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『反骨のブッダ』

  • 高山龍智: 『反骨のブッダ』インドによみがえる本来の仏教(コスモトゥーワン出版)

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2011年5月

生誕祭(5)

生誕祭(5)
生誕祭(5)
生誕祭(5)
4月14日朝、勤行を終えて佐々井師の部屋へ挨拶に
行くと、突然命じられた。
「今日はあんたが御本尊とアンベードカル像に花輪を
懸けなさい。みんなにはもう言ってあるから」
動転した。仏教復興運動の大先達にして差別解放の
父であるアンベードカル博士の誕生日に、そのような
大役をいきなり仰せつかったのだ。
「ここの人たちにとってはおめでたい生誕記念祭だが、
日本人にとっては、震災で亡くなった方々の三十五日。
心で念じながら、おやんなさい」
緊張と汗と感動の涙が一緒くたになって溢れた。

午前、ディクシャ・ブーミ(改宗記念広場)。
昨夜の熱狂とは打って変わって、聖なる日をことほぐ
穏やかな空気が会場に満ちている。とはいえ酷暑。
ドーム型のストゥーパ(仏塔)をかたどった記念堂にて
生誕記念法要が開始された。
佐々井師が大導師を勤める。 昨夜一睡もしなかった
とは思えない大きな声。満身創痍の老躯の、どこから
このような力が出てくるのか。

午後、新しく建立された寺院の落慶式へ。
「あんた、お腹すいてないか?」
そう気遣ってくださる佐々井師御自身が、朝から水か
チャーイだけで、何も食べておられない。
アンベードカル像の除幕式では不安定な足場をもの
ともせずによじ登り、民衆に向かって笑顔で拳を振り
上げ、大いに士気を鼓舞する。
「ジャイ・ビーム!」

ある老婆が拙の袈裟の端をつかんだ。どうしたの?
「これをさ、日本の人にあげとくれよ」
枯れ枝のように痩せた手が差し出したのは50ルピー
紙幣。約100円(2011年5月現在)だ。
それでも、最下層に暮らす貧しいお婆さんの生活費
からすれば大変な出費である。
「地震でひどい目に遭ったって聞いたからさ」
受け取るべきかどうか迷った。
義援金がなかなか被災者のもとへ届けられていない
ことを思えば、気持ちはありがたいのだが、かえって
不義理になるように思えた。

・・・ありがとう。代わりに募金しとくね。
合掌して礼を言うと、お婆さんは、さらに深くこうべを
下げて合掌してくれた。

生誕祭(4)

生誕祭(4)
生誕祭(4)
生誕祭(4)
刻一刻と、日付が変わる瞬間が近付いて来る。
行進は相変わらずなかなか動かない。
4月14日アンベードカル博士の生誕日まで残すところ
あと一時間を切った頃、佐々井秀嶺師が決断した。
「Chalo!Chalo!Jaldi!(行け、行け、急げ)」
青年部の実行委員が山車の前方を〝露払い〟して
進路を確保。DJ車両を追い越し、群衆は走って山車
のあとに続く。まさに強行突撃の状態となった。
ところで山車もDJ車両もその電源供給は後ろに牽引
した大八車に乗せた小型発電機に拠っている。
それが急加速のため、大八車は左右に大きく振られ、
あたかも龍が尾を振りながら突進していくかのごとき
光景が展開した。だが人々は慣れたもので、さらりと
身をかわしては全力疾走で追い駆けていく。
(実はこの時、拙は右足の親指を大八車に轢かれた
のだが、恐らく唯一の怪我人だったろう)

制限時間ぎりぎり、生誕記念公園に到着。
佐々井師が捧げ持った松明からアンベードカル像の
献灯台へと火が移される。法灯が光輝を放つ。
直後、日付が変わり、街中で花火が打ち上げられた。
「Bodhisattva Baba Saheb Dr.Ambedkar Ki Jay!」
(菩薩聖者アンベードカル博士に勝利あれ!)
民衆の雄叫びに大地が揺れた。
解放と復権・・・。 人としてこの世に生を受けながらも、
ただその血筋だけを理由に、人の間で生きる、つまり
人間として生きることを許されなかった最下層民衆の、
魂の底から沸きいでる歓喜と感動。
そして、彼ら元「不可触民」を励まし、時には叱咤して、
アンベードカル博士滅後に少数派として消えゆくもの
と思われたインド仏教徒を、ここまで育て上げたのは
日本人:佐々井秀嶺師なのである。
「つまらんこと言うな。育てられたのはこの私の方だ。
八木上人から〝托鉢するな飢えて死ね〟と言われた
私が生きて来られたのは、民衆のおかげなんだよ」
(『必生 闘う仏教』集英社新書参照)

前夜祭、無事終了。明日は早朝から生誕祭本番。
佐々井師はその夜、一睡もしなかった。

生誕祭(3)

