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南天の白蓮(5)

南天の白蓮(5)
南天の白蓮(5)
南天の白蓮(5)
8月31日午前。インド仏教会本部インドーラ寺の本堂にて
佐々井秀嶺師誕生祭が開かれた。
先述したように、今年は東日本大震災への配慮から一日
遅らせての開催となった。だが生憎、雨季の折柄、早朝
より豪雨が降りしきり、地元仏教徒の出足が危惧された。
「誕生会なんて毎年やっとるからどうでもいい。それよりも
河野老師御一行に迷惑をかけてはならんぞ」
例年ならば主役であるはずの佐々井師も、気が気でない
様子で、いつになく苛立ちをあらわにしていた。
しかし仏教会青年部が直前まで懸命に市内を駆け巡り、
「全日本仏教会長、きたる!」
と、声を掛けてくれたおかげで、ほぼ定刻通りに開くことが
出来た。これは、インド的には奇跡に近い。

河野太通老師御一行の到着。
堂内を埋めつくした仏教徒が礼拝と万雷の拍手でお迎え。
まずは全日本仏教会長による本尊御親拝。読経一巻。
続いて満堂の聴衆に向け、
「私が初めてこのお寺に来たのは十五年前。今日改めて
みなさんのお顔を拝見し、当時を昨日のことのように思い
出しております」
ああ、そういえば、と頷く仏教徒もいた。老師のお言葉は、
まさに〝平座(ひらざ)の法話〟。同胞と膝をまじえて語る
かのようであった。『真実』に余計な力は無用なのだ。
「みなさんのお顔はとても優しい。その優しさはお釈迦様の
教えを生活の中で実践しておられるからだと思います」
確かに、インドを知る人であれば、ナグプールの仏教徒が、
他の地方で別の宗教共同体に暮らすインド人(いつも眉間
にシワを寄せトゲトゲしい表情を浮かべた)とは、明らかに
異なっていることに気付く。 虐げられた民衆ゆえに他者の
痛みが分かるのか。慈悲とは、哀しみを知ることなのだ。

その後、仏教徒による献華。
河野老師と佐々井師を、民衆が雲霞の如く取り囲む。
ここで四十年以上生活している佐々井師は、慣れたもので
右へ左へ上手にいなすが、そのぶん河野老師に集中して
しまい、結局、全日本仏教会長はブッダの国の民によって
揉みくちゃにされてしまった。

インドから日本へ渡った仏教。
日本から来た佐々井師によって復活したインド仏教。
どちらの国でも、名もなき民衆こそがその担い手であった。

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