2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
フォト

« 南天の白蓮(8) | トップページ | 仏子の歌 »

日本人として

日本人として
日本人として
日本人として
いまも東北の被災地では、幾多の艱難に立ち向かい、
復興への努力が続けられている。
天災だけではない、福島第一原発事故による放射能
漏洩、そして事実を隠蔽しようと画策する権力者らが
もたらす人災。国民は、それとも闘っている。
インド仏教指導者:佐々井秀嶺師も「日本の民衆の子」
(故山際素男先生曰)である。
「おお首相よ、ここに現れ、仏陀の嗤いに答えてみよ。
私の生まれは日本である。そして、原爆体験をした唯
一の民族、日本人の怒りが燃えたぎっている」
(山際先生著『破天』光文社新書)
1998年、インド政府が地下核実験を強行した際、首都
デリーの国会議事堂前に、怒号が轟いた。
怒りを鎮めよ、などという抹香臭いことはどうでもいい。
実際には〝元〟日本人であるが、庶民感覚として思う
ところを爆発させる。佐々井師はそういう人だ。

3月11日、東日本大震災発生。
二万数千人にも上る無辜の生命が失われた。
その報道をインドのテレビで逐一追っていた佐々井師
と連絡が付いたのは14日。無論、日本の電話回線が
ダウンしていたからだ。
「こちらでは毎日、仏教徒がお祈りをしてくれている。
そのことを皆さんに伝えてくれ」
4月。かねてからアンベードカル生誕祭に出席を予定
していた拙は、大震災物故者諸霊の初月命日をぜひ
お釈迦さまの国でお勤めしたい、と考え、連日余震が
続く中、また私事ながら、寝たきりの老親をひとり日本
に残して渡印した。佐々井師は物故者諸霊の位牌に
手を合わせ、読経してくださった(写真上)。
6月。佐々井師緊急来日の報せ。
写真家:山本宗補氏のひとかたならぬ御尽力によって、
岩手・宮城・福島の被災地を慰霊行脚(写真中)。
そして、8月。インド中央部はナグプール市近郊にある
マンセル遺跡に慰霊碑が建てられた。
理屈ではなく〝日本の民衆の子〟としてそうせずには
いられなかった、佐々井師の思い(写真下)。

被災地の惨憺たる状況を目の当たりにし、人間として、
日本人として、佐々井秀嶺師は嗚咽していた。

« 南天の白蓮(8) | トップページ | 仏子の歌 »

仏教・宗教全般」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/503578/52964743

この記事へのトラックバック一覧です: 日本人として:

« 南天の白蓮(8) | トップページ | 仏子の歌 »