もう死んでいる、と言うても聞かんのだよ。医者は不可触民
だから診てくれん、まだ生きてる、と。仕方ないので、母子を
自転車の後ろに乗せ、あちこち汗だくになって走ったよ。
(こんちくしょう!ばかやろう!くそったれ!)
当時は私もナグプールに来たばかりの若い頃だったからね、
日本語で怒鳴りながら、泣いとったよ」

佐々井秀嶺師の菩薩道の原点である。
紙幅の都合上、アンベードカル博士の功績を優先するため
割愛しました。


※『必生 闘う仏教』関連のブログ。こちらもご覧下さい!
http://nagpur.blog.shinobi.jp/

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