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初心

初心
初心
今回の南天龍宮(ナグプール)帰城は、結果的にだが
拙自身にとって原点回帰の道程となった。
佐々井秀嶺師と出会って以来、『必生 闘う仏教』刊行
へ到るまでの年月に、一区切り付けたかたちとなった。
・・・虐げられたインド民衆の、笑顔。
すべてはそこから始まった。そして、それがすべてだ。

「口先だけの説法で、どんなにありがたそうな言葉を並
べ立てても、民衆の心を本当に動かすことはできない。
まさしく理屈抜きの、態度で示すしかないのだ」
(『必生』71頁)
これを、単純、と嘲る者もいよう。しかし、物事の本質は
常に素朴で純一な動機と行動にこそ宿るものだ。
祖父母に連れられて朝の勤行に参拝した幼子の、黒く
深い瞳の色は、まさしく仏眼である。
参拝を終え寺の門前に腰を下ろし談笑するインド民衆
の笑顔は、真っ直ぐな一本の茎の先に咲いた「於泥華
(泥中に咲く花。大白蓮華)」である。

「ワンダミー、バンテー・ジー」
(祝福を、上人様)
その声に応え佐々井師は、時にパーリ勤行、また時に
南無妙法蓮華経の唱題で祝福を授ける。
これが、佐々井師の出発点であり、現在まで変わらず
続けられている日常の風景なのだ。

拙が惹かれた佐々井師の姿は、今も変わらない。

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コメント

Jay Bhim!

おかえりなさいませ。
原点回帰されたようで何よりです(^O^)/

和尚様

御帰りなさいませ。
写真の子供の眼には、純粋な好奇心というか、
外界へ真っ直ぐに向かう何か、が現われていますね。
日本では、ごく幼い子供にはあっても、この年齢くらいになるともうこの子供らしい輝きがなかなか見られないのです。

仏菩薩が私達人間を「ひた」と見てくださる眼もこのような純粋な「ひた」であろうと思いました。

インドでの佐々井師との対話のさらなるUPも期待しています。

>REUSEI様
「初歓喜地証安楽」。出発点に答えはあるものです。

>桃青様
写真が載せられるブログの特性を活かして、ここでは佐々井師の日常とその周辺をお伝えするつもりです。
また、対話を一人称文体に再構成したのが『必生』ですので、よろしくお願いしますね。

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