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無我颯爽

無我颯爽
無我颯爽
「宗派の違いにこだわらず良いものは良い、とする私の
一貫した立場は、真言僧でありながら禅を行ない“歎異
抄”を愛読した、お師匠様の影響が大きいでしょう」
(佐々井秀嶺師著『必生 闘う仏教』38頁)
何が一番大切か、を知る人にとって、その窓口がどこに
あろうと、どちらを向いていようと関係ない。
しかし、分類癖にとらわれた者たちは、所属する団体の
ジャーゴン(身内語)を己の言葉と錯覚し、組織の利害を
自己保全と混同してしまう。だが所詮、守ろうとしている
ものは狭隘な自我にほかならない。

拙は以前、佐々井師に問うたことがある。
仏典によっては他の経典を否定するようなことが書かれ
てますし、また宗祖の中には他宗派を全面否定する人も
いるようですが?
「私は気にしないね。誰だって本当に自分が出来ることで
なければ他人に勧めても説得力ないだろ。だからお経も
お祖師様も、それぞれ納得できて実行できる人のために
いろいろな教えを用意されたんだと思うよ」
では、どれが一番正しい、とかは?
「ナニ言ってんだ。仏教は空(くう)、無我だろ」

佐々井師はみずからの思想を、机上ではなくすべて体当
たりの実践で培ってこられた。
それは、インド被差別民衆と共に闘う日々であった。
空だからこその菩薩道、無我だからこその慈悲。
「日本仏教各宗の祖師方は、民衆の中に入って行った。
あの方々はそれまでの仏教では駄目だ、国が危ない、民
衆が救われない、と人々の中へ飛び込んで行った」
(『同上』169頁)

「細かいこと気にするんじゃないよ、がっははは☆」
実践の人は颯爽としている。

※写真上。延暦寺出身の各宗御祖師様方が祀られている
比叡山大講堂にて。
写真下。インド民衆に説法する佐々井師。

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