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『反骨のブッダ』

  • 高山龍智: 『反骨のブッダ』インドによみがえる本来の仏教(コスモトゥーワン出版)

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2011年9月

南天の白蓮(7)

南天の白蓮(7)
南天の白蓮(7)
南天の白蓮(7)
9月1日。河野太通老師率いるラック(RACK)使節団
一行は、かねてからご支援下さっている無医村地区
カンダサオリにある医療施設を視察された。
僻地への悪路、しかも雨季の折柄、難儀な道中では
あったが、なんとか無事に辿り着いた。
施設前にはテントが張られ、地元仏教徒による歓迎
の支度が整えらていた。彼らは何日も前から泊まり
がけで、あれこれ準備していたのである。

僻地医療。これは、先進国とそうでないとに関わらず
世界人類が共通に抱えた問題だ。わが日本とて例外
でないことは、今年の大震災であからさまとなった。
医師を、薬を求める人々との間の、インフラ整備。
インドにおいては、そのインフラストラクチャーを阻む
大きな壁として、カースト制度がある。
人的、物理的、経済的な問題に加えて、ヒンドゥー教
による差別問題が、患者に突きつけられるのだ。
かつて、若き日の佐々井秀嶺師が医療施設の必要
を痛感させられたエピソードの一つを、ご紹介する。

ナグプールで活動を始めて間がないころ、自転車を
漕いで僻地を回っていた青年僧:佐々井師。
とある村はずれの路上、赤ん坊を抱いた若い母親が
泣き叫んでいる。どうした?
「この子が病気なんです!助けて下さい」
見ると、枯れ枝のように痩せた母の腕の中で、すでに
赤子は息絶えていた。蠅がたかり、小さな口の端から
蛆虫が這い出している。
いや、もう亡くなってる、供養してやらねば。と云うと、
「生きてます!あたしらが不可触民だから医者が診て
くれないだけなんです!診せれば生き返ります!」
彼女は正気を失っていた。
・・・よしっ、わかった。一緒に医者を探してやる。
佐々井青年は遺体を抱いた若い母を自転車の後ろに
乗せ、炎天下、彼女の気が落ち着くまで走り回った。
(ちきしょう!ばかやろう!)
ペダルを漕ぎながら、怒りがこみあげてきた。
(こんなばかなことがあってたまるか!)
涙が溢れて止まらなかった。

すまない、お医者さん見つからなかったよ。
夕暮れも近付いた頃、自転車を止めて親子を降ろし、
佐々井青年は頭を下げた。
去っていく親子の後ろ姿が、胸をえぐった。

南天の白蓮(6)

南天の白蓮(6)
南天の白蓮(6)
南天の白蓮(6)
8月31日午後。河野老師御一行はナグプール市内にある
改宗記念広場(Diksha Bhoomi)へ。
巨大ストゥーパの中にはアンベードカル博士の御真骨が
祀られている。この建物一つを例にしても、インド仏教徒
の篤い信仰と彼らを牽引する佐々井師の指導力がどれ
ほどのものか判るだろう。
入館に際しては、金属探知機ゲートの通過が義務付けら
れており、今もって、反仏教・反アンベードカル・反佐々井
陣営から標的にされていることも事実だ。『闘う仏教』とは
口先だけのスローガンではないのである。

平素、堂内は撮影禁止なのだが、今回だけは特別。
全日本仏教会長を御案内し、佐々井師が建立の由来を
説明する。堂の中央には御真骨を納めたストゥーパ型の
舎利容器がアクリル製ドームに守られて鎮座している。
「ここで1956年10月14日アンベードカル博士が仏教改宗
と復興を宣言したにも関わらず、博士の死後ナグプール
には遺骨が祀られてなかったんです。しかし、やはり中心
となるものがないと人々は団結しにくい。そこで御遺族に
お願いし、分骨していただいたんです」

