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2011年1月

『一個人』

Ikkojin_2
月刊誌『一個人』2011年3月号:保存版特集「仏陀の言葉」
<KKベストセラーズ>に佐々井秀嶺師のインタビューと
写真が掲載されている(102頁より。写真は山本宗補氏)。
取材した松岡宏大氏の筆は、佐々井師の飾らない語り口
を忠実に再現していて秀逸だ。
内容のあらかたは既に『必生 闘う仏教』(佐々井秀嶺師著、
集英社新書)の中で述べられていることだが、山本宗補氏
の鮮やかな写真の数々によって、佐々井師の息づかいや
その体温までもが伝わってくるように思えた。

「インドには救いの手がさしのべられていない人がまだ何千
何万とおるんだ。(~中略)困っている人にものを与えたり、
そんなことではだめなのです。(~中略)仏教は国家を救わ
なきゃならんという使命感でやっております。(~中略)社会
を変えていかなきゃならん。(~中略)新しい社会を作る。
それがインド仏教の役割なのです」
この言葉は『必生』29頁、
「千年一日の如く個人の心にばかり重点を置き、ほかの人
の苦しみには無関心で、迫害に喘ぐ人々をむざむざ死なせ
てしまうような仏教であったなら、人間にとってマイナスだ」
ということ。念のため佐々井師は障害者児童の福祉施設に
文房具等を寄贈する活動も普段から行なっている。

「アンベードカルはビルマの高僧を呼んで改宗したのだから
小乗(上座部)仏教だという人がいます。しかし、彼のことを
調べれば調べるほど小乗ではない。アンベードカルの仏教
は大乗も大乗、極大乗です」
佐々井師は、アンベードカルの思想をすべて社会的実践の
中で体得してきたのである。文字通り、身をもって。

「まあ、なにか少しは、人の役に立ったのではないか」
との述懐が胸に迫る。

黎明

黎明
先週末、京都龍谷大学にて開かれた国際シンポジウム、
『平等を求めて~南アジアのマイノリティとマジョリティ』
<International Symposium on Voices for Equity:
MINORITY AND MAJORITY IN SOUTH ASIA>
(龍大アジア仏教文化研究所主催)
を拝聴してきた。
畏友のインド研究者・榎木美樹さんも登壇すると聞いて、
新幹線に乗って馳せ参じたわけである。
思えば2009春、佐々井秀嶺師一時帰国の際、日本での
最終講演が行われたのは、ここ龍谷大学。
しかも今回の会場は佐々井師が説法したと同じホール。
奇しき縁(えにし)を感じた。

まず基調と問題提起を兼ねて、ネルー大学のロドリゲス
教授による「Ambedkar on Modernity and Religion」。
ちなみにこの教授、インド人だがその名前からも分かる
とおりクリスチャンである。
講義内容は、すでにわが国においては山崎元一先生や
山際素男先生によって紹介されてきたものとほぼ同じで、
いうなればアンベードカル入門編であった。
さて、いよいよ榎木美樹さん登壇。冒頭、プロジェクター
に佐々井秀嶺師の勇姿が映し出される。題して、
「Renaissance of Indian Buddhist」
おお~っ、さすが『闘う仏教』一家の姐御。キマッた!

シンポジウム終了後のレセプション・パーティー(学食)で
インド人青年が話しかけてきた。
「龍谷大は浄土真宗ですよね?浄土は“PURE LAND”で
いいんですか?」
たしかにその訳が一般的ですが、アンベードカル博士は
著書『ブッダとそのダンマ』の終章で、こう訳しています。
“RETURN TO HIS NATIVE LAND”、と。
「・・・素晴しい!」

今回のシンポは記念すべき第一回。まさに時代の黎明だ。
以後、規模・内容とも更に充実していくことを願う。

底辺に立つ

底辺に立つ
底辺に立つ
「もし私が、私がそこに生まれ育った階級が呻吟する、
忌まわしい奴隷制と非人間的不正をやっつけることが
できなかったら、頭に弾丸をぶちこんで死んでみせる」
(『アンベードカルの生涯』 D.キール著。山際素男訳)
これほど愛に満ちた言葉があろうか。
表現の激しさに眉をひそめる御仁は、偽善者である。
アンベードカル博士は、その言葉どおりに生き、自分の
生命を削って人間解放に尽力し、そして去った。
菩薩=Bodhisattva。悟りを求めながらも迷いの泥沼に
どっぷりと浸かって生きる者。理由は、そこに愛すべき
人間達がいるから。この思いを、慈悲という。
(『必生 闘う仏教』66頁~)

