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『反骨のブッダ』

  • 高山龍智: 『反骨のブッダ』インドによみがえる本来の仏教(コスモトゥーワン出版)

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龍樹

龍樹
龍樹
本人が意識するしないに関わらず、強く心に焼きついていた
イメージが何かのきっかけで表層に立ち現れることがある。
真言宗出身の佐々井秀嶺師にとって、龍樹(Nagarjuna。龍
猛とも)の名は、修行時代から圧倒的な存在感で胸の奥に
焼き付いていたのだろう。
少年期、ケガがもとで病に臥し、蛇の心臓を飲むことで回復
した(『必生』17、99頁)体験から、佐々井師の内面において
蛇すなわちナーガを冠した龍樹の名は、みずからの生命の
根源に関わるものでもあっただろう。
そしてまた、ケガと大病によって味わった“痛み”が、佐々井
師の菩薩道の根源にあるのではないか。
なぜなら、痛みを知らない者に慈悲心は生じえないからだ。

佐々井師の龍樹ヴィジョン体験は、長い間「夢」という表現で
伝えられてきた。
だが、仏教では古来から「夢告」と呼ばれる宗教体験が認め
られており、例えば法然は、心の師と仰ぐ中国唐代の善導が
半身を金色に輝かせながら出現するヴィジョンを見ているし、
また親鸞は、六角堂で如意輪観音からお告げを受けている。
今日的に云うなら、本人の希求が結像した脳内現象、という
ことになるか。(『必生』53頁)

  我は龍樹也 汝速やかに南天龍宮城へ行け
  南天龍宮城は我が法城也
  我が法城は汝が法城 汝が法城は我が法城
  汝速やかに南天龍宮城へ行け
  南天鉄塔 亦そこにあらむ乎  (『必生』54頁)

このわずか数行の言葉におのれのすべてを賭けて四十数年
インドの最下層民衆と苦楽を共にしてきた佐々井師。
それは、夢でもなんでもない。痛みを伴った、真実なのだ。

※写真は龍樹菩薩大寺本堂前に建てられた龍樹像

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