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『反骨のブッダ』

  • 高山龍智: 『反骨のブッダ』インドによみがえる本来の仏教(コスモトゥーワン出版)

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天日地花

天日地花
天日地花
『陰徳(いんとく)』。陰にいて目立たぬ立場を貫きながら
他者に奉仕すること。表舞台の華々しい陽徳とは、逆。
この言葉を、知識としては知っていたが進んで実践して
いる人にはなかなか出会えなかった。無論、自分自身
も含めて、である。
だが、インドの佐々井秀嶺師の活動を長年に渡り日本
から支え続けて来られた方、あるいは、みずからの職を
投げ打ち現地へ赴いて佐々井師の下働きをされた方と
お会いする縁に恵まれ、陰の温かさを知った。

陽は、誘蛾灯のごとく人を引き寄せる。おのれの名聞・
利養そして勝他のために、様々な目論見の毒を含んだ
者たちが群がって来る。そのような輩は、きっかけさえ
あれば容易に態度を一変させる。
「そんなもんだよ、仕方ないだろ。はっはっは!」
佐々井師はいつも笑い飛ばすが、その横顔は寂しさに
翳る。愛別離苦。祖国を遠く離れ四十年以上も異郷で
暮らしてきた老僧は、その痛みの中で生きてきた。

陰は、陽のカゲではない。
花に譬えて云うならば、サロンに飾られた花は、それが
どんなに絢爛豪華であっても、所詮は、切り花。
大地に根を張った名もない花とは、咲く世界が違う。
これを「ハレ」と「ケ」の例で云うなら、晴れの舞台は気の
日常に支えられてこそ成り立つ。
つまり、陽徳で一旗揚げようという輩は、根無しの花だ。

佐々井秀嶺師は「天日」の号も持つ。
(『必生 闘う仏教』48頁)
まさに中天に燃ゆる日輪の如き佐々井師には相応しい
名だが、云うまでもなくその陽光は不断の陰徳によって
輝いているのである。
あえて抽象的な物言いをするならば、始原の混沌、陰陽
未分化の〝生命力そのもの〟、それが佐々井師だ。
凡余が陽の部分だけをかすめ盗ろうとしても、かなうもの
ではない。

恒河沙数の(ガンジス河の砂の如く数えきれない)陰徳。
さらに、それを支える方々の陰徳・・・。
日は天に。花は地に。

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