生誕祭(3)
生誕祭(3)
生誕祭(3)
群衆はどんどん膨れ上がっていく。
佐々井師が乗った山車の前方では巨大スピーカーを
搭載した小型トラックがとてつもない音量で仏教歌謡
(Buddhit's POP?)を流し、仏教徒青年のDJ君が、
「今夜はオールナイトだずぇい!」
とばかりに、ノリノリのナンバーをノンストップ。
インドの宗教式典に音楽は欠かせないものであって、
落ち着いた聖歌はもちろん、ダンスをこよなく愛する
民衆には、ダンサブルな曲こそ彼らの宗教的感動を
ストレートに表せるものなのだ。

「Bhaaiyaa, film song chaahiye!」
(お兄さんってば、ボリウッドのヒット曲かけてよ!)
女の子たちからDJ青年にリクエストが飛ぶ。
DJ君は、モテ・チャンス到来っ、とあらかじめ用意して
いた“勝負曲”を投入。
『Desi GIRL(直訳:国産娘)』
仏教徒大爆発。浅草三社祭と岸和田だんじりとリオの
カーニバルと阿波踊りと夏フェスと「ええじゃないか」を
一緒くたにして、カレー鍋にぶち込んだような騒ぎ。
もう、なにがなんだかわからない。
そもそもバングラ・ビートはスィク教徒(頭にターバン、
髭面でお馴染み)の音楽だったはず。見れば人々の
中にはイスラム教徒らしき面々もちらほら。
・・・とにかく、これでいいのだ。
取り澄まして粛々とおこなわれる「白塗り」でも似合い
そうな式典では、最下層民衆が参加できない。
この、考えようによっては不謹慎、とも思える熱狂こそ
佐々井秀嶺師が民衆と一体化している証拠なのだ。

若者たちは自分のダンスを佐々井師に見てもらおうと、
代わるがわる山車の前へと躍り出る。
それに応え、佐々井師は本当に嬉しそうな顔で、彼ら
ひとりひとりに手を振る。そのため山車は、たびたび
停まらざるをえず、結果、行進全体が停滞する。
山車を操縦するおじさんの目付きが疲労とイライラで
怪しくなってきた。仏教会の責任者も腕時計と行進を
交互に見ながらヤキモキしている。

山車の上では佐々井師が、夜空の上では「仏月」が、
微笑みながら人々を見守っていた。

生誕祭(2)

生誕祭(2)
生誕祭(2)
生誕祭(2)
法灯を捧げ持つ佐々井秀嶺師を先頭に行進が始まった。
すると、待ち構えていた人々が続々と集結しはじめ、市の
目抜き通りはあっという間に大群衆で埋めつくされた。
老若男女、とりわけ女性の数が多いことに気付く。
インドの女性は日頃、単独で外出することすら憚られる。
既婚女性であればなおさら家の中に縛りつけられる。
そのためインドの家庭では、毎日の食材買い出しは亭主
の仕事、とされているくらいだ。
理由は安全上の問題と、根深い男尊女卑の弊習にある。
「仏教徒の女は強いわよお、自立してるから」
ひたいに紺色の粉(紺はインド仏教徒のカラー)を塗った
婦人が豪快に笑う。
アンベードカル博士は女性解放の先達でもあったのだ。

佐々井師を乗せて山車が動き出した。
派手な電飾の席に腰を下ろす時、一瞬、佐々井師は照れ
くさそうな顔をした。民衆の心をまとめるには、御輿に乗せ
られる役目も必要、ということだろう。
ところで佐々井師は2007年の生誕祭の折、手にした松明
の炎が袈裟に飛び火し、右腕に大火傷を負った。
応急処置程度で済ませてしまったため、その後しばらく膿
が止まらず、肘が曲がらなくなるほどの重傷であった。
(二年後、2009年の一時帰国の際に日本の病院で治療を
受け、現在はほぼ回復している)
それほどの目に遭っても法灯を掲げることをやめはしない。
「行くぞ怒涛の人生を、だ」
愛唱歌、美空ひばり『力道山物語 怒涛の男』の詞である。

さて、山車は遅々として進まない。
14日アンベードカル博士の誕生日に向け、日付が変わる
直前に生誕記念公園へ到着せねばならないのだが、なに
しろ通りを埋めた群衆の数が尋常でない。そのうえ時間の
経過と共にますます増えていく有り様だ。
警備に動員された警察官たちは、最初からあきらめている
様子で、ただ傍観するばかり。後日聞いたところによれば、
大混乱にも関わらず窃盗・痴漢などの犯罪はゼロだったと
いう。それも、例年のこと、だそうだ。

宗教を背景にした争いが世界人類の未来を左右する現代
にあって、これは奇蹟だと思った。

生誕祭(1)

