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2011年6月

慰霊行脚(1)

慰霊行脚(1)
慰霊行脚(1)
慰霊行脚(1)
「私が出国するまで公表してはならない。こんな大変な時に
お騒がせしたくないのだ」
去る六月、東日本大震災物故者諸霊の百箇日忌を間近に
ひかえた某日、佐々井秀嶺師は、極秘裏に来日していた。
「ぜひ震災と津波の現場へ行ってご供養申し上げたい」
2009年一時帰国の際、二度と戻らぬと公言した佐々井師を
突き動かしたものは、その切なる思いであった。
今回来日の報が伏せられたのも、供養に専念したいという
佐々井師本人の強い希望を尊重したゆえだ。
この慰霊行脚に同行取材した写真家の山本宗補氏や映像
作家:小林三旅氏によって、いずれ詳報が公開されることと
思うので、拙はただ、拾遺エピソードを記するにとどめる。

岩手、宮城、福島の三県に渡り、佐々井師のお供をしつつ、
ご一緒にお経をあげさせて頂いたが、この法縁は、ひとえに
山本宗補氏のご尽力によるものである。
佐々井師は各所の被災地で物故者諸霊の位牌を胸に抱き
ながら一心不乱に読経された。時には、涙を流しながら。
また釈尊成道の聖地ブッダガヤーから持参した『仏足石』の
写真を、被災した大地に奉納された。
あまりにも広大な被災現場では佐々井師と拙、おとうと弟子
二名にてそれぞれ東西南北を向き、いわゆる〝四方礼〟を
分担する形でお勤めした。
般若心経、法華経、阿弥陀経、パーリ語勤行、南無本師釈
迦牟尼仏、南無妙法蓮華経、南無阿弥陀仏、そして諸菩薩
の名号・・・。佐々井師は常に全力で声を張った。
しかも読経の後には、必ず物故者諸霊位に語り掛けた。
「どうかほとけさまになって日本を守ってください」
最後は、決まって深々と頭を下げ、
「お経を聞いていただき、ありがとうございました」
と、三回繰り返した。

(※注 佐々井師は現在すでにインドへ戻っておられます)

五部浄

五部浄
写真は京都三十三間堂蔵の五部浄像。
仏法を守護する天龍八部衆の一尊:五部浄居天は物質
世界最高位とされる色究竟天(しきくきょうてん)に住む。
厳密には浄居天(じょうごてん)と呼ばれる五人の聖者の
総称であって、固有神格の名ではない。
また、天龍八部衆は仏教以前の古代インドで信仰されて
いた神や龍や精霊が仏教に取り込まれたもので、今日の
感覚で見れば、ヒンドゥー教的色彩が強い。
興福寺の五部浄像は、象頭の冠をかぶった童子の顔に
作られている。それについて拙は、阿修羅をはじめとする
八部衆を、純真な少年の姿で表現した仏師達に、反骨の
気概を感じる。権力が金にモノをいわせ建立した大寺院
を守護する、元〝異教の神〟・・・。
仏教発祥の国インドでは20世紀までヒンドゥー教が歴史
の勝者であったが、日本仏教は朝廷庇護の下、あるいは
幕府管理の下、支配権力の道具になっていたからだ。

さて、カタイ話はこのへんまで。
三十三間堂の五部浄は千手観音の眷属:二十八部衆の
メンバーであり、武神の姿をしている。
五人の聖者が最強チームを組んだのだから、五部浄こそ
戦隊ヒーローの元祖、といえるのではないか。
そうなれば、武神像は合体ロボ。三十三間堂の像なんか、
ビーム・サーベル二刀流だ。後頭部の光背は着脱可能で
敵を薙ぎ払いながら自動的に戻ってくる円盤、きっと背中
からはウイングだって出てくるはずだ。

う~ん、しかし「物質世界の最高位」が戦闘ロボってのは、
シャレになんない気がするなあ。

比類なき音

比類なき音
比類なき音
去る5月31日から二週間、東京日本橋『thorn tree gallery』で
開催されたバンドウジロウ氏個展、「比類なきこのマントラ」が
好評のうちに終了した。
最終日6月11日には、拙とのユニットによるライヴも行なった。
(写真はセッティング中のバンドウ氏)

当日は、朝からの雨模様にも関わらず大勢の皆さんにお越し
いただき、用意した椅子が足りず、立ち見の方には御迷惑を
お掛けしました。改めてお礼とお詫びを申し上げます。

