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『反骨のブッダ』

  • 高山龍智: 『反骨のブッダ』インドによみがえる本来の仏教(コスモトゥーワン出版)

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2011年2月

地涌の菩薩

地涌の菩薩
地涌の菩薩
故山際素男先生はかつてインド仏教徒を指して、
「地涌の菩薩」
と呼んだ。妙法蓮華経従地涌出品第十五にちなんだ
命名である。曰く、
「仏陀が法華経を説きたまいしとき、娑婆世界の三千
大千国土がみな震動して裂け、その中から無量千万
億の菩薩と大士が同時に沸きいでた」
による。地の底に身を潜めていた者たちが、時を得て
日輪の下に姿を表わす。差別解放の暗喩、と取れなく
もなかろう。
実際、法華経には方便品第二に〝五千起座〟つまり
真の教えを授けられたのはマイノリティ、と読むことも
可能な一節や、提婆達多品第十二には〝龍女成仏〟
すなわち娑竭羅(しゃから=サーガラ。海、湖の意味。
『必生 闘う仏教』141頁参照)龍王の八歳になる娘が
菩提に至った、と記されている。
なによりナグプール(龍宮)近郊のマンセル遺跡には
大白蓮華をかたどった南天鉄塔がそびえている。
地下社会、マイノリティ、龍族(化外の民)、女性解放、
そして蓮華仏塔・・・。思わず想像を掻き立てられる。

アンベードカル博士によって20世紀半ばによみがえり、
佐々井秀嶺師によって大きく育ったインド仏教徒。
歴史なるものが必然性の連続だとしたら、経典の説く
ところは、その道筋を示したものかも知れない。

いったんは歴史の表舞台から姿を消したインド仏教が、
今、地涌の菩薩達と共に復活したのである。

※写真上は2009年佐々井師一時帰国の際、日蓮聖人
生誕の地:小湊誕生寺本堂前にて。
写真下はインド仏教徒の少女。現代の龍女。

野仏

野仏
野仏
佐々井秀嶺師の相貌を例えて云うなら、野の仏、だ。
地蔵の如く微笑み、羅漢のように呵々大笑する。
あるいは不動もかくやという憤怒の形相を示しても、
どこか人なつっこい温かさが漂う。
だから紫衣や金襴袈裟は似合わない。名も無き民と
同じ菅笠、それが相応しい。
インドで活動を始めた三十代始めの頃は、眼光鋭く
野生に満ちて、その内面には燃え盛る煩悩を抱えた
青年僧侶の貌だった(『必生』第一章扉写真参照)。
「いつ頃から穏やかな顔になったんでしょうか?」
以前ある人から問われた。
おそらく数年前大病を患い体型が一変した辺りでは
ないかと思われるが〝脱皮〟を続ける佐々井師の
こと、凡俗の尺度で云々すべきではなかろう。

何より佐々井師の「超えている」点は、一億五千万人
ともいわれるインド仏教徒の大指導者となった今でも
決して民衆の目の高さを離れないことだ。
彼らから請われれば、ブッダやアンベードカル博士が
否定したはずの御祓いや祈祷さえ引き受ける。
「金も要らぬ、名も要らぬ、命も要らぬ」(『破天』)
若き日、ラージギルを出てナグプールを目指したとき
心に決めた〝佐々井秀嶺の三大誓願〟。
本当にその通り生きてきた。
しかし名利を求めて群がる妖怪はインドで名を成した
のち、また帰国した際にも、師の周囲に出没した。
それら哀れむべき世知弁の輩を、破顔一笑で一蹴し、
野の仏然として、もといた野へと帰って行った。