生誕祭(1)
生誕祭(1)
生誕祭(1)
去る4月13~14日の二日間、インド三角大陸のど真ん中
ナグプール(南天龍宮)において開催された、仏教復興の
先達にして差別解放の父であるアンベードカル博士生誕
祭の模様を、今日から全五回に渡ってご報告します。
数千年ものあいだカースト制度の最下層に押し込められ、
人生に希望を持つことも、夢を見ることさえも抑圧されて
きたインドの元「不可触民」。
彼らが、仏教への改宗によって勝ち得た、人間の尊厳。
その歓喜を、誰羞じることなく全身全霊で炸裂させる姿は、
震災の悲しみと復興の重責に立ち向かう私たち日本人に
『必生(ひっせい』の勇気を与えてくれることと思う。
そしてなにより、彼らインド民衆を率いているのは、他でも
ない、日本人:佐々井秀嶺師なのだ。

4月13日夜9時。生誕前夜祭。
インド仏教会本部インドーラ寺の門前に、アンベードカル
博士の肖像を乗せたきらびやかな山車が現れた。
(なにこれ?デコトラかよ)
派手な電飾で、お伽話などに出てくる馬車を模したような、
あるいは昭和の頃デパートの屋上にあった遊具のような
チープな作り。(・・・なんて、笑っちゃ失礼だな)
やがて山車の前では、前夜祭開始を今や遅しと待ちきれ
ない民衆が、われもわれもと踊り始めた。
「Mukh se bolo, BUDDHAM SARANAM GACCHAAMI」
帰依仏と唱えよう。インドの仏教映画『アングリマーラ』の
テーマ曲に合わせて、各自が自慢のダンスを披露する。
さしずめ、踊り念仏(天竺仕様)、といったところか。

いよいよ佐々井秀嶺師の登場。法灯点火式。
本堂前に立つアンベードカル博士像に献じたロウソクから
佐々井師が捧げ持つ松明へと、火が移される。
「Bhagvan Buddha ki Jay!」
世尊に勝利あれ。民衆の叫びが南天の夜空に響いた。
仏教徒になることが人間に戻ること。
アンベードカル博士の導きによりヒンドゥー教から仏教へ
改宗した彼らにとって、今宵はまさに救世主の生誕を祝う
前夜祭、すなわちクリスマス・イヴのようなものなのだ。

熱帯夜はまだ宵の口。祭りはまだ序の口。
「驚くのはこれからだ」
佐々井師が悪戯っぽく笑った。

大情のひと

大情のひと
大情のひと
初月命日法要の翌朝、いつもどおりに勤行を終えて
佐々井師の居室へ挨拶に行くと、
「お位牌を持ってきなさい」
部屋へ戻り、枕元に安置していた東日本大震災物故
者諸霊位の白木位牌を佐々井師のもとへ。
「今朝は亡くなった方々と一緒にご飯をいただく」
そう言うと、近隣の信者から供養された野菜カレーと
チャパティと水を、霊前に供えられた。
「仏説摩訶般若波羅蜜多心経。観自在菩薩・・・」
般若心経に続いて法華経方便品自我偈、そして南無
妙法蓮華経と南無阿弥陀仏。
パーリ語勤行ではなく、日本大乗仏教のお勤め。
佐々井師には上座や大乗、ましてや宗派の違いなど
関係ない。ジョウ、でいうなら『人情』だ。

その後、読経を終えた佐々井師は、なんと位牌に語り
掛け始めたのである。
「地震と津波のことは、こちらのテレビで毎日見ており
ました。映像を見ながら私は泣いておったんですよ。
皆さんのことを思うと、悲しくて、なにも出来ないことが
悔しくてねえ。本当に本当に、申し訳なくてねえ。
一昨年、44年ぶりに帰国したときには、仙台へも伺い
ました。古い知人がいろいろ案内してくれて、そのとき
のことを思い出すと、また涙が出てしまいます。
私が子供の頃、日本は原子爆弾を二発も落とされて
戦争に負けました。何年も続いた戦争で、多くの人が
亡くなり、国中が焼け野原になりました。
なにもかも失ったところから、しかし見事に立ち直り、
ここインドを初め、たくさんの国から尊敬されるように
なったのです。
龍樹(りゅうじゅ)菩薩様は、空(くう)の教えを説かれ
ました。これは、空しい、という意味ではありません。
なにも無いから、なんとでもなる。そういう慈悲の教え
であります。ゼロと無限は同じなのだ、と。
亡くなられた方々も生き延びた皆さんも、みな無限の
空に包まれて、一つなのです」

やがて語り終えると、佐々井秀嶺師は宣言した。
「大乗仏教発祥の地に慰霊碑を建てる!」
その直後から計画は実行に移され、龍樹ゆかりの地
マンセル遺跡に、今年八月の除幕式へ向けて本格的
作業が開始された。

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