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2011年7月

天竺よ何処へ

ここ十年ほどインドの核開発が加速している。
かの国をいささかなりと知る者として、またなにより原発
事故の当事国民として、思うところを述べたい。

福島第一原発の事故を受け、各国で〝脱原発〟の声が
高まりつつある中、おとなりの韓国がインドと原子力開発
協定を結んだ。
「韓国の安全な原発発展の姿が非常に印象的」
(インド:パティル大統領)
「両国の原子力協定には大きな意味がある」
(韓国:李大統領)
果たしてどんな印象だったかは知らない。或いはそれは
インドにとって、英国からの分離独立以来ことあるごとに
対立し、たびたび干戈を交えてきたパキスタンの核開発
パートナーが北朝鮮、という「大きな意味がある」のかも
知れない。
原発建設に際し、インドの場合は、技術保有国に敷地を
割り当て、相手国が諸般の妥当性(環境等への配慮とい
うがつまり儲かるかどうかである)を検討したのちに建設
する、という建前。ロシア・米国・フランスはすでに敷地の
配分を受けている。

さて、その中のフランスだが、受注したのはアレヴァ社。
インド西部マハーラーシュトラ州のジャイタプールで建設
計画が進められているのは、『欧州加圧水型原子炉』。
これを6基(計およそ990万キロワット)建てる予定だ。
マハーラーシュトラ州の政府も、この計画を支援している。
だがインド原子力委員会が開いた地元住民説明会では、
8000人の参加者のうち、支持を表明したのはたった一人。
しかもその人物はザミーンダール・カースト(地主階級)に
属し、現地から遠く離れた場所に暮らす者だった。

またこの地域にはイスラム教徒の漁労民が多く、5000隻
以上の漁船が操業している。
ちなみにヒンドゥー教徒が圧倒的多数を占めるインド社会
においては、「不殺生(ahimgsaa)」を宗教的徳目の第一に
掲げる信仰に基づき、漁労や狩猟等に携わる人々を差別
するという、なんとも〝殺生な〟しきたりがある。
そのため差別を逃れてイスラム教やキリスト教や仏教へと
改宗するのだが、ヒンドゥー教徒の支配層との経済格差は
なかなか改善されない。

・・・貧富の差と、宗教コミュニティー間の対立。
ジャイタプールはアラビア海に面し、パキスタンの対岸だ。
そんな状況のインドが、韓国と原子力開発協定を結んだの
である。福島第一原発が事故を起こした、この年に。

率直に言って、憤りを禁じえない。

廃墟の菩薩

廃墟の菩薩
先日、某寺の盆法要で講師に招かれ、被災地で目にした
ことをお話しする機会があった。
だが残念なことに、住職師から事前の説明があったにも
関わらず、一部の参拝者の反応は、冷やかであった。
(どうして縁もゆかりもない他人のことを・・・)
斜めの視線が、本心を語っていた。
盂蘭盆とは、釈尊の高弟:目蓮尊者の母がエゴの報いで
餓鬼道に墜ちたという仏教説話に由来することを思えば、
なんとも皮肉な印象を受けた。

さて、佐々井秀嶺師の御供をして、東北三県の被災地を
慰霊に訪れた時のこと。
津波被害によって地盤沈下した海辺の住宅街跡。瓦礫の
下から見える基礎工事の土台が、そこに家があったこと、
人の暮らしがあったことを示している。
或る家の遺構。瓦礫の間に、仏壇の蝋燭立てが転がって
いた。その家のものか津波で流されて来たのかは分から
ないが、巡り合わせを感じた。
きっと待っていてくれたんですよ、と佐々井師に言うと、
「うむ」
こびりついた錆を払い落とし、たいらな場所を選んで立て、
持参した蝋燭を灯して、読経した(防火のため終了後すぐ
火は消した)。

かつて漁師町だった被災地では、廃墟の中に博多人形が
立っているのを見た。『藤娘』。殆ど汚れていないことから、
津波が引いた後、誰かが、物故者を慰めるために置いた
のであろうと推測された。