団結しにくい・・・。カースト制度で横に分断された、インド
社会の宿痾ともいうべき側面である。
それぞれが所属するカースト内部では団結らしき動きを
見せることもあるが、基本的に個人主義だ。上の階級と
揉めごとを起こさずに、とりあえずなんとなく上手くやって
いこうする。そんな国柄と民族性の中で、圧倒的多数派
たるヒンドゥー教と決別し、『人間平等』を説く仏教を復興
せしめんとしたアンベードカル博士の功績は、仏教徒が
彼に冠した称号、
「Bodhisattva Baba Saheb(菩薩聖者)」
に相応しいものである。
また、いざというときに団結する日本民族として生を受け、
幼少期には戦時中の〝挙国一致〟思想を叩き込まれて
育った佐々井師が、この地でどれほどの御苦労をなされ
たかは、凡百の想像をはるかに超えるものだったろう。

仏教復興・人間解放の大先達、菩薩聖者アンベードカル
博士の御真骨を礼拝する全日本仏教会長。
河野老師の読経が、低く静かに、堂内にこだました。

南天の白蓮(5)

南天の白蓮(5)
南天の白蓮(5)
南天の白蓮(5)
8月31日午前。インド仏教会本部インドーラ寺の本堂にて
佐々井秀嶺師誕生祭が開かれた。
先述したように、今年は東日本大震災への配慮から一日
遅らせての開催となった。だが生憎、雨季の折柄、早朝
より豪雨が降りしきり、地元仏教徒の出足が危惧された。
「誕生会なんて毎年やっとるからどうでもいい。それよりも
河野老師御一行に迷惑をかけてはならんぞ」
例年ならば主役であるはずの佐々井師も、気が気でない
様子で、いつになく苛立ちをあらわにしていた。
しかし仏教会青年部が直前まで懸命に市内を駆け巡り、
「全日本仏教会長、きたる!」
と、声を掛けてくれたおかげで、ほぼ定刻通りに開くことが
出来た。これは、インド的には奇跡に近い。

河野太通老師御一行の到着。
堂内を埋めつくした仏教徒が礼拝と万雷の拍手でお迎え。
まずは全日本仏教会長による本尊御親拝。読経一巻。
続いて満堂の聴衆に向け、
「私が初めてこのお寺に来たのは十五年前。今日改めて
みなさんのお顔を拝見し、当時を昨日のことのように思い
出しております」
ああ、そういえば、と頷く仏教徒もいた。老師のお言葉は、
まさに〝平座(ひらざ)の法話〟。同胞と膝をまじえて語る
かのようであった。『真実』に余計な力は無用なのだ。
「みなさんのお顔はとても優しい。その優しさはお釈迦様の
教えを生活の中で実践しておられるからだと思います」
確かに、インドを知る人であれば、ナグプールの仏教徒が、
他の地方で別の宗教共同体に暮らすインド人(いつも眉間
にシワを寄せトゲトゲしい表情を浮かべた)とは、明らかに
異なっていることに気付く。 虐げられた民衆ゆえに他者の
痛みが分かるのか。慈悲とは、哀しみを知ることなのだ。

その後、仏教徒による献華。
河野老師と佐々井師を、民衆が雲霞の如く取り囲む。
ここで四十年以上生活している佐々井師は、慣れたもので
右へ左へ上手にいなすが、そのぶん河野老師に集中して
しまい、結局、全日本仏教会長はブッダの国の民によって
揉みくちゃにされてしまった。

インドから日本へ渡った仏教。
日本から来た佐々井師によって復活したインド仏教。
どちらの国でも、名もなき民衆こそがその担い手であった。

南天の白蓮(4)

南天の白蓮(4)
南天の白蓮(4)
南天の白蓮(4)
8月30日、東日本大震災物故者慰霊碑の開眼供養。
例年ならばこの日は、佐々井秀嶺師の誕生日であり、
インド民衆によって盛大な祝典が開かれる。
その模様は地元メディアがこぞって報道し、新聞社は
号外を出すほどである。だが、
「今年はとても祝ってもらう気にはなれんよ」
と、河野太通老師の御訪印、並びに民衆が集結する
例年行事を無上の法縁とし、慰霊碑の除幕開眼式を
執り行なうことにした佐々井師。
全日本仏教会長とインド仏教の指導者。この両師は
奇しくも、今年6月のなかば、まったく同じ時期に東北
地方の被災地にいた。
河野老師は全日本仏教会長として、大震災物故者の
百箇日法要を御直修。佐々井師は、ごく近しい者だけ
に告げて緊急来日し、岩手・宮城・福島の三県を慰霊
行脚したのである(当ブログにて既報)。

