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2011年3月

佐々井師より

佐々井師より
このたびの東日本大震災にて亡くなられた方々、被災
された皆さまに、インド仏教徒一億五千万人の指導者
佐々井秀嶺師からメッセージが寄せられました。

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大震災の報に接し、心からお悔やみ申し上げます。
インド仏教会本部インドーラ寺では、発生の翌日より
連日追悼法要を勤めさせて頂いております。
この法要は、インド仏教徒による自発的なものです。
ニュースを聞いた彼らは口々に、
「なんとかしてあげたい」
「日本には親代わりをしてくれた恩人もいるし、友達も
たくさんいる。いてもたってもいられない」
「私達インドの仏教徒は日本の皆さんのお陰でやって
これた。大事な家族が不幸に遭ったも同然だ」
「同じ仏教徒として見過ごせない」
と言ってくれました。そして、自分達で呼び掛け合って
法要の段取りを決め、私が導師を勤めております。
読経中、仏教徒の中には泣きながら祈る者もいます。
ご承知の通り、彼らはインド社会で何千年ものあいだ
人間扱いされなかった最下層民衆です。
その彼らが、今、日本の皆さんのために祈っている。
泣いている。
被災された方々にはこれから過酷な現実との闘いが
待っていることと存じます。
しかし今こそ「必ず生きる=必生」の気迫で、心血で、
この災難に立ち向かって下さい。
遠く南天竺龍宮城の地より、御祈念申し上げます。

佐々井秀嶺。インド名:アーリア・ナーガールジュナ。
合掌九拝

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(※ 写真はイメージです)

無我颯爽

無我颯爽
無我颯爽
「宗派の違いにこだわらず良いものは良い、とする私の
一貫した立場は、真言僧でありながら禅を行ない“歎異
抄”を愛読した、お師匠様の影響が大きいでしょう」
(佐々井秀嶺師著『必生 闘う仏教』38頁)
何が一番大切か、を知る人にとって、その窓口がどこに
あろうと、どちらを向いていようと関係ない。
しかし、分類癖にとらわれた者たちは、所属する団体の
ジャーゴン(身内語)を己の言葉と錯覚し、組織の利害を
自己保全と混同してしまう。だが所詮、守ろうとしている
ものは狭隘な自我にほかならない。

拙は以前、佐々井師に問うたことがある。
仏典によっては他の経典を否定するようなことが書かれ
てますし、また宗祖の中には他宗派を全面否定する人も
いるようですが?
「私は気にしないね。誰だって本当に自分が出来ることで
なければ他人に勧めても説得力ないだろ。だからお経も
お祖師様も、それぞれ納得できて実行できる人のために
いろいろな教えを用意されたんだと思うよ」
では、どれが一番正しい、とかは?
「ナニ言ってんだ。仏教は空(くう)、無我だろ」

佐々井師はみずからの思想を、机上ではなくすべて体当
たりの実践で培ってこられた。
それは、インド被差別民衆と共に闘う日々であった。
空だからこその菩薩道、無我だからこその慈悲。
「日本仏教各宗の祖師方は、民衆の中に入って行った。
あの方々はそれまでの仏教では駄目だ、国が危ない、民
衆が救われない、と人々の中へ飛び込んで行った」
(『同上』169頁)

「細かいこと気にするんじゃないよ、がっははは☆」
実践の人は颯爽としている。

※写真上。延暦寺出身の各宗御祖師様方が祀られている
比叡山大講堂にて。
写真下。インド民衆に説法する佐々井師。

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