「カースト制度の最大の犠牲者は女性です」
煩悩の只中を生き抜いてきた佐々井秀嶺師の言葉は、
理も知も飛び越えて、情のど真ん中に突き刺さる。
だからこそ民衆は佐々井師を慕ってやまないのである。
底辺を生きる大衆の、更にもっとも最底辺に落とされた
生命のひとつひとつと、佐々井師は連帯する。
ところで、差別の仕組みは、立場の弱い者に更に弱い
者を叩かせることで成り立っている。
あらゆる階級、そしてアウト・カーストにおいても女性の
地位はその所属階級の最低位におかれる。
またヒンドゥー教では、新婦が新郎よりも上位階級に属
する婚姻は、基本的に認められない。
「ヒンドゥー教には女神がたくさんいるのに現実の女性を
蔑むのは筋が通らないじゃないか?」
佐々井師の話術に、仏教徒女性がクスクス笑う。
「子供の頃お母ちゃんに叱られたのがよっぽどこたえて
いるんだろうな、あの連中は!」
ドッ☆と爆笑。・・・菩薩は常に大衆と共に生きる。

大仏に会いに…

Dongargarh01
Dongargarh02
昨年の大晦日に佐々井秀嶺師から電話があった。
まずわが老親を気遣ってくださり、
「私は親のことは弟や妹に任せっきりだったからなあ」
ゆっくりした口調で来し方を振り返り、噛みしめるような
言葉。それだけで充分だった。涙が溢れた。
「すまんが2月6日にドンガールガルで式典があるんだ。
良かったらそれに出席してくれないか」
咄嗟に頭の中で例の“二カ月縛り”を計算する。前回の
インド出国スタンプは11月30日。DEC、JANとまる二カ月
経過してるから大丈夫(なハズだ)。老親の容態が急変
しない限り、可能。
(※後日、継続更新が不可となり、渡印は断念せざるを
えなくなった)

ドンガールガルはMaharashtraとChhattisgarhの州境に
位置する。
そこには、峨々たる岩山の上に佐々井師の音頭取りで
日印仏教会が建立した大仏が鎮座している。
(数年前に訪問。上の写真二葉はその当時のもの)
正直に云えば、介護ストレスのために体調は万全でない
のだが、求めてくれる人がいることは幸いだ。
・・・もちろん行かせてもらいますよ☆Bhantee-Jee!

さて、実に瑣末な点だがこの佐々井師の呼び名を、
「バンテージ」
と表記したのは故山際素男先生である。故先生はパトナ
大学に留学経験もあり『ブッダとそのダンマ』や『マハー
バーラタ』を完訳した碩学。ゆえに一般の日本人の耳に
そう聞こえるかも知れないヒンディー語を、あえて誤記を
承知の上で語感を優先し、表記したものと思われる。
しかし、仏教僧を表わす「バンテー」に敬称たる「ジー」が
付いて和訳「上人・様」「お坊・様」となるわけだ。
これは日常の敬語表現にも用いられ、
「ヤマダ・ジー(山田様)」
などと、ごく普通に使われるヒンディー語。
その伝でいくならバンテージとは、上人・さ、か?(笑)

故山際先生の御功績は揺るがないが、一般の旅行者が
無自覚に用いるのは、そろそろ卒業すべきだろう。
瑣末なことではあるけれども。

*謹賀新年*

*謹賀新年*
佐々井秀嶺師は映画『力道山物語/怒涛の男』(1955年)
の主題歌(唄:美空ひばり)が大好きだ。
「♪ いくぞ怒涛の人生を~」
他ならぬ佐々井師自身が怒涛の人生を歩んできたことは
今さら云うまでもない。
「いつのまにか怒涛になっちゃうんだよ」
それは、真摯、という意味であり、また、体当たりということ
でもあろう。そして怒涛の内面が「必生」なのだろう。
1955(昭和30)年といえば、佐々井青年が青函連絡船から
飛び込み自殺を試みて未遂に終わった二年後、大菩薩峠
で二度めの自殺未遂をする四年前にあたる。
まさに、苦悩を離れて人生無し(『必生』163頁)の真ん中で
七転八倒していた、その時期である。

いま佐々井師は、日輪のような貌で、笑う。
「秀嶺天日」(『必生』48頁)
その名の通り中天に輝く太陽の如く、呵々と大笑する。
だが、その笑顔に到達するまでの道のりは、常人が窺い
知れるものでない。いま浮かべる笑みの数百倍、数千倍
涙を流してきたことだろう、心の中で。
笑顔の輝きは痛みの深さに比例する。痛みは慈悲を生む。

さて、平成23年の正月にあたってどの佐々井師の写真を
紹介しようか思案した結果、上の一葉に決めた。
2009年一時帰国の際、池上本門寺にある力道山の墓地
を参拝した時のもの。これぞ怒涛の共演だ。
昨今の貴族趣味めいた「怒涛しない」仏教ブームとやらに、
空手チョップの雨あられ、と。

皆さま本年も宜しくお願い申し上げます。

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