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廃墟の菩薩

廃墟の菩薩
先日、某寺の盆法要で講師に招かれ、被災地で目にした
ことをお話しする機会があった。
だが残念なことに、住職師から事前の説明があったにも
関わらず、一部の参拝者の反応は、冷やかであった。
(どうして縁もゆかりもない他人のことを・・・)
斜めの視線が、本心を語っていた。
盂蘭盆とは、釈尊の高弟:目蓮尊者の母がエゴの報いで
餓鬼道に墜ちたという仏教説話に由来することを思えば、
なんとも皮肉な印象を受けた。

さて、佐々井秀嶺師の御供をして、東北三県の被災地を
慰霊に訪れた時のこと。
津波被害によって地盤沈下した海辺の住宅街跡。瓦礫の
下から見える基礎工事の土台が、そこに家があったこと、
人の暮らしがあったことを示している。
或る家の遺構。瓦礫の間に、仏壇の蝋燭立てが転がって
いた。その家のものか津波で流されて来たのかは分から
ないが、巡り合わせを感じた。
きっと待っていてくれたんですよ、と佐々井師に言うと、
「うむ」
こびりついた錆を払い落とし、たいらな場所を選んで立て、
持参した蝋燭を灯して、読経した(防火のため終了後すぐ
火は消した)。

かつて漁師町だった被災地では、廃墟の中に博多人形が
立っているのを見た。『藤娘』。殆ど汚れていないことから、
津波が引いた後、誰かが、物故者を慰めるために置いた
のであろうと推測された。

ひとはエゴの生き物だ。
だが、そのエゴを超えようとする慈悲心を持つ存在だ。
みほとけとなられた物故者諸霊は、縁もゆかりもない人々
を菩薩道へと導いてくださることだろう。

廃墟で見た博多人形の藤娘が、菩薩の像に思えた。

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