慰霊碑に香華を供える両師。
まずは河野老師のお導きにより同行の日本仏教僧侶
による開眼供養。般若心経、そして四弘誓願。
「衆生無辺誓願度・・・」
二万数千人にのぼる、まさに無辺の尊い生命が奪わ
れた大震災。河野老師の御読経は、声を張ることなく、
静かに、しかし太く、インドの天地に響き渡った。

続いて、佐々井師とインド仏教僧侶による読経。
黒を基調とした日本式の法衣姿に代わり、糞掃衣の
比丘たちが、パーリ語でお経をあげる。
すると参拝していた仏教徒らが一斉に声を合わせて
お祈りを始めた。
彼らにとって〝JAPAN〟は、佐々井秀嶺師を生んで
くれた国。また同じ仏教の国。その日本で多くの方が
亡くなられた。だから、祈る。
民衆に理屈は要らない。〝情〟で本質に直参する。

かつて釈尊が、あるいは龍樹が呼吸したと同じインド
の大気に包まれて、慰霊碑は建っている。

南天の白蓮(3)

南天の白蓮(3)
南天の白蓮(3)
南天の白蓮(3)
「震災で亡くなられた方々の慰霊碑を建てる」
去る4月11日、東日本大震災物故者初月命日にあたり、
ナグプールの佐々井秀嶺師は宣言した。
「大乗仏教発祥之地マンセル遺跡に日本仏教の宗派を
越えた慰霊碑を建立する」
言ったことは必ずやり遂げるのが佐々井師流。費用は
御自身が供養した。昨秋に刊行した『必生 闘う仏教』の
印税収入を、全額投じたのだ。
「買ってくれたひとの中には、大震災で亡くなられた方も
おられたと思う。だからお返しするのが当然だよ」
とはいえ雨季のインド、連日の豪雨に造立作業は困難
を極めたが、陣頭指揮を取った佐々井師の気迫が天を
動かし、全日本仏教会長の御来臨にギリギリ間に合う
ことができた。文字通り、『破天』のひとである。

8月30日、法雨降り注ぐ午後、河野太通老師御一行は
マンセル遺跡に到着。
ここでも、待ち構えていたインド仏教徒の歓呼に迎えら
れた。その、あまりの騒ぎに一瞬戸惑った河野老師を、
佐々井師が手招きで先導する。
「こっちです。相手してるとキリがないですよ」
確かに、インド人が宗教行事で熱狂すると収拾つかなく
なるものだが、だからといって、素っ気なくできないのが
日本人である。結局、流れに任せるしかない。

一騒動の後、河野老師と佐々井師は黄色い(インド仏教
のカラー)幔幕で覆われた慰霊碑の前に立った。
あたかもその光景は法華経にいう「二仏並座」が現出し
たかの如くであった。東日本大震災物故者諸霊のため、
全日本仏教会長とインド仏教の指導者が肩を並べる。
河野老師の手に除幕式の紐が渡された。
静かに幕が外され、慰霊碑がその姿を現す。
「Bhagvan Buddha Ki Jay!」(仏世尊に勝利あれ!)
インド仏教会青年部の有志が声を上げた。彼らは、この
日のため昼夜を問わず作業に没頭してきたのだ。
ひとりの青年が言った。
「僕は日本へ行くお金もないし、日本語も分からないから、
今現に困っている日本の人達を助けてあげられません。
だからせめて、同じ仏教徒としてお手伝いをさせてもらい
ました。Namo Buddha。」

次いで、全日本仏教会長に導師をお願いし、開眼法要が
始められた。

南天の白蓮(2)