「私自身が庶民だからねえ、生まれついての」
そう言って佐々井師が笑った。

※写真上は2009年一時帰国の際新幹線ホームにて。
下はナグプール市内にある児童福祉施設にて。

上を向いて

Sasaiji01
Hospital01
去る2月6日、インド中南ドゥンガールガルで開催された
仏教式典は無事、盛況のうちに終わったようだ。
現在ナグプールに長期滞在中の法友から、日本時間
の昨夜遅く、メールが来た。
「佐々井上人のお申しつけでヒンディー語でスピーチを
したあと“余興に日本の唄でも歌え!”と言われたので
アカペラで『上を向いて歩こう』をやりました」
SUKIYAKI SONG・・・。
世界で最も知られた日本の唄だが、インド人ならむしろ
昔のインド映画『Love in Tokyo』の劇中歌“SAYONARA,
SAYONARA”の方が親しみあると思うのだが、とにかく
大した度胸の持ち主だ、我が法友は。
「仏教徒の皆さんやマハーラーシュトラ州の役人達にも
けっこうウケてたみたいです」
官僚の反応は社交辞令だとしても、民衆が心を開いて
くれたことは何よりだったと思う。なぜなら、それこそが
佐々井秀嶺師の望むことだからだ。

さて写真は、インド仏教会が運営する無料診療所。
日本の篤志家の援助によって「不可触民」として虐げら
れた人々のために施療を行なっている。
「一部の医師は、不可触民の患者を診ませんでした。
医師にはブラーマン階級が多く、そのため彼らは宗教
的な〝汚れ〟を理由に直接触れることを嫌がり、患者
の手首にハンカチを巻いて布越しに脈を取った」
(『必生 闘う仏教』82~83頁)
念のため、これは呪術医ではない。近代医学を学んだ
ドクターの話である。それがカースト制度なのだ。
差別と貧困に喘ぐ人々には、病気や怪我はその程度
いかんに関わらず、死と結びついている。
彼らにとって「必生」とは、今、そして次の瞬間をつなぐ
決意なのである。

余談ながら、じつは拙も今、いささか病を得ている。
これを機に改めて「必生」の心を学ぶつもりだ。

拳で涙を拭え

Marching01
Marching11
インドの最下層民衆が佐々井秀嶺師から学んだものは、
いうなれば、身体性の伴った仏教である。
ちまちまと頭の中だけで知恵の輪あそびに興じるような
ものではない。真の意味で、血肉が通っている。
だからこそ歓喜があり、必生のちからとなりえるのだ。
そして、生き抜くためには身を守らねばならない。
佐々井師はインド民衆に、護身術として空手を習得する
機会を与えた。(『必生 闘う仏教』91頁)

アンベードカル博士によって「人間の自覚」を取り戻した
とはいえ、数千年の長きに渡り、抗うことを知らなかった
最下層民衆は、仏教徒となったのちも、上位階級からの
暴力に晒され続けていた。
男子であれば憂さ晴らしのリンチで殴り殺され、女子は
劣情の捌け口としてレイプされ殺された。
泣き叫ぶしかない彼らを「不可触民」と蔑むヒンドゥー教
徒が、殴る蹴る、あるいは犯すといった“触れる”行為に
躊躇しないのは支離滅裂だが、それが差別の残虐性と
いうものなのだろう。
ちなみに、そういった非道行為に直接手を下すのは四姓
(Brahman, kshatrya, Vaisya, Shudra)のうち下位二階級、
すなわち町人か奴隷の場合が多い。
立場の弱い者に、更に弱い者を叩かせるという、差別の
仕組みがそこにある。
また、その下位階級の者は差別と虐待に執心することで
ヒンドゥーの教えを敬虔に守っている気分になるようだ。
例えて云えば、カルト教団の末端信者の心理か。

「人間として認められない最下層民衆に“右の頬を打たれ
たら左を”などといっていたら、それこそ虫ケラのように踏
み潰されてしまいます」 (『同上』113頁)
今年から、改めてインド仏教徒への空手指導が再開する
見込みである。
・・・彼らの涙を拭うのは、彼ら自身の拳なのだ。

(写真は2006年『アンベードカル博士黄金祭』にて撮影)

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