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『反骨のブッダ』

  • 高山龍智: 『反骨のブッダ』インドによみがえる本来の仏教(コスモトゥーワン出版)

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拳で涙を拭え

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インドの最下層民衆が佐々井秀嶺師から学んだものは、
いうなれば、身体性の伴った仏教である。
ちまちまと頭の中だけで知恵の輪あそびに興じるような
ものではない。真の意味で、血肉が通っている。
だからこそ歓喜があり、必生のちからとなりえるのだ。
そして、生き抜くためには身を守らねばならない。
佐々井師はインド民衆に、護身術として空手を習得する
機会を与えた。(『必生 闘う仏教』91頁)

アンベードカル博士によって「人間の自覚」を取り戻した
とはいえ、数千年の長きに渡り、抗うことを知らなかった
最下層民衆は、仏教徒となったのちも、上位階級からの
暴力に晒され続けていた。
男子であれば憂さ晴らしのリンチで殴り殺され、女子は
劣情の捌け口としてレイプされ殺された。
泣き叫ぶしかない彼らを「不可触民」と蔑むヒンドゥー教
徒が、殴る蹴る、あるいは犯すといった“触れる”行為に
躊躇しないのは支離滅裂だが、それが差別の残虐性と
いうものなのだろう。
ちなみに、そういった非道行為に直接手を下すのは四姓
(Brahman, kshatrya, Vaisya, Shudra)のうち下位二階級、
すなわち町人か奴隷の場合が多い。
立場の弱い者に、更に弱い者を叩かせるという、差別の
仕組みがそこにある。
また、その下位階級の者は差別と虐待に執心することで
ヒンドゥーの教えを敬虔に守っている気分になるようだ。
例えて云えば、カルト教団の末端信者の心理か。

「人間として認められない最下層民衆に“右の頬を打たれ
たら左を”などといっていたら、それこそ虫ケラのように踏
み潰されてしまいます」 (『同上』113頁)
今年から、改めてインド仏教徒への空手指導が再開する
見込みである。
・・・彼らの涙を拭うのは、彼ら自身の拳なのだ。

(写真は2006年『アンベードカル博士黄金祭』にて撮影)

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