南天の白蓮(2)
南天の白蓮(2)
南天の白蓮(2)
予定時刻を一時間過ぎて、ようやくインド仏教徒による
ラックの皆様への歓迎式典が開始された。司会者が、
「Japan Buddhist Samgha Mahastavir Taitu Kono Jee」
(全日本仏教会長、河野太通御老師)
と紹介すると、龍樹菩薩大寺の本堂内に歓喜と驚きの
渦が巻き起こった。合掌礼拝する釈迦の国の民。
次いでインド仏教徒を代表し、可憐な少女が登壇した。
彼女は、用意した台本等をいっさい見ることなく、堂々と
見事なヒンディー語スピーチを披露。
「日本の仏教徒とインド仏教徒はひとつでしょ?だって、
お釈迦様はおひとりなんですもの」
その〝獅子吼〟ぶりには、さすがの佐々井師も大喝采。

いよいよ河野老師の御直教。佐々井師が通訳する。
「お釈迦様はおっしゃった。生命はみんな同じなのだと」
真剣に耳を傾けるインド仏教徒ら。日本語は分からない
はずなのに、渇した者が水を求める如く、聞き入る。
・・・生命はみんな同じ。
この言葉こそ、ヒンドゥー教徒が絶対多数を占めるインド
社会の中で、ただその生まれた血筋だけを理由に人間
として扱われて来なかった彼らにとって、どんな福音にも
まさる教えなのだ。
想像して欲しい。公共の場所にある井戸でさえ、炎天下
であっても近寄ることすら許されなかった苦しみを。
アンベードカル博士、そして佐々井秀嶺師が彼らの前に
現れなかったら、今もってその飢渇の無間地獄は続いて
いたのである。 (『必生 闘う仏教』集英社新書参照)

「日本では今年、大変な震災と津波があって、たくさんの
尊い生命が失われました。でもね、私たち日本人は挫け
ません。皆さんと一緒に、頑張って生きていきます」
聴衆の中には涙ぐむ者もいた。釈尊が説いた慈悲の心
は、今もインドの大地に息づいている。
「すべての仏教徒に、人間に、光りあれ!」

8月30日午後、河野老師一行は大乗仏教発祥之地たる
マンセル遺跡へ移動し、東日本大震災物故者慰霊碑の
除幕式に臨まれた。

南天の白蓮(1)

南天の白蓮(1)
南天の白蓮(1)
去る8月29日、インド中央部ナグプール市の空港に日本
からの一団が降り立った。
全日本仏教会会長:河野太通御老師が率いる、ラックの
皆様である。ラック(RACK)は南アジア各国の教育、保健
医療、人権、女性、子供問題等への支援活動をする我が
国の団体だ。 
http://bnn.ne.jp/member/rack.html

空港では、佐々井秀嶺師とインド仏教僧侶らが花を手に
インド式の歓迎儀式。御一行に次々と花環を捧げる。
何事も控え目を以て良しとする日本人には些か面食らう
瞬間だ。これでもかこれでもかの花攻めに、遂には老師
の慈顔が南国の極彩色で埋もれるほどであった。

現地時間の夜という到着時間もあって、御一行は市内の
ホテルへ直行。ロビーにて明日からの打ち合わせ。
全日本仏教会河野太通会長と、インド仏教徒一億五千万
の指導者佐々井秀嶺師。経典に言うところの「仏仏相念」
が実現した。(写真上)

8月30日。
河野老師一行はナグプール郊外にある龍樹(Nagarjuna)
ゆかりの地に昨秋建立された龍樹菩薩大寺を御親拝。
そこでもインド式の大歓迎が待ち構えているはずだったが、
雨季という折柄、また何事もスローを以て良しとするインド
ゆえ、地元仏教徒の出足がだいぶ遅れて、予定の時間を
一時間ほど過ぎてしまった。(写真下)
「春の海 ひねもす のたり のたりかな」
佐々井師はいつもの調子で、呵々と豪快に笑い飛ばす。
いまは夏ですよ、と拙が突っ込むと、よけいなこと言うな!
とばかりにギロッと睨まれた。当然だ。日本の仏教を代表
するVIPをお待たせして、平静でいられるはずがない。

やがて龍樹菩薩大寺の本堂は地元仏教徒で溢れ返った。
「よおしっ、始めるぞ。御一行をお呼びしなさい!」
佐々井師は毅然と立ち上がった。

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