ひとはエゴの生き物だ。
だが、そのエゴを超えようとする慈悲心を持つ存在だ。
みほとけとなられた物故者諸霊は、縁もゆかりもない人々
を菩薩道へと導いてくださることだろう。

廃墟で見た博多人形の藤娘が、菩薩の像に思えた。

慰霊行脚(3)

慰霊行脚(3)
慰霊行脚(3)
慰霊行脚(3)
佐々井秀嶺師が供養に訪れた時、震災発生からはや
三ヶ月が経過していたが、復興とは名ばかりの状況で
あった。われわれ同行者の間から誰ともなく、
「まるで戦場じゃないか」
「昨日爆撃があったと言われても信じてしまう光景だ」
といった言葉が漏れ出た。何度も、何度も。
五階建てビルの屋上に放置された車。コンクリートの
防波堤にナイフのごとく舳先が切り込んだままの船舶。
海岸から遠く離れた田畑も潮と汚水で荒らされ、その
上に転がる夥しい数の漁船。原発事故のため避難を
余儀なくされ、無人となった町や村・・・。
道路脇に立てられた、見る人もない某政党の看板が、
指名手配の張り紙のように思えた。

佐々井師は、仮埋葬地でも読経された。
その時既に半数以上の御遺体が引き取られていたが、
家族を待つ御柱もまだまだ残されていた。
「土砂加持(どしゃかじ)をする。用意しなさい」
真言密教の供養法。佐々井師の目尻に、銀色に光る
ものが見えた。
管理係の方からバケツをお借りし、近くの土を集める。
「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はん
どま じんばら はらばりたや うん」
佐々井師が唱える光明真言に合わせ、埋葬されている
お一人お一人に土を撒いて、お清め申し上げた。
終了後、管理事務所に隣接した仮設の焼香所へ伺うと、
そこには真新しいランドセルが供えられていた。
たまらずに嗚咽する拙と、おとうと弟子ら。佐々井師は
まるで子供の頭を撫でるように、ランドセルに触れた。

被災地を仏月が照らす。
人間の営みは小さくとも、そこには命があったのであり、
そして今も生き続ける命が、確かにあるのだ。

必生のひと:佐々井秀嶺師は、虐げられた民衆が待つ
インドヘと帰って行った。
合掌。

慰霊行脚(2)

慰霊行脚(2)
慰霊行脚(2)
慰霊行脚(2)
1974年にインド中央政府が立ち上げた核開発計画は、
〝Smiling Buddha〟と名付けられた。
いかにも、ヒンドゥー教高位カーストの権力者達が好み
そうな、きわめて悪趣味なネーミングである。
しかし国内外の反発やインド仏教徒らの猛烈な抗議も
あって、現在この名称は使われていない。
今回佐々井秀嶺師は福島第一原発から25㎞圏にほど
近い場所へも赴かれた。四十四年も祖国を離れていた
佐々井師は、日本の原発に、もんじゅ、ふげん、という
菩薩の名前が付けられている事実をこの時初めて知り、
激昂した。
「なんたることか!」
文殊・普賢の両菩薩は、釈迦牟尼如来の智慧と慈悲を
あらわす脇侍である。
「そんな危険なものに菩薩の名を許しているのか!」
「いのちこそ菩薩!」
佐々井師の反核活動については、故山際素男氏による
評伝小説『破天』の冒頭でも紹介されている。
「科学に媚びて御名を汚すとは!」
まさに〝忿怒金剛〟(『必生 闘う仏教』113~114頁)の
明王と化していた。

読経の際、写真家山本宗補氏の強い勧めにより、拙や
おとうと弟子はマスクを着用したままでお勤めをしたが、
佐々井師は平然と、向かい風の中で仁王立ちした。
「南無文殊師利菩薩、南無普賢延命菩薩」
「南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経」
もし親鸞や日蓮が現代にいたなら、きっとこのようにした
だろうと思った。

さて、余談ながら拙は読経終了の直後、マスクを着けた
ことに自分で自分が情けなくなり、はずした。
感傷が過ぎる、と言われれば、それまでのことだが。

(※注 写真は原発近郊で撮ったものではありません。
また佐々井秀嶺師は既にインドへ戻っておられます)

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