さて、一曲目はパーリ語の『三帰五戒文』。
南アジアの仏教圏で親しまれた緩やかな旋律を軸に、大震災
物故者諸霊位への追弔を込めた。
二曲目は日本仏教の『伽陀(かだ)』。
伝統的な雅楽音階に、バンドウ氏の奏でるギター・サウンドが
あたかも龍神の飛翔するごとく、舞った。
三曲目は、雰囲気をガラッと変えて、オリジナルのblues rock
『CRY FOR THE LIGHT』。バンドウ氏作曲で、拙の作詞。
もともと洋楽畑の二人ゆえ、いわば好きなことを好きなように
やった感じ。拙は、袈裟を着たままシャウトしまくった。
うるさくてごめんなさい・・・。
ラストは、中東風のリズムと音階に和讃(仏教詩)を絡ませた
実験的意欲作『WASAN』。静かに始まり、途中から爆発☆
おかげさまでこの曲は、御好評をいただいた。
「イスラムと仏教のトーキング・ブルース」
そう評してくださった方がいて、望外の喜びであった。

最後に、このような素晴しい機会を与えてくださったバンドウ
ジロウ氏に心からの感謝を申し上げます。

音巡礼

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現在、日本橋『thorn tree gallery』にて、バンドウジロウ氏
初個展「比類なきこのマントラ」が開催中です。

http://www.thorntree.jp/index.html
最終日の6月11日(土)17;00からは、拙とのユニットによる
ライヴを行ないます。
パーリ語の三帰五戒文や日本仏教の声明(しょうみょう)と
バンドウ氏が奏でるギターとの出会い。また時代を反映し、
中東音楽的要素と和讃(仏教詩)の絡み合い等、実験的な
アプローチも試みつつ、オリジナル曲のブルース・ロックも
披露する予定です。入場無料。

思えば11日土曜は東日本大震災物故者諸霊位の三度目
の月命日にあたり、百箇日忌も近い。
はからずもこのライヴはいわゆる音楽法要の意味合いを
持つこととなった。

バンドウジロウ氏との出会いは昨秋。
当時、拙は『必生 闘う仏教』(佐々井秀嶺著。集英社新書)
刊行前後のストレスから、心身が最悪の状態にあった。
なぜなら、端くれとはいえ坊主にとって、高僧の言葉を編む
ことの責任の重さは、生まれてきた意味に相当する。
しかも、私事ではあるが、編著作業と並行して老親の介護
問題も抱えていた。
だが『必生』は、若者層を中心として、多くの一般読者から
支持を賜り、また、アーティストや表現者の方々より賛辞を
頂戴した。最悪からの脱出は、ひとえに皆様のお蔭である。
今あらためて感謝を申し上げたい。
そして、バンドウ氏と拙をつないだのも、『必生』であった。
(この辺りの経緯は氏のブログ参照)

http://jb-diary.geppei.com/

氏と拙は同い年。これにも、奇しき縁を感じる。
ただ、歩んできた道や関わってきた音楽ジャンルはまったく
別であった。しかし、音、という共通原語を持っている。
『音響忍(おんこうにん)』
言葉を越えた音の響きで真実を聞く、覚る、という仏教語。

バンドウ氏と拙、〝同行二人〟の「音巡礼」だ。

慰霊碑

慰霊碑
慰霊碑
大乗仏教発祥之地:マンセル遺跡で八月末除幕式予定の
東日本大震災物故者慰霊碑。
佐々井秀嶺師は『必生 闘う仏教』(集英社新書)の収益を
このたびの慰霊碑建造にあてられた。
「昔から私の暮らしはインド仏教徒が供養してくれとるから
ね。お金は、ひと様のために使わせてもらうよ」
上記の書はもともと編者が〝誰にでも出来る佐々井師へ
の御布施〟と考え、刊行させて頂いたものではあったが、
こうしてお役に立つのであれば、なによりだと思う。

写真上は、慰霊碑の実寸大模型。
前に立ってもらったインド人の身長は約180cmぐらいだから
大きさの程が分かるだろう。
碑文両脇にはまず向かって右側に除幕式を勤めてくださる
御導師のお名前、向かって左側には願主として名を連ねる
日本人有志が刻まれる予定だ。

マンセル遺跡。
「我は龍樹也 汝速やかに南天龍宮城へ行け
南天龍宮城は我が法城也
我が法城は汝が法城 汝が法城は我が法城
汝速やかに南天龍宮城へ行け
南天鉄塔 亦そこにあらむ乎」
(『必生 闘う仏教』54頁)
若き日、瞑想中に感得した龍樹菩薩からの御告げ。
ただそのインスピレーションだけを頼りに、単身ナグプール
へやって来た佐々井師は、現地に残る口碑伝承をたどって
遂に壮大な遺跡を発見した。
往時は万を越す僧尼が修行していたと推定される僧院跡、
そして、龍樹が大乗経典を得た伝えられる南天鉄塔。
・・・「伝説」は現実だったのだ。

その聖地に東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)で亡く
なられた方々の慰霊碑が建てられることとなった。
もちろん、三界萬霊共に安らかなれ、との願いから、古今の
あらゆる物故者への追弔も込められる。

